第11話

 ハチグモが足を止めたのは小さな家だった。他の建物よりもこじんまりしていて、並ぶお隣さんより背が小さく凹凸になっているように見える。一応精一杯見栄えよくしようとしているのか花やらの植物を植えて飾っているが、周りの高い建物の影のせいで日光が届かず、全部元気が無さそうに見える。半端な努力のせいで逆に悲惨になっている。

「しみったれた場所ねえ」

 クロがそういうのは無理もない。周りが華やかでも、この家一つあるだけで空気が一段重くなっている。

 家の前には予算の限界を感じる木製の看板が立っていた。できるだけ見栄えよく作られているが、あまり手入れをされていないのと、日陰のせいで色が悪くなっている。看板にはハチグモの村の墓と同じでひらがなでも、漢字でも、カタカナでもない字が書かれている。それでもなんとなくここが何かの店なのは伝わってきた。

「読めないの?」

 じっと見ていたらクロがまたいやらしい顔をして絡んできた。

「こんな字、見たことねえもん」

「ちゃんと教育受けてるなら子供でも読めるわよこれ」

「生まれてこの方ガッコなんて行ったことありませんー」

 ミケにとってひらがな以外は漢字も、カタカナだってただの記号だ。意味はなんとなく分かっているが、読めるわけじゃない。文字は必要最低限しか教えてもらっていない。生きていくのに必要なものだけだ。知識や簡単な計算はちゃんと教えてもらったが、文字は時間がかかるためかあまり積極的に教えて貰えなかったのだ。

 ノックをするが返事は無い。ため息をついてからハチグモが店に入り、二人も続いた。扉を潜ると、ミケの体は緊張した。決して長いとは言えない人生で培った経験を否定されることばかり起こっているので、新たな出会いを警戒したのかもしれない。悪いことをしていないのに、警察の前を通る時の強ばりに似ていた。

 店内は吊されたり、設置されているランプのおかげで灯りはあるものの、建物の影の影響で薄暗い印象を覚えた。少しかび臭い。部屋の隅は本棚に支配されているが、びっちり本が詰まっているわけではなかった。中央には小さなテーブルがあり、バスケットボールくらいの水晶が置かれていた。占い師、ということなのか。その向こうにこくりこくりと上下する頭がある。

「…………」

 ハチグモは左手と右手をずらして手を叩いた。予想よりも大きな音が出る。狭い室内ではよく響き、家主の脳を一気に覚醒させた。

「は、はいはいはい! いらっしゃいませ今日はどんなおさ、お探し物ですかね!!」

 音に驚いて飛び起きた家主は若い女だった。背丈はあまり大きくなく、小柄だが家の大きさにはぴったりに思えた。茶髪の髪は手入れが行き届いていないのか所々跳ねている。顔にはそばかすがあるが、大きな眼鏡であまり目立っていない。

 女は最初は営業スマイルで手をすりあわせていたが、だんだんと目の前に立っている人間が誰か理解したのか、眼鏡のずれを直して脱力しながら椅子に座り直した。

「はあ~なんだハチグモさんですか……スマイルタダ売りして損した。意地悪しないでくださいよー。びっくりしたなーもう」

「元気そうで何よりだな、ルベル。それに、繁盛しているようでなによりだ」

「ええ全くその通り。忙しくて真っ昼間しか眠れないんですよ。皆何故か夜に寝てからしか来ないんです。夢の中で対応するからお金も得られないんです。素晴らしいねほんと」

 口元だけで笑いを作り皮肉を言ってきた。店に入る前からなんとなく分かっていたが、客の入りは良くないようだ。

「ミケ君。ここなら君の街へ帰り方が分かるかも知れない。彼女はルベル・マツヤマ。探りの魔法使いだ」

 紹介されたルベルがひらひらと手を振ってきた。

「どーも。第八百二十一番、探りの魔法使いルベルです。認定書もあるし、生まれながらの天然の魔法使い。そこいらの魔術使い上がりよりも腕は保証しますよ。どうぞご贔屓に」

 そう言って彼女は棚に飾られた板を指さした。簡素な装飾がされた板は、室内の灯りを反射していた。安っぽくはなく、かといって高級感はない。量産するためにコストカットされたものといった印象のそれには文字が刻まれていた。やはり文字は読めなかったが、ハチグモから魔法使い認定の話は聞いていたので、それらしいことを書いているんだろうなと分かったふりをした。

