第5話

 歩き続けていると、高く木で組まれた柵の壁が見えてきた。道が繋がる場所には門らしきものもある。

「なんだあれ」

「あれは外部からの敵への対策。進行、侵入を妨害する壁。豊かな村じゃないから、近場に沢山生えている木材しか用意できなかったようだけど、この村の長の力で立派な防護柵を作れたの」

「いや、それもだけどそうじゃなくて、なんか様子が変じゃないか?」

 初めて見るものへの好奇心の感想は確かにあった。だが近づく度に防護柵に異変が起きているのに気づいた。

 外部の敵から内部を守るというのなら、何故柵のいたるところに人一人通れるくらいの穴が空いているのだ。本来は隙間無く結束されていたのだろう、そのおかげで一部に穴が開いていても崩壊することはなかったが、これでは防衛はできない。ミケも柵をよじ登って越えたことはあったが、そんな苦労をする必要はない。穴が開いているのだから、ただ歩いて通過すればいい。これでは立派な柵もあってないようなものだ。

 気になったミケは走り寄ってまじまじと穴を観察してみた。穴の縁を触ると、ぽろぽろと木材が崩れた。どうやらこの穴は、破壊されてできたわけではないようだ。

「なあこの柵ってできて長いのか? 木が腐ってる」

 自分で言いながら疑問が湧いた。木が腐って、こんな穴の開き方をするのか。自然となるには形が整い過ぎている。見た目が綺麗な部分と、腐食したギリギリを叩いてみた。締まった感触がする。どうやら他の部分はぴんぴんしているらしい。腐り始めた部分めがけ人間が穴を広げていったのか。それは時間がかかりすぎるし、この形状なら腐らせながら作業しなければ説明がつかない。人間の仕業にしてはどこかおかしい。

 少し離れて穴の全体を見る。するとあることに気づいた。まるで液体かなにかをかけて、そこから腐ったような。穴の開き方が、水を詰めた風船を壁にぶつけ破裂させた時と似ている。

「作られてから人間一人の一生も経過してないわよ。作ったのは今の代の長だもの」

「じゃあやっぱりこれは」

「結構鋭いわね。そう、人為的に開けられた穴よ。しかも短時間で」

「どうやって? 薬かなにかか」

「正解といえば正解かしら」

「こんだけの木を時間をかけずに腐らせるとか、売れば大儲けだな」

 柵につけられた門もまた、同じく腐っていた。ただ他と違い、一つの穴というよりは複数の穴が重なり合い、ぼこぼことした歪な形をしている。他のは大人がギリギリ通れるか、屈めばやっと通れるくらいだったのに、門の穴は二メートルを超える大男だって余裕で通過できそうだ。ただ『あれ』は通れなさそうだが。

「ここって本当に人居るの? 人住んでんの?」

 門に空いた穴から中の様子を伺う。その様はさながら廃村。過去に今にも崩れそうな空き家をみたことがあったが、あれに似た建物ばかりだった。柵などと同じように穴が空いているのは良い方で、半壊しているものも多い。もう人を住まわせる役目を果たすのは難しいのは一目で分かった。ただ、柵とは違うのは損傷の仕方だ。柵は腐られていたが、家は純粋な暴力で破壊されているように見える。どちらにせよ時間帯のせいで薄暗く、全体的に不気味な雰囲気が漂っていた。普段なら、特に一人の時は近づきたくない空気感だ。

