慄木乃々華はBが好き
へろ。
第1話 中学編 出会い
「いや、ちょっとやめろってー竹中ー! イテッイテッ! 叩くなよー! ベルトで俺をシバくなってー!」
イジり半分で人を苛める人間と仲良くするのは、周りの連中に自分は自分より格上な相手と接せられる人間だと魅せたい為で、決して同性にベルトで叩かれ性的興奮を覚える変態だからではない。
中学生はどこに属し人間関係を築くかが最も重大で、選択を誤ればスクールカーストの位置づけが変わる。僕は少しでも自分を目立たせる立ち位置を欲するあまり、なんの面白みも感じないサッカーとかいう球蹴りに情熱を注ぐふりをするだけの、一、中学生にすぎなかった。
せまい世界なのだ。
そんなせまい世界で、仲間意識と身内にしか通じない独特のさむいギャグが蔓延るピラミッドの頂点部分にヨイショヨイショしてしがみつく僕はひどく滑稽に見えるだろう。しかしそうしなければならないのは、慄木乃々華(おののき ののか)愛称は、ノノちゃん。つまりは僕の愛してやまない彼女が女子のカースト上位におわすから、それは致し方ないことだった。
中学に入学し、初めて入る教室には慄木乃々華がいて、一目見て分かった。
これが恋なのだ、と。
それまで何度か経験した幼稚園にいた先生への淡い初恋だとか、小学校で三本の指に入る気になるカワイイあの子とか、「好きだ」と伝え合うだけの告白だとかに胸を弾ませていたけれど、あんなものは一時の気の迷いであったのだ、と。
僕はどうかしていた。そんな錯覚に囚われていたのは、今までの人生が冴えなかったからなのだ。だって、ノノちゃんを視界の隅に捉えた時にはもう、ヘビー級ボクサーに心臓を叩かれたような衝撃が走り、アピョウという変な声が漏れ出たのだから。
自己紹介で彼女の声帯が震えただけで、髪の毛がゾワゾワとし、鳥肌が立つのに近い、いや、自慰的行為の絶頂に達した時に似た、身震いがしたのだ。全てが満たされる思いと、自己に対する絶望感を同時に味わうかの様な倒錯的錯覚・スクラブルは、脳が理性を捨て、本能に打ち負けた、なによりの証拠だった。
これこそが愛なのだ。
世間・社会・倫理・モラル、あらゆるものを全て超越した先にある、ただ一つのものこそが愛なのだ。
だから僕の自己紹介の番が廻って来た時、ハァハァと息を荒げ、頬を紅潮させ、下腹部がいやに膨らんでいる、そんな変態そのもので、入学初日にしてアダ名が『発情期』になってしまったのも愛が芽生えた故であり恥ずべき事では無かったが、たった一日で女子連中と一部の男子とで輪を形成してしまったノノちゃんに対し、誰一人として声を掛けなかった掛けられなかった(陰で『発情期』と命名され皆に引かれている)僕には、揺るぎない格差が生じていたので、がむしゃらに努力する他なかった。
慄木乃々華と仲良くなった男子連中は一様に、「サッカーが好きだ。」と、自己紹介でほざいていて、僕は此奴らに取り入れられればいいのだから、必然的にサッカー部へと入部。
『発情期』というアダ名を逆手にとり、一か八かで顧問の先生の太ももにしがみついて腰を振る犬のマネをしたらウケて、すぐにノノちゃんと近しい間柄な男子、竹中と正人の目に止まる。ちょろかった。
「ノノちゃん達さー。コイツ超ウケんだぜー!」
竹中がノノちゃん含む女子連中を僕に近づけさせる。