「それでハチグモさん、今日はどんなご用で?」

「彼、ミケ君というんだが、彼についてなんだ」

 ハチグモとルベルが会話を始めると、ミケはしゃがんでクロに耳打ちした。

「なあ、八百二十一番ってなんだよ。魔法使いってそんなにいるの?」

 できるだけ囁くようにして質問した。事情を知らない人間の前で無知を晒すと、面倒になりそうだったからだ。

「それ以上いるわよ」

「そうだけど、そうじゃなくて」

「分かってる。同じ種類の魔法使いがってことよね。魔法使いの才能は個性。でも母数が多いと、どうしても似た能力が出てきちゃうのよ。だから認定式になった時、大きなくくりでひとまとめにすることになったの。あっちも管理が大変だからね。だからカテゴリー分けした上で番号を与えることにしたってわけ。彼女はこの制度ができてから、八百二十一番目に認定された探りの魔法使いってこと」

「へえ、じゃあハチグモさんにも番号あるのか」

「認定されてればね。認定制になっていても、商売でもしないかぎり生まれながらの魔法使いにはあまり意味がないから。お金を払うのなら認定されていない者よりも認定されている者へ。まあ、これもある種の身分証明ね。上に認められたという証があれば、皆安心するのよ。ハチグモも村長やってたんだから認定証を貰っても損じゃないと思うけど、彼は良くも悪くも古いタイプの魔法使いだから。名乗るよりも、呼ばれるほうがしょうにあってるんでしょ」

 クロの話を聞いているとルベルが近づいてきた。その瞳には好奇心が輝いていた。

「へえ、喋る猫! それに見た目もおかしいときたもんだ。お客さん、相当レアなの飼ってるね」

「喋るのって珍しいの?」

「そりゃあそうだよ。なんせ喋る魔物は作るのは面倒なのにメリットがない。喋ってめんどくさいのは人間だけで十分十分」

「そんなもんか」

「そんなもんだよ」

「納得してないで飼い猫じゃないって否定してよ」

 そう言って、クロがミケの踝をひっかいた。鋭い痛みに飛び上がるミケを見て、ルベルが大口を開けて笑う。

「相変わらず品がないな」

「品は今は戸棚にしまってます」

「ほう。ならばいつ出てくる?」

「お金を落としてくれそうなお客さんがきたら、良いお茶請けの品があるのでそれと一緒に取り出します」

 お決まりのように、すまし顔をしたルベルが言い切ると手をぱんっと叩いた。それが合図のように二人はにやりとする。

 このやりとりを見て、ミケは無意識に入れていた肩の力を抜いた。彼女もまた予想を超えることをしでかす魔法使いだろうけど、警戒する必要はなさそうだ。ハチグモの全く警戒していない様子を見て、彼女は安全だと判断した。

「あ、お茶飲みます? 有料だけど」

「いや結構だ。手短に済ませたい」

 そうですか。少々残念そうなルベルは椅子に腰掛け、頬杖をついて目線だけを水晶に向けた。

「あーはいはいなるほどね。確かに長居できないし、してほしくないっすね。面倒なのに絡まれてるじゃないですか」

「流石だな。話が早い」

「ポイノム。プライドが高くて粘着質。珍しくもない天然魔法使い嫌い。立場が低かったり、無いに等しい魔法使いにちょっかいを出していじめるのが趣味のクソ野郎。最近悪い意味で有名なんですよねこいつ」

「私の村もやられた」

「みたいですね。今『観ました』。あいつ、なんて言ってました?」

 ろくなこと言ってないでしょうけど、とルベルが付け加えた。

「私の村が研究施設になると」

「なるほど。あいつ上の人間に可愛がられるの得意ですからね、おねだりしたんでしょ。それで上の人間がゴーサイン出したと。ハチグモさん、たぶん理由それだけですよ。貴方の村を壊滅させたのは。研究ついでに立ち退きと貴方への嫌がらせ。それだけで皆を……」

 ルベルは言葉を詰まらせた。

 ミケもまた息を飲んだ。 

 もしも彼女の言葉が本当だとしたら、ミケがあの場で感じた因縁は一方的なものだったのではないか。

 人を殺したくなるのはどんな時だ。強い怒りか恨みを感じ、それらが膨大なエネルギーになり動悸という引き金が引かれることで打ち出され、殺意に変わり人を殺す。そんなものだろうとミケは思っていた。実際ミケが殺してやろうかと思う相手は神経を逆なでする奴らばかりだった。ポイノムにそこまでのエネルギーがあったのだろうか。人の気持ちなんて想像するしかないし、真実にたどり着ける可能性なんて無いに等しい。だからこそ一方的な意見が暴走するのだ。

