第10話 忌頭樹来

 晶を襲った佐藤が吾嵐によって灰塵と化してから30分後。

 吾嵐はまた取調室で玄示と机を挟んで向かい合っていた。

 晶は玄示によってある程度回復はしていたが、戦闘時のダメージが回復し切れていない為に警察署の直ぐ向かいにある大学病院へ送られていた。


「おっさん、右拳の塩梅はどうだ?」


 吾嵐が不敵そうに微笑しながら訊く。

 玄示は右拳を摩りながら唸る。佐藤の魔法防御に砕けたその手は、佐藤を斃した後に吾嵐が完璧に治していた。


「治癒の心力法でここまで綺麗に治せるのは〈魂覚の位〉レベル6の〈完治願〉くらいだが……お前さんの魔導法は俺たちの知るそれとは根本的に違うようだな」

「それでもおっさんが使う心力法の上位呪文みたいな、死者を蘇らせる事は出来ないがな」

「無いのか」

「刑事さんたちには悪いことをしたが、まあ喰われて魔力にされちまったんじゃ無理だわ」


 肩をすくめる吾嵐をみて玄示は嘆息した。


「あとの事は警察側に任せるとして……しかし佐藤を灰にしちまったのは不味かった。警察の上の連中も今後の対処で頭抱えていたが」

「無理ゆうな。アレはもう人では失くなった。あのままにして置いたら皆喰われちまうところだったぜ?」


 吾嵐は机の上を人差し指で叩いた。

 机の上には下北沢の駅前の地図が広げられていた。吾嵐がつついたのは地図の端にある、駅から歩いて10分ほどの所にあるレストハウスだった。


「俺は奴はここから出てきたのを目撃している」

「そこからこんな東京の外れまで尾行してきたのか。――それ以前に何故このレストハウスに目をつけていた?」

「先日、アンタらが横須賀で始末した二人の勇者もこのレストハウスに出入りしていた」

「……お前さんとんでもない探偵だな」


 玄示は未公開の情報を知っている吾嵐に驚いた。


「タダの学生だ。あんときあの二人が喧嘩していた原因は俺があいつらから情報聞き出したせい」

「はい?」


 玄示は開いた口が塞がらなかった。


「……おい、どういうことだそれ」

「騒ぎになる前、あの二人の片方をしばいて情報を聞き出した。喧嘩したのは俺にゲロった事で始末されないかって口論になったんだろう」

「お前さん、とんでもないトラブルメーカーだな……」


 思わず仰ぐ玄示をみて吾嵐は意地悪そうにニヤニヤ笑った。


「兎に角、そのレストハウスに急いで当たった方が良い、出来れば俺たちで」

「それは分かってるが、俺たちには捜査権は無い」

「無いのか」

「当たり前だ。俺たちはいわば実働部隊だ、事が起きてから動く」

「今、普通の所轄を動かすとまた被害が増えるし、下手すると感づかれて手がかりを失うだけだぞ」

「分かってる。――分かってるが」


 玄示は少し苛立った。

 今回の「敵」は普通の人間では太刀打ち出来ない。警察側からの出動要請があるまでは多分もっと人死にが出るだろう。警察も決して無能では無いが、相手が悪すぎる。徒に人死にが出るのを黙ってみていなければならないのは性分では無い。


「まぁ仕方無いか」


 吾嵐がそう言うと、その身体がピタリと静止した。

 まるで動画をストップさせたような挙動に違和感を覚えた玄示が席を立ち、吾嵐の肩に触れようとしたが、その手が吾嵐の身体を通り抜けた。


「何――幻影?」


 驚いた玄示は取調室をぐるりと見回した。


「馬鹿な――ついさっき、俺はあいつの治療を受けたばかりだぞ? 一緒にいたのにどうやって――まさか――



 玄示が取調室で愕然とした同時刻。

 吾嵐は問題のレストハウスの前に立っていた。

 地域の案内所として使われている施設だが、不断よりほとんど人は居らず、この夜の時間は扉を閉めて完全に閉鎖している。2階に事務所があるが、下から見ても室内灯はついて居らず無人なのは間違いない。

