第9話

 進むごとに木々が薄くなっていくのに気づいた。

 時計なんてどこにもないのでどれほど時間がたったのかは分からないが、夜の気配がしてくる時間帯にはなっていた。森が深いところならドン・キホーテを使っての移動をしたが、人が通る場所などに近づくとそれも控えた。あの巨体は目立ち過ぎる。

 ポイノムに情報が伝わってしまうかもしれないので、完全に整備された道につく頃には森に隠してきた。ハチグモ曰く、目的地までもう少しだし、ここからならすぐに飛んでこれるらしい。もしポイノムに見つかってもそこは無関係な人も多いから、魔法使いを目指している男が無差別に攻撃はできないだろうとのこと。不安はあったが、ドン・キホーテの本気の移動速度を思い出すと納得できた。

 まだ気配はしないが、ポイノムはミケ達を追ってきているはずだ。

 ハチグモとの因縁とミケの存在。むしろ因縁を語るのであればむしろ追うべきなのはハチグモであるはずなのに、わざわ村までやってきて喧嘩を売りにきたあたりポイノムはハチグモに固執しているように見えた。それに今は火の魔法に属するミケのことを知った。身を隠して生活をしている者がほとんどなので、最近は見つかることは少ないがそれでも危険視されている火の属性。手続きなどしなくても、ある程度の証言や証拠があれば私的に処刑しても事後報告でも許される。むしろ周りからは英雄視されるとのこと。そこまで過激ならば魔女狩りと変わらない。ミケは自分が火属性の魔法使いということをますます認めたくなくなった。なにより、これで自分も追われる身になったことで気分が重くなった。自分を殺すために情熱を注いでいる者がいるなんてドラマチックだが、嬉しくもなんともない。

 目的地を目指して進んでいたら、奇妙な生物を多く見た。

 最初に見つけたのは尾が二つに分かれたトカゲだった。見つけたときは千切れて尻尾を再生するのが上手くいかなかったんだなと、物珍しさの視線を投げかけただけだった。

 次に見たのは大きなナメクジであった。雨の日にコンクリートを食べている個体を見つけたことがあるが、それよりも遙かに大きい。十センチはある。体の前から後ろまで黒い筋に似た模様が四本ほど入っている。

 大きいナメクジは物珍しく、気持ち悪さよりも好奇心のほうが勝ってまじまじと見つめていたら、あることに気づき悲鳴を上げてのけぞった。

 模様だと思っていたものは連なった目だった。よく見ると白目があり、キョロキョロと動いているのが分かった。いくつもの目が細かく並んでいるので模様に見えたのだ。体が大きいせいであまり気にならなかったが、触覚の先にも丸い目玉がぶら下がっており、重いの下を向いている。風が吹けば、アメリカンクラッカーのように左右に揺れた。

 ホタテの貝ひもについている黒い点は全て目だと聞いたことがあるが、白目まであると流石に気味が悪い。

「どうしたのよ」

「このナメクジやばいよ。目が沢山ある」

「それくらい普通でしょ」

「何いってんだよ。目は二つが普通だろ。俺だって、クロだって、ハチグモさんもそうだ。手も足も耳は二つ、偶数っていうのが普通だろうが」

「髪は何本?」

 クロは鼻で笑い、小馬鹿にしたような顔をした。

「そんなの数え切れない」

「鼻は? 口は? 歯は? 臍は? 意地悪を言えば、内蔵だってセットってわけじゃあない」

 次々上げられるものを頭に浮かべると、クロが言いたいことが分かってきた。

「いい? 確かに貴方の言い分は惜しいわ。生物は偶数のセットではなく、基本的には外見上左右対称なの。すくなくとも、人間はね。百ページの本をだいたい真ん中から開いた時、誤差はあれど見た目はなんとくどちらのページ数も形もおんなじに見える。生物はそんなものなのよ。真ん中にあれば一つで、端にあるものはだいたい同じ数でしょ。まあ詳しく言えば顔面は左右対称ってわけじゃないし、体毛はその例に沿っているかは、確かめるのが面倒だけど。少なくとも生物の外側はだいたいそんなもんよ。だいたいはね」

 言われてみればそうだ。鼻自体は一つでも、鼻の穴は二つだ。歯も真ん中から見れば、形の違いはあれど生え方は似ているのかもしれない。男の象徴だって竿は一つでも、端にある玉は二つだ。

