第15話
ハチグモは海を目指すと言った。
この世界は五つの大陸から成っている。今ミケ達が居る、首都が存在し最も規模も影響力も大きい中央大陸、あとは水の大陸、風の大陸、土の大陸、火の大陸と分かれている。それぞれ正式名称があるのだが、大抵は覚えやすいこっちの呼び方をするそうだ。中央大陸にはこの世界を治めている王がいて、他の大陸は大領主が統治している。
水だとか土だとかいう呼び名がついたのは、大領主をしているのが属性の名を冠する魔法使い達だからだ。大領主になるには魔法だけではなく、人柄や実力も必要になってくる。ただ一度なってしまえば、いくらでも隠しようはあるだとか。
海を目指すのは船を使って大陸を渡るためだ。ただの船ではなく、密航船だ。
おたずね者は正規の手段を使って大陸を渡ることはできない。例の認証のせいで渡航許可無くして政府公認の船に乗れない。海は中々危険らしく、ある程度以上の武装などを施した船が必要な上、そのまま兵器になる可能性があるため政府が認可しないと作れないのだ。転移魔術でも使えればいいのだが、使うこともできないし、この大陸に居る限りあまり伝の無い人間との接触はしたくはなかった。
そこで密航船の出番だ。どんなことにも抜け道はある。上手く欺いているのか。それともわざと見逃しているのかは分からないが、お天道様を拝んで往来を歩くことが叶わない人間のための政治の穴だ。
表で活躍できないような魔法使いなどが防衛する非合法の船。純粋に戦闘力の強い者だったり、水の系統や風の系統ならば海流そのものを読んで安全なルートを判断できる者が専属で雇われている。
身分証明書も必要ないし、よほどのことが無ければ情報も漏らさない。表の商売よりも信用第一なのだ。
今から向かう密航船には知り合いがいるらしく、話が通りやすいはずだと言っていた。
「俺、海を見るのは初めてなんだ」
ミケの声はどこか楽しげだった。
「君の街には無かったのか?」
「無かった。池とかあったし、話とかテレビでは見たことあったけど、実際には見たこと無い」
「テレビ……?」
ハチグモの反応でこの世界にはテレビが無いことを察した。街の雰囲気などでそんな気はしていたのだが。
詳しいわけではないので、ルベルの水晶みたいな物だと説明した。遠くの物を映すのだから似たものだろう。説明がおぼつかなかったせいか、クロが小馬鹿にしたように笑っていた。
「なんだよ」
「別に。なんだか懐かしいなって」
「え、テレビ知ってるの? テレビあるの?」
「うーむ、私は聞いたことないが……」
「ルベルの水晶、いやガラス玉に似てるんでしょ。なら別に似てる物だってあるわよ。私はそれを言ってるの。ハチグモが知らないことを貴方が知っていたように、ハチグモが知らないことを私が知っていてもおかしくないでしょ」
ミケの場合は事情が違うような。
「ところであれガラスだったの? 水晶とかじゃないの」
「本人も含めて一言も水晶だなんて言ってなかったでしょ」
高いからな、水晶。ハチグモは呟いた。
なんだか夢を壊された気分だ。占い師といえば水晶ではないのか。いや、それこそ思い込みか。ガラス玉と同じで、誰一人ルベルを占い師と言ってはいない。ミケが勝手にそうだと思っていただけだ。
彼女の店があった街から離れて三日がたった。流石にこれほど時間が立てば彼女への怒りは収まっていた。なのに未だに頭から離れず、こうして影がちらつく。煩わしさがあるわけじゃない。むしろ別の感情があるから、ルベルを記憶のゴミ箱に捨てることができないのだ。
「あいつ、大丈夫かな」
ルベルの身が心配だった。自分たちに関わってしまったことで、危険なことに巻き込まれて無ければいいのだが。
「あいつって?」
「ルベルだよ」
「ああ、またその話? 今日起きてから、移動中の今この時までに何度この会話をしたかしら」
クロはうんざりするように言った。
気のせいか人形であるはずのドン・キホーテも頷いたように見えた。
今はハチグモ、クロ、ミケ、ドン・キホーテの順で歩いていた。さきほどまではドン・キホーテが全員を持って移動してくれていたのだが、どうも体が痛くなってくる。ハチグモが負担が少なくなるように速度や動きを制御してくれていたが、やはり人を移動させる目的の作りをしていないのでどうしようもできない部分があった。それに移動するにはハチグモが細かい指示をし続けなければいけないので、精神的に疲労が貯まるらしい。時たま顔が青くなっていることがあった。なので基本的には移動はドン・キホーテと徒歩を繰り返していた。
