第7話 デート 前編

 日曜、午前十時、晴天。僕は意気揚々と電車に乗り、待ち合わせ場所である藤沢駅へと降り立った。


 江ノ電の改札前で五分ほど待っていれば、「ごめん。待たせちゃったかな?」とノノちゃんが、「大丈夫、時間通りだよ。僕が早く来すぎちゃっただけだから」なんて僕はスマートに言葉を返した。


 それから僕らは小野崎を待っていたが、あいつは待ち合わせ時刻を三十分過ぎても来なくて、ノノちゃんの貴重な時間を無駄にする小野崎に痺れを切らした僕が電話を掛ければ、あいつは寝過ごしていたわけで……。

 なにを言ったか怒りで全然覚えてはいないけど、僕はとにかく汚い言葉を小野崎に浴びせかけていた。


 そんな僕を彼女が宥めてくれて、我に返った僕は猛省する。


「でも、よかった。小野崎くんが事故とかにあったわけじゃなくて」


 そんなことを言って、慄木乃々華は安堵の表情を浮かべているわけで、そんな彼女は天使だったけど、それは僕に向けられたものではなかったから、僕はなんとも思えない。


 僕がボーッと彼女の横顔に見惚けていれば、小野崎はゼェゼェと息を荒げながら、僕等の方へと駆けてくる。


――え……。僕は、小野崎の服装に引いていた。


 小野崎は、膝上丈の紺色短パンに、白いワイシャツ、首元に赤い蝶ネクタイ、そして紺色のジャケットって、もうどこぞの少年探偵みたいな格好でやってきたのだった。


「いやー、申し訳ないッ。昨日ちょっとライブが白熱してしまいましてな!」

「いや、べつにそれは……。なにライブって? 今は事件のことライブって言うの?」


 そう僕が小野崎の格好に対して皮肉交じりに問えば、「事件?」と、彼は本当に自覚がないのだろう、首を傾げるばかりだった。


「いや……お前の服装って、もろ……」


 きっと彼女もこの服装……というかコスプレに引いているに違いないと思い、僕はノノちゃんの方を見る。

 慄木乃々華は頬を赤らめ、両の手で口を覆っていた。


「ほら、ノノちゃんも引いてるじゃん。なんでお前そんなコナ――」

「かっこいい!」

「んんっ!?」僕は自分の耳を疑う。


――なんでだ? なにが格好良いんだ? この服装の……。

 僕だって、お母さんがファッションセンターしまむらで買ってきてくれた中で一番おしゃれな英語がたくさん書いてあるティシャツを着ているのに、君は一緒にいたこの小一時間、なにも言ってくれなかったじゃないか……。


「こぱぁッ!」

 ようやくノノちゃんの存在に気付いた小野崎が、その美貌を視界に捉えてしまったのだろう、驚嘆し固まっていた。


 彼女は、そんな小野崎の奇声になど動じずに、挨拶をしていた。

「こんにちは! 何度か小野崎くんのバイト先で会ったことあるんだけど、でも覚えてないよね! だから、初めまして! 慄木乃々華って言います!」

「と、とととととと当方、おおおおお小野崎ままま学でごわす」

「よろしくね!学くん!」


 そう言って、彼女はとびきりの笑顔を小野崎へ向けていた。

 僕はその光景を一点の曇りしかない死んだ目で見ていた。

 


 小野崎が遅刻したせいで、もうお昼時になっていた。


 小野崎は、「申し訳ない。」と言い、なにやらこの近くに彼の行き付けの店があるらしく、遅刻したお詫びとして、僕とノノちゃんにランチをご馳走してくれると、彼は意気揚々に言ってきたのであった。


――すげぇじゃん、小野崎。初めて会った女の子に飯奢れるとかイイ男じゃん。もしかして遅刻してきたのも実は計算で、奢ると言った時に彼女が遠慮してしまうのを考慮しての事だったのかもしれない。


 と、僕は内心で、小野崎を侮り過ぎていた……なんて後悔し始めていた。


 僕とノノちゃんは、勇み足で闊歩する小野崎の後に付いていく。

 五分ほど歩いた頃に、「もう、すぐそこでござるから!」と、小野崎が僕等の方へ顔を向け言ってきた。


 なんだろうか、気のせいかもしれないけど、フルーティーというか……スパイシーな匂いというか……嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔をくすぐる。


