第8話
「なんで、あんなことを」
村からだいぶ離れた森の中に、ミケ達は居た。
ポイノムは追いつけなかったのか、それとも追うつもりがないのかは分からないが、いつまでも気配は無かった。
「君を守る必要があった」
ハチグモはできるだけ小さく丸まっているドン・キホーテの体を調べている。先ほどの戦闘で欠損している部分がないか確認していた。
「なんで」
出会って間もない関係、自分で言うのは悲しいが、そこまでの義理はない。
「君とは約束がある。それに君は私の村の最後の客人だからだ」
「さっきも言ってたけど、大切な人形を犠牲にするほどのことか?」
「そうだな。確かに彼らをまた失うのは寂しいが、仕方がない」
「仕方がないってなんだよ。そんなんで終わらせていいのかよ。大切なものだったのに、仕方がないだなんてッ」
だんだんと声が大きなり、語気も強くなっていた。
「止めなさいよ、女々しい。自分でも原因は分かってるでしょ。貴方が首を突っ込んだ。その結果がこれ。貴方に責められる権利はあっても、責める権利は無い」
ドン・キホーテに掴まったときに、いつの間にかミケの服に潜り込んでいたクロが諫めてきた。
クロの言うことは正論で、ミケは押し黙った。
そう責められなくはいけないのだ。ミケは責めて欲しかった。ハチグモのためにしたつもりの行動は裏目に出た。助けるつもりだったが、意味は無かった。毒によって弱っているのように見えたが、それは演技だったのだ。直接聞いたわけではないが、ポイノムの敵意がミケに向いた後、ハチグモの行動は素早かった。意識は濁っておらず、人形を操作する力も衰えていなかった。今だってぴんぴんしている。回復するには流石に早すぎる。弱ったふりは、相手を油断させる作戦だった。
ミケがしたのは自己満足のありがた迷惑。作戦を乱し、出さなくていい犠牲を出してしまった。そのことをミケは許せなかった。自分の浅はかさに。
だからこそ責められなくてはいけないのに、いつまでたってもハチグモは叱ることも、暴言も吐くことなかった。
やきもきする。感情を発散させられないミケは地団駄を踏んだ。
「約束なんだ」
ドン・キホーテのメンテナンスが終わり、ハチグモはミケを見る。
「君との約束を守らなくてはいけなかった」
分からない。自分との約束にそこまでの価値があるとは到底思えない。
「もう私は、約束を破りたくなかったんだ」
遠い目をして、ハチグモは語り出した。
ことは一ヶ月前に遡る。
ハチグモは村の外に出かける用事があった。距離はあるが、それでも村からは一番近い都市から呼び出しがあった。大きくもなく、名も大して知れていない村の長を直接呼び出す理由は思いつかず、何か嫌な予感がした。しかしその命令を無視しても、後々面倒になるのは目に見えていたので、村の番人であるドン・キホーテにありったけの力を込めて、自分が不在の間でも動けるようにした。ドン・キホーテは特別製。ある程度、状況を判断して行動する能力がある。
その話を聞いて、ミケは昨夜の衝撃音を思い出した。あれはドン・キホーテが獣か何かの侵入を阻む音だったのかもしれない。
それでも不安は消えず、ハチグモは用事をさっさと済ませて帰路についた。手間がかかるものではなく、書類の確認程度だったので都市についたら半日も時間を使わなかった。それこそ直接赴くくらいだったら、通信手段を用いれば済む内容だ。ますます不安を覚えたハチグモは急いで帰ろうとしたが、片道だけで二日はかかる道のりで、ハチグモが使える手段ではどんなに急いでも一日以上かかった。ドン・キホーテがいればもっと速く移動できるが無い物はどうすることできない。
息を切らして帰ったハチグモが見たのは、酷く荒れ果てた自分の村だった。
ミケが見た時よりも酷い惨状だった。何が酷いか、一番の原因は人だったもので作られた水溜まりだった。一見すると濁った汚水に見えるそれを元人間だと判断するのは難しいが、溶け残りがあった。小さくて指の一部、大きければ腕そのもの。水溜まりの近くに寂しげに落ちていた。後に分かったことだが、溶け残っている体には必ず土がついていた。村人達が自主的に気づいたのか、それともドン・キホーテが攻撃のさいに待った土をかぶりそこだけ無事だったのかは分からないが、襲撃時の毒は土を冒すことは出来なかったのだ。しかしそのおかげで生き残った村人はおらず、結果的に毒の改善点を発見することに貢献しただけだった。
