第10話 幸運を祈って

 僕が僕じゃなくなっていくような、そんな感覚。

 でも、この状況を打破するには、それしかなかった。


 魔術は一部の例外を除いて空間を移動する間に消耗し、威力が低下していく。

 僕の魔術も同じようだった。さらに言えば、僕の黒魔術の場合魔力に頼る面が強いからか、その威力の低下が顕著だった。


 だから、僕がこの人たちに勝つにはゼロ距離で攻撃するしかない。

 近衛騎士たちだけなら倒せるとしても、宮廷魔術師団による鉄壁の要塞までもを破らねばならないとなれば、魔力が足りない。

 だから遠くからの攻撃じゃあ勝てない。


 自らの手で直接殺さねば、勝てない。


「うああああああああああアああアァああアアアアア!」


 全身が黒い渦に呑み込まれていく。漆黒とはまた違う毒々しい黒色と腐臭が全身の感覚を麻痺させていく。

 敵にとっては体を溶かす猛毒でも、僕にとっては寧ろ回復薬みたいなものだ。


 覚悟なんて決めている暇はなく、ただ勢いに任せて突貫した。隊列を組んで盾となる近衛騎士を次々と薙ぎ倒し、触れるたびに騎士たちが溶けていく。

 腐臭や死臭が漂い、鼻を劈き、断末魔の叫びが脳を震わせ、僕を壊そうとしてくる。


「エリシアさんを……解放……死ねェ!」


 もう何が何だか分からない。分かるのは目の前にいる敵を殺さなければならないということだけ。

 ただただ衝動や強迫観念によって体が動かされ、魔術師たちの張った見えない壁まで辿り着いた。


「あがああああああああああアアアア!」


 全身の細胞が壊れていく。痛みなど感じない。ただ、自分が焼けていくような感覚を覚えた。

 苦しみや辛さは人体実験のときに比べて大したことはないのに、自分が死ぬということはひしひしと伝わってくる。


「貴様……正気か?」


 声など聞こえるはずもなかった。

 何ならもう理性だってないのかもしれない。

 僕が死ぬのが先か、壁が壊れるのが先か。


 体が熱いし、魔力だってほとんど残っていない。全身火傷でもう熱さが冷たさにすら感じられてきた。

 火花が飛び散り、衣服はもう跡形もなく無残に燃え散っている。


 いくら強靭な体でも金属が解けるような熱にずっと晒され続けていれば火傷だってする。仕方のないことだ。

 魔力がぎりぎり残った状態で、壁に亀裂が入った。最後の力を振り絞って亀裂を一気に大きくする。

 もっと壁と密着して無駄になる魔力を減らさなければ。脳を回転させず、直感的に、本能的に考える。


 努力は実り、亀裂はやがて全体に広がっていった。甲高い破砕音と共に結界の破片が飛び散った。


「ド……うダ。エリ……シあサんを……ハナ……せっ」


 呂律も回らず、カタコトな、獣みたいな言葉で喋ることしかできなかった。

 ここまで頑張って手に入れられるものは至って普通の生活なのだろう。

 僕にとっての恩人である美少女と奴隷にならずに暮らせる、ささやかな幸せなのだろう。

 しかし、それでも。


「分かった……私の負けだ。エリシアを解放する」


 首輪が外れるのを見て、そしてエリシアさんの呼吸が落ち着き、表情に安らぎが戻っていくのを見て、そんな生活もいいかな、なんて微笑んでしまった。

 でもやっぱり限界みたいだ。君が目を覚ましたから、今度は僕が眠る番。

 

 ——最後まで助けてやれなくて、ごめん。


 僕は望んだ生活が手に入る幸運を祈って、僕の意識は、闇に堕ちた。

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