第12話 フロストが誓ったこと
今から十年以上前のこと。
王城の庭園では、二人の少年が木剣を打ち鳴らしている音が響いていた。
リズム良く、遊ぶように。
けれどやっている本人達は至極真面目な表情で、木剣を振るっていた。
「あっ……」
一際、甲高い音が響いて片方の手から木剣が離れた。
カランと地に落ちる音がして、負けた少年――アライルは不満顔を浮かべる。
「……これだとアブソリュートにはなれないね」
「先ほどからずっと剣を振るってますので少し休憩しましょう、殿下」
一方で勝った少年――フロストは殿下を促して柔らかい芝生の上に座る。
用意しておいた飲み物を渡して、二人は休みながら会話に花を咲かせる。
話題はもちろん、アブソリュート張本人から聞いた冒険譚が中心だ。
「やっぱり山岳地帯のドラゴン討伐が格好いい。私はドラゴンスレイヤーとして名を馳せたいな。フロストは?」
「私は未踏の地を突破して、新薬を作るための薬草を見つけ出したい。ああいうことが格好いいと思うのです」
子供ながらの憧れ。
ヒーローに夢見る少年達が、いつか自分もそうなりたい。
それはどの時代、どの世界でも変わらない。
王族であれ、貴族であれ、平民であっても。
誰もが憧れる冒険者達がいれば、それも当然だ。
「だったらいつか、一緒に冒険しよう。アブソリュートを超えるような、そんな冒険者になるために」
王子であるからには、周囲の同年代より現実は分かっている。
けれど、それでも夢は語る時は本気だ。
王である自分が実は冒険者……なんて荒唐無稽なことも夢見たりする。
フロストも絶対に無理とは言わない。
自分は〝騎士〟というクラスを持っていて、騎士になりたいと思っていた。
だから幼いながらも心持ちはすでに騎士だ。
もちろん自分の王は、目の前にいる少年。
「ならば殿下。私は貴方の騎士として誓いましょう」
アライルは王子であることも含めて、周囲の人間を惹き付ける何かを持っている。
まさしく未来の王となるに相応しいと思っていた。
幼いながらもそれが分かっていたフロストは、唯一無二の主君に笑みを向けた。
片膝で木剣を地面に突き立て、そして誓うのだ。
「我が身は殿下の剣であり盾。だから共に冒険をしましょう」
ごっこ遊びの延長だとしても、騎士の真似事だとしても、それでも全身全霊で。
今のフロストにとっての誓いを、誠心誠意込めて告げる。
「だとしたらフロスト、今日から私達は冒険者だよ」
「はい、殿下!」
大きく頷いたところで、教育係に見つかった。
そして指導者も付けずに木剣を振っていたことに、物凄く怒られた。
◇ ◇
無事に依頼を達成した翌々日。
三人は新たに請け負った依頼場所に向かいながら、フロストが話し始める。
「全ては私の我が侭なのだ」
そう言ってフロストは懐かしむように過去を思い返す。
もう十年以上前のことを。
「私はアライル王太子殿下と同い歳で、幼い頃から仲が良かった」
「幼い頃からって……ああ、なるほどな。王家と公爵家だったら、それも当然か」
「あたしもフロストと殿下の仲が、昔から良かったのは知ってるよ」
「七歳くらいの頃は私も殿下もやんちゃ盛りで、例に漏れず冒険者ごっこが好きな時期だった」
木剣を片手にチャンバラごっこをしては、教育係に怒られていた。
「そして私にも殿下にも、憧れた冒険者パーティがあった」
きっと当時の子供であれば、誰でも憧れただろう。
フィノも納得するように頷いていたので、フロストは苦笑してしまう。
「Sランクパーティにして、個人でもSランク冒険者。難解な依頼すら平然と片付ける最高の三人――アブソリュート」
「婆ちゃん達のことか」
「その通りだ。我々は実際に会うこともあったから、余計に想いが募ったのだ」
