第22話 閑話:ディリル王国の今





 ルフェス王国でレグルスがスタンピードを壊滅させた数日後。

 ディリル王国の食堂では、いつものような光景が広がっていた。


「ちょっと、ヴィオラ! さっきから貴女が光輝君と話してばっかりじゃない!」」


「昨日は貴女がずっとコウキ様と話してらしたのだから、今日はわたくしの番ですわ」


 誰かが潤滑油でなければ、すぐに歪みが出る。

 これほど分かりやすい例もないだろう。

 ディリル王国の王城では、もう一年近く同じことが繰り広げられている。


「まあまあ、ヴィオラも落ち着いてよ。葵も怒ってばかりいないで、一緒に話せばいいじゃないか」


 皆が集まる食堂で起きた一幕。

 光輝が取り成すが、それでも落ち着くのは表面上だけだ。

 水面下では睨み合いが続いている。

 そして、よくある光景だからこそ何人もの人間が慣れたように食堂から出て行く。

 その中にはハーレム集団の一人、佐藤詩織も飛び火されないために移動していた。


「どうして、上手くいかないんだろ……」


 柳光輝の幼馴染みである彼女は、ハーレム集団の中で誰よりも変化に付いていけなかった。

 召喚された当初から、半数以上はこの世界に魅了されて楽しんでいた。

 元の世界に戻れないとしても、この世界は自分達が知っているようなファンタジーで、しかも〝勇者〟と名が付いている。

 詩織とて家族と会えなくなったのは悲しかったが、大げさに嘆いたりはしていなかった。

 だからこの世界にいたとしても〝勇者〟であること以外、変わらないと思っていた。



 しかし、その考えはすぐに瓦解する。

 いつものように光輝の周りに女の子が集まるとしても、空気がおかしくなっていた。

 特定の女の子が極端に多く話すようになったり、そのことで嫉妬することが増えた。

 さらに光輝は恵まれた容姿故か、第二王女と公爵令嬢にも好かれてしまった。

 彼女達も退かないから居心地の悪さが顕著に表れ、周囲からは腫れ物扱いされるようになった。

 と、その時だった。


「……あいつら、本当にうざい。ギスギスしてるの見せるなよ。しかも柳のハーレム集団、増えてから余計に収集がつかなくなってるじゃんか」


「増えたとか増えないとかじゃなくて、重要な人がいないから仕方ないわよ」


 通りかかった部屋の会話が聞こえて、詩織は息を潜めた。

 ちらりと中を覗けば、同じ〝勇者〟である伊月優子と南孝志がいる。

 委員長体質の伊月が、まだまだ考えが温い南に淡々とした調子で答えると、南は不思議そうに首を捻った。


「伊月、どういうことなんだ?」


「そのままの意味よ。一年前までは他の女性陣の嫉妬を爆発させないよう、柳くんを上手い具合に采配してた人がいたわ」


 柳光輝のハーレム集団。

 誰もが彼のことに恋をして、誰もが恋人になりたいと願っている。

 だから射止めようと光輝の側に来て、集団が形成される。


「采配……?」


「その通りよ。だってあの子達、別に共闘宣言してるわけでもないでしょう?」


 恨みっこなしだから、と言っているわけではない。

 本人が一番、光輝と話したいと思っている。

 それは今の状況を見ていれば分かることだ。

 四人が四人とも、彼のことが好きで真っ直ぐにぶつかっていた。

 つまり光輝のことが好きな集団は共闘も配慮もしていない。

 しかも柳光輝は好かれていることに何故か気付かず、また均等に相手をしようと考えてもいない。

 だというのに一年前まで同じ配分のチャンスが与えらていたのは、誰かが配慮していたに他ならない。

 柳光輝がハーレム集団を連れてやってくるから、無用な被害を受けないために配慮せざるを得なかった人間がいる。


「上手く回していた本人については、邪魔してると思われて彼女達は嫌っていたけどね。だけど彼のおかげで皆、嫉妬を爆発させず柳くんに迫ることが出来ていたのよ」


 そう言ったことで南は察する。

 伊月が暗に示している人物について。


「もしかして風見のこと……か?」


「もしかしなくても風見くんのことよ」


 一年前に追放された人物の名前に、密かに聞いていた詩織も息を呑む。

 風見蓮也こそ、彼らがラブコメをするために必須な人間だった。

 光輝が誰と話しているかを観察し、周囲の女性陣の嫉妬具合を観察し、時に光輝の話を遮って他の女性と話させるように誘導していた。