あまりのショックに思考がとまりかけたハチグモを引き戻したのは、何かが崩れ落ちる音だった。
音がした方へ駆けると、そこには先ほどと同じく部下を引き連れたポイノムがいた。崩れ落ちる音はドン・キホーテから出たものであった。村を守るために戦った英雄は、毒の前に倒れた。特別製とはいえ、彼もまた人形。ポイノムの毒に溶かされてしまった。英雄というのは、毒に弱いのだ。
ハチグモが直接操作すれば勝負の行方は分からなかった。いや、弱点を知れたのなら、きっと勝利できたはずだ。
村の惨劇のショックと、最大戦力の喪失。精神が揺さぶれている状態でも、ハチグモは村の敵に戦いを挑んだ。しかし、結果は芳しくなかった。ドン・キホーテが敗れた技に対処できる余裕が無かったのが災いして、追い返すことはできたが決して勝利したと言えなかった。村の仇はとれなかった。
村の人間は全て殺されていた。村には戦う力を持ったものはハチグモぐらいしかおらず、抵抗できなかった。地面にできた染みと水溜まりの数は、村人の数と大まかには一緒だった。大きな水溜まりは、何人かが混ざり合ったものだろうか。大きな水溜まりは幼い子供がいる家の近くに出来ていた。
「話したと思うが、モリモト家の話を覚えているかな」
たしか中々子供ができなくて、やっと長男のタイガが産まれた家だ。めでたく近々家族が増える予定だったという。思い出すと頭の中に冷たい水が浸入してきたように感じて重くなり、嫌な気分になる。
「私はタイガに約束したんだ。子供が産まれたら人形を作ってくれと。私は確かに約束を交わした。けれど守れなかった。約束を守るべき相手を守れなかった。」
だから今度こそ、約束を守らなくてはいけない。
「……分からないよ。いや、話は分かった。何があったのはよく分かった。でも、だからって俺との約束を、あそこまでして守るのは分かんないんだよ。俺はミケだ、タイガじゃない。ハチグモさんが、残った大切な物を投げ出してまで守るべき相手じゃない」
「そうだな。その通りだ」
自分が望んだ答えなのに、胸の奥がチクリと痛んだ。
「しかし、君は私をそう見ていないだろ」
どういう意味だろう、ミケは首を傾げた。
「自意識過剰かもしれないことをいうが、君は私と出会ってから、他人の目で見ていない。親しい者を見る目をしている。その目はタイガや村の人々が私に向けてくれていた眼差しに似ているんだ。確か君の知り合いと私は似ているんだったね」
「あ、ああ」
「例え他人のそら似。私の向こう側に向けられたものだとしても、そんな目で見られたら放っておけないさ。君との約束に必死になるのは、それだけさ。死者をないがしろにする気はさらさらない。だが優先すべきは生者だ。でなければ後悔することになる。人形達は残念だが、また作ればいい。また一つ一つ、ゆっくり作っていけば、彼らを思い出せる」
ハチグモの優しい視線は、空き缶を売った後の八雲を思い出させた。何度も彼らをダブらせ、知らない場所で不安なミケは、顔が似ているハチグモに助けを求めていたのを、彼は感じ取っていたのだ。
どこか無理をさせているのが分かった。彼の微笑みはどこかぎこちない。そんな顔をされたら、もう何も言えない。
「……気を遣わせていたんだな」
「客人だからな、いくらでも気を遣うさ」
老人の言葉に嫌みっぽさは無かった。
「さて、君の聞きたいことは話したつもりだ。今度は私が質問してもいいかな?」
断る理由はない。返事の代わりに頷いて見せた。
「君は魔法使いか?」
ハチグモが何故あんなのことをしたのか。そればかり気にしていたせいで、失念していたことがあった。
「……あのさ、質問には答えるけど、その前にまた聞きたいことを思い出したんだ。これが分からなきゃ話を前に進められないんだ」
わがままを言っているみたいだが、ハチグモは承認してくれた。
「ハチグモさんやあいつの言う、魔法使いってなんなんだ。それに、なんだ……そうだ魔術だっけ。俺だって不思議なことはできる。だからこんなこと言うのはどうかと思うけど、ハチグモさんやアイツのは、なんていうか、そう。常識を超えちゃってる」
ハチグモはぱちくりと瞬きをした。
「ああ、それは分かってる。俺、変なこと聞いてるんだろ? クロが言ってたもんな、さっきのがこの世界の常識だって。でも俺が居たところで、あんなに見たことがない。不思議なことができたのは俺だけだ。そんな俺でもすごく驚いたんだ。一体、あれは何だったんだ」