僕は竹中の横にいる正人の足にしがみつき、腰を振る。スベる。
だがそれで良かった。この男共は女子の引く顔が見たいが為、ただ困らせたかっただけなのだから。
案の定、期待通りな女子連中の表情に、キャッキャと喜ぶ猿二匹。良かったね。
問題は、ノノちゃんを取り囲む女子連中だった。
アイツ等ときたら無駄に自意識が高くて、僕がなにをしようにも冷たい目で、「引くわ~」か、「キモッ」としか言いやがらない。そんな彼女らの語彙の乏しさに僕は涙が出そうになる。しかし一方で男子連中は、そんな女子達の反応に満足し笑っていた。
自分より明確な下というものを見せることで女子からの好感度が上がるなんて思い違いをしているのだろうか。
女子連中も、こんなんで笑うほど私たちは下品じゃないのよ。と、下品なネタで笑う男子って本当にバカだよね。というお決まりの男子はガキで女子は大人という縮図でも作りたいのだろう。
そんな中、ノノちゃんはというと、僕の下劣な行いを顔を赤らめ俯きながらに見ているのであった。全く、天使にも程がある。
しかし、この薄ら寒いノノちゃんの取り巻きと、僕の利害は一致していた。
男子は女子共へアピールしたいが為、僕を辱める。
女子は自意識を高めたいが為、僕を蔑む。
僕はそんな恥辱と冷淡な眼差しにまみれながらも、ノノちゃんに近しいポジションに居座れる。
そんなこんなで僕は輪に溶け込んだ……いや、寄生するのだった。
無事に輪の内に入れたからといって、ノノちゃんと気軽に話すなんてことは出来なくて、僕はノノちゃんを見ると全身が熱くなり、ヒュッヒュと息が乱れてしまうし、頭でなにを考えてよいのか分からなくなり、心は今にも弾けてしまいそうで、目がチカチカとしてしまう。
つまりは、おもいっきしノノちゃんにぶつかりたいと、全身全霊を込めてぶつかってゆきたいと、これ一辺倒のみが脳内を支配してしまい、赤いビラビラを見たらぶつかりに行く闘牛的本能に支配されてしまうのだった。
全くもって救い難いアホウ者だった。
そんなことだから、せっかくノノちゃんが話し掛けてくれても、それだけで嬉しすぎて死ねるくらい気分が高揚し、さらにノノちゃんにぶつかりたいと強く願ってしまう。
問いかけに対して、なにも上手い返しを求められているわけではないのだから、普通に応えればよい。それが会話なわけで、それを繰り返せば自然と人との距離は縮んでゆく。分かってはいるのだ。理解はしている。しかし、いざノノちゃんを前にすると上がってしまい、声変わり途中のガンガラ声で、「うぅ」とか「あぁ」としか、どもり言えない僕は、夜中に一人ベットの上で枕に顔を埋め猛省し、そして明日こそはと意気込み眠りつくのが常となっていた。
毎日毎日、バカな事をしイジられる僕は、屈辱を噛みしめる。
そんな僕の生きがいは、やはりノノちゃんが魅せる笑顔で、その笑顔が見られるなら、僕は泥水だって喜んで啜れるだろう。
ピエロ。
そう。僕は、この自分が作った環境下で、完全に道化と化していた。
――実力が発揮出来ないサッカー。
当たり前だ、実力がないのだから。
――ノリを重視した創作性の欠片もない薄ら寒く下品なギャグ。
僕は本当に人間か?
こんな僕のどこに魅力があるのだろう。
見出せる人間なんているのかな?