 ポイノムのバックボーンなんて知らない。知る気もない。ミケにとって味方すべき相手はハチグモだ。彼に理不尽の雨を降らせ、大切な者を溶かしてしまった犯人に激しい怒りを感じた。

「長居して欲しくないんだろ。本題を話そう」

 空気が沈殿しそうなほど重い室内に、ハチグモの声が響いた。

「私が知りたいのは動悸じゃない。考えるべきはそれじゃないだろう。知ったところでどうにもならないからな。それに、私が今日来たのはミケ君の街を探してほしくて来たのだ」

いつも通りの落ち着いた声だが、この場に居るものは全員、その裏に感づいた。彼の言葉は本心であることに間違いない。けれど、これ以上話を聞いていたら怒りでおかしくなりそうだから切り上げたのではないか。これも想像でしかないが、見えている地雷を踏み抜きたい者はいない。ルベルは口を閉じ、ミケは出そうになったものを飲み込み、クロは欠伸をした。

 ハチグモは懐を探り、水晶の横に硬貨を数枚置いた。

「さっき軽く話したが、彼の住んでいた街を探してほしい。帰り道が分からなくなってしまったようなんだ」

 話がややこしくならなくならないように、ミケの詳しい事情は話さなかった。

 枚数を確認して巾着にしまうと、ルベルは手招きしミケを椅子に座れと指示した。ルベルと向かい合って座ったミケは、水晶をのぞき込んだ。水晶の中はキラキラと輝く光がいくつも浮かんでおり、幻想的な光景が詰め込まれていた。冬の寒い時期に雑貨屋のショーウィンドウに飾られていた、雪が舞っている景色を閉じ込めたドーム状の置物を思い出した。

「えー、では説明させていただきます」

 ミケに対して砕けた口調だったルベルの雰囲気が変わった。仕事スイッチが入ったのか言葉遣いが若干丁寧になり、姿勢も良くなった。

「私は探りの魔法使い。もっとも得意とするのは『観る』ことです。私は情報があればあるほど、対象を補足して観測することができます」

「俺、街がどこにあるか分かんないんだけど。名前も知らないし……ごめん」

「大丈夫。安心してください。捜し物の特徴や外観、貴方目線で感じたことを教えてくれれば十分です。それだけで私は観ることができる。私の魔法は沢山の候補から情報に当てはまるものを選んでいき、たどり着くのです。まあ言ってしまえば、より便利な望遠鏡ですかね。そして細かい位置把握は、これの出番」

 ルベルは目の前の水晶に触れた。

「私の魔法は観ることはできても、自分が分からない土地などではどこにあるかまでは分かりません。これは私の魔法が捉えたものがどこにあるかを表示してくれるアイテムです。私が観たものの場所を指し示す地図みたいなものです」

 水晶の中で自由に動き回っているように見えた光は、何かの形を作っては崩れ、また形を成すのを繰り返していた。移り変わりの速度が速すぎて不定形にしか見えなかったのだ

。意識をすれば意味ののある形なんだと分かった。それは建物だったり、人の形をしていたり、シンプルな棒のようだったり。これが今彼女が観ているものなのか。

「さあ、お話ください。貴方は何を求めているのか、何を探しているのか。私が変わりに観て差し上げましょう。私の『かない場所トリー』にお任せを」

 繁盛していなくてもやはり職業にしているだけあって、ルベルは話させることが上手かった。質問をどんどんしてくるが、かといってミケの話を邪魔しない。魚が入った網を人力で引き上げる漁師のように、巧みに情報を聞き出してきた。話すタイミングが重なって、お互いが譲り合う状況もなかった。ミケが口を開くタイミングを完全に把握していると言っても過言はない。聞き上手だし、話の腰を折る合いの手もいれてこない。まさしくストレスフリーなやりとりに、言わなくていいようなことも何度か言ってしまった。だが気にしない。後半になりミケばかり喋るようになって、酸素を吸う量と吐き出す量が釣り合わず苦しくなったり、口の中がカラカラに乾いて張り付いても止めなかった。

 思いつく限りの街のことを話した。こういった建物がある、道はこうなっている。住処にしていた公園は時たま警察が来て五月蠅かった。たまに同類との小競り合いがあった。教会の絵がすごく好きだった。育ての親のために金を貯めようとした。ミケの話は謎の頭痛に襲われるまで続いた。

