第7話
一度睡眠をとっていたからか、ミケは早朝に目を覚ました。
「おはよう」
「ああ、うん。おはよう」
寝起きで喋る猫がいてもなんとも思わなくなりつつある。人間の順応力は高いんだなと、自分に感心してしまった。
「ハチグモさんは起きてるかな」
「お年寄りなんだから朝は早いでしょ」
「お前そういうこと言うなよ」
「なんで?」
「なんでってそりゃあ、年寄り扱いは失礼ってやつだろ」
そんなの興味ないわ、クロは大きな欠伸をした。
さすがに腹が減った。あまり褒められたことではないが、ハチグモになにか食料をねだろう。クロに目的地を教えるとも言っていたし、ついでだ。
ミケは体を伸ばしながら家を出ようとした。
「今は家を出ない方がいいわよ」
「え、なんで」
「確実に面倒になるから」
「でもハチグモさんのところに行かなきゃ」
この時、何故と理由を聞かなかったのは空腹だったからか、それとも目先の用事を済ませることしか考えていなかったからか。クロだって強く引き留める気は無かったらしく、そうねとしか言わなかった。時間が立ってから考えても分かることではなかった。
そういえばハチグモの家を聞いていなかった。クロなら知っているかもしれない、聞こうとして口を開いたが、言葉が詰まった。
「……なんだか騒がしくないか」
人なんてハチグモとミケ、あと喋る猫しかいないこの村で生物の気配がした。
「門の方からね」
一体なんで。考えてから、はっと思いついた。
もしかして村の人は外に避難していたのではないか。なにかに襲われた住人達は、ミケが思っていたよりも生き残っており、一時的に村の外に避難していた。時間が経過して、安全だと判断して帰ってきたのかもしれない。
そう思うと、なんだか嬉しくなってきた。被害はあったけれど、まだハチグモの、家族といえる人達が生きている。ハチグモはひとりぼっちではないのだと。
「行ってみよう」
安直な考えだと疑うことはなかった。そうであってほしいとばかり願った。別人とはいえ、ハチグモにそこまでの悲しみを背負って欲しくなかった。
しかし、やはり都合のいい妄想だったと、淡い希望だったんだと思い知らされることになる。
ミケの予想は一つだけ当たっていた。門には複数の人間が集まっていた。村の 中には一人、ハチグモがいて、外には複数。先頭に立つ男は、第一印象がバランスの悪さだった。顔は頬がこけて細長いのに、体はふくよか。その姿は、冬場に寒がりな人間がする厚着に似ている。本来は痩せているのに、体を冷たい外気に触れないようにするため、幾重にも分厚服を着ていく。どんどん増えていく防寒具は、寒さに強くなる代わり自身を肥さていく脂肪と変わらない。男が恐れているのが何かは分からないが、つなぎ目が見えない服で手足の指先まで包んでおり、中に何か詰めているせいか輪郭が丸くなっていた。自分が住んでいる街にも奇抜な格好を好んでする輩はいるが、良い勝負かもしれない。
男の後ろに並んでいる男達はそれぞれ大小の違いはあれど荷物を持っていて、定規で測ったようにきっちりと隊列を組んで待機していた。ミケは彼らをアンバランス男の部下だと思った。大体複数の人間が共に行動していれば、先頭にいるやつが大体偉い奴なんだ。
彼らもまた奇抜で、巨大人形のつけている鎧に似ているが、少し軽装になっているものを着込んでいた。仮装にしては気合いが入っているが、どうも物々しい。携えている武器だって、素人のミケから見ても安っぽさはない。
あいつらは村の人間ではない。ハチグモの背中から発せられる、見ているだけでぴりぴりとした感覚で直観した。明確な敵意。相手の一挙手一投足に警戒し、行動全てが威嚇を意味する。姿勢を低くし、耳を下げて怒る猫を思い出させるハチグモから不穏な空気を感じたミケは、物陰に隠れて様子を伺うことにした。