 吾嵐は入り口の扉の前に立つが鍵が掛けられて開かない。

 だが吾嵐は何か小声で詠唱すると、扉からガチャン、と音がしてゆっくりと開いた。解錠の呪文は吾嵐にとって初歩中の初歩であった。

 吾嵐は静かに真っ暗な室内に入ると、険しい顔をして室内を見回す。

 奥にぼんやりと二階へ上がる扉を見つけたが、吾嵐が険しい顔を作ったのは他に理由があった。


「趣味悪いな」


 吾嵐は壁に杭で打ち付けられて絶命している二人の男を見つけたのだ。片耳にイヤホンを付けている背広姿の二人は恐らく張り込んでいた刑事だろう。

 二人に黙祷を捧げると吾嵐は二階へ上がる扉の方へ進んだ。

 解錠で扉を何事も無く開けたが、この先何か罠を張っているのは間違いない。始末された二人の刑事は「敵」からの警告であると同時に、臨んでくる相手の力量を測るモノであろう。しかし吾嵐は臆する事無く階段を上がっていった。

 二階にある事務所の扉の前に立つと、吾嵐は扉に鍵が掛かっていない事に気づいた。1階が閉まっているのだから鍵は不要なのかも知れないが、吾嵐は誘っていると判断して戸を押し開けた。

 窓から差し込む街路灯の明かりだけで薄暗い室内には、吾嵐を出迎えるように一人の男が椅子に座ってぼんやりと待ち構えていた。


「ようこそ、勇者」


 暗がりでも男が笑っているのが分かる口調だった。恐らくは相手を舐めた笑顔で。


「お前が黒幕か」

「さて」


 吾嵐の質問を、男ははぐらかした。


〈帰還者〉負け犬をそそのかして何が狙いだ?」

「警察の人間では無いようですね?」


 男は傾げて訊く。


「俺がそんなふうに見えるのか?」

「暗がりで良くは見えませんが、鍵をこじ開けたりと貴方も相当悪そうですね?」

「魔王だからな」

「ははは、ご冗談を」


 笑う男の胸を光の槍が貫いた。

 吾嵐の放った魔法の槍は男の背後にある壁に突き刺さった。


「ちっ、幻影にげたか」

「遠隔で貴方の様子は分かっていますよ。勇者のなり損ないを3人も――うち一人は人を喰らってパワーアップしたのにも関わらず瞬殺ですか、恐い恐い」


 目の前の男は、吾嵐が玄示に仕掛けたように遠隔操作出来る幻影の術で作り出された置き土産であった。


「ちっ、張り込んでいた刑事たちがバレた時点で遅かったか」

「私は地団駄を踏む警察の皆様を期待していたのですが、先に貴方のような人間が乗り込んでくるとは予想外でした」

「お前、〈塔ノ旅団〉の首魁か」

「左様。忌頭樹来きとうじゅらいと申します」

「知ってる。――嫌というほどな」

「ほう」


 男――忌頭樹来は感心して見せた。


「私は貴方とは初対面のハズですが」

「とぼけんな。ずうっと観てたんだろ、俺がお前がそそのかした連中の目を通して」

「お見通しでしたか」


 忌頭樹来はニヤニヤ笑う。無論暗がりではよく分からないが、吾嵐はその口調で察していた。


「まあ貴方の私生活プライバシーまでは追えませんでしたからご安心を」

「俺はお前の居場所プライバシーを知りたいけどな」

「モテる男はつらいです、HAHAHA」


 この飄々とする態度に、吾嵐はそろそろ苛立ちを覚えた。


「お前、こちらで何を企んでいる」

「ちょっとした世界征服を」

「そんなセコイ事企んでないだろ。を破滅に追い込んだ貴様ならもっとヤバイ事企んでいるはずだ」

「――」


 忌頭樹来は塔の国という単語を聞いて絶句した。


「……驚いた。あの国の事を知っているのですか」

「俺はお前を赦さない。妻を、子を、民を蹂躙した貴様だけは」


 吾嵐は静かな口調で怒りをたたきつけた。願うなら即仕留めたいところだったが、目の前にいるのは仇敵の幻影に過ぎないのだ。


「繰り返し問おう。貴様、この世界で何を企む?」

「救済です」

「救済?」

「はい。哀れな〈帰還者〉たちに、救いを」



                      続く

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