今歩いているのはまた森の中。木、草、茂み。いい加減見飽きたので、早く海が見たかった。
「いいだろ別に。なんだよ、やきもちでも妬いてんのか」
「焼いたのを食べ過ぎて胸焼けしてきたのよ」
クロが呆れるように、ミケはルベルの話題を何度も出していた。
「しょうがないだろ、気になるんだから」
「解決する疑問は口に出しても良いけど、解決しない疑念は飲み込みなさいよ。少なくとも今は確認する術は無いんだから」
怒りが収まったミケは、そうしなければいけないように、ルベルの今後を考えた。悩みが一つ解決したミケの脳内はシンプルになっていて、スペースががら空きになっていた。振れば音がなりそうな空間に未来への不安を置いておくと、勝手に増殖してスペースを占領しそうだから別の何かを思考する必要があった。そうして頭の中を満たしていたら、ルベルのことも考えるようになったのだ。
追われている身のミケ達は極力他人と関わらないようにしていたが、必要最低限関わってしまったのは石男とルベルだ。
ポイノムは魔法使いにちょっかいを出す。これがオブラートに包んだ表現なのはミケにも分かる。しかも確か彼女は生まれながらの魔法使いだ。もし彼女の元に訪れたことが分かってしまったらなんて、悪い想像しかできない。
「いくら心配でも大丈夫と思うしかないだろう。引き返すわけにもいかない。なに、追われたとしてもうたた寝でもしていないかぎり、彼女なら捕まることもないだろう。よほどのおおごとにされて追う人数が増えなければの話だが」
ハチグモの言葉の出所は信頼だろう。詳しくは聞いていないが、二人の交友関係は浅いものではないはずだ。
腹の底では心配しているのだろうが、昔からの知り合いは表面上冷静なのに、あまり良くない別れ方した最近の知り合いのほうがはらはらと落ち着かないのはどういうことだろうか。
そもそもどうしてここまで気にしているのか。怒りが収まったとはいえ、ほんの少しだけ会話しただけの相手を気にかける必要はあるのか。
おそらく前のままなら、考えることすらしなかっただろう。ミケの街があった状態なら、ルベルは出会った有象無象の人間の一人としか認識しなかった。しかし故郷無き今、この世界で知り合えた数少ない相手だ。
もしもう会えないのなら、このわだかまりは残ったままになる。彼女の身になにも起こってなければ、もしまた会えたなら、ちゃんと話したい。文句も勿論言ってやるが、せめてあったばかりころの笑顔で話せるようになりたい。彼女だってこの世界で、ミケを知ってくれている人なのだから。
人にばかり意識が向くのは余裕の現れだ。問題が解決、したわけではないが重荷ではなくなり、心強い人がいる状況にすっかり安心してしまっていた。
油断をしていた。
ミケの前を歩くクロが耳をぴんと立てた後、すぐに「逃げて!」と叫んでだのだが、意味が伝わらず体が反応するのが遅れた。彼女の声色と雰囲気で危険が迫っていると、判断しきれなかった。ミケは油断だが、ハチグモですら行動が遅れたのは疲れのせいだろうか。
クロは叫ぶと同時に動いた。黒い体はしなやかな線となって茂みの奥へと消えた。一体何が危ないのか、困惑する暇すら与えられずに、その正体を気づかされることになった。
足下の影が大きくなったと感じた。いや違う。雲か何かが太陽を遮ったから、光が弱くなって影が広がったんだ。太陽を隠した犯人が気になり、空を見上げる。
そこにあったのは大きな水の塊だった。枝葉に遮られ全長はどれくらいあるのか判断が難しいが、枝の隙間から見える範囲だけでも相当の大きさはある。大きく見積もっても十メートルはあるのではないか。
おそらく超常的な力で支えられている空中の水を見て、時間がたっても忘れない嫌な顔を思い出した。
あれってまさか。声に出そうとしたら、ミケの視界が逆転する。天地が逆になったかと思うと元に戻り、また逆になる。くるくると回っているのが世界ではなく自分だと気がつくころには、必死に地面にしがみついていた。着地時に受け身をとることができずぶつけた肩が痛い。
