3章 赤き炎の過日

第32話 これが戦力外通告か

 

 集会所を去った後はマーケットで食材を買って、ミドリーさんとシスターに無事に依頼クエストを終えたことを報告して、家に帰った。



 その時も彼の様子は至って普通で、いつも通りニコニコ笑っていた。

 結局、アンジェの顔つきが変わったのはセリナから手紙を受け取ったあのひと時だけだったということだ。



 だが、それも夜までのこと。

 三人で夕食を食べていると、アンジェは唐突に俺に請うてきた。



「ムギちゃん……ひとつ、お願い聞いてくれる?」



 アンジェの表情は澄ましていたが、眉尻は申し訳なさそうに垂れていた。



 彼の意図はわかっている。どうせあの手紙のことだ。



依頼クエストのことだろ?」



 図星を突くとアンジェは驚いたように目を瞠った。

 だが、ギルド員は名が上がるとギルドから依頼書が来ると言っていたからその考えになるのは自然なことだった。

 多分、さっきセリナが渡したあの手紙こそがギルドからの依頼書に違いない。



 アンジェの言いたいことは理解できた。

 依頼クエストがある。しかし依頼クエストをするには俺が足手纏い。けれどもアンジェのことだから俺が傷つかないようにどう言おうか迷っていたのだろう。



「いいよ気を遣わなくて……俺が弱いことは自分が一番わかってるし」



 不貞腐れるように頭の後ろで腕を組むと、アンジェは困った表情のまま愛想笑いを浮かべる。



 だが、俺だって足を引っ張ってアンジェに迷惑をかけるのはごめんだ。

 それでも温情なアンジェはふるふると首を横に振って否定してくれた。



「ムギちゃんは弱くない。ただ……今回の依頼クエストはあたしがギルドに依頼されたから、あたしが一人でやりたいと思っただけ。あたしの勝手な意地なのよ」



 だから、弱いなんて言わないで。

 優しい眼差しでアンジェは力強く告げる。



 そんなことを言われると俺も言い返せなかった。

 なだめられていることもわかっていたが、ここで突っ張ると話が進まないので、ひとまず頷いた。



「んで……頼みたいことって?」



 話を本題に戻す。

 すると、アンジェは懐から文字が書かれたメモを俺に渡してきた。



「ムギちゃんにはあたしが出かけている間、おうちでお留守番していてほしいの。これは、その留守の間にやっておいてほしいことの一覧よ」



 渡されたメモに目を通すと、アンジェの丁寧な字で彼からの依頼項目が箇条書きで書かれていた。言うならば、彼からの依頼クエストだ。



 そうは言うものの、ほとんどが家事だった。家の掃除、買い物、そして洗濯……要するに俺に主夫になってほしいということだ。



「ちょっと遠いところに行くから、多分二日くらい帰れないと思うの。二日もいないとこんな古い家だとすぐ埃も出るし、何より洗濯物が溜まっちゃってね……だからお願い!」



 最後、語気を強めたアンジェは「この通り!」と両手を合わせて請うてきた。



 さっきまでの堅苦しい感じはなんだったのか。もうほとんど勢いに身を任せているではないか。



 しかし、そんな必死な彼を見ているとこれまでの緊迫した空気もこのやり取りも馬鹿らしくなって笑ってしまった。



「――わかったよ」



「あーあ」と言いながら息を吐くと、アンジェは「本当?」と目を輝かせる。



「でも、無事に帰ってこいよ」

「それは大丈夫。それに、ちゃんと報酬おみやげも買ってくるから安心して」



 アンジェはニッと笑いながらウインクをする。

 その乙女っぽい仕種も俺の知っているアンジェだ。元の彼に戻っていて少しホッとした。



 肝心のアンジェが受けた依頼クエストだが、急ぎの用事で対応期限も短いらしい。だから、さっそく明日の朝から出発するようだ。



「助かるわー。依頼クエストから帰ってきた後に家事をするのって本当に億劫なのよね」



 アンジェも緊張が解れたのか、安堵した様子で目を細めた。



 自宅警備を頼まれる思わなかったが、少なくとも大学に入学してから三年ちょっと一人暮らしをしているのである程度の家事能力はある、はず。彼の依頼クエストも問題なく熟せるだろう。



「まあ、家のことは任せろよ」



 トンッと軽く自分の胸を叩くと、アンジェも安心したように笑った。



 そんな余裕ぶっこいていた俺だが……この時は現実世界と異世界エムメルクの決定的な違いにまだ気づいていなかった。

 だから、この依頼クエストの大変さを知る由もなかったのだ。

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