「どうして今まで問題が起こらなかったのか。誰も考えたことなかったのかしら?」


「いや、それこそどうしてだよ? 風見が何でそんなこと、してたんだ?」


「被害が来ないようにするためでしょうね。目の前で起こる愛憎劇ほど、邪魔なものはないでしょう?」


 巻き込まれる可能性も高い。

 だとしたらあらかじめ、面倒事を排除するために動いたほうがいい。


「しかも当て馬として風見くんを使っていた佐藤さんが関わってたら、もっと面倒なことになる。風見くんも佐藤さんを一番警戒していたわ」


 あまりにも自然に言われて、隠れて聞いている詩織は愕然とした。

 詩織自身はそんなこと、意識したことがないからだ。


「……正直、私はあの日のことを後悔してる。あの時、風見くんを助ける声をあげなかったことに」


 伊月は遠い目をしたあとに、ふっと息を吐いた。

 思い出すのは召喚された日のことだ。


「風見くんを助けられる可能性、気付いてたのはたぶん……風見くんを含めて数人ね」


 大半の人間は可哀想としか思っていない。

 助ける可能性すら見出そうとしなかった。


「少なくとも私は日和った。未知の世界に未知の状況で、風見くんを助ける勇気がなかったわ」


 伊月は蓮也を助ける可能性を見出していながら、何もしなかった。

 あの状況を覆すには、蓮也本人ではなく他人の声が必要だった、と。

 しかも少数ではなく大勢の声が必要だと理解していた。


「どうして日和ったんだ? 助ける方法は……あったんだろ?」


「人数が足りないと思ったのよ。柳くんも佐藤さんも〝すでに諦めてた〟から、私の声は無駄だと思ったの」


 おそらくあの時、助けようと思っても手助けしてくれるのは一人か二人。

 光輝も詩織も役に立たないから、それが限度だった。


「あいつら、風見の幼馴染み……だったよな?」


 蓮也が彼らと一緒にいるのは、視界の端によく映っていた。

 そのことを伊月は気付いていたが、大抵は光輝とハーレム集団に目を奪われる。

 注目を惹き付ける美男美女しか目に入らない。

 だから蓮也も幼馴染みであることに、確証を持てないように問い掛ける。


「本人達はそう言ってるけどね。風見くんが追い出されたからって、あんまり落ち込んでいなかった。本当はどう思っているのか、私は知らないわ」


 仕方ない。

 その一言に尽きるとでも言うかのように、光輝と詩織は諦めていた。

 悲しむ素振りも少しだけだった。


「幼馴染みとはいってもね。あの二人にとっての風見くんは所詮、その程度なのよ」


 これが互いのことであれば、がむしゃらに助けようとしただろう。

 けれど、そうではないから助けようと考えもしなかった。


「私は余計な目を付けられたくなかったから、保身に走ったわ」


「だ、だけどあの場から追い出されたぐらいで――」


「じゃあ、南くんは生きていけるの?」


 そんなことを言うのなら、彼は大丈夫なのだろうか。


「どんな世界なのか、どういう状況なのか分からない。何一つ分からない場所に無一文で放り出されて生きられる?」


 そして自分自身すら嘲るように、伊月は嘲笑するような笑みを浮かべた。


「見殺しにした。そう言われてもおかしくないのよ」


 もしかして気付いていなかったのだろうか。

 目の前にいる南も……息を潜めて話を聞いている詩織も。

 伊月はそのことに気付いているからこそ、自分のことを〝勇者〟だと思えない。


「私はこれから、断絶の森で魔物相手に戦う術を学ぼうと思うわ。少なくとも王城の兵士に学ぶことはもうないから」


 今はまだ、城の中で訓練をしているだけ。

 血気盛んな人達は、少しばかり魔物討伐をしているが頻度は多くない。


「それに魔王討伐を目的としていることにも疑問がある」


 魔王を倒せと言われるのは、自分達にとって理解の範疇にあること。

 何故なら自分達が知っているファンタジーはそうだから。

 しかし、


「魔王を目の敵にしてるのは城内だけよ。城下でさえ魔王討伐には否定的」


 本当に恐怖の支配者として、魔王は君臨しているのだろうか。

 城内と城下で話の食い違いがある。

 それを見過ごして討伐したいと思えるわけがない。


「一年経って、私も少しは実力が付いたと思う。だからもう少し、外に目を向けるわ」