 人間をぱたんと閉じれば、それこそ本のように手足などが重なるのかもしれない。

「ただそれは生物によって違う。私や貴方の普通が、他の生物が適用されるとは限らない。ナメクジと人間じゃ見た目が違い過ぎるわ。貴方にとっての普通が、ナメクジにとっての普通じゃないのよ」

 なるほど確かにそうだ。

 試しにナメクジの目を数えてみた。気味の悪さを我慢して頑張った結果、体を半分として右半分の筋は目が四十二個、左も四十二個あるのが分かった。ぴったり同じだ。クロの例えに当てはまる。

 考えてみれば魔法がある時点で、ミケの普通や常識はとっくに置いてけぼり。彼の生物知識が役に立つとは思えない。このナメクジがクロ達の普通なんだという尺度になった。

 ナメクジ問題が解決しかけた時、また別の疑問が湧いた。

「さっきトカゲを見たんだけどさ。尻尾、二つだったんだよ」

「そうね」

 どうやらあのトカゲが普通のようだ。

「あのトカゲって目は何個ある?」

「たぶん四つ。前と、尻尾にそれぞれ二つ。尻尾は切り離せるから、再生中じゃなければ全部で四つよ」

 また目か。

 自分の知っている生物達よりも多くの器官があるのが普通なんだ。それならば一件普通の猫であるクロはどうなんだろう。彼女は喋ること以外、ミケの知る猫そのものだ。

「じゃあさ、猫の普通って、何?」

 クロを耳から尻尾の先まで見る。どこからどこまでも猫だ。なにもおかしい部分はない。だからこそ、この世界では異物に見えた。

「猫はね、目が四つで、足が左右六本なの。口も、顎の下についてるわ」

 なんだか想像できるような、できないような。

 彼女がいったこの世界での猫の本来の姿が、とても彼女に当てはまっている風には見えないから冗談にしか聞こえない。

「ふふっ。私は普通じゃないからね。ハチグモ達も最初は驚いたわ」

「仲間と違う見た目で寂しくないか。仲間外れにされるだろ」

 他者との違いは軋轢と迫害が生まれる。ミケが知っている範疇でも、体の一部が欠損している者は個人の能力が高くても、それだけで下に見られる。一般的に出来て当たり前のことが苦手だと、例え他に長けていることがあっても馬鹿にされる。

 動物はどうかは知らないが、人間というのはそういうものだ。長いものを見ずに短いものばかりをみる。長ければ目で追うのが疲れるから、目立つ短いものばかり見たがる。そして自分の長いものを自慢してくるのだ。

 動物は上と下にこだわる。生きるために切り捨てるべきもの、残すものを判断しなければいけないからだ。足が多ければその分速く走れ、目が多ければその分多くのものを見ることができる。生きるのに有利になる。少なく補うものがなければ、同族もこいつは切り捨てて問題のない下として判断するのではないか。

「畜生に仲間意識を持たれて喜ぶ性質(たち)じゃないの」

 この言葉で、ミケが想像したクロの寂しい人生像は消え去った。

 こんなことを楽しげに言う図太さがあれば、ハンディキャップなんてものともしない猫生を送ってきただろう。

「それにね、私はこの体に産まれたたわけじゃないの。私が望んでこの体にしたのよ」

「どういうこと?」

「私はね、人間に近い体でいたかったからなの」

 また変なことを言い出した。はいはいと受け流す。

 何気なくまたナメクジを見た。見れば見るほど気持ち悪い。でもなんでこんなに嫌悪感があるのだろう。

 確かに元々ナメクジは、どちらかというとグロテスクな見た目をしている。しかもこのナメクジには沢山の目玉がある。不気味そのものだが、別の何か原因がある気がするのだ。

 我慢して観察を続けていると「いつまでそうしているつもりだと」とハチグモに声をかけられた。一旦ハチグモを見て、視線を戻すとその瞬間原因に気づいた。それと同時に全身に鳥肌がたつ感覚がした。

 ナメクジの目玉が綺麗に整列している。幅や大きさが全く同じの目玉が、全く同じ幅間隔で並んでいることに、凄まじい嫌悪感を感じた。まるで工業製品だ。工場から出荷されたナメクジが、あたかも自然産だと偽装して生きているみたいだ。

 クロの言い分は間違ってないだろう。生物の外見は左右対称が多い。しかし多少の誤差はある。彼女がいうように人間の顔を左右を別々にすれば違う顔になる。DNAに刻まれた設計図は優秀だが、細胞の塊である生物には誤差や歪みがある。その歪みこそ生物としての完成であり、未完なのだ。だから彼女も「だいたい」を強調していた。人間を閉じても本に似た形になっても、本にはなれない。

