第10話

 ハチグモが目指していたのは大きな街だった。彼の村よりも倍以上も大きく、立派な壁がぐるりと囲むように立っていた。石を積み重ねて作られた壁は、こじゃれたレンガ作りの家を大きくしたように見えた。

「ここはどこも何かで囲ってるんだな」

 ミケの街には建物は沢山あれど、外界を遮断する壁なんてなかった。

「凶暴な魔物が居るから。街を守る魔法使いや魔術使いはいるけど、壁かなんかで囲っちゃうほうが楽なのよ。作るのが大変でも、一度作ってしまえばそれだけで小物は退けられるしね。お金をかけるところはちゃんとかけたほうが結局コストカットになるの。ああでも、これはある程度の街や都市の話。ハチグモの村って実は珍しいのよ」

「ふーん」

「貴方の街には無かったの?」

「無い」

「平和で羨ましいわ」

 街へは道が続いている正面の門からは入らなかった。見張りが六人ほど立ち、検問のようなことをしていたからだ。普段も検問はしているそうだが、今日は人数が多い。ポイノムの指示の可能性がある。

 裏口がある。ハチグモはそう提案して壁を大きく迂回するルートを進んだ。

 警察の検問は何回か見たことがあったので物珍しい光景とは思えなかったが、通行人達が見張りに何かを見せているのが気になった。

「何してんだあれ。何か見せてる」

「貴方そこそこ目が良いわよねえ。あれは身分証明よ。貴方の街じゃなかったの?」

 身分証明など意味のなさない世界に生きていたミケには専門外だったので、首を横に振った。

「水に強く、くしゃくしゃになりづらく、劣化にも強い。そんな特殊な紙にね、名前や職業なんかの情報を記録の魔術で埋め込んでいる物があるの。面白みがないけど身分証明書って名前。それを読み取ることで通行でききるようになっているのよ。個人情報だけじゃなくて、いつ街に入ったか、それから何日滞在しているかも街の管理局に送られる仕組みだから治安にも繋がっている。常に見張られているみたいな状態になるから、迂闊なことはできなくなるってことね。商売目的の人間なんかはちゃんとした実績を積んでいれば街に入って面倒な手続きをしなくていいから、評判はいいみたい」

「身分証明書が無い人間は?」

「正攻法じゃあ街に入れないわね。今時身分証明書が無い人間の方が珍しいけどね。どんな小さな村でも、子供が生まれたら近くの街や都市の管理局に申請することになってるから」

「俺持ってないんだけど」

「あらご愁傷様」

「お前持ってんの?」

「私猫よ。持ってるわけないじゃない」

 そう言って、クロは頬を膨らませながらくすくす笑った。

 裏口から入るのはそのためでもある。クロが言う、身分証明ができない珍しい人間のための裏口というのはどこにでもあるものだ。

 正面の門から大分離れた位置に、壁の一部に亀裂が入っていた。亀裂は薄く、表面にできているようで強度に支障をきたすほどでは無さそうだ。それ故に修理されず放置されていると言ったところか。

 その亀裂にハチグモがぐっと口を近づける。唇が壁に触れるか触れないないかの距離で、小声で何かをささやいた。

 言い終わるとすぐに壁から離れた。子供が秘密基地に入るための手段みたいに思え、これから壁に変化が起こり、我々を迎え入れてくれるんじゃないかと半ば冗談のつもりで想像した。こんな世界なら冗談だって本当になる。

 ミケの冗談は実際に起きた。

 亀裂が上に下に捲れたのだ。石か、もしくはコンクリートにも似た材質は自分が紙かなにかだと勘違いでもしているのかどんどん捲れて、最終的には大人が一人通れるくらいの穴が空いた。

 やっぱりか。

 浮かんだ感想はその程度だった。もう慣れてきたのだがら、自分はたくましいなと褒めてあげたくなった。

 空いた穴から中を見ようとすると、男がにゅっと顔をのぞかせた。

「うわっ」

 これには麻痺してきた精神も体も反応して、一歩二歩と大股で後退した。足下からくすくすと笑い声が聞こえてくる。

 小柄な男だった。ぼろきれを纏い頬はこけ、主張の激しい肩甲骨などの骨が目につくが腹だけは出ている。乱暴に切られた髪や、反対に全く手入れされず得体の知れないカスがついた髭。雰囲気でミケは彼は同類で、さらに過酷な環境で生きてきたことを察した。

 そして彼もまた、この世界の普通を身に宿していた。

 本来眼球がはめ込まれているはずの場所の右側に、灰色の石がある。最初は目が濁っていのかと思ったが、そもそも眼球にしては凹凸があることに気づいた。それを眼球と呼ぶには無理があり、石だと勝手に判断した。