老人は髭を撫でた後、クロを見た。察したのか無言で頷く。
二人のやり取りを見て、ミケは疎外感を感じた。仲間はずれだ。二人からではなく、世界から。知らない場所に知らない常識。世界から仲間はずれにされている。
どこか遠い場所に来たのだと思っていた。けれど目の前で起こったことを考慮すると、遠いどころか違う世界に来たのだと考え始めていた。
ミケはこんな話を聞いたことがあった。世界というのは一つではなく、いくつもの世界が無数に存在しているのだと。ここにいるミケとは髪の毛の数が一本違うミケが住んでいる世界。そんなちょっとした違いが、もしかしたらの数だけ変化がある世界があるのだと。それを
オリジナルを設定してそれからスタートすれば、ちょっとの変化でも何万も世界を見て回れば大きな変化にでもなるだろう。そうなれば常識もすげ替えられる。
ガリヴァー旅行記という物語を教えられことがある。そのうちの一つに、主人公のガリヴァーが海に出ると嵐に遭い難破すると、小人の国に流れ着いていたというのがあるらしい。
もしガリヴァーが難破をきっかけに、小人の世界という平行世界に踏み込んだとしたら。もしかしたら自分も似た状況なのかもしれない。
突飛な考えだが、空想物語のような光景を見てしまってはどんなことだって受け入れなくてはいけない。
だが、何がきっかけなんだろう。自分が平行世界に移動したのだと仮定するのはいいが、そのきっかけになりそうなことが思いつかない。
八雲を助けようとしたのがきっかけなんだろうか。いや、それ以外に何か、何かがあった気がする。
「ミケ君、君はどこから来たんだ」
「……たぶん、すごく遠くから」
「それが地方の、例え山に囲まれた孤立した集落だとしても、魔法や魔術を分からないなんて信じられないぞ」
「ごめん、言い方を間違えた。魔法を知らないわけじゃない。ただちょっと信じられないんだ。俺の住んでた街じゃあ、あり得なかったから」
「…………まあ、火の素質があるのなら魔法の知識がないのも、そういうことにもなるかもしれないな。分かった。ならば魔法と魔術、この二つについて説明しよう」
「それなら、昔話を話したほうが分かりやすいんじゃない?」
「まあそうだな。大して長い話ではないし」
そう言って、ハチグモはぽつりぽつりと話していった。
むかしむかし、世界に最初の魔法使いが生まれた。
魔法使いは万能の人で、天候を操り、超常現象を引き起こし、新たな生物を創造した。魔法使いにできないことはなかった。
人々は魔法使いにお願いして、天候を操作してもらい農作物を育て、労働力となる生物を作り出してもらった。魔法使いの誕生から、人間の生活は豊かになり、すさまじい速度で発展した。
だが、それも長くは続かなかった。
最初は快く引き受けていた魔法使いも、理由は分からないがだんだんと協力をしなくなっていった。なんでも頼ってくる人々に呆れたのかもしれない。
魔法使いが世間に姿を現さなくなって何年かたつと、魔法使いは五人の弟子と共に再び現れた。
魔法使いは言った「私は役目を終えた。これからは彼らに託す。これから世界には、魔法使いが現れていくだろう」と。魔法使いは本当に姿を消す前に、世界に種を蒔いた。魔法の力が込められた種は世界に根付き、人々に影響を与えた。魔法使いの言うとおり、生まれ持った魔法使いが産まれるようになった。
世界に魔法の力が定着すると、五人の弟子達は力を得られなかった人々に、魔法に近いもの、魔術を使う術を教えて回った。魔術は素材と呪文によって世界から魔法の力を使う方法だった。
偉大な人を失ったが、魔法と魔術、この二つの力を得た人々は大きく発展していったという。
「簡単だが、これがこの世界に魔法使いが生まれたとされる昔話だよ。記録が曖昧になるほど昔のことだから、多少尾ひれはついているだろがね」
「生まれはまあ、分かった。たぶん。じゃあその話が本当なら、ハチグモさんも最初の魔魔法使いみたいになんでもできるの?」
直接聞いたわけではないが、彼もまた魔法使いと呼ばれる存在なんだと理解していた。村に起こったことを話している最中にも魔法が出てきたし、ポイノムはハチグモのことを古い魔法使いと言っていたのを思い出した。