「ん~ごきげんようハチグモさん。一ヶ月ぶりですねえ」
耳にまとわりついてくる、粘り気のある声だ。こういう声を出す奴は、大体他人を馬鹿にしている。
「何のようだ」
ミケの直観はあっていた。ハチグモの声にはとても大きなトゲが含まれていて、それを相手に飛ばしているようだった。
「ここにはもう用はないだろう。お前達は好きなだけ、好きなことをした。遊び尽くしてなおかつ、玩具を破壊までした。ここはもう飽いた子供の遊び場だ。近づく道理すらないだろう」
「ん~、確かに楽しませて貰いました。堪能させていただきました。有意義な時間でした、これほんと。おかげで研究が進んで、新しく開発した毒がすごく評価されたんですよ。見ます? 見たい? 見せたい、見せちゃう! 我慢できない!」
男が手を叩いた。布で包まれているせいで張りのない音だったが、部下の耳にはしっかりと届いていた。部下の一人が男に縦長の箱を開けて差し出した。男は中身を守るクッションの役割を担っていたであろう木くず似たものをまき散らしながら、お目当てを取り出し掲げた。
それは透明なボールのようだった。太陽の光に照らされ、うっすらと筋が見えるそれはガラス玉にも見えたが、男の指が微かに沈んでいるのを見るとある程度の弾力がありそうだ。男はボールを愛おしそうに眺めた後、野球選手が投球する時に行う溜めのポーズをした。部下達が一斉に男から距離を取る。
男はボールを地面に向かって叩きつけた。勿論十分に自分から距離を離した位置に。ボールは水風船よろしく破裂し、中に入っていた液体は地面に染みこんだ。するとどうだろう。地面から徐々に煙りが立ち始め、変色し始めた。さらに変色を始めた部分がドロドロになり、ヘドロに近い姿になる。風に運ばれて、ミケの鼻に異臭が入ってきた。
まさか、地面が腐っている?
「どうです! 土を殺すことができる毒! 生物を殺す、空気を汚す、水を濁らせる、鉄を腐食させる。これらを人為的に、かつ超即効性に効き目がある毒を作ってきましたが、私の研究の成果はついにここまで来ました。これもすべて、この村の皆さんのおかげです。これほんと」
水風船を破裂させたような跡、腐らせる。この二つでミケの答えを導き出した。
門や柵に空いた穴は、きっとあの男のせいだ。あの液体、男曰く毒なら木製の防護柵くらい簡単に穴を開けることができるはずだ。溶かしたのではなく、腐らせた。しかも男がやってのけた方法。答え合わせにしては出来すぎている。
「ん~、このまま成果を上げ続ければ、この私ポイノムが『毒の魔法使い』としての称号を与えられるのは、そう遠くない未来。んふふふ」
「魔法使い?」
ミケが反応した言葉、それは昨夜クロに言われたものだった。
「あいつも俺と似たことができるのかな」
冗談半分、本気半分だった。
毒というのは詳しくは知らない。摂取したら危ない、触れても危険。その程度の認識だ。ただ、未知だからこそ、神秘は生まれる。ミケにとって毒はある種の神秘だ。あの男、ポイノムの言うとおり自身で自在に作り出すことができれば、確かに魔法なのかも。
「違う」
クロは強く否定した。
「あの程度の男に、貴方と近しいこともできやしないわ。彼は努力ができるのかもしれないけど、才能はないでしょう。魔法は贈り物、才能なんだから」
「なんだよ、その言い方じゃあ魔法は本当にあるみたいじゃないか」
魔法とは架空の力。ミケはそう、皆から教えられた。
クロは返事せず、一度ミケを見た後、視線をハチグモ達の方へ戻した。
「それはめでたいな。それで、もう一度聞こうか。未来の魔法使いがなんの用だというのだ。こんなところで油を売ってていいのか?」
「いえいえ。それがですね。嬉しいこと、大変喜ばしいことなんですがね。この度、私にも研究施設が与えられることになりましてね」