「ここ! ここでござるよ!」そう言って、小野崎は意気揚々に指差した。


 指差した方へと目を遣れば、黄色い看板に『ラーメン二郎』と書かれていた。


 なるほど。と、僕は思う。

 ラーメン二郎湘南藤沢店か……確かにここはラーメン二郎の中でも評判が良いし、僕も何度か食べて、その確かなおいしさを知っている。なにより二郎初心者にも優しいお店だ。やるじゃないか、小野崎。

 彼にしてはなかなか良いセンスだと、僕は素直に認めざるを負えなかった。


 僕等は食券を買い、暫しの間、列に並んで順番が来るのを待つ。


「わ、私……。こういうお店初めてで……。食べきれるかな……」

 ノノちゃんは、不安?な表情を僕等に向け、そう問うてきた。

「大丈夫だよ! 二郎ってさ、野菜少なめとか注文できるしね。別に特別なことなんてないからさ! 店員さんに訊かれた事に対して、ちゃんと応えれば良いだけだから!」と、僕は彼女の不安?を払拭させようと、優しい表情で言葉を返してあげた。

「そうでござるよ! それに安心するでござる。もしノノちゃん?と当方が呼んでもいいのか分からんのですが……。残してしまっても、拙者、胃の容量には少しばかり自信があるのでございまする! だから万が一ノノ殿が残してしまわれた場合、お任せあれ! 食べてあげるでござるよ!」


――はっ?なに此奴イキってんの?

 なにノノちゃんが不安そうだからって二郎で間接キス狙ってるわけ? 

 意味分かんねーし。そんなん絶対させないし。


「いやいや、ノノちゃん。大丈夫だよ! 僕が食べてあげる! ほら、デブって見た目の割に小食な事が常だからさ、僕の方が胃の容量多いから! 絶対!」

「プークスクス。大盛りを頼まなかったとよもっちゃんがそんな事言うとは、いやはや……プークスクス。」

「なに言ってんの? 全然違うけど。僕はいつも大盛り食ってるし。でも今日はノノちゃんがいるからさ、もしノノちゃんが食べきれなかった場合を考慮して、僕は普通盛りを頼んだわけでね」

「プクスリ。大盛り食べても余裕あるでしょ、普通は」

「はぁ? 困るんだよなぁッこういうロットが乱れる事を考えられない奴ってさぁッ」


 僕を小馬鹿にする小野崎を、親の敵かの様に全力で睨みつける。

 小野崎はなにがそんなに愉快なのか、クパクパと笑っていた。


「二人ともすごいね! 私にはよく分からないけど、いっぱい食べられて、偉いね!」

 そう言ったノノちゃんの表情は先程していた曇り顔から一転、笑顔に変わっていて、不安?を取り払えたことに、僕は安堵する。


 というか、冷静に考えてみれば、ラーメン二郎の間接キスってなんなのだろうか。ちょっと臭すぎやしないか、その間接キスは。

 そんな初めての間接キスはヤだなーと思ってしまった僕は、小野崎に食べてもらうことにした。


 本当の所を言えば、僕は小食だった。

 だから注文の時、慄木乃々華が隣にいるにも関わらず、「あ、麺三分の一にしてください。」と、平気に注文するのであった。


 そんな僕と比べ、小野崎は凄かった。全部マシマシで注文し、ズゾゾゾッとバキュームが如く麺を啜り、隣にいるノノちゃんの純白なワンピースに汁を飛ばしていた。


――バカな奴だ。さっさと嫌われろ。


 ノノちゃんは……やっぱり育ちが良いのだろうか、咀嚼をちゃんとしていて、だからもう、ほぼほぼ上の野菜でお腹が一杯になってしまったのだろう、少しだけ麺を啜り、「おいしいんだけどね……ごめんね、もうお腹一杯になっちゃった」と、残念そうに言っていた。


 小野崎は、もう二郎と一体化するんじゃなかろうかと言えるほどの気迫で、スープもろともその全てを平らげていた。

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