「いや、無理だ。万能の力を持っているのは最初の魔法使いだけだよ。私は『人形の魔法使い』。名前の通り、人形を自由に操ることができる。ただし自分が作ったものだけだがね。同じ人形の魔法使いでも、能力によっては幅広く操れるらしいが、私のは限定されている分無理がきくらしい。力のこめようでは自立行動させることもできる」
「今いる魔法使い達は世界に根付いた種に影響されて生まれてきた。その種は最初の魔法使いのいわば力の結晶よ。今の魔法使い達が万能の力ではなく、ミケでいう火、ハチグモでいう人形のように細分化してしまっているのは、種そのものを受け継いだわけではないから。世界に根付き溶けた種の欠片が人の営みを通して、人間に寄生し、新たな命に宿るからとされているわ」
クロが喋りだした途端話が分からなくなる。いちいち難しく話すからだ。
「クロ、確かお前、魔法は贈り物だって言ってたよな」
「ええ、世界からの贈り物。もしくは最初の魔法使いからか。魔法は生まれ持った才能と言えるわ。意識せず、呼吸をするのとおんなじで、ただそうしようとするだけで超常現象を引き起こせる。魔術と違ってね」
魔法と魔術の違いなんて、ミケには分からなかった。分からないのは分かっていると、クロは続けて解説した。
「魔法は才能、ならば魔術は。とことん才能に恵まれなかった人間からしてみれば大きな違いはないわ。やってること自体は似ている。人間が時間をかけて生きる知恵を学ぶように、神話でもあったけど素材と呪文を用意してある程度の努力をすればできる魔法の真似事が魔術ということよ」
イメージ的には魔術は絵本の魔法使いに近いのだろうか。それなら想像しやすい。
「ハチグモさんは使えるのか? 魔術」
「いいや。私は彼女の言う、才能にあぐらをかいて努力をしてこなかったからね。できることは限られている」
「単純にそっちの才能は無かったんでしょ。それにあなた、興味無さそうだし」
クロ曰く、魔法が使えれば魔術が使えるわけではないという。魔法は生まれ持ったことだけしかできないが、魔術はやり方さえ身につければ幅広いことができる。となれば一挙両得、魔法使いもまた魔術を学ぶことは多いが、才能があれば多才だという訳ではないそうだ。感覚でできる魔法と違って、魔術は色々と頭を、技術を、物資を使わなくてはいけない。魔法という才能に恵まれても、学び得ることの才能が無ければ、もしくはそもそも過剰な力を求める気が無ければ魔術を使うことはできない。
「俺は火を操れるけど、火種が無いとだめなんだ。てことは魔術かな?」
「必要なのはそれだけなんでしょう? それに生まれた時からって言ってたわよね、それなら貴方は魔法使いよ」
生まれた時から使えるか、使えないか。魔法使いだって場合によっては素材を必要とする。それならわざわざ魔法と魔術を分ける必要はあるのか。話をややこしくしているだけな気がするが、そこを指摘するとまたクロにからかわれそうだから黙っていた。
「今日私達を襲ったポイノム、奴が使ってきたのが魔術だよ。あの周りの水も、毒自体も、水の属性に準ずる魔術だ」
「え、でもアイツ自分は毒の魔法使いだって」
「まだなってないわよ」
「どういうこと?」
クロの代わりにハチグモが答えた。
「昔は、私が子供の頃はね。それこそ物心ついた時には当たり前に魔法が使えていた人物が、自然と魔法使いと呼ばれ、名乗るようになっていた。だが今では、まあ言ってしまえばお偉いさんから認定されたら魔法使いを名乗れるんだよ。例え魔法を使えなくてもね」
届け出を出して許可されるか、実績を積めば認められるかのどちらかだそうだ。
「手段は違えど、大まかに見てしまえばやっていることは同じだからという考えになってきているらしくてな。昨今は純粋な魔法使いが生まれにくくなっているらしいし。特にその傾向が多い。時代というやつか」
それならわざわざ分け続ける必要はあるのだろうかと、再び考えた。
「魔法使いの数が減っている?」
「そういう意見もある。だが実際はあまり気にしていない者がほとんどだ。認可制度にもなっているのもあるが、全く生まれていないわけではないしな。私の知り合いにも若くして純粋な魔法使いはいる。……だがやはり、火の系統の魔法使いというのは減ったな。人前に出られないだけだろうが。ここ数十年は特に厳しくなっている。私の子供の頃はまだこっそり火の魔術を使うものや魔法使いはいた。今は全くと言って良いほど見なくなった」
そういえば、ポイノムも不穏なことを言っていた。