立場も相俟って三英雄と会えた。
話をすることも出来た。
だからこそ冒険者である三英雄に余計に想いが募った。
「そして私は七歳の時、殿下に誓った」
幼かった故の誓い。
子供ながらのおままごとだと、誰もが思うはずのこと。
けれど当時のフロストにとっては最初の誓いであり、今でも抱く大切な想い。
「我が身は殿下の剣であり盾。だから共に冒険をしましょう、と」
最高の冒険者パーティが奏でる冒険譚を、自分達も一緒にやろう。
立場も何もちゃんと理解していないからこそ出来た誓い。
「幼い頃にした、本来であれば淡い夢のようなものだ。しかし私にとっては騎士として、唯一の主君に向けた初めての誓いであり、唯一の誓いだった」
だから忘れられなかった。
大切にしたいといつまでも胸に秘めていた。
「とはいえ、な。私も成長すれば、この誓いがどれほど難しいものか理解していた」
アライルは王太子であり次期国王。
成長すればするほど、誓いが遠のいていくことは分かっていた。
「だが学園に入った時、出会いがあったのだ」
フロストがアライル専属の騎士になることは、誰もが問わずとも思っていたことだった。
クラスは〝騎士〟であり、何よりアライルと仲が良かったから。
誰もフロストに続く者はいない……そう思っていた。
「一昨日、出会った騎士――ロイドが同学年に入ってきたのだ」
彼は子爵家の次男であり、騎士を目指していた。
そしてフロストの強さを誰よりも認めていたからこそ張り合ってきた。
「ずっと私が……私だけが殿下を守るのだと思っていた。けれどロイドに出会って、私は初めて自分以外の人間が殿下を守ることに安心を覚えた」
アライルは王太子であるからこそ、決断には重みがある。
時には決断するために様々なことを疑わなければならない。
だからこそ理屈無く信じられる仲間が必要であり、騎士として彼を守れるのはフロストだけだと、自身も思っていた。
「ロイドは献身的であり、殿下専属の騎士となるに相応しかった。それに気付いた時、私は思ったのだ」
今までずっと、騎士として側に居続けなければならないと考えていた。
けれど他に任せられる存在が出来たからこそ、胸に秘めた想いが溢れた。
「私は最初にして唯一の誓いを果たせるのではないか、と」
ただ単純に冒険者になりたいわけではない。
騎士として冒険をするのだと言った。
無二の主君と共に。
「幼い頃の誓いであり、殿下が覚えているとも思えない。しかし私の中で誓いは生きているのだ。ロイドがいると分かった以上、大切に抱いた誓いを破ることも出来なかった」
幼いながらも騎士として誓ったことだ。
今でも忘れられないくらい、全身全霊の想いを込めて言ったことだ。
「だから私は騎士の試験を受けなかった」
誰からも驚かれた。
家族からも、友人からも、アライルからも、ロイドからも。
けれど自分が誓ったことに反することが出来なかった。
本当に我が侭だと自分で思ってしまう。
「いつか語りたい。私がしてきた冒険は、殿下も共にいたことを」
胸の中には、いつもいる。
側にいなくとも共に在る。
「けれど今の私が言えることではない。我々が夢見た冒険をしてから、ようやく語るに足ると思っている」
その時、喜んでくれたら嬉しい。
単純だけれど、フロストはそれを成し遂げたい。
「ついでではあるが、もう一つ。私は現在のルフェス王国で騎士となるには、重大な欠陥を持っているのだ」
どちらかといえば、こっちが問題だとフロストは個人的に考えている。
「私は王太子殿下を唯一無二の主君と仰いでいるのだ」
「……ん? それが何の問題になるんだ?」
蓮也は意味を理解出来ずに首を傾げるが、フィノは理解したのか思わず笑ってしまった。
