第5話 儀式

 例えば見たこともないほど大きい王宮の前で。

 例えばずらりと並ぶ美人なメイドさんの列を見て。

 例えば振舞われた信じられないような豪勢な食事の前で。


 そんな環境に置かれて、自らが英雄になって活躍する華々しい未来を夢見ることは変わったことであろうか。

 少なくとも僕は、日本人にとって当たり前の感覚であると思う。自分が選ばれし者なのだと思っても変ではないと思う。


 そう言った過程を通して僕は最高に舞い上がっていた。家族に会えないのは少し寂しいが、元の世界に戻ればまた会える。

 それよりも今はこの世界でしか経験できないことをたくさんしてみたかった。例えば魔物を倒してみたり、なんて気が早いか。


 今日は夜に、つまり今から王への謁見が控えている。準備が整い次第始めるらしいが、心臓は爆発しそうなほどに荒々しく鼓動を轟かせている。

 しかし時間は待ってくれず、落ち着く前に謁見の時間はやってきてしまった。


 何回曲がったかも分からない長い廊下を歩き続け、ようやく重そうな巨大な扉の前に立った。

 今から王に会うのだと思うとより緊張してしまう反面、楽しみでもある。


 だって、エリシアさんは周りにいた沢山の人間から僕を選んだ。つまり僕には何らかの優れた点があったということだろう。

 友達の貸してくれた本では、こうやって日本人が英雄へと昇り詰めていったのだ。


 王様の部屋の護衛らしき二十人くらいの壮年の兵士が恭しく頭を下げ、両開きの扉をゆっくりと開けていく。

 イメージ通りだが、それでも緊張してごくりと唾を飲み込んだ。


 さっき練習した通りにゆっくりとレッドカーペットの上を歩き、奥の方にいた王様の前で跪いた。

 うわぁ……すごい威圧感。正直めっちゃ怖い。


「うむ。よく来た、異世界の者よ。それでは早速儀式を行う」


 大丈夫。きちんと流れは頭に入っている。習ったとおりにやればいいだけだ。

 術者らしき人物とエリシアさんが僕に近づいてきて、術者がまず僕の正面に立った。これから術を施すのだ。


 手に地区っとした痛みが走り、術者が呪文を唱えると手の甲の針を刺した部分から大量の血が流れ出る。

 血は生き物のように宙をうねり、やがて紋章となって手の甲に張り付いた。


「それでは、儀を行え」


 威厳を込めた声で王様が告ぐと、エリシアさんが僕の手を取り、そっと僕に囁いた。


「本当にしていいの? もしこれをしたらあなたは——きゃっ⁉」


 エリシアさんが電流でも流されたように背中を仰け反らせ、悲鳴を上げた。と同時に王様が苛立ちを込めた声で言葉を紡いだ。


「何をしている。早く儀を行え」

「すみませんでした、父上」


 そう言うと悲しそうな顔をして、僕の手の甲にキスをした。そんなに僕の手の甲にキスをするのが嫌だったのだろうか。酷い。

 ちょっと泣きそうになりつつも、何とか儀式は終わった。

 そしてちょうどそのタイミングで王様が声を発した。今までで一番大きい声だ。


「今ここで、異世界の者のが成立した!」

「え……?」


 王宮内の騎士たちは仄暗い笑みを浮かべ、エリシアさんだけが目を伏せていた。

 僕は数秒が過ぎてようやく、嵌められたのだと理解した。

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