「村だったところって言ったじゃない」

「それってつまり人はいないってこと?」

「大丈夫。少なくても一人はいるわ」

 クロは平気そうに門を潜った。ただミケはついて行くことが出来なかった。クロの背中と、門の『側に立っているモノ』を交互に見る。

「どうしたの。怖いの?」

「怖いっというか、不気味なんだよ。ここ、入ったら呪われないか……めっちゃ見られてる気がするんだけど」

 ミケは門の側に立っている、巨大な『人形』を指さした。今までずっと視界に入っていて、触れないようにしていたが、我慢の限界だった。

 そこまで身長が小さくないミケでも見上げなくてはいけないのだから、三メートルは超えているのではないか。おとぎ話に出てくる騎士が身につけているような甲冑を着込み、門の前に立つミケを見下ろしていた。バイクヘルメットにも似た兜は前が開かれており、デフォルメされた顔が見えた。二本の髭を生やして口の端をつり上げて笑っており、自信に満ちあふれた表情は勇ましくもとっつきやすさがあった。しかし廃村と時間帯が、門番の人形にも不気味さを纏わせていた。クロは大丈夫だったが、もしかしたら自分が一歩村に踏み込んだら右手に持っている騎槍(ランス)に貫かれるのではないか。もしくは左手にある円形状の盾で潰しにかかってくるんじゃないか。そんな妄想をしてしまった。

 ただのデカい人形と笑い飛ばせれば良かったのだが、ミケはこの人形が動くと思えてしかたがなかった。歴戦の勇士は何かがあれば弱者のために槍を振るう。自分の愛すべき故郷を穢されれば黙っていない。そんな迫力を確かに感じた。

 動かないか不安で警戒していると、この巨大な門番も所々パーツが古かったり、新しくなっている部分があるのが分かった。最近にでも、大きく修復されたのだろうか。

「大丈夫よ。その人形は――」

「呪うなんて大それたことはできないさ。力仕事は得意だがね」

 クロの声を何者かが遮った。その声にミケは聞き覚えがあった。

 二人の声を聞きつけたのか、奥の方から老人が歩いてきた。顔は皺だらけで、どうしても老いを感じてしまうが背筋を伸ばし、しっかりとした足取りで近づいてくる。サンタクロースのような髭のおかげか、どことなく迫力がある。

 その顔はミケがよく知る、八雲とそっくりだった。

「八雲さん!」

 再会の喜びに感情が沸き立ち、蘇る記憶が体を急かした。

 ミケの記憶の最後に居る八雲は、世の中が全て自分の娯楽と思っている若者にいたぶられていた。何故そんな大事なことを忘れて呑気に猫とおしゃべりしていたのか、自分が信じられない。

 弾かれたように八雲に駆け寄る。記憶に残る怪我をしていた場所、触れば痛みを訴えた場所をべたべたと触った。

「お、おい。どうしたんだ」

 八雲に似た男は抵抗はしなかったが、声には困惑の感情が混じっていた。

「だって八雲さん、さっきあんなに怪我してたじゃないか! ……大丈夫なの?」

「少なくとも今日は怪我をした記憶はないのだが」

 男の言うとおり、顔に痣も無ければ痛がる様子もない。なんなら最後にあった時よりも元気そうだ。

「どうやら君は私を誰かと勘違いしているようだ。私は八雲じゃない、ハチグモというんだよ」

 興奮するミケをなだめるように言った。

 そんな馬鹿な、こんなにそっくりなのに。ハチグモと名乗った男の言葉が信じられなかた。否定するための言葉を探していると、ハチグモの目が気になった。その目は、いつも自分を見ていてくれた目ではない。見知らぬ者が言い寄ってきて驚いている目だ。長年一緒に居た人間がしてくるわけがない。

「本当に違う人……なのか?」

「残念ながら」

 クロとした現実と夢の話を思い出した。やはり今が夢なのだろうか。襲われて怪我をしたハチグモのことを思い、何故か眠ってしまった自分が、怪我のしていない八雲を夢で創造したのか。ならば何故八雲ではなく、ハチグモと名乗るような人物にしたのか。何故見知らぬ土地と喋る黒猫を用意したのか。夢だからといってしまえば、大体のおかしな部分は説明できてしまうので、些細な疑問は無視して納得してしまいそうだ。

 しかし、ここまでくるまでの疲労感、腐った木の感触、食道を逆流する胃液の気持ち悪さ、この体感した全てを夢だと吐き捨てるのには抵抗があった。夢でもぶん殴られれば痛い、だが限度がある。夢だと処理しそうな脳が、体験と現在手のひらに感じるハチグモの衣服の感触にリアリティを感じてしまっていた。じゃあここはどこなんだ。なぜこんなとこにいる。空気、建物の質感、喋る猫、全てが違う。俺の現実であるべき街は、仲間はどこにある?