着地と言うのだから、ミケは投げられたということだ。飛んだなどではなく、雑に掴まれ放り投げられた。包み込むような大きな手の感覚が体に残っている。きっとドン・キホーテの仕業だ。何故そんなことをしたのか。理由は分かりきっている。危険が迫っていたからだ。あの水はポイノムが仕掛けた攻撃の可能性が高い。ミケを水、いや毒から守るために投げたのだ。
状況を確認するために顔を上げた。上げきる前に、地面に大量の水が落ちる音がした。大雨が降った時、屋根にしていたブルーシートに水が溜まってしまい、耐えきれなくなり塊が降りかかってきたのと同じ音だ。違いがあるとしたら、量が桁違いなので、地面に衝撃が伝わってきた。離れていても飛沫が飛んでくる。顔などに触れると焼ける痛みがしたので、ローブで肌を露出している部分を隠した。
ドン・キホーテのおかげでミケは打撲などで済んだが、肝心のハチグモはどうしたのか。
水の落下した場所からは蒸気と異臭が立ちこめていた。青々としていた葉はどこかに消え去り、どっしりと構えていた木々は変色して触れれば崩れてしまいそうになってしまった。地面に生えていた植物なども消滅してしまっている。
「ハチグモさん!」
名前を呼んでも返事は無かったが、変わりに蒸気の中から何かが勢いよく飛び出してきた。それはミケから数メートル離れた場所に派手な音を立てて落ちる。ハチグモと彼に覆い被さっているドン・キホーテだった。
クロが褒めたように、ミケは観察力が良い。それに多少離れていても問題ないくらいには視力もだ。それゆえ、ハチグモと彼の英雄の状態の悪さを短時間で把握することができた。酷い状況だ。ドン・キホーテの体は鎧のおかげで形を残しているが、隙間や装甲の薄いところがぐずぐずに溶けていた。手足もまともに形を残しているのは右腕だけになっている。武器も持っていない。露出していた顔面も溶けていた。
ドン・キホーテで防御を試みたようだが、ハチグモも負傷していた。隠れてしまっているが顔が一部火傷をしたみたいに赤く爛れている。
「ハチグモさん!」
立ち上がって助けに行こうとしたが、急に体を押さえつけられた。
「過程こそ手こずるが、結果って結構すんなりと決まっちゃいますよね。良くも悪くも」
頭蓋骨に皮を貼り付けたような顔が覗き込んできた。ポイノムだ。肩や足、腕を押さえつけられていたが、頭はある程度自由に動くので周りを確認すると、初めて会った時と同じで部下を引き連れていた。ミケを拘束しているのも部下のはずだ。
「くそっ! 離せ!」
「離しませんよ。貴方は危険人物ですからね。火の魔法使いかなにかは分かりますが、何ができるかは分かりませんから。手の内が分からない人は危ないから、じっとしていてください。後で相手してあげますから」
拘束から抜け出そうとしても上手くいかない。ミケの肩と両腕、両足をそれぞれ一人一人が体重をかけて押さえ込んでいるのだ。単純な力でも抜け出せないし、そんな技術は無い。
ポイノムが近寄ってくると、覆い被さっていたドン・キホーテが迎え撃とうとした。しかしまともに動かせるのが右腕だけなので、体をなんとか起こせてもバランスを崩して、そのまま仰向けに倒れてしまう。露わになったハチグモを見ると、体が土で汚れていた。そういえばポイノムの毒は種類によっては土で防げるものがあると言っていた。ハチグモは体のあちこちが爛れているが、大きな怪我はない。致命傷ではないようだ。
「どうやら人形は貴方と力を繋ぐ核の部分が損傷してしまったようですね。これは上場。唯一厄介な機動力を削れれば良しと思っていましたが、それならもはや満足に動けないでしょう。私の毒は酸に近い効力がありますが、しっかり毒としての側面も持ち合わせている。それだけ浴びているなら十分でしょう。唯一不満をあげるとしたら、新作の出番は無さそうなのが残念ですねえ、これほんと」
確かにハチグモは爛れている皮膚よりも、体の中にある苦しみに耐えるように悶えていた。
「よく……ほぼ完璧な奇襲を……できたものだな」
「そりゃあ専門家に聞きましたからね。お願いをすれば未来予知をしてくれる優秀な魔法使いを知っていますから、私。貴方はどうせ魔法しか使えないから、のぞき見対策をしていないだろうし」