「お疲れ様です。情報はもう十分なので、休んでいてください」

 そう言われ、大きく息を吐き出すと倦怠感と疲労感に襲われ肩を落とし、椅子に体を預けた。ただ喋っていただけなのに、こんなに疲れるとは。それになんだか冷えると思ったら大量に汗をかいていることに気がついた。頭痛がして話を切り上げられなかったら、疲労で倒れるまで話していたかもしれない。冗談みたいだが、あながち笑い話にできないくらいには消耗していた。

 話している時、必死だった。まるでこれが最後のチャンスだと、自分自身が追い込んできているみたいで。これを逃すと、諦めなくちゃいけない気がして。薄々感づいているモノを否定してほしくて。

 ルベルが口を開くのを待った。

この部屋には時計がない。もしかしたら時計と同じ機能の道具があるかもしれないが、見方が分からなければ無いのと一緒だ。体内時計で時間を正確に測れる特技などないが、五分以上待ったのではないか。焦る気持ちが足に出始め、貧乏揺すりを押さえ込んだ。

 早く教えてくれと急かしてたくなったが、水晶を睨むルベルに横やりをいれて邪魔をしてしまったら余計に時間がかかってしまいそうなので我慢した。

 ルベルの表情はだんだんと変化していった。最初は落ち着いた表情をしていたのに、ミケが話し終わってからすぐに眉間にしわを寄せた。今では眉をハの字に曲げて額に汗をかいている。

 何か様子がおかしい。不安を覚えたミケがやはり声をかけようかと悩んでいたら、後ろで控えていたハチグモが前に出た。

「どうした、調子が悪いのか。いつもかこんなにかからないだろう」

 やはり上手くいっていなかったのか。自分が与えた情報がだめだったのか。

 ルベルは眼鏡を外し、目をつむって眉間を軽く揉んだ。大きく息を吐くと眼鏡をかけ直し、食い入るように水晶をのぞき込む。

 水晶の中は荒れ狂っていた。構築と崩壊、再構成を繰り返し、光の奔流は互いにぶつかり合い瞬いた。まるで戦争だ。街の宣伝用の大きなディスプレイに映し出しれた、多くの国が一つの脅威に一致団結して立ち向かうという、流行の映画の予告に似たシーンがあった。幾万の流星が、脅威に向かって放たれるが同じような攻撃で相殺される。特に興味は無かったが、多額の予算が投入されたという話で、そのワンシーンでも十分に迫力があったためミケは覚えていた。

 雪が降れば雪合戦をする。敵に向かって、固めた雪玉を投げ合う。当たれば砕けてちょっと痛いなで済む雪玉を、当たればすごく痛くて死ぬ光、または火に変えるだけでそれはもう戦争だ。

 そんな大雑把なイメージにぴったり当てはまる水晶の中の戦争は、ぷはーというルベルの息を吐き出す音で終結した。あれほど暴れ回っていた光が動きを止め、力なく崩れ落ちて底に沈殿した。

 なんだろう。光が動きを止める前に何かを形作ろうとしたような。椅子に座った何かを。

「観えない」

 息切れするルベルが辛うじて吐き出した言葉は、ミケが望んでいないものであり、なんとなく予想していたものだった。

「失敗か?」

 ミケの喉につっかえていた聞きづらいことを、ハチグモが変わりに言った。

「いや、間違えた。違う、違う。観えてはいる、だけど多分違う」

 あーめんどくせえ。口では言っていないが、内側ではそうぼやいているのがありありと伝わってきた。

 一度視線を天井に這わせた後、ミケを見た。

「つまりどういうことなんだよ。結局、俺の街は」

「ミケさん。あんた、何をやらかしたんですか」

 顎に手を当て、テーブルに肘をついて睨んでくる。迫力はないが、今まで友好的だったルベルから敵意にも近いものをぶつけられるのは不意打ちに近い。

「ハチグモさん、どういうことですか。私がこぶ付きはお断りなの、知ってるでしょうに。貴方なら構わない。世話になりましたから。でもね、それ以外は別だ。関わりたくもない。余計な波風は水面を乱す」

「…………」

 ハチグモは沈黙している。だが表情は何かを察したようだった。

「そうですよ。たぶん彼女とおんなじだよ。この人は」

 会話から閉め出され始めたかと思うと、またルベルがぎろりと睨んでくる。

「いいかいミケさん。あんたが暮らした街はね、存在してないの」

 特に溜めもなく、心の準備などさせずにルベルは言った。

「……は?」

「あんたの街は、少なくともこの世界にはどこにも無い。眠らない夜の街も、毎朝死体みたいな顔をして群れなす人々も、あんたをそこまで育ててくれた人達、仲間も皆、全部無いんだよ。もしあるとしたら、それはそこだ」