いたとして、そいつは正常な精神を持ち合わせているのだろうか・・・・・・。
そんな疑念を心の片隅に押し殺して、今日も今日とて一年の中で二番目にサッカーが上手い竹中のクソみたいなギャグに同調する。
「騎乗位!騎乗位!のってる奴は搭乗員!」
「うわっ、キモー。豊本と竹中」と、僕等を見下した目で葵が吐く。
「ウッセー葵! お前も豊本みたいに搭乗させんぞ!」
「セクハラッ。超セクハラッ。マジ訴えかんね!」
葵を庇うかの様に、智美も会話に混じってきた。
竹中はヘラヘラとした表情で言った。
「冗談だよ、冗談。葵も智美も俺には乗れないから。俺という機体はノノちゃん専用だかんね!」
「えっ? ごめんよく分からない。竹中くんの上にのればいいの?」
本当によく分かってはいないのだろう。
ノノちゃんが純粋な気持ちで竹中にそう訊いてしまえば、女子二人が騒ぐ。
「キャー! ノノちゃんエロい! というか天然だよね!」
どうしていいのか分からないノノちゃんは、オロオロとまわりを見渡していた。
一方、竹中の股間の上に跨ぎ座る僕はといえば……。
――竹中殺すぞ、竹中。テメー、俺の天使になに言っちゃってくれてんだよッ。堕天したらどうしてくれんだッ。
なんて激情を露程も表には出さず、ニコニコ顔を取り繕っていた。
ノノちゃんは皆に笑われていることに羞恥心を覚えたのか、顔を紅潮させ俯いてい
た。
「あーもう! 超ノノちゃんかわいいー! 葵の嫁になって!」
「えっ? ムリだよ? 法律で女の子と女の子は結婚できないんだよ」
またノノちゃんは見当違いな応えを、そして皆が笑う。
僕も皆と同様な笑みを浮かべているが内心では、ノノちゃんは俺の嫁だからムリだよ。と、大真面目に思っているし、葵は派手好きで、なんかビッチ臭がすごいから、きっと二十歳そこそこで不良上がりのバカと出来婚するのが落ちだとも思っていた。
「中間試験も無事終わったし、皆でカラオケ行こうよ! カラオケ!」
「無事って葵、勉強してなかったじゃん。でもカラオケいいな! 行こう!」
そう竹中が葵に同調すれば、「それ良いじゃん! 行こうぜ! 俺今めっちゃ歌いたい曲あるわ!」「葵、カラオケ好きすぎ!」「私も今日は大丈夫だよ」なんて、ノノちゃんを含む正人と智美も乗り気なものだから、「僕も今日なら大丈夫だよ!」と賛同する。
「えっ!?豊本も来んの?」「うわー。じゃあ俺パスっすかなー」「私もー」
皆が露骨に嫌な態度をとるが、僕は気にしない。はいはい、いつものノリねってなもんで、「そういうこと、言うなやー」なんて言って終わり。
つーか、ノノちゃんが来るなら張ってでも行くし、来ないなら土下座されても行かない。
「もおー、そんな事言ったら豊本くん可哀想だよ! みんなでカラオケ行こうね!」
なんて優しい言葉をノノちゃんは掛けてくれるのだろう。
もしかしてこの子、僕の事好きなんとちゃうか?なんて、ノノちゃんの親切心を好意と錯覚しかけている最中に、ノノちゃんが不可解な行動を取り始めた。
それはいつも一緒にいるメンバーの誰もが予想し得なかったもので、一同唖然とする。
安原と谷口というひどく目立たない……いや、なんかキモチワルイという理由でクラスメイトから邪険に扱われている二人に、慄木乃々華は歩み寄り、言ったのだ。
「安原くんと谷口くんも来るよね!?」と。
――いやいやいや。ちょっと待ってくださいよ、慄木さん。
君がいくら天使ちゃんだとしてもだよ? 人間をそこまで平等に扱ってはいかんでしょ。君がこのヤバそうな二人に、好意を持っているなんて自意識過剰、乙。な勘違いされてもいいのかい?
ダメだよ、それは……絶対に……。
僕は相当に焦っていた。
しかし僕よりも焦っていたのは、ノノちゃんの不可解な言動に巻き込まれた安原と谷口の二人で、まさか自分達が、カースト頂点部分におわすグループの人間にカラオケに誘われるなんて夢にも思っていなかったのだろう、石化していた。
ノノちゃんはそんな二人の手を握り「ね? 行こ!」と、さらに誘いの言葉を投げ掛けていた。
安原と谷口が、そんなノノちゃんの甲斐甲斐しい行動に魅了され、首を縦に振りかけたその時、葵がナイスな一言を呟いてみせた。
「いや……ないっしょ……」
――凄い! 凄いぞ葵! 見直した! ナイスアシスト!
