第一章4
「何か用件があるなら聞くから、ちゃんと話してくれよ。説明しろって、いったい何をだ」
廊下の端へ、灯火を徐々に誘導しつつ訊ねる。
幸い、休み時間の喧騒の中では、僕らもそこまで目立たない。もちろん、ときおり何をしているのかと怪訝な目を向けてくる生徒はいるが、今さら気にしてもいられなかった。
さすがの灯火も、ここらで冷静になったのか、少しだけ耳を赤くしつつ小声で言う。
「……朝のことに決まってるじゃないですか。なんですか、彼女って。そんなのわたし、聞いてないんですけど。寝耳にお水なんですけど。わかりますか? つまり弱点属性ってことですよ、灯火だけに。火だけに! 朝からお水をぶっかけられる気分たるやっ!」
「消えそうには見えないけどな……」
「いえいえいえ、もう風前の灯火ちゃんと言っていいです! 言いますか!?」
「言いたくないです」
「なんとか薪をくべて熱を保ってる状況ですよ、こっちは。ドッキリ大成功のパネル待ちなんですから。出すなら早くしてください、伊織くんせんぱい。灯火ちゃんが消えちゃう前に! 早くっ! パネルの木材を燃料にすれば、なんとか間に合いますからーっ!!」
「そんなパネル、用意してねえよ。ていうかドッキリじゃない」
「ふぁややーっ!」
灯火は『ふぁややーっ!』と言った。
しかも両手を上げてのけぞるようなポーズつきで。
……何それ?
燃えてるの? 燃えてるってことなの、それは?
なら解決ですけど。
「信用したくないってんなら別にいいけど。そんな恥ずかしい嘘つかねえよ」
それくらい、灯火だってわかっていると思うのだが。
それでも灯火は食い下がってくる。そんなに納得いかないのだろうか。
「い、いやでもっ、そんな……だっていきなりっ! いきなりすぎますよ、これはっ!」
「そんなこと言われてもな。だいたい、別にお前には関係ないだろ」
「かっ――……!?」
瞬間、灯火は絶句した。
あり得ないものを見る目で僕を見ていた。
その小さな口を、まるで池の鯉みたいにぱくぱくさせながら。
「い、いや、だって昨日、その……わたしは、あのっ!」
「……昨日の件でまだ何かあるのか?」
引っかかりがあるなら、それは潰しておきたいところだ。
訊ねた僕に、けれど灯火は狼狽えた様子で。
「あの、いえその、そゆこと、じゃ、なくて……、あぁうぅっ」
「……?」
灯火が何を言いたいのか、それがいまいちわからない。
まっすぐに見つめる彼女の顔が、次第に赤く染まっていくことだけがわかった。
「だ、だってわたし、……せんぱいの、こと……っ」
「……僕が?」
「……………………………………………………………………………………やっぱむりっ!」
だってわたし
せんぱいのこと
やっぱむり
……え、なんか急に、川柳チックに罵倒されたんですけど。
それ割と普通に傷つくな……。ショックかもしれない。
灯火には結構、好かれていると思っていただけに、急に罵倒されると思ったよりも悲しいらしい。
もちろん氷点下男としては、そんな感情を顔に出したりしないけれど。
「まあ、なんでもないってんならそれでいいが」
「――あ……っ」
僕がそう言った瞬間、灯火は少し悲しげに瞳を揺らがせた。
いや、悲しいのはむしろ僕のほうだが。
謎に文句を言われた挙句、いきなり無理とまで言われてはさすがに落ち込む。
いったい僕が何をしたっていうのか。
ちょっと願いを強制的に捨てさせたり、からかって遊んだりしているだけではないか。
じゃあそれだわ。
……あ、あれ?
よくよく冷静に考えてみれば、僕って灯火に好かれる要素、ひとつもなくない?
むしろ嫌われてて当然のことしか、これまでやってないんじゃない……?
それも当然ではあった。
僕が今日まで灯火といっしょにいたのは、大前提として彼女に星の涙を捨てさせるためである。
初めから、僕は灯火の意に背く目的で近づいたということ。嫌がられて当然だ。
灯火から見た僕は、あの手この手で目的の邪魔ばかりしてきた奴である。
そんな野郎に彼女がいるだなんて聞けば、優しい灯火が心配に思うのも無理はない。
事実、天ヶ瀬は数少ない灯火の友人でもある。なるほど、そういうことだったか。
「い、伊織くんせんぱい、は――」
「――いや、すまん。よく理解したよ、灯火」
皆まで言わせる必要はない。僕は灯火を片手で制し、理解を示す。
「大丈夫、心配するな。説得力はないかもしれんが、僕だってちゃんとわかってる」
「えっ。えっ!? 急に何がわかったんですか!?」
驚く灯火。そんな彼女を心配させまいと、僕は宣言した。
「天ヶ瀬のことは、きちんと責任を持って僕が幸せにしてみせる」
「――――」
「お前のときとは違うからな。僕は、ちゃんとあいつには優しくするよ」
「――――――――」
「なにせ彼女だからな。いくら僕だって、自分の彼女を優先するくらいの甲斐性はある」
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
「ところで灯火。どうした、なんか目が死んでないか?」
灯火は僕の問いに答えなかった。
無表情を通り越した、完全なる虚無の無表情でそこに立っていた。
え、どうしたの。生きてる? ていうか息してる……?
「――ハイそこまでー」
と、そんなふうに突如、会話に入ってくる奴が突如として現れて。
そいつは棒立ちの灯火の腕を掴むと、そのまま引っ張るように連れ去ろうとする。
その姿には、僕としても驚かざるを得なかった。
「よ、与那城……? なんで、お前」
「いいから」
問いかけた僕の言葉を、与那城はすぐ遮って。
「冬月は教室に戻ってて。話ややこしくなるだけだし。この子はあたしが預かっとくから、ほら、さっさ行け」
「いや、でも」
「いいから。――邪魔」
しっし、と犬みたいに追い払われる僕だった。
そのまま与那城は、微動だにしない灯火を引きずるように連れ去っていく。
このふたり、そんなに仲がいいとは思っていなかったのだが。なんだったのだろう。
「ほら。しっかり歩きなよ、もう」
「……なぜ、こんなことに……?」
そんな言葉と共に廊下を去っていく灯火と与那城。
見送る僕に、目の前の光景の意味はまるでわからなかった。
……なんだこれ?
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