「意外だな……嫌われていると聞いたぞ、お前は……」
自分が優位に立っているせいか、ポイノムは皮肉を言われてもまったく気にしていない様子だった。
「優秀な人材は嫌われるものです。嫉妬はそれすわなち羨望の証。誇るべきことですよ。だけど私、魔術使い上がりの魔法使いとは仲良いんですよ」
「ふん……どうでもいい。未来予知と言っても……完璧にできる……者はいないはず。……いたとしてもはやそれは伝説だ。必ず、誤差があるはず……タイミングが完璧過ぎる……」
「いいでしょう、答えましょう。確かに予知には誤差があります。それに例え分かっていても転移の魔法なんてレア、魔術にいたってはそれなりのお金と準備に時間がかかります。今回みたいなドンピシャで駆けつけるなんて難しい。でもね、貴方方は遅かったんです。本来貴方はここを昨日通るはずでした。私たちが到着したのは昨日の終わり。まだ人間が通った痕跡が無かったので待機していたら、貴方方がてくてくのんびり歩いてくるじゃないですか。襲ってくれと言わんばかりに、狙ってくれていわんばかりにゆっくりと。興奮しすぎて気配を遮断する魔術解けそうでしたよ」
「急いでいた……つもりなんだがな……」
「結局つもりだったということだでしょう。貴方は老いている。その自覚が足りなかった。それだけです。私の攻撃だって、いくら不意打ちでも判断が遅すぎた。まあ移動の疲れもあったのでしょうがね。もう少し若ければ彼を逃がしても、まだそんな怪我を負わなくてもよかったかもしれない」
苦痛に耐えて丸まるハチグモを見下ろし、満足そうに頷いた。
「あっけないですねえ。あれほど堂々としていたお人が見る影ありませんねえ。割と好きですよ私、そこそこ手こずらせた相手があっけなく終わってしまうの」
そう言って、ハチグモに蹴りを入れた。くぐもった声が聞こえたが、とても小さかった。相手を喜ばせないために耐えているのか。
「止めろ!」
今すぐあの不愉快な男をハチグモから引き剥がしたい。そう願っても、体は期待以上の力を発揮することはなく、意味なく服を汚すだけだった。
「止めませんよ。せっかくここまで弱らせたんです。楽しむのが筋ってものでしょう」
「なんで、なんでだよ。お前、散々ハチグモさんに酷いことしたろうが。村の人達を奪ったろうが。それなのに、それ以上が欲しいっていうのかよ!?」
「人の欲望に底と天井はありませんから。素晴らしいことです」
「わけわかんねえ……! 聞いたぞ、ハチグモさんはお前に何もしてないって。どうなんだよ? ハチグモさん、何かしたのかよ。お前にそこまでさせるくらいに、酷いことしたっていうのかよ」
ミケの問いに、ポイノムは考える素振りをした。その動きも演技臭くて、見ていて腹立たしい。
「いえ、されてませんね。彼にはまったく、ええ」
「じゃあなんで……!」
「私ね、生まれながらの魔法使いという輩が、嫌いなんですよ」
初めてポイノムの顔から憎たらしい笑みが消えた。急に真顔になるものだから、今までとの差に戸惑ってしまう。
「むかつくんですよ。貴方方みたいな生まれながらに才能に恵まれているだけのくせに、他人を見下す人達って。どれほど努力して結果を出しても、認めるどころかすぐに魔法も使えないくせにとバカにしてくる。一つのことしか見ていない子供みたいな貴方方が心底嫌で気に食わないんですよ。時代は変わった。そのうち魔術と魔法の境はより曖昧になるでしょう。それなのにいつまでも自分を選ばれた人間だと勘違いしている。不快でしかない」
一度呼吸を整えるため、大きく息を吸って吐いた。
「このじいさん。いえハチグモさんに意地悪したくなったのも、言ってしまえばただの嫌がらせです。深い意味はない。村人に愛される村長? 私からしてみれば囲いを作って自分を崇めさせる魔法使い様でしかない。心底気持ちが悪い。あの才能だけの奴にこびへつらう村の人間も、自分にとって都合の良い存在しかいない空間を作ってご満悦の干物みたいな年寄りも、目障りだったんですよ」
何を言っているのか理解できなかった。理解したくなかった。言葉の重みなんて人それぞれだが、手に持って重さを確かめる気すら起きない。
ポイノムの言い分は何一つ共感できない。あってはならない持論だ。