 彼女が指さしたのはミケの胸の辺りだった。

「なんだよ、どういうことだよ。意味分かんねえ」

「言葉のままの意味だよ。あんたが育ち暮らした街はこの世界に無い。それでおしまい。ほら仕事はしたよ出てった出てった」

 立ち上がったルベルはミケを立たせ、入ってきた方とは違う出口へ押してきた。

「玄関から出て見られると困るから裏口から出て行ってね」

 見た目に反して力が強い。踏ん張って耐えることも叶わず外に押し出された。それにハチグモとクロが続く。いささか素直すぎないか。

「迷惑をかける」

 ハチグモは軽く頭を下げた。

「ま、しょうがないですよ」

 理解できていないのにまともな説明もせずに追い出すなんて、それでも客商売か。だから繁盛していないんだ。そう言ってやろと振り返るのと同時に、扉が閉められた。

「なんだこれ、なんだよふざけんな! わけわかんねえことばっかだったけどこれが一番わけわんかねえわ!」

 吠えながら扉をつま先で蹴った。薄くなった靴先では緩和されなかった痛みで顔が歪む。いや怒りのせいか。どっちでも構わない。優先させるべきは立てこもっている女に、面と向かって文句を言ってやることだ。

 扉を開けようとノブを回したが、すでに鍵が閉められていた。分かっていてもガチャガチャと何度もノブを動かす。その度に鳴る音が耳障りで、煽ってきているようだった。

 腹が立ってしょうがない。もう一度蹴ってやろう。今度はつま先ではなく足の裏で。そうしようと決めて、行動に移そうとするとハチグモに肩を掴まれた。

「もういいだろう。行こう、もうここに用はない」

「どうして? 俺が分からなくちゃいけないことなのに、あいつだけ納得して俺にはさっぱりだなんて、なんも良くないよ」

「後で説明してやる。だから今はここを離れよう」

「嫌だ、どうして」

 文句が止まらないミケだったが、ハチグモが目立たないように示した方に居る人がこちらを見ているのに気づくと、徐々に声が小さくなっていった。人気の無い店の裏は狭い通路になっていた。人の数は少ない。少ないからこそ、それぞれがなにをしているのか分かってしまう。

 人々の視線はミケに集まっていた。人の往来から切り離された場所は比較的に静かで、ミケの怒号はよく響いていた。場所に似つかわしくないことが起きれば皆が注目する、しかも原因が見知らぬ者ならば余計に目立つ。

「今私達が目立つのはまずいんだ。分かってくれ」

 自分達の状況を思い出し、どうにもできない怒りを発散させるように拳を何度か上下に振った。せめて空気に感触があれば殴った気持ちになれて、気が紛れるのに。

 行こう。ハチグモが先頭でルベルの店から離れる。クロが続き、ミケもしかめっ面で店を睨んでから早足で追いかけた。


 ルベルは水晶の前に座り、天井に視線を泳がせていた。

「……よし。行ったね。あーめんどくさっ」

 欠伸をしながら腕を上げて体を伸ばした。肩や関節がぱきぽきと音が鳴った。脱力して椅子に身を任せると、体が溶けたような心地よい感触に思考を放棄した。

 本当にめんどくさい。事情を抱えた人間の相手をするのは。私にできることはモノを観ることだけだ。未来を観たり、過去を辿ったり、これからの人生の分岐を観測する上位の神秘ではなく、現在いまに現存するものだけだ。自分でもこの業界で生きていけると思っていない。他に比べれば地味だし、探しものしかできない。未来予知や読心による分析などの魔術を学んだが、どれも会得することはできなかった。唯一できたのは投影魔術を応用して作り出した水晶、いやこのちんけなガラス玉だ。魔術的に利用価値の高い水晶を手に入れる財力なんて無かったし、純度の高いガラスを人工的に作り出し、量産が難しい現代ではこのガラス玉だって高価だ。火の属性の魔術や魔法使いが大罪指定されてなければ今頃世にごまんとあふれかえっているはずだが、需要と供給が追いついていないのが現状だ。ガラス玉を用意したせいで店が理想より小さくなってしまった。いつかは繁盛して金を貯めて大きくするのが目標としていたが、いつしかそれすらもほこりにまみれた。

