第2話 別れ

 第三者にではあるけれど、そんな期待を持たせられれば、僕は前よりもノノちゃんを意識せざるを得なくなるが、しかしこれまでとは違い幾分かの余裕が生まれていた。


 だってノノちゃんが僕の事を好きなのかもしれないのだから……いやもう好きだろ絶対。


 竹中は相変わらずバカなことに僕を巻き込み辱め、ノノちゃんを赤面させては、猿みたいにキッキッと喜んでいるが、もう僕には嫉妬も、そして怒りすら湧いてはこない。それどころか、これが大人の余裕とでもいうのだろうか――やれやれ俺の女をまた困らせて。なんてな事を思いながらに、ほくそ笑むことすら出来た。

 そう、自分には自信が生まれていた。満ち満ちていた。


 もう僕は慄木乃々華を相手にし、どもることはなくなった。

 スマートに「おはよう」と、なんなら「今日もカワイイね」なんて軽口を叩けるまでに成長した僕が愚かだった。



 夏休みまであと数日のところで、僕は葵に呼び出される。


「なんかね。ノノちゃんが、豊本くん変わっちゃったね。って残念そうに言ってたけど」

「はっ?なに……それ?ドユコト?」

「キモいんじゃね?」


――意味が分からないよ。ありえない。慄木乃々華に対し、軽くジョークを織り交ぜながらに会話が出来るまでに成長した僕のどこがキモくなったというのだ。

 えっ、なに? どうすればノノちゃんに好かれんの?

 僕は縋る思いで、葵に問う。


「僕は……僕はどうすればいいのでしょうか?」

「知らないけど」

「あんたッ慄木乃々華の友達だろッ」

「はぁ~!? 太れば?」

「はっ? なにそれ? 意味分からん」

「多少は好みに近づくんじゃない?」

「ノノちゃんって……デブ専なの?」

「いや……べつに……。そういうんじゃないと思うけど……」

「もぅッ適当なこと言わんといてッ」

「ハッ?ウッザ。大きい声だすなやッ。つーかさッ――」

 葵は、そこで口ごもってしまう。

「なんだよ?」

「つーか、これはノノちゃんに絶対秘密にしてって言われてたことだけど、あの子転校すっかもだから」

「はひ?」


 僕の態度に激怒してしまったのだろうか。

 葵はとんでもない爆弾を残し、去ってしまった。


 一人取り残された僕は、パニックに陥る。


――えっ? なに? ノノちゃんいなくなっちゃうの? なんで? 僕のこと好きなのにって……好きじゃないんだっけ? 好きじゃなくなったんだっけ? えっ? 告白してもないのに恋って終わるもんなの? 実らず、腐りもせず、枯れるもんなの?


 もう僕は慄木乃々華の全てが分からなくなり、視界は暗転し、何も出来ずにいるまま夏休みを迎えてしまう。



 夏休みって、楽しみにしてた割にはすることないよね。

 だから、あんまり覚えてない。

 たぶん部活サボって再放送のタッチとか見てた。

 そしたら夏休み、終わってた。


 

 気怠い心と体で迎えた始業式の日、慄木乃々華は、もう学校から姿を消していた。

 父親の転勤とかそんな理由だった気がする。

 あんまし覚えてないけれど、担任の小林が残念そうな声音で言っていたのを、僕は顔をしかめて聞いていた。


「急すぎる慄木乃々華の転校で、別れの挨拶が出来なかった子も多いだろうから、皆で手紙を送りましょう。」なんてな事を小林は言い出し、道徳の時間に、それはあてがわれた。


 皆の筆が進む音が聞こえてくる中で、悲しみの極地に立つ僕は、空白が続く400字詰め作文用紙を見詰めることしか出来ずにいた。


 僕と彼女の間に、なにか生まれたものはあったのだろうか。


 一文字も書くことが出来ない作文用紙が、その答えを物語っているように思え、遂には自分の不甲斐なさと物悲しさに、肩を振るわしてしまう。


 そして『人間バイブ』と渾名された僕は、不登校になった。


 意味が無いのだ。いや、慄木乃々華がいない学校生活に意味を見いだせないのだ。だから、あの手紙に一言、「好きでした」と、名無しのままに震えた文字で書き、僕は慄木乃々華に別れを告げたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る