 今は現実と夢、一体どっちなんだ。

「おい、大丈夫か」

「…………ああ」

 混乱しながらも、なんとか声を絞り出した。

「見ての通りよ。彼、体調が悪そうなの。この村で休ませてもらっていいかしら」

「ああ、構わんよ。この村は客人は歓迎する」

 深く事情を聞こうとせず、ハチグモは彼らを村に招き入れた。

 ハチグモに肩を借りながら村の中を進む。ミケが外から見た被害は、勿論内部にも及んでいた。走れば数分で端から端を行き来できる程度の大きさではない、立っている建物も人口も決して少ないわけではない村は、丁寧に破壊されていた。目に見える建物は多かれ少なかれ破壊の痕跡を残され、住民が作ったであろう畑も踏み荒らされていた。

 もはや村としての昨日を失っているこの場所にも、かつては人が住んでいたのは間違いない。住民はどうしたのだろう。何者かが行った蹂躙から逃れたのか、それとも。答えは聞かずとも、すぐに分かった。

 村の中心の辺りに、数え切れない数の細長い板が地面に刺さっていた。その意味を、ミケは教わったことがあった。

 昔の話だ。ホームレスの仲間に松山という男がいた。松山は犬を飼っていて、たいそう可愛がっていた。自分が食べるのに苦労しても、その犬の食事を抜くことはないほどに。犬は捨て犬だったがとても人懐っこく、賢く、誰からも愛され、愛していた。松山と犬の絆が結ばれたエピソードはあまり聞いたことがなかった(松山がお涙頂戴の安売りをしなかった)が、彼らの最後ならミケも覚えていた。特別なことではない、よくある不慮の事故だ。犬がトラックに轢かれて死んだ、それだけ。子供だか年寄りだかを助けようとした話を聞いたが、ホームレス仲間達は見ず知らずの人間の身よりも、自分達の仲間を失ったことを悲しんだ。ミケも涙は出なかったが、胸がぎゅうっと痛んだ。直接世話をしていなかった自分でもこれほど心が揺さぶられるんだ、一番仲が良かった松山の心中を理解できるなんて傲ることはできないが、想像は難しくなかった。実際、声にならないほど辛かったのだろう。翌日、松本は死んでいた。低い天井の住処で首を吊るなんて、器用な死に方をして。

 トラックに轢かれたわりには形を残していた犬はホームレス達に回収され、公園の目立たない場所に埋められた。公園では生き物の死体を埋めるのは禁止されていたので、隠さなければいけないのだ。世間では命を救った犬として賞賛されているので、なんで隠して弔わなければいけないのかとミケは納得しなかったが、仲間を見ず知らずの人間に渡すよりマシだと説得された。深く掘られた穴に犬を納め、土を被せて名前を書いたささやかな板を刺した。これは墓の代わりだと聞かされた。ここに誰が眠っているのか知らせるための印だと、教えてくれた。犬の墓の隣には松山の墓も立った。その下には何も埋まっていない、仮初めの墓だが。人間死体は犬よりも色々と厄介だ。仲間の言い方はよくある、どうしようもない諦めが混じっており、ミケはもどかしい思いをした。それでもやはり何も入っていないのは寂しいと、仲間の一人が穴に金を投げ入れ犬にも供えた。あの世のこの世と同じで金がある奴が有利なんだと教えてくれた。何にも無いよりマシなはず。せめてこの世よりは、まともで幸せな生活を二人で送ってくれと、皆で願った。

 あれは墓だ。たぶん、この村の住人の。二つならんだ慎ましい墓とは話が違う、凄まじく主張をしてくる命の残滓達。板には名前らしき字が書かれていたが読めなかった。ミケはひらがなしか読めない。けれど、あの字は漢字にもカタカナにも見えない。どんな字なのかをじっくりと見る勇気は無かった。あの無数に思える数の板の下に、それと同じくらいのかず生物だったものが横たわっているんだと思うと、とても直視していらなかった。