「ああ、そっか。あたしはフロストが何を言いたいのか、分かっちゃったよ」
騎士とは何だ、と問えば答えは自ずと出てくる。
国民を守る者であり、戦いに矜持を持つ者であり、
「フロストは騎士として、国王陛下に忠誠は誓えないんだね?」
国王たる存在に忠誠を誓うからこそ騎士たりえる。
王族であれど、王太子であれど、国王ではないアライルに唯一の忠誠を誓うフロストは、ルフェス王国の騎士としては相応しくない。
「一貴族としての忠誠はあるのだが、騎士としてはフィノの言う通りだ」
「堅物だよね、フロストって」
「……これでも自覚はあるのだ」
困ったようなフロストに、蓮也とフィノは笑いを零す。
「仕方ない。リーダーに免じて、あの騎士を殴るのはやめよう」
「別に文句くらいなら言ってもいいと思うけどね」
依頼にあった薬草を無事に採取し、一昨日の引っ掛かりもなくなったことで意気揚々と王都の中心部に帰ってきた三人。
けれど少しだけ雰囲気がおかしいことに気付く。
どうにも周囲の様子が慌ただしい。
特に目立つのが、駆け足で動く兵士や騎士だ。
「騒がしいな。戦争の前触れでもあったのか?」
「いや、そうだとするのなら騒ぎすぎだろう。もっと緊急性の何かがあったと考えるべきだ」
と、そこで知り合いの若い冒険者が近くを駆け足で通り過ぎようとしていたので、三人は慌てて捕まえる。
「一体、何があったのだ?」
「一時間前、王太子殿下が地方視察から帰る途中で集団暴走――スタンピードが発生して巻き込まれたんだよ!!」
返ってきた答えに、三人は息を呑んだ。
突然の展開に言葉を失いそうになる……が、すぐに気を取り直したフロストが再度確認を取る。
「今はどのような状況になっている?」
「かろうじてスタンピードから逃れた騎士が王城に救援要請をしたのが今だ! ギルドでも上位ランク持ちを救出に駆り出す緊急依頼になる!」
若い冒険者はそれだけ答えると、すぐに駆け出した。
「俺も仲間のところに急いでるから、またな!」
三人は律儀に答えてくれた若い冒険者に感謝の言葉を述べる。
ほんの一瞬、顔を見合わせて無言になるが……会話を切り出したのは蓮也だった。
「フロスト、どうするんだ?」
「……どうする、とは?」
「俺達はリーダーの指示に従う」
ついさっき、アライルに対するフロストの想いを聞いたばかりだ。
彼が何をしたいのか、手に取るように分かる。
「……迂闊に動いてしまえば、これは失態に繋がるものだ」
「失態になったところで問題はあるのか? そもそも受けていない依頼なんだから、何も問題ないはずだ」
勝手に話を聞いた自分達が勝手に動いただけ。
失態にすらならない。
「……周囲の評価が落ちる可能性もある」
「そんなものは取り返せばいいんだよ!」
フィノは気にするつもりがないとばかりに反論する。
「死ぬ可能性だってあるのだぞ?」
「冒険者になって、安心安全に生きていけると思ってない」
多少のリスクは負うのは当然のこと。
それこそが冒険者だと蓮也は断言する。
「お前は俺と出会った時に『仲間を守る騎士になりたい』と言ったはずだ」
蓮也とフロストが初めて会った日、何を言ったのかよく覚えている。
そして彼にとって仲間が誰のことを指しているのか、はっきり分かっている。
「偽りはないんだろう?」
問うように声を掛ければ、フロストは視線を下に向けて右手の拳を強く握った。
数瞬、躊躇うかのように握った拳が緩みそうになるけれど、すぐに視線を上げて強い眼差しを以て蓮也とフィノに伝えた。
「王太子殿下を助けに行く。一緒に来てくれ」
「分かった、リーダー」
「それじゃ、すぐに馬を準備してくるよ」
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