 自分の才能の限界と、現状の状態を把握していながらルベルがこの職にしがみついているのは、これしかできないからだ。魔法使いとして生まれた。他の者が努力しなければ得られない力を持って生まれた故に、自身は過信となり彼女を増長させた。子供の頃はそれで良かった。しかし大人として成長していく過程で、大きな挫折もなく緩やかに自分が魔法使いというカテゴリー内ではたいしたことのない、取るに足らない存在だと自覚させられた。生まれ持った才能は素敵な贈り物でなければ、世界を変えるものではない。ただ捜し物に便利なだけ。それだけだった。

 けれどそれしかない。ただの人間として生きていくには、自分の能力は低すぎる。魔法使いであると同時に、魔法使いでしかない。アイデンティティーという概念に縛られていた。

 だらだらと探りの魔法使いとして生活していくと、またもや彼女の劣等感を刺激することがあった。仕事をこなし、客が満足する答えを用意できなかった時に怒られる。大切なモノがもうこの世にないこと、悲惨なことになっていると伝えると悲観の感情をぶつけられる。それがたまらなく苦手で、嫌で、どうにかなりそうになってしまうのだ。

 人間とは頑丈な側面を持つ反面、非常に脆く繊細だ。どんなに強固な精神を持っていても、必ずどこかの面は衝撃に弱い。何かを探す、何かに迷っている人というのはその面が向きやすい。どんなにオブラートに包んでも不満を言うか、正直に言ってくれと頼んでくる。そして要望に応えると、また文句を言われるか罵詈雑言を吐きかけれる。人のあしらい方が、慰め方が、フォローの仕方が、受け流し方が下手くそなんだと思う。他人の繊細な部分を無意識にくすぐり、彼女の繊細な部分はぶん殴られる。だから明らかに事情を持っている雰囲気の人間や、こぶ付きはお断りにしているのだ。あいにくこの街には人気の探りの魔法使いや、あえて目立たない有能な者はそこそこいる。私が断っても行く当てがある。行く道や不在かどうか、今どこにいるかを丁寧に教えてあげれば、最悪殴られるだけで済む。

 あのミケという青年は観た結果、何か罪を犯して囚われていた可能性が高い。悪人というだけならいつも通りの対処をすればいいのだが、ハチグモがここに案内してきたのだから悪い人間でないのだろう。例え違っても、彼の街を探したいというハチグモの意思を尊重したい。昔も、今も世話になっているのだから。

 彼の街はこの世にはないのに、彼の中に止まり続けている。生まれ育った地は様々な思いで繋ぎ止められている。なぜそんなものが生み出され、彼を閉じ込めていたのか。想像は難しくないが、過程や思想を考えるのは面倒だ。踏み込んでしまえば説明をしなくてはいけない。

 彼女は自身が卑怯者だと理解していた。金を貰ったのだから果たさなくてはいけない責任がある。だがハチグモが変わりに説明をしてくれるだろうと、責任を押しつけた。彼らには時間が無かった。だから自分が説明して時間を無駄にするよりはいいだろうと判断したのだが、それでももっと言い方があったのではないかと落ち込む。

 こんなことをしたら自己嫌悪に苛み、店に閉じこもり酒を呷るところだが、ルベルは責任を投げ出したことへのせめてもの償いをしなければいけなかった。

 店の扉がノックも無しに乱暴に開けられた。それ対しては驚きはしない、あらかじめ観ておいたおかげで到着時刻は予想していた。

「うーん、みすぼらしい。駆け出しの魔法使いだってもっと気合いを入れて店構えしますよ」

 耳障りなねっとりとした声だ。思いっきり嫌な顔をしてやりたいが我慢だ。大丈夫、営業スマイルは慣れている。例え殴られたって笑顔を維持できる。

「どうも。ご用件はどういったものでしょう」

 痩せた頬の男が数人の部下を連れて入ってきた。扉を閉めないせいで、隙間から外に何人かが控えているのが分かる。

「いやね、たいしたことじゃあないんですがね、人を探しているんですよ。貴方なら得意でしょ? そういうの。一応、認定証もあるようですし」

「はいはい、お任せください。内容によっては事前にお断りする場合もありますが。そこはご了承ください」

「大丈夫、お金を払って依頼することじゃあありませんよ。ちょっと聞きたいことがあるだけですから」

 ふざけんな。ここはいわば情報を売る店だ。贔屓にしている人物ならまだしも、お前は金払え。

「ここに数分前に訪れたという人物について、教えていただけませんかね?」

 物腰柔らかくされたお願いを、ルベルは笑顔で答えた。


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