 この村で何が起こったのか。まったく興味がないと言えば嘘になる。だが、確実に悲惨なことが起こり、その生き残りであるハチグモに直接喋らせることなんてミケにはできなかった。知ることがこんなにも恐ろしくて、聞くこともこんなにも恐ろしいなんて、生まれて初めてだ。

 確実に何かが起こった場所で、心から頼れる者の居ない状況はミケを不安にさせた。頭には住み慣れた公園と仲間達のことしかなく、ただひたすら自分の居場所を渇望した。


 ミケ達が案内されたのは、比較的形を残した建物だった。壁に穴こそ空いているがあまり大きくなく、布で塞がれている。

「すまないが食料はないんだ。後で用意しよう」

「いいよ、食欲ないから。ありがとう」

「中の物は好きに使ってくれて構わない。ゆっくりしていってくれ。君たちは久しぶりの客人だ」

 ミケをベッドに寝かせ、自分はどの辺りに住んでいるのかを伝えてハチグモは出て行った。

 ベッドはいい作りの物ではなかったが、ミケにとっては経験したことのない寝心地だった。こんなにも体にフィットし、柔らかい寝具があるなんて。いつも通りならたいそう喜んだに違いないが、今の気分では厳しい。

 枕の隣にクロが座った。

「なあ、今は夢なのか、それとも現実?」

「またその質問?」

「もし夢なら、どうすれば起きられるかな」

 会話の繋がりなど気にせず、自分が吐き出したいことだけを垂れ流し続けた。

「俺が住んでいた街に帰りたいんだ。ここは俺が居た場所じゃない。なんとなく分かるんだ。だけど分かることはそれだけ。どうしてか分かんないけど、すごく遠くに来てしまったんだよ、きっと。そんなの訳分かんないし、帰り方なんて分かんない。なら夢であってほしいとかしか思えなくなるじゃん。夢だったら目が覚めればいつもの寝床に居るはずなんだよ。簡単なことなんだ。……それに八雲さんが怪我をしてるんだ。心配なんだ。早く帰りたい、早く起きたいんだ……」

 情けなくなるほど、悲痛な声になっていた。もしかしたら泣きかけていたかもしれない。涙が出そうになるほどの不安に、ミケは押しつぶされそうになっていた。

「さっきも名前を言ってたけど、八雲さんって? 大切な人かしら?」

 クロが顔をのぞき込んできた。

「ああ。父さんなんだ。俺を育ててくれた」

「そう」

 自分から聞いてきたくせに、クロは興味が無さそうな態度を取った。ミケの顔を尻尾で軽く撫でるように当ててから、その場で丸くなる。

「夢から起きる方法なんて人それぞれ。やり方も千差万別。念じれば起きれる場合もあれば、夢の中で自分をつねれば起きる場合もある。後は……そうね、夢の中で死ぬか、殺されるか」

「…………」

「あはは、やあね冗談よ。怖い顔しないで。貴方が目の前で自殺なんて嫌よ、私。勿論殺されるのもね」

 クロの甲高い笑い声が部屋に響く。耳元で大きな声を出されて、ミケは顔をしかめた。

「あまりあてにされても困るけど、一度眠ってみればどうかしら。眠りが夢への入り口ならば、夢の中では眠りが現実への入り口になるかもね」

 なるほどなと思い、すぐに目を瞑った。やれることなど限られている、少しでも可能性があるのなら、なんでも試すしかなかった。

 眠ろうと意識しすぎると眠れなくなることがたまにあった。明日はやらなくてはいけないことがあるのだから早く寝なくてはと、自分に言い聞かせればプレッシャーになり、意思とは逆に目が冴えてきてしまう。だがありがたいことに、今回はすんなりと眠れることができた。疲れのおかげか、それとも寝床か、はたまたそれだけ彼が逃げ出したかったからなのか。

「貴方は今が夢であって欲しいのだろうけど、私は――」

 意識が落ちる前にクロが何かを言っていたが、示し合わせたように意識が眠りに落ちる直前だったので全ては聞き取れなかった。もしかしたら聞かせるつもりなどはなかったのかもしれない。

 

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