第5話 高校過去編

 二年前、通信制の高校に入学して、二ヶ月くらい経った頃だろうか、僕は此奴、小野崎学(おのざき まなぶ)と知り合った。

 小野崎学は、僕の唯一の友人だった。

 仲が良かったわけではなかったけれど、マンガとかアニメのDVDとかを一方的に貸して貰える仲ではあった。


 小野崎を見た者の十人中十人は不快感を露わにしてしまうほどの彼は猛者だった。

 というか、そもそも清潔感の「せ」の字も見当たらないほどに彼は不潔で、ポマード付けてんのか?と、疑問に思うほど、肩まで伸びきった髪の毛はいつもテカっていて、極度の多汗症の為か、四六時中体がシットリとし、そしてそれは湿っているばかりではなく、脂性も持ちあせているというハイブリッド使用だった。

 つまり彼は、常に全身ヌルヌルだった。

 いつしか彼には、『付喪神オナホ君』という大変キャッチーなあだ名が付けられていた。

 しかもそれだけでなく、太っているからなのか、冬場の小野崎は湯気をだし、夏場は潮を吹く、興奮仕切った局部みたいな奴だった。


 皆は小野崎学をバカにしていた。

 でも僕は、そんな小野崎学の容姿や体質をバカにする此奴らの方が浅ましく思えていた。

 だって同じ穴の狢同士だろ僕たちは、だから今ここにいるんじゃないか。と、皆が皆そうじゃないけど、でも大体の人達の境遇は似通ったもので、心に何かしら傷があるんだからさ……と、自覚ある僕は小野崎をバカにもしなかったし、憐れみで優しさをみせることもなかった。つまりは、どうでもよかった。

 自分に対し、なんの感情も抱かない人間が珍しかったのか、小野崎が僕に話し掛けてくる頻度は日に日に多くなっていった。


「豊本くんアニメとか見る?」

「あぁ、ドラえもんとか?」

「ドラえもんって。クプ。豊本くんっておもしろいね」

 なんだ此奴?と、僕は思う。

「えっ?なに?なんなの?」

「もっとあるじゃない。エヴァとかスクライドとかガンダムとかメダロットとか地球少女アルジュナとか――」

「ごめん、なに? 早口すぎてなに言ってるか分かんない。呪文?」

「ハレレ? おかしいでござるな。誰もが知ってる夕方アニメなのですが……」

「いや、知らんって……。あ、でも、ガンダムは見たことある」

「くぱぁ! なんでございますか!? それは!?」

「え、なに? なんかこじ開けた? というか、なに?」

「だから、なにガンダムでござますかと聞いとるのですよッ当方は」

「……たーんえー?」

「ぐっぱぁー! ∀ガンダム! なぜに∀ガンダム!? 世代ではないでしょうにッ」

「……なんか……お父さんが見てて。」

「これぞ英才教育! いやー豊本くんはすごい!」


 意味が分からなかった。

 小野崎がどうしてこんなにまでも興奮しているのか、理解出来なかった。

 こいつの独特な笑い声が、無性に腹立たしかった。

 よく言えば、個性が強く。悪く言えば、なんかクサい。そういう奴なんだと思った。


 それから小野崎は、僕と会う度に、「クパァ! 持ってきましたぞ!」と、アニメのDVDやマンガ、ライトノベルなんかを一方的に貸してくれて、僕はそっちの文化圏にやたらと詳しくなっていった。

 小野崎が貸してくれた物の大体は面白かったし、この続きってどうなるんだろうね? なんて話が出来る相手がいるというのは久方ぶりだったからなのか、ちょっと小野崎の決めつけてくるような考察はウザかったけれど、兎にも角にも僕は、彼とプライベートでも遊ぶくらいには親交を深めていた。


 でも、今は仲違いしていて、それは四ヶ月前の出来事が発端となっていた。


「これ、面白いでございますから!」と、貸して貰ったアニメのDVDがクソつまんなくて、後日、小野崎の家に返しに行った時だった。

「どうでござったか?」と、感想を求められた僕は、「時間の無駄だった」と言い、彼の部屋でコーラ飲みながらポテチ食っていれば、家主、激昂。


「はぁ? 意味分からんのでございますが。このアニメはあの有名な監督――(もう僕は覚えてない)で、作画は――で、音響なんか――。というか、この第十五話の八分三十二秒、ここのシーンの神作画ときたら、これ見てクソつまらないとかワロス、オワテル。そもそもですね、ヒロインの声優やってる――ちゃんと、主人公の幼馴染み役の――ちゃんは昔から仲が悪くてですね、それを――監督がなんとか仲を取り持って夢のコラボを実現させたという神的采配で成り立つ神アニメ定期なのですぞッ」

「いや、そんな早口で言われても分かんねーよ」

「どうして……どうしてでございますか、ともよっちゃん。あなたという人は、なぜにもっとバックグラウンドを学ばんのですかッ。視点を変えればまた見え方も違ってくるでしょうにッ」

「自分ちで汗掻くなよ……。暑いなら、エアコン切っていいよ」

 小野崎は汗を振りまきながら、怒鳴ってくる。

「今ッそんな話はしてござらんッ。視点を変えれば愛着も沸くし、面白くなるって話をッずっとッしとるんですッ」

 僕は、その熱量に段々と押され掛けていた。

「いや……でも、内容が面白くなかったら意味ねーじゃん。ジブリ好きだし、純粋にすごいなって思うけど、面白くない作品は面白くないし」

「ジブリはクソだから」

「はっ?」


 僕はその言葉にブチ切れかけていた。幼い時に『となりのトトロ』のビデオを穴が空くほど見て育ち、小学生の頃から、金曜ロードショー夏休み特別企画のジブリ祭りを毎年欠かさず見ている僕には……一番好きなアニメが『平成たぬき合戦ぽんぽこ』である僕にその言葉は、挑発と取っていいものだった。


「バルスとかワロンヌ。草も生えない」

 そう言われてしまった瞬間、僕の頭は怒りで真っ白になる。

「ハァ? 気持ち悪ッ。お前なんか全部キモいよ。とくに顔とか」

 そう言って、僕は小野崎を侮蔑的な目で睨みつける。

「人間は、顔じゃないんだなー。」

 そう言った小野崎の顔には、どこか余裕があった。

「はっ? じゃあ、なんだよ?」

 彼は唇に人差し指を当て、右頬と唇をつり上げ、言った。

「ホルモンバランス。」と。

 その瞬間、全身から鳥肌が立ち、怒りはどこかに消えてしまったけど、小野崎に対して拒絶感が生まれていた。

「キッッッショ。キモい通り越してキショ過ぎるわッ」

 それだけを言い残して、僕は小野崎の家を後にし、それから小野崎とは疎遠になったのだった。

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