「ほう。それは良かった、おめでとう。場所はどこだ。花を贈ってやろう」
「ここです」
ゆらゆらと揺らしながら、ハチグモの立つ地を指さした。ミケから見ても、挑発しているのは明らかだった。
「あ、お花は結構です。既に沢山、備えているでしょうしね」
きっとここがミケが暮らす街であったのなら、この距離では騒がしくて会話が聞こえなかっただろう。運悪くここはとても静かだ。耳を済ませば、十分内容を知ることができる。
血が頭に昇り、沸騰した。あの男はこの村で何が起こったのかを知っている。それは犯人だからだ。探偵の真似事をして推理をする必要なんてない。状況証拠と証言だけで全てを察することができた。
「いやはや。首都から少し遠いのが難点ですが、ここは私も思い入れがありますからねえ。感慨深い、実に。住人の方には沢山協力して貰いました。実に有意義でしたよ。貴方が邪魔してくれなければもっと色々試せたのですが」
「許可は出ているのか。私はそんな話を聞いていないが」
「ここに」
部下の一人が丸めた紙を取り出し、広げて見せた。
「今時わざわざ紙か」
「お話を聞いていないとおっしゃいましたが、当然のことです。貴方はとっくに死んでいますので」
村人にしたことと、ハチグモへの暴言。ミケの怒りはいつ爆発してもおかしくはなかったが、強くブレーキがかかっていた。背中しか見えないハチグモからの圧のせいだった。彼がミケに気がついているかは定かではないが、これ以上の他者への介入を許さない雰囲気があった。言葉にせずとも、ハチグモとポイノム間の因縁の深さを伺わせた。
「ほう、お前さんは死人と話していると」
「ええ、これからそうなっていただきますので変わらないかと。遅いか早いかの問題。お年寄りですからね、時間の問題でしょう。残念ながら私の研究所じゃ必要ないですから。口うるさく頭の堅いお年寄りなんて」
「出来るのか。一度失敗したくせに。逃げ帰ったくせに」
「あれは痛み分けでしょう。いや、失ったものはそちらの方が多い。古い魔法使いは家族同然の人すら守れない」
ポイノムが空を仰ぎながら笑った。部下も一緒になって笑う。
あまりの不快さに、ミケのブレーキも壊れた。自然とポケットのライターに手が伸びる。火をつけて脅かしてやろうと思った。急に火の手が上がれば、突然のことに奴らも驚くだろう。余裕も失せて、慌てふためけばあの高い鼻っ柱にケチをつけれるはず。その程度にしか考えていなかった。
だがブレーキが壊れたのはミケだけではなかった。
乱暴に空気を裂く音と共に、ポイノムの目の前の地面が抉れた。深く長くそして広く、地面に傷をつけたのは巨人の持つランスであった。
ミケの中で渦巻いていた怒りは、目の前で起きた出来事によってかき消された。信じられないが村の門に立っていた巨大な人形が動き出したのだ。始動の瞬間は素早く、目で捉えられないほどであったが、ポイノムの前まで自力で移動していたのと、土がついたランスを見てしまうと確かに動いたのだと疑いを捨てるしかなかった。
先ほどまで不安など何も無いと余裕ぶっていた部下達がどよめいていた。
「
巨人騎士はランスを構えた。切っ先はポイノムに向けられている。
「何故外したのですか?」
部下達とは対照的に冷静に言った。
「辛抱できなくなって手を出してしまったが、どうせまた仕込んでいるんだろ。迂闊に手は出さないさ」
「勿体ない。試さずにチャンスを見捨てるなど。お前達」
振り向かずに部下達に声をかける。
「お前達は戦闘目的ではなく、労働力として連れてきたのです。自衛くらいできる格好をさせてますが、ハチグモさんとの戦闘では役に立ちません。死にたくなかったら隠れていなさい」