火は大罪だと。大罪という言葉の意味は知らない。だけど雰囲気でよくないものだと判断できた。あの場にいた、ハチグモ以外の嫌な視線。いやハチグモですら、優しさの光が瞳の奥に引っ込んでいた気がしたほどだった。
「俺の力って、よくないのかな」
八雲達も力の使い方には気をつけろと厳しく言ってきた。一歩間違えなくても取り返しのつかないことになると。それでも彼らは優しくしてくれたから、そこまでの深刻に考えることは無かったが、さきほど味わったミケに向けられた異物感は考えを改めさせるには十分だった。
「君自身の才能には罪はない。だが昔の話、私が生まれるよりもずっと昔の話だが、一人の魔法使いが罪を犯したんだ。これは知っているかな?」
魔法使いの知識を今手に入れたんだ。知っているわけが無い。
「世界を燃やしたんだ」
何かの比喩かと思った。それともただの冗談か。
でもなんで、世界が燃えるという言葉がこんなに自分の中で反響しているのだろう。目の上の辺りが痛い。不快な頭痛がする。なのに思考はどこまでも透き通っている。だって世界が燃やされるという世迷い言を、リアリティのある映像として想像できるのだから。まるで自分が実際に録画した映像を、頭のスクリーンに映し出して、そういえばこんな感じだったけなと思い出に浸っているみたいだ。世界を薪にしている主観の映像に見入っていると、足に柔らかい感触がぶつかってきた。我に返り足下を見ると、クロが自身の体をこすりつけていた。
「火の魔法使い。属性を冠する名前は特別でね、その世代では一人だけと決まっている。つまりはすごい魔法使いが、気でも狂ったか世界そのものを燃やそうとしたんだ。彼は当時の火の属性の頂点というのもあったし、なんでも歴代でも屈指の実力だったそうだ。事実、世界の八割は炭になったという」
「そんな馬鹿な」
辺りを見渡しても、ハチグモが言うような被害を見受けられない。自然も、大地も、人の営みは知らないが、とても穏やかに見える。
「確かに信じがたい。だが燃えかす同然の世界を時間と魔法、それに魔術が癒やしてくれた。文明が後退するレベルの被害だったそうだが、いやはや、先人の努力には頭が上がらない」
「なんでそんなことをしたんだ? その魔法使いはどうなった?」
「理由は分からない。俗説は沢山あるがね。研究の末に狂ったとか、もともと気性が荒かったとか。とってつけたようなものばかりだが。火の魔法使いは過去の魔法使い達が封印したとも、殺したともされる。起こったことは事実とされていても、古いせいか情報があやふやなんだ。ただはっきりしていることは、その事件からこの世界では火の魔法、および火に属する魔法は大罪として、使用することは禁止されている。使った場合、もしくは生まれながらの魔法使いでも、それが無意識で魔法を使う赤子だったとしても処刑される」
「え、なんでそこまで」
「言ってしまえば芽を摘むんだ。私は経験していないし、経験した人間なんて皆死んでしまうくらい昔だから理解するのは難しいが、よほど怖かったんだろう。二度と起こらないで欲しいくらいに。自然災害ならある程度の諦めがつく、対策も事前に立てることもできなくはない。だが人災は悪意そのものだ。他人に危害を加えようとすることに全力を注いでくる。故に恐ろしい。だから二度と世界を焼こうなんて、恐ろしい考え持つものが現れないように、火は大罪とされた。自分の力の大きさを理解させないように迫害し、見せしめで殺す。大人しくしていろという警告だ。今では大半の火の系統の魔法使いは息を潜めて生き、火の魔術は禁忌とされた。火の魔法使いという称号も、使われなくなって久しい」
話を聞き終わり、ミケは小さな不安を感じていた。
自分が聞いたことの無い知識を、二人は当然のように語ってくる。ミケが一般教養や一般常識に疎くても、世間の当たり前か遠くにあっても、数十年生きてきたのだ。彼なりの世界というのもはできている。
起きて、飯を食らい、街を散策し、時たま働いて片手に収まる金をポケットに突っ込んで、大体はその日のうちに眠る。そんな生活の中で自分の才能は浮いていた。ミケが見える世界の中で自分以外にこうした才能に恵まれた人間はいなかった。テレビに映る奇術師が行う手品は必ず誰かがタネを教えてくれた。画面に映る奇跡はまがい物、見せかけだけの張りぼてだと幼い頃に言われた。絵本の魔女は描かれているだけ、どれほど強大な力を描写されようが現実には干渉できない。