 石男はハチグモ、ミケ、クロを順に見ると、ハチグモを手招きした。二人は小声で会話すると石男はうなずき手を差し出した。ハチグモはその手に金らしき硬貨を握らせると、石男は中に入るように促した。

 全員が中に入ると同時に亀裂が元に戻った。壁が塞がると同時に石男も消え、薄暗い行き止まりに三人だけが残された。

 そこはミケの街の路地裏を思い出させた。通路の先に見える明るく賑わっている場所と、自分達が立っている薄暗い場所は、どうも同じ空間とは認識するのが難しい。ゴミや人が等しく地面に転がるところまでそっくりで、懐かしさと一緒に謎の吐き気に襲われた。

 ハチグモが明るい大通りを目指して歩き出したのでそれに続く。

「さっきの男は何してたんだ」

 ただ見ていただけ、なんてことはないだろう。

「簡単に言えば身分証明よ」

「俺たちはそれができないから裏口から入ったんじゃないの?」

「裏口には裏口の身分証明が必要なのよ」

「そんなもんなのか」

「そんなもんよ」

「さっき金払ってたのは? あれ金だろ」

「貴方結構観察力はいいわよね。素敵な長所よ」

 褒められて悪い気はしなかったが、前半の部分に引っかかりがあった気がした。

「あれは私たちの身分を保障するためのお金。私たちは初めてこの街に来たから、身分証明が不十分だったのよ。足りない部分をお金で補ったというところね」

「どこでも金は大事だな」

 当たり前のように金を払わせてしまったことに申し訳なく感じ、金を返そうとポケットに手を突っ込んだ。仕事で稼いだ金はちゃんとある。目的のために貯めた金だが、恩は返さないといけないとそれこそ八雲から教わったことだ。くしゃくしゃになった紙幣数枚といくつかの硬貨を取り出す。

「なにそれ?」

 クロが言った。

「何って、金だよ」

 目線の低いクロに見えやすくするために紙幣と硬貨を一枚ずつ摘まみ上げた。

「どこの大陸のお金よ。見たことないわ」

「どこのって、俺の街だよ」

「大陸ごとならまだしも街自体が発行しているお金なんて、現代では聞いたことがないわね……。少なくとも、ここじゃ使えないわよ、それ」

 嫌な思いして、体力を削って得た金でも使えなくては意味が無い。

 残念だが、変に気をつかせてはいけないと金をポケットに戻した。手に入れたときはあんなに素敵な存在だったのに、役に立たない今はちゃりちゃりとなる度に空しさ胸を通り抜ける。微々たる重さも、バランスに影響を与えるほどに感じた。

 言葉だけでも感謝を伝えたが、気にするとだけ言われた。そんなことを言われても気にする。

 世話になりっぱなしのハチグモに何かお返しができないか。すぐに案が浮かぶことはなく、気がついたら人々の波に乗って移動していた。

 まるで朝の通勤ラッシュ、とまではいかないが人の密度は濃い。おそらく原因は通行人の多さと通路の幅が釣り合っていないのだ。もともとの通路は広くとも、その左右で品物を道まで広げている商店や露店が密集している。商品を見るために人が立ち止まり、中には立ち話に花を咲かせている団体もいるために、通路がスムーズに流れない。ミケも何度か肩をぶつけたりした。反射的に謝るが、ぶつかった相手はとっくに消えてしまっている。自分の街の人間はあれほどの密度で人にぶつかることなんて無かったのだから、今では彼らも魔法使いの類いに思いえてしまう。彼らは人を避けるのが上手かったのか、それとも人を避(さ)けるのが上手かったのか。

 ここもハチグモの村のように、作りが違う建物が溢れついつい見てしまう。はぐれないように気をつけているが、それでも好奇心にひかれ足を止めかけてしまうことがしばしばあった。特徴として、ハチグモの村やこの街の建物には大きな窓がない。ミケが暮らしていた街の建物は全面ガラス張りだったり、そこまでいかなくとも大人くらいの大きさの窓があるイメージだが、ここの建物は必要最低限の大きさしかない。なにか理由があるのか、それとも技術的な問題か。身分証明ができる魔法、いや魔術があるのだから技術なんて関係なさそうだが。魔法使いが減って、魔術使いのほうが増えている。魔術には素材が必要だと言っていたから、それが関係しているのかもしれない。

 明るい場所、広い場所、暗い場所、狭い場所。どこでも人は笑っていたり、焦って小走りしていたり、感情が読みとりづらい表情で地面の染みを眺めていた。人は変わらない。暮らしも、住んでいる建物も、普通も違う場所で自分の街との共通点を見つけると安心した。なんだちょっと違う所があるだけで、変わらない部分もあるんじゃないか。こんな非日常ばかりで、たぶん街からとても離れている場所でも空は繋がっているんだ。帰り道が分かればいつかは帰れるという希望が見えた気がした。後はこの希望を補強するだけだ。

 

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