その言葉を待っていました。部下達はちりぢりになって逃げていった。今すぐ逃げなくては潰されてしまう、その様はどこか間抜けだったが、人形に釘付けになっていたミケに笑うことなどできなかった。
「お、おいクロ。あれどいうことだ、人形が動いているぞ。いや動かせる人形があるのは知ってる、でもあんなにデカいんだ。どうやって動いているんだよ!?」
「百聞は一見にしかず」
「は?」
「見たほうが早い。昨日教えたでしょ」
ハチグモがポイノムと距離を取るために後方へ跳んだのと、人形、ドン・キホーテが行動するのは同時だった。
ドン・キホーテは高く跳躍して、林に身を隠した。あの巨体がすっぽり隠してしまう木々の高さに驚いたが、直後の先端が鋭利に削られた杭が飛び出してきたのもぎょっとした。ドン・キホーテが着地した辺りから飛ばされたのだから、あの人形が投擲したのだろうか。
杭の正確な大きさは把握できなかった。ドン・キホーテの身長と同じくらいかもしれない。杭はポイノムへと飛んでいく。このままでは直撃して、自分が村の柵にしたように体に穴が空くことになる。それどころか人間の体では耐えきれず、四散してしまうかも。あいつは見るからに嫌な奴だけど、目の前でバラバラになってしまったら気分が悪いな。間の抜けたことを考えてしまったが、幸か不幸かそうはならなかった。
ポイノムの膨らんだ服がいきなり萎み水が出てきて、彼の周りにドームが形成された。ポイノムめがけて放たれた杭は水に触れると、鉛筆削り入れられた鉛筆のような末路をたどった。触れた先端から腐り、バラバラになっている。取り込まれた欠片が水に混じり汚れていた。どうやらあれも奴の言うところの毒らしい。
杭が完全に形を失った後、四方八方から数十本の杭が続いて現れた。空気の裂く音からして、その威力の高さが窺えるが、当たらなければ意味がない。結果は同じだった。
毒水のドームが木くずに汚れ前も見えなくなると、巨体が太陽を遮った。
再び高く跳んだドン・キホーテの両手にはランスと盾ではなく、大岩が握られていた。位置はポイノムの真上。このまま押しつぶすつもりでいた。
「岩だ!」
部下の何人かが叫んだ。すると示し合わせていたのか、文字通り水風船を取り出し、五個ほど上空のドン・キホーテに向かって投げた。
ポイノムに狙いを向けていたが、水風船の危険性は先ほど知らされているので無視できない。持っていた岩を、飛んでくる水風船に投げつけた。岩に触れた水風船はその部分を溶かし、五個全てに接触すると形は残らなかった。液状化した岩だったものは地面に落ちるとしぶきが辺りに散り、部下の一人がそれを少しだけ浴びてしまった。
しぶきには勿論毒の効力が残っている。不幸中の幸いか、浴びた部分は腕の鎧だった。軽装の鎧なので取り外しも比較的に簡単にできるらしく、部下は悲鳴を上げながら鎧を外して投げ捨てた。鎧は煙を出しながら溶けて、地面に染みを残した。
ドン・キホーテがランスと盾を手に、ハチグモの隣に降り立った。
気がつけば水のドームは木くず一つ残さずに溶かしていた。視界良好。奴の小馬鹿にした表情がよく見えた。
「その人形が貴方が操れる限界の重量でしたよね。だから空中では無茶な動きもできない。重い物を持っていれば尚更」
「ご解説どうも。お前を守っているそのお得意の融解毒は、岩の類いはどうにもできないらしいな」
「だからこその新作です。だけど目潰しは焦りました、いやほんと」
ぶかぶかになった服のせいで動きづらそうなポイノムは肩を落とした。
「ほんとなら新作、あ、まだ名前を決めていないのであしからず。新作を纏たいのですが、これ強力すぎて、毒と私の間にある水も汚染しちゃって危ないんですよ。改良の余地あり、ですね」
「改良よりも腕を磨いた方がいいんじゃないか。わざわざ部下にあんなことさせるということは、操れる水は防御で手一杯なのではないか?」