自覚が無かったが、自分が生きている世界には魔法は無いと否定されていたのかもしれない。
周りの大人達が作り上げた現実がまるで通用していない現実を目の当たりにし、説明されたことでミケは嫌な考えが浮かび、不安になったのだ。その正体は分からない。分かろうとはしなかった。知ることが怖いと思うのは、ここに来て初めてのことじゃない。
「一応」
黙っているとどんどんと気づかなくていいことに気づいてしまいそうだったので、無理に声を出した。そのせいかちょっとだけうわずったような声だった。
「一応言っとくけどさ、ハチグモさんとクロの話を馬鹿じゃねーのとか言って信じないわけじゃないんだ。ただ、ただどうしても合わないというか」
「合わないって、何がよ」
「ああ、こんな時なんて言うんだったっけ。ごめん思い出せないから上手く言えないかもしれない。なんて言えばいいんだ……クソッ、言葉が出てこない」
「落ち着いて。ゆっくりでいいから」
彼女の言うとおりだ。自分を落ち着かせるために大きく深呼吸をして、乱雑に散らばった言葉を手繰った。
「ええっと、二人が言うことはここでは道理が通っている。道理って使い方あってるよな? でも俺が住んでいたところではそんな道理はなかった。ここでは自然というか、ぴったりはまっているというかさ、違和感がないんだよ。魔法とか魔術とか。この目で見たし。でも俺が住んでいたところだと、その、やっぱりあり得ないんだ。確かに俺には特別な才能がある。皆も言ってた。だけど魔法なんて無かったし、魔術なんて今初めて聞いた。もしかたしたどこかで、ここみたいなことが起きていたのかも。だけど俺に見えるところじゃ無かった。テレビでも偽物しかいなかった。だから俺、混乱しちゃって」
ハチグモは沈黙している。彼が難しい顔をしているせいで余計に不安が膨らんだ。
魔法の存在が当たり前の世界でこんなことを言われるとは思っていなかった。火に関わる人間は魔法に触れないのが常識となっているが、彼は事情が違うのではないか。そんなことを考えているのかもしれない。
お互いに言葉に困り、気まずい空気が肌で感じ取れた。場違いな発言をしてしまい、雰囲気を壊してしまった時の空気感は非常に苦手だった。けれど取り消すつもりはない。だって言わなければ、自分の街の普通を口に出して伝えなければ、この世界の普通に塗りつぶされて消えてしまいそうにも思えた。
今までのことを否定する気はないが、自分が住んでいた街の尺度で考えると理解を深められない。
世界そのものが違う。自分は今、髪の毛一本の違いを何度も繰り返した隣街にいるのではないか。その可能性が現実味を帯びてきている。とっくに気づいていたが、深掘りしていくとそれより恐ろしい事実に出くわしてしまいそうで辿り着きたくなかった。
「さて、じゃあこれからどうしましょうか」
クロが場の雰囲気を読まずに言った。
「当初の予定通り、ハチグモの知り合いの元に向かいましょうか」
視線はハチグモの方へ向けられている。少し間を開けてから、ああと答えた。
「そうだな。今はあてもなくぶらぶらしている時でもないだろうし。ミケ君、休憩はまだ必要かな?」
ドン・キホーテが運んでくれたから、人間ではできない速度で移動したので筋肉が緊張したものの疲れはない。ミケは首を左右に振った。
「そうか。では」
行こうか。ハチグモはすぐさま歩き出した。
ミケは置いてきぼりな感覚を覚え二人を引き留める。
「ちょっと待って」
「待たない」
「なんで」
「何でって貴方、このまま続けてもどうせまたうだうだ言って話が進まなくなるでしょ」
半ば呆れるような言い方して、クロはため息をついた。
「そんなこと」
「あるでしょ。昨日もだし、さっきもだし、今もなりかけた。話も進まずに時間だけ進む、くだらない人生の浪費の一つよ」
見下ろさなければならない存在が、急に大きく見えた。正論をぶつけてくるクロの圧が凄まじい。口に出さなくてもあたし、うじうじする男は嫌いなのよと言われたようだ。
「今日日、生徒一人が納得するまで付き合う教師なんていないわ」
それは偏見ではないか。それにその生徒が一人だけなんだから付き合ってくれてもいいものだろう。八雲さん達はいつまでも付き合ってくれたのに。
歩幅を早めてさっさと進んでいってしまう二人を、ミケは少しだけ不貞腐れながら追いかけた。
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