「う、うん。僕等カラオケとか苦手だし、それに今日はちょっとはずせないイベント……用事があるから。ごめんね、慄木さん」
安原と谷口は空気を読んでいた。
なぜかノノちゃんはすごく残念そうな顔で、「……そっか。」とだけ呟いていた。
結局その日、慄木乃々華はカラオケに来なかった。
急に家族との用事が入ってしまったのだという。
それを知ったのは、僕が皆と合流した後で、時すでに遅しだった。
竹中と葵と智美に正人の四人に囲まれたカラオケボックスで、僕は辟易としていた。
くだらない最新のラヴソングを、俺達私達もう歌えるんだぜ!と、ドヤ顔して熱唱する此奴らが実に浅ましく見えてしまう。
どうして慄木乃々華がいないこの箱庭世界で、彼、彼女等はこんなにも熱量を発する事が出来るのだろうか。
くさいからやめて欲しかった。
カラオケ店から帰路を辿る道中、竹中と正人は方向が別の為、僕は帰る方向が一緒の、葵と智美の後を歩いていた。
葵が、「アイスが食べたくなった。」と、急にぬかしはじめたので、コンビニに寄りアイスを買い、店前で屯する羽目となる。
なぜだか葵と智美がコンビニで買ったピノをピックで突きながら僕を見てニヤついていた。
僕は、さっさと食えよ。と思っていた。
もう夕暮れ時で、二人の相手をしたくない僕は、コンビニエンスストアの雑誌が並ぶショーウィンドウにやんわりと映る自分の顔を見詰める。
我ながらキモいな。と思う。
「豊本。おい、豊本ッ。聞いてんのかよ、お前」
いつまにか葵が僕に話し掛けているのに気づき、咄嗟に「はっ、なに?」と返した。
「なに? キレてんの?」
「キレてないっすよ。俺キレさしたら、たいしたもんすよ」
「なにそれ、つまんな。つーかさ、あんたノノちゃんのこと好きでしょ?」
ツーカサアンタノノチャンノコトスキデショ?
ツーカ サ アンタ ノノチャン ノ コト スキ デショ?
どうして僕が慄木乃々華の事を好きだと、此奴らは知っているんだ?
僕は混乱し、顔が熱くなるのを感じていた。
人に自分の本心が、それも恋慕事がバレるのが、こんなにも恥ずかしいとは思いもよらなかった。どうして僕ばかりが恥辱に襲われなければいけないのか。愛とは人の成り立ちではなかったのか?
いや、そうだよ。なにも恥ずべきことなんてないじゃないか。
僕は冷静を装いながらに頷き、「好きだよ。」と言った。
智美が「なんでドヤ顔なん?」と、空気を読まずにツッコんでくるが、構いやしない。
「好きという気持ちにウソはつけないから」
そう僕が言えば、葵と智美は顔を見合わせキャーキャーと騒ぎ出す。
この女共が騒ぐ真意が分からず、僕は戸惑ってしまう。
なんだか自分一人だけが置いてけぼりを食った感じに似た、これは恐らく不安なのだろう。
キョドる僕に、葵は言った。
「豊本なら、ノノちゃん、いけんじゃね?」
その一言に、ブァーっと血が沸き、心が弾む。
――落ち着け、落ち着けボク。こんな女の口車にそうやすやすと乗るんじゃあない。そこにあるのは不確定な可能性だぞ。
と、自分に念を押すが、もう僕の頭の中はお花畑で、希望的観測に縋り付く一匹のオスに成り果てていた。
「えっ?それ本気で言ってんの?」
「超マジだよ。ねぇ葵!」
「ホントホント! たぶん豊本ってノノちゃんの好みに当て嵌まってると思う」
「ノノちゃんあんなだから、私たち仲良く出来るし」
「まじノノちゃんには幸せになって欲しいよね」
「じゃ、じゃあさ、ノノちゃんって僕の事、好――」
「それはまだ分かんないから」
「本人が言ってもないのに、なんで僕がノノちゃんと付き合えるかもとか言えんの?神なの?」
僕がそう聞けば、葵と智美は再び顔を見合わせ、「だってノノちゃんって――」そこで口を閉ざし、クックと息を漏らし笑い合う。
一体なんなの? もったいぶんのはベットの中だけにしろよ。と、若干苛立ちを募らせていれば、二人は「ねー」とだけ言ったきりで、それから二人と別れるまで、ノノちゃんの話題が出ることはなかった。
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