ミケは目の前で起こったことが未だに理解できないでいた。
動く人形ならまだ分かる。あそこまでの運動性はなかったし大きくなかったが、街のおもちゃ屋にも動く人形が展示されていた。
だがドン・キホーテの動きはまるで人間そのものみたいに滑らかだった。
水だって、手の込んだ噴水ならドーム状にだってなるかもしれない。しかしポイノムの足下はただの地面。噴水になる機械が埋まっているとは思えない。
「なあクロ。今は、何が起こっているんだ。あの水とか、人形とか。一体どうなっているんだ」
「人形はハチグモの自作だから何でできているかは分からないわ。ポイノムとかいうのは話を聞く限り、木材程度なら瞬時に腐らせる毒を水で包んでいるようね。水の壁を作って自分は触れても大丈夫にしている。服に隠しているのは、不意打ち対策かしら。恨みを買ってそうだしね、あの男」
「そんなことじゃなくて。そもそもなんであんなでかい人形が動いてんだよ。水もそうだ。皆当たり前って顔してるけど。なんも当たり前じゃない。見たら分かるって言ってたけど、なんもわかんねえよ」
「貴方の常識は知らないけど、あれがこの世界の常識なの」
「常識?」
「ええ、魔法っていうね。それとあの男のは魔術ね」
結局、聞いても分からなかった。
「もうなんでもいい。ハチグモさんは勝てるのか」
二人の戦闘は続いていた。
見たら分かるがドン・キホーテのメインとなる武器はランスだ。ドン・キホーテ自身の腕の長さも相まってかなりのリーチがあり、地面をえぐって見せたのだから威力もある。もし好きなように振るうことができれば決着に時間はかからない。
しかしポイノムとは相性が悪い。奴の毒は溶かすのを得意にしている。それを防御と攻撃として使っているので、ハチグモは決めてに欠けていた。
部下がポイノムに向かって水風船を投げると、近くで静止して規則正しく動き始めた。変わりに毒水のドームは半分ほど服の中に戻っていった。水風船が列を作って流動している。
ハチグモも様々な手で攻撃をしていた。杭や岩を使うのは勿論、ランスで地面をえぐり土を散弾銃の如く飛礫として弾き飛ばした。
けれど効果は薄い。流動していた水風船を射出して威力のある大きな石を溶かし、威力の弱い小さな石は毒水のドームが受けた。
水風船は彼らを直接狙うこともあった。ハチグモ本体への攻撃は、ドン・キホーテが何かで潰したり、ハチグモを抱えて回避したりしていた。
水風船はいつかはなくなるだろう。だが、消費した直後に補充されていくので減っている実感はない。どれほどの量を持ってきたというのだ。お前達の荷物は全部水風船なのかと聞きたくなった。
「じり貧ね」
「大丈夫だよな。負けたりしないよな」
「さあね」
大して興味はないと言わんばかりに言った。
「なんだよその言い方。あんなのに負けたらハチグモさん、きっと……」
彼らが戦った跡を見る。溶かされ、汚染されたものばかりだった。もし何かの間違いで、もし不運に見舞われてしまってあんなのを浴びてしまったら。
「殺されるわねえ。相手もそのつもりなんだから」
「そんな呑気な。お前も、ハチグモさんの知り合いなんだろ」
「だから?」
「だからって」
「知り合いでしょ。ただの知り合い。私の愛した人ならいざ知らず、ハチグモはどこまでいってもただの知り合い。そんな相手に不幸が起きようと、ちょっと寂しいなぐらい。いちいち反応してられないわよ。人生長いんだから」
なんて奴だ。
まだクロとは付き合いは短いが、ここまでひねくれているとは思わなかった。文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、止めた。言ってものらりくらりと躱され、時間を無駄にするだけだ。