そんなスカスカな感情に巻き込んだのか。ハチグモに墓なんて作らせたのか。考えれば考えるほど、ミケは体に火がついたのかと思うほど熱くなっていった。
「ふざけんな! ふざけんなふざけんなふざけんよ!」
「ふざけてなんてとんでもない。私は大真面目です。大真面目に虐殺し、今はもうなんの力もない老人をいたぶります」
ポイノムは再び蹴るために構える。
「そんなことしてみろ、後悔させて」
「ほう、ならばさせてみせてください。今すぐ後悔させなければ、貴方が後悔することになりますよ」
ミケを挑発するように、つま先でハチグモの顔を軽く突いた。
言われなくともそうしてやる。なんとか拘束から脱しようと、今まで以上の力を入れた。しかし結果は変わらなかった。ただ唸りながら悶え、それを見たポイノムの部下が失笑しただけだった。
「やっぱり。さっきから魔法を使う気配がない。意味のない力技ばかりだ。貴方、魔法を使うのに準備が必要なタイプですか? もしくはただの魔術使いか?」
ミケが力を使うには火種が必要だ。あれがなければどうすることもできない。だから、実は抜け出すように見せてポケットのライターを手にしようとしていたのだが、拘束には隙が無く手を上手く動かすことができなかった。
「おかしいなと思っていたんです。貴方を押さえている部下達は魔術もろくに使えないただの人間です。大罪の火を使う貴方なら魔法を使えば、拘束なんて意味がないはず。だけど何もしない。いや、その状態だと何もできない。火が使えただけの、時代に巻き込まれただけの罪人だ。そうと分かれば貴方のことはハチグモさんの後で構わないでしょう。警戒の必要はない。なのでいくらでも騒いでくれて結構ですよ。全部無視しますので」
悔しいが、奴の言うとおりだ。ミケが他人より特出しているのは火を操る才能だけだ。この状況も火さえあればどうにかできるかもしれないが、火がなければどうにもできない。もどかしさに奥歯を強くかみしめた。
「……そうだ。まだ……聞きたいことがあった……」
「なんでしょう? 私は今気分がいいから、答えましょうとも」
「ルベルには……手を出していないな……」
名前が記憶に残っていないのか、はて、と考えた。記憶を辿ると顔と名前が合致したのか、ああ彼女ね、と言った。
「そのうち貴方がこれから逝く場所へ向かいますよ」
「なるほどな……つまり、まだ無事なんだな……」
ポイノムは宣言通り、ハチグモをじっくりといたぶった。
基本的に蹴りで攻めたが、強弱をつけたり踏みつけたりとそれなりのレパートリーを披露した。
ハチグモが蹴られる度に小さな悲鳴が上がり、反応しているのかドン・キホーテが動こうとしていた。核が損傷しているのが本当ならば、いまあの人形は電池が切れかかっている状態に等しい。空っぽに近い電池によって電源のオンオフが何度も切り替わるおもちゃのようで、見ていて辛かった。
低俗にしか思えない感情によって命を奪い、今もなお罪を重ねるポイノムと、その蛮行を見て笑っている部下達に強い怒りを感じた。この時の感覚は、ミケの街で過ごした最後の瞬間に味わったものと似ている。ひたすら理不尽な状況を他人に押しつけ、食い物にする人間を見ると自分から火が吹き出そうだった。あいつらならどうなっても構わない、と本気で思えた。
ポイノムが大きく足を振り上げる。あの丸っこく、動きづらそうな格好でよくできるものだ。いよいよフィニッシュかと部下達も盛り上がる。いやあの顔はまだまだ続けるつもりだ。ただ単に強めに蹴りたくなっただけだろう。
皆の視線がポイノムに集中すると、茂みから黒い影が飛び出した。
「うわあ!?」
黒い影はクロで、ミケの左腕を拘束していた部下に飛びかかった。顔に取り付き、爪を立て引っ掻いた。
一人だけ難を逃れたクロはじっとチャンスを待ち続けていたのだ。クロに何か言われたわけではなかったが、ミケは今自分がやるべきことを分かっていた。
素早くライターを取り出し、火花を散らした。火種さえあればなんとかできる、いやなんとかする。
拘束を解くために、まずは自分を拘束している部下全てに火を放った。ミケに操られた火は尋常ではない速度で広がり、ほぼ全身を包んだ。焼いていないのはミケやクロに触れていない部分だけだ。意のままに操れる火は熱を感じることはあっても、ミケ自身を焼くことはない。クロもまたいつの間にか離脱して姿を隠していた。