 閉鎖的な場所では、狭い視野では何も判断が出来ない。

 世界が実際はどうなっているのか、本当はどうなっているのかもっと材料が欲しい。


「身の振り方を考えたいの」


 ただ盲目的に従っていれば、待っているのは破滅かもしれない。

 そのことに気付いておきながら、何もしないわけにはいかない。


「お節介かもしれないけど、今後どうしたいのか南くんも考えたほうがいいわ」


 伊月はそう言って、席を立った。

 そして廊下に出たところで……詩織と目が合う。


「まだ残っていたのね。話は終わったから、いなくなってると思ってたわ」


 彼女はどういうつもりで話を聞いていたのか。

 正直、伊月は図りかねていた。

 話題としては逃げ出したくなるようなものだ。

 彼女達のことを辛辣に評価したと言ってもいい。

 なのに、どうして彼女はずっと話を聞き続けていたのか。

 そこが分からなかった。

 けれど詩織は、そんな伊月の心境などお構いなしに尋ねてくる。


「蓮也を助けられる可能性があったって……本当?


「嘘を吐く理由はないわ」


「だ、だけど蓮也は〝勇者〟のクラスを持ってないから追い出されたのに、どうやって……?」


 彼女の質問になるほど、と伊月は思った。

 助けられるはずがないと確認しなければ、罪の意識が芽生えそうなのだろう。

 だけど伊月は彼女のことを慮ることはしない。


「単純なことだけれど、ディリル王国は私達の機嫌を損ねるわけにはいかないから、多少の融通は利くの。半数以上が風見くんを庇ったら、あの場で助けられたはずよ」


 本当に、ただそれだけ。

 どこまでも分かりやすく明快な答えだ。


「主体性のない人が七、八人くらい追随してくれると考えても……最初の時点で五人以上は風見くんを助ける声をあげる必要があったわ」


 二人、三人、四人、五人と声を上げれば、同調していく。

 倫理観としては、蓮也を助けることこそ正しいからだ。


「あの時、助けられる可能性に気付いたのは二、三人。だから無理だと悟ったのよ」


 級友のためとはいえ、悪目立ちして目を付けられるリスクを……伊月は犯せなかった。


「で、でも蓮也を残したって、どうしようも……」


「どうしようもないけれど、半数以上が助けたいと思っている人を追放するメリットもない」


 むしろ〝勇者〟達の精神的な部分を考えれば、追放するのは悪手になってしまう。

 助けたいと声を上げたのにも関わらず追放されたとしたら……不信感に繋がるからだ。


「別に佐藤さんにとっては、どうでもいい人のことよ。罪悪感を持つ必要もないんじゃない?」


「ど、どうでもよくなんかない! 蓮也は私の大切な幼馴染みなんだから!」


「……大切な幼馴染み? 当て馬扱いのキープくんなのに?」


 なんとも不思議なことを言う。

 彼女の蓮也に対する扱いは、一つたりとも『大切』という言葉が響いてこない。


「あ、当て馬って、そんな酷いことしてない! 幼馴染みの気安さを邪推しないで!」


「邪推も何も佐藤さんは風見くんに近付いたあと、必ず柳くんの様子を伺う。だから当て馬だと皆が言っていたの」


 でなければ誰も当て馬だと思わない。


「それに風見くんがキープくんと呼ばれていたのは、佐藤さんが好意を匂わせるようなことをしていたからよ。柳くんが嫉妬するか反応を見たいからやっていたみたいだけど、単純に風見くんが可哀想だったわね」


 蓮也自身が詩織から匂わせるようなことを言われる度に、隠れて辟易しているような表情を見せていた。

 それは、ただの級友であった伊月でさえ気付いたこと。


「佐藤さんが反論しようと納得しようと、私はどちらでも構わない。ただし風見くんも私と同じように考えていたことは確かよ」


 分からない、違うと言える人間は彼のことを見ていない。

 それだけは断言出来る。


「まあ、佐藤さんには言っても無駄だと思うけど」


 これで納得するような人間なら、光輝のハーレム集団になってるわけがない。

 だから伊月は言うだけ言うと、詩織の反応を見ることなく去って行った。

 彼女に構っている暇はもう、伊月にはない。

 自分のことで、これから精一杯になるだろうから。





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