俺がなんとかしなくちゃ。なぜか、そんな使命感に似た衝動に駆られた。
目の前で起こっている超常的な出来事がなんだ。俺にだって不思議なことが出来るんだ。
同じ土俵には立っている。ならあとは勇気を持って、加勢するなり好きにしたらいい。
ミケは手汗で濡れた手のひらでライターの存在を確かめた。
「言っておくけど」
クロの目は、ミケのやろうとしていることを見透かしているようだった。
「ちょっかいをだすつもりなら、それなりの覚悟をしたほうがいいわよ」
言われなくても分かっている。
ここでハチグモに加勢をしたら、自分の存在をポイノムに伝えることにもなる。そうなれば、あの毒の驚異に晒されるだろう。
恐ろしくないと言えば嘘になるが、ミケは勇気を奮い立たせた。もしこのまま何もせず、最悪の結果になってしまえば後悔するではすまない重りがのしかかることになる。
複雑に考えるな。シンプルに行こう。八雲を助けたいと思うように、ハチグモを助けたいと思うのだ。
八雲とハチグモ。育ての親に顔が似ている老人を見捨てることなど、ミケにはできなかった。
「問題に関わるということは、終わるまで関わり続けるということ。関わることは簡単、でもね途中抜けは許されないの。貴方の気が変わっても、終着点が気に食わなくても、真の終わりまで解放されることはない」
クロの言葉は耳を左から右へ通り抜けていった。集中し始めていたのと、付き合う余裕
がなくなったからだ。
「う……」
ハチグモが口元を押さえがらよろめいた。
「うんうん。ようやく効いてきましたか」
ポイノムが言った。
「ただ溶かしたいだけなら酸を使えばいい。だけど私は毒を使いたい。毒とは体を冒すもの。ここは私の毒で溢れている。どこもかしこも、毒が気体になり漂っている」
派手に溶かすのは一種の陽動だった。丁寧に毒だと教えていても、相手は溶解ばかりに気を取られる。触れなければ大丈夫だと、必死になって動き回る。動けば酸素が必要になる。毒に汚染された酸素を、胸いっぱいに吸うのだ。毒素は体を駆け巡り確実なダメージを与える。
ハチグモは人形遣い。戦闘といえど派手に動き回る機会は普通の戦士に比べれば少ない。毒の回りは遅いが、攻めあぐねていたせいで時間がたってしまった。
初期症状の吐き気に襲われる。集中の糸を激しく揺さぶってくる。巨体だが機敏な動きをしていたドン・キホーテにも露骨に影響が出始めていた。時たま動きが鈍くなり、水風船の回避も危なっかしい場面があった。
追い詰められ、苦しむハチグモは八雲と重なった。
ミケはライターを取り出した。昨晩したように、火の玉を作り出す。
相手は水を纏っている為に火は効かない。でも気を引くことはできるはず。いきなり火の玉が飛んできたら、反射的に意識はハチグモからそれるはずだ。
それからどうなるかなんて分からないが、何もしないよりはましだろう。短絡的だが、ハチグモを助けたいと思うとじっとしてられなかった。
隙を見つけ、火の玉を放ち、ポイノムの目の前で破裂させた。
「!」
狙い通りだった。突如現れ、大きく膨れて弾けた火にポイノムはのけぞった。
チャンスだ。
しかし隙ができて好機なのに、ハチグモはドン・キホーテのランスを下げ、火の発生源を見ていた。彼だけではなく、ポイノムや部下達もだ。倒すべき相手のことよりも、戦いよりも火が出現したことに驚き、困惑しているようだった。
火を放ってすぐに身を隠したミケは、戦闘の気配が止んだことに気づいた。嫌な静けさを感じた。様子を伺いたかったが、なんだか視線が集まっている気がして顔すら出すこともできなかった。
ポイノムが無言で水風船を射出した。
「危ない!」
ハチグモが叫ぶ。音も無く飛んでくる水風船を見ずに回避することは難しいが、ハチグモの警告のおかげで、ミケとクロはその場から離れた。