突如火に包まれた部下達は驚き、ミケから離れて体の火を消そうと必死に暴れ回った。土や砂で消化を試みる者、地面を転がって消化を試みる者もいたが、大量の水や砂でなければもう消すことは難しいだろう。それに少しでも火が残っていればまたミケが増やすだけだ。助かる道は完全消化しかないが、現状は不可能だ。
拘束から解放されたミケは立ち上がって残りの部下を視認すると、襲ってこないうちに同じように火を放った。自分が火達磨になりながら、それでも命令を実行する鋼の意思を持つ人間はそうはいない。火に襲われる部下は等しく同じ運命を辿ることになった。
「まるで水を得た魚、ですね」
蹴る動作を止めたポイノムは、部下が全て火に包まれ、何人かは息絶えているというのに冷静だった。助けることはできないし、助けるつもりはないのか。
「火種か、必要なのは。火の脅威とは初めて見ましたが、なるほど確かにこれは恐ろしい。貴方程度でもこれほどだ。伝説の火の魔法使いが世界を焼いたというのも頷ける。うん、優先順位を変えましょう。貴方を殺した方が得」
ポイノムが喋り終える前に、ミケはライターのヤスリ部分を二度こすって火球を作り出し、撃ちだした。
ドン・キホーテほどではないが、プロ野球選手の投球から放たれたボールのような速度で火球はポイノムに迫る。すると標的の服が萎み、中から毒水のドームが展開される。火球はそのまま正面にぶつかり、水蒸気となった。
「ははは! 所詮は火、私の水の魔術にかかれば無力――」
勝利宣言をしかけたポイノムだったが、些か判断が早かった。
火球は二つあった。ミケはあらかじめ二つ火球を作り出し、一つ目に隠れるようにして時間差でもう一つも放っていた。一つ目はどうせ防がれるだろうから、目隠しのつもりで放った。あらかじめ二つあるのに気づかれたら対策されてしまうためにそうした。
一つ目はわざと防がせ目隠しに、二つ目は球体上から膜のように広げ、ポイノム包み込んだ。
「テメーの声なんざ聞きたくねえよ。蒸されて死んでろ」
毒水のドームがある限り、火ではポイノムにダメージを与えることができない。だからドームごと包むことで、蒸し焼きにすることにした。あれは毒と水の二重構造だ。魔術に関わる水でも液体であるかぎり、熱せられ続ければ気化する。あのまま焼き続ければ、自分を守るはずの水は高温の水蒸気になってポイノムを苦しめるだろう。もし水の一部でも動かして消化を試みても、ドームに薄くなる箇所ができればそこから火は侵入できる。
ポイノムを火の檻に閉じ込めたミケはハチグモに駆け寄った。ポイノムを彼の近くで捉えたせいで、熱を感じるはずだから早く離してあげたかった。
ハチグモは、大丈夫か? と声をかけるのを躊躇うほど傷ついていた。爛れていた肌をなんども蹴られたせいで血が滲み、酷く腫れている。触れていいものか、触れてしまったら怪我が悪化するんじゃないかと不安になる。だがこのまま火の近くに置いておくことはできない。
「ハチグモさん、ごめんよ」
腕を肩に回させ持ち上げようとする。
足に力を入れて、立ち上がるとすると火がはじけた。違う、火がはじけたのではなく、毒水のドームそのものをはじけさせたのだ。全方向同時にドームを破裂させることで、包んでいた火を吹き飛ばした。
はじけた毒がミケ達も降りかかりかけたが、直前に火力を上げて蒸発させる。
「ふははは! 所詮は浅知恵――」
不健康そうな顔をしている割にしぶとい。だが大丈夫。まだ策はある。
ミケは握りこんでいたライターのヤスリに、再び指を置く。だがもう火種を用意する必要は無くなった。
ドシンッ。
重々しい音と衝撃が目の前から起こった。
ポイノムが立っていた場所にドン・キホーテの手が置かれていて、凄まじい力で振り下ろしたせいかいくらか地面が沈んでいる。赤い肉片らしきものも散らばっていた。まともに動けなかったはずのドン・キホーテが、ポイノムを潰したのだ。
予想外の出来事に硬直した後、状況説明を求めるためにハチグモを見た。
彼は笑顔で「よかったよ」と言い、達成感に酔いしれながら「とどめは自分で刺したかったんだと」と呟いた。
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