 しかしこのナメクジは形という点では、完全な本になれる。真ん中に折れ目をつけて閉じれば、ぴったりと重なる。形としては完成しているが、生物としては不良品もいいところだ。

 自然に紛れ込んでいる完璧な不自然は、ミケに生理的嫌悪感を与えた。説明しろと言われても難しいが、説明が難しいほど大きな感情に支配される。原初に通ずる本能に関わる。

 そんな嫌悪感を拍車させたのは視線だった。沢山の目はそれぞれ別の方へ向いている。周りへの警戒なんだろうが、不規則にあちらこちらへ動く目玉は不気味だし、なにより、そのどれもがミケを見ていないのだ。自分よりも大きな生物が接近してくるなんて状況、警戒しないほうがおかしい。そんな知能なんてないのか、目そのものが飾りでしかないのか。ミケは無視されていることに怒りを感じるよりも、ナメクジに不思議とより興味を持ち考察をした。

 どうもこのナメクジが自然の営みとへて卵から孵った生物とは思えなかった。作られたなにか。そういうものにしか見えなくなると、線が繋がり、最初の魔法使いが生物を作ったことを思い出した。

「なあ。さっきの最初の魔法使いの話で、生き物を作り出したって言ってたよな。もしかしてこれもそうなの?」

「そうだと言われている」

 いつまでもナメクジ観察を続けている二人の元へハチグモがやってきた。

「基本的には生活を豊かにするために、人々の要望に応えて作り出していたらしいが、中にはこのナメクジのように、何故作り出したのか分からないものも多い。気まぐれなのか、意味があるのか、昔の話過ぎて分からないんだ。熱心に研究している者もいるらしいが」

 目の多いナメクジがどうやって生活を豊かにするのだろう。彼らが人のために働くのか。テレビで見たような、牛が田んぼを耕す道具を引っ張っているみたいに農業でもするのか。できる訳がない。大きいといってもまだまだ常識の範囲だ。こんなぐにゃぐにゃの体じゃあ体に固定できない。

 目が多いのを生かして見張り役はどうだろう。いや鳥などに食われて終わりだろう。軽く枝で突いてみても抵抗する素振りを見せない。防衛手段がないならば図体がでかくても捕食対象にしかならない。

 ミケがしたことがある仕事でも、ナメクジが代用できるものは思いつかなかった。不気味なナメクジが必死に物売りをしている姿は、想像上ではコミカルで愉快だが、現実になれば恐怖でしかない。

「魔法使い、もしくは魔術使いが作り出した生物は総称として魔物と呼ばれる。魔法から生まれた生物、縮めて魔物。ひねりなんてあったもんじゃあないが、皆が自然とそう呼ぶようになったらしいからな。込められた意味はシンプルでもしょうがない。魔物の特徴は多くの目だ。四つ以上目があるのなら、それらは魔法から生み出されたとされている」

じゃあホタテも魔物だな。冗談のつもりで言ったら、そうだと返されしまった。

 彼らはどんな意味を持って作られたのか。生物が生きる意味、生まれる意味を考えることは有意義な時間の使い方か、ただの浪費か。少なくとも、ミケは初めてそのことを思考した。

 目の前のナメクジに、お前はなんで生きてるだと聞いてみようか。何事も聞くのが手っ取り早い。でもじゃあお前はなんで生きていると質問され返されてしまったらどうしよう。あり得ないが、自分のあり得ないは通用しない。猫だって喋るんだ。ナメクジも喋りたかったら喋るかもしれない。

 おいミケ、お前はなんで生きているんだ。

 口がどこかも分からないナメクジがそう聞いてきた、気がした。

 そんなことを聞かれても、生きたいから生きている、としか言えないよ。死ぬのは怖い。

 そうか。俺も死にたくないから、死ぬまで生きるわ。

 意味無いというか、中身が無い会話だった。

 いい加減に行くぞ、とハチグモに軽く叱られ歩き出しても考えていたが結局それ以上の答えは出てこない。生きたいから生きる。これ以上のことがあるのか。あれこれ難しく考える必要なんてあるのか。時間がたち、興味を失いつつあったので無理矢理結論づけて終わらせることにした。

 意味なんて考える必要はない。本当に必要になれば探せばいいんだ。きっとどこかに落ちていて、いつかは見つかるだろう。そう、気楽に考えることにした。

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