二人が隠れていた瓦礫が溶かされ、姿が露わになった。視線が痛いほどミケに刺さる。
「今の火は、貴方ですか」
ポイノムが問いかけてきた。
「まあ、そうですよね。私、火がどこから飛んできたのかばっちり見ていましたから。そこに貴方がいるだけで、それはもう答え合わせができていますよね」
浅く、ため息を吐いた。
「貴方がなんのなのかは興味がありません。村の関係者だろうが、旅人だろうが。興味がないから巻き込んで死なないかぎり、私は貴方を殺すことは無かったでしょう」
しかし、とポイノムは感情を失った顔で、
「火は大罪だ」
と言った。
ミケは奴の敵意がハチグモから自分に移ったのを肌で感じた。
何を思ったのかライターを構えた。喧嘩に慣れているわけではないが、条件反射が働いたのか立ち向かおうとした。
二人の間に、詳しく言うとミケの側だが、ハチグモがドン・キホーテと共に割って入った。
「なんのつもりです?」
「見て分からないか」
「庇うつもりですか。貴方分かっていますか。火の魔術は禁忌です。使えば問答網用で処罰の対象。ありえないが彼がもし火の系統の魔法使いなら即刻処刑しなければいけない。常識ですよ。空は青いなんてくらいの常識です。それなのに、庇うと? え、もしかして彼は貴方の家族か何か。もしかして孫? ハチグモさん、貴方、結婚してましたっけ。私の記憶じゃしてませんよね」
「彼は客人だ」
「へえ。それで」
「この村の最後の客人。彼とは約束をしている。私はまだ、その約束を果たしていない」
「……それだけですか? それだけで、庇うと」
ハチグモは答える代わりに、口角を上げた。
「愚かな」
沢山の水風船が舞った。狙いは勿論ミケ達だ。
ポイノムは確実に仕留めるつもりなのか、手持ちの水風船を全て使ってきた。回避できるか、それとも防御したほうがいいのか。土すら犯す毒を防御する術はあるのか。
水は火に強いが、熱ならば水に対抗することができる。熱せられた水は熱湯に変わり、水蒸気に形態変化することを教わったことがある。毒も熱は弱いかは分からないが、ミケは試そうとした。目一杯大きな火の塊を作れば、あの毒も蒸発させることが出来るのではないか。
試そうとするとハチグモが、
「仕方ないか」
と呟いた。
ハチグモが大きく手を振るう。
すると、間もなくして陽を何かが遮った。一つ一つは小さいが数が多く、物量にものをいわせて壁を作る。
それはハチグモが作った、村人の人形達だった。
まるで意思があるように折り重なった人形達は盾となり、水風船からハチグモ達を守った。だがミケは気づいている。未だ、頭の片隅で信じられないが、ハチグモが人形を操れることを。つまり、あの村人達の人形はハチグモの指示で盾になってくれていることを。
壁の前面に位置している人形が音を立てながら、ぐずぐずに溶ける音が聞こえる。
「やめろ、止めろってハチグモさん! 人形が溶けてる!」
止めさせるために掴みかかろうとすると、逆に自分が掴まれた。
ドン・キホーテだ。ランスと盾を背中に背負って、両手にハチグモとミケを抱えながら、すさまじい速度で疾走している。あの場からどんどん離れているのは分かった。
ハチグモは人形を回収しなかった。水風船から生き残った人形を、今度は目くらましにするために、ポイノムの視界を遮るために動かし続けた。それは溶けて動けなくなるか、ハチグモの力が届かなくなる距離まで離れるまで続いた。
風圧で呼吸がしづらく、目も開けてられない。息苦しさの中で、自分たちを逃がすために犠牲になった人形に溶ける音が、ミケの耳から離れなかった。
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