第9話 そこに救いの手があったから
「せんせぇ、あのね、いい?」
玄示は宿屋の食堂で寛いでいると、同じ探索パーティの仲間であるぺー子が、どこか気まずそうな顔で近寄ってきた。
十も歳が離れている、フランス人形のような可憐な貌を持つこの少女がこんな表情で話しかけてくる時は、非常に厄介な話を持ちかけてくる事を、玄示は理解していた。
「ほら、この間助けてくれた――」
玄示はでぺー子が誰のコトを言ってるのかすぐ理解出来た。
それほどあの少女は印象深かった。
最初に出会ったのは勇者の訓練場。いつも隅で独りでぽつんと刀を振っていたが、その素質に目をつけたチャラそうな男たちに誘われて迷宮探索へ行くようになってほとんど見かけなくなった。
暫くして町中の酒場で、訓練場の時と同じように独りで居る姿を目撃したが、既に自分らの探索パーティは規定の人数に達していたこともあり、あえて声を掛けることも無かった。
そんなある日、ぺー子が酒場の前で、召喚された勇者たちの中でも素行の悪い連中に絡まれていた。狭いテーブルの間をぺー子が通った時にその装備が彼らの一人の身体に当たったようである。
幼いながらに勇者の一人として迷宮探索をしているぺー子のその装備の不似合いふりをからかうつもりだったのかもしれない。しかしぺー子の人見知りの強さが災いしたようで、大人げない不良勇者たちがぺー子に手を上げようとした時、あの少女が仲裁に入った。
この時既に少女は彼らのパーティに所属していたようで、少女共々ぺー子は散々罵倒されたものの、玄示がやってきた来たことでその場はとりあえず収まった。玄示はその時、訓練場で独りでいた少女のコトをようやく思い出した。
ぺー子は妙に少女に懐いた。性格的にもフィーリングがあったのかもしれない。ソレを機に二人は細々と交流を続けていたようであったが、ぺー子はあの少女の顔に殴られた後が増えていることに気づいた。無論、迷宮探索のような事を続けていたら生傷が絶えないのだが、大抵は治療魔法で消えてしまう。しかし少女の場合、町中でも打撲の跡が残ったままでいて、明らかに迷宮外で負傷したものだと思われた。
「つまり、あの娘が仲間から酷い目に遭わされていると」
「うん」
ぺー子は酷く困惑した顔で頷き、
「なんとかしてあげたい」
玄示は暫し唸ったが、道義的にも迷うべきモノでは無い事はすぐに理解していた。だから相談を受けたその足で、不良勇者たちがたむろしている宿屋に向かったのだが、事態が手遅れになっていたことを宿屋の入り口で察した。
入り口の中から漂う迷宮の中でしか嗅げないような夥しい血臭は、玄示に中で何が起こっているのかすぐに理解させた。
警戒しつつ飛び込んだ玄示はそこで、息が絶えた全裸の男たちと、血まみれになって佇むあの少女を目の当たりにした。
侵入者に気づいた少女の目を、玄示は今も覚えていた。
迷宮内で何度も相対した、人を捨てたモノたちのソレと同じ光が宿っていた。
事情はどうあれ、この少女は一線を越えてしまった。
玄示は心力法で攻撃系の魔法の一つ、〈聴覚の位〉の〈致死〉を唱える準備をした。相手は素手で即死させるコトを可能とする〈
孤立していたあの大人しい少女はもうそこには居ない。
躊躇いは死に繋がる。この異世界で生き残るための鉄則であった。
身構えたその時、玄示は背後から少女の名を呼ぶ声に気づいた。
「来るな、ぺー子!」
玄示はぺー子を下がらせようとした。既に数多の修羅場をくぐり抜けている幼子にこの程度の惨状を隠す必要は今更無い。
友を手に掛けなければならない事態だけは避けたかった。それは間違いなく心に癒えない傷を遺す。
だがぺー子は臆せず、反応しない友達の名をもう一度口にした。
その時、玄示は少女の目に僅かな反応を見いだした。
すると玄示は詠唱をやめ、観念したように大きく息を吸うと血の海へと歩みを進めた。
近づいてくる玄示に、血まみれの少女はゆっくりと身構える。
しかし目の前で玄示は上着を脱ぎ、閃光の如き手刀を喉元に突きつけられても動じること無くソレを少女の肩に掛けた時、酸鼻な世界の空気が変わった。
「もう、いい」
玄示が一言呟くと、少女はその場に膝から崩れ落ちた。倒れそうになったところを慌てて駆け寄ったぺー子が、ゴメンネ、ゴメンネと泣きながら抱き支えた。
虚空を見つめていた少女は暫く呆けた後、その目に光を取り戻すと大声で泣き始めたのであった。
あれ以来、人が変わってしまったように粗暴な性格になってしまったが、選んだのは返り血を浴びた晶である。玄示やぺー子がとやかく言う筋合いは無い。
後に、あの時晶に殺害された不良勇者たちは直後に元の世界へ送還されていた事が分かったが、晶は別に謝罪する気も会う気もなかった。不良勇者たちは異世界の出来事が全てトラウマになったようで引きこもり、中には勇者症候群をこじらせて犯罪者となった者もいたが幸い再び晶の手を煩わせる事は無かった。
玄示はあの時、地獄に堕ちようとしていた晶には、その手を掴んでくれるあの手があったから還って来られたと思っている。
しかし今、晶を倒したこの佐藤には「その手」は無かったのか。
玄示は慈愛という言葉にはほど遠い生き方をしてきたつもりでいたが、そこにどことなく理不尽さを覚えていた。
「――痛ってぇなぁっ!?」
玄示の鉄拳を食らった佐藤が起き上がった。しかし痛がっているワリにその顔にはダメージらしいものは窺えなかった。
一方、佐藤を殴った玄示の拳が血まみれになっていた。よく見ると指が砕けて骨が飛び出ているではないか。
「お、おい」
晶が思わず瞠る。玄示は苦笑いし、
「魔法防御ハンパねぇ。これでも肉弾戦には自信があったが」
「あったりめぇだ!」
佐藤が嘲笑った。
「二人分喰っちまったんだ、魔力もお前らとは桁違いなんだぜ! ハンパな拳じゃ俺の防御力は破れないぜ!」
「ちっ……」
晶は肩を小刻みにふるわせながら舌打ちした。
「じっとしてろ晶、お前の傷は深い、今治す」
「おっさんだってその拳メチャクチャじゃねぇか……あたしより先に自分治せよ……」
「
砕けた手で自分を先に治そうとする玄示に、晶は呆れかえりつつ、その口元に僅かに笑みをこぼした。
「それ、あの時と同じだな」
「何よ」
「聞き流せ」
その目に光を取り戻した時に魅せた、僅かな変化を晶は多分覚えていないだろう。
「何ごちゃごちゃ言ってやがる、お前ら一人増えても恐くは――」
パワーアップして勢いづいていた佐藤が固まった。
「二人喰ってソレか」
佐藤と、玄示と晶が声のした方へ振り向いたのは同時であった。
途方もない魔力がそこにあった。
「な……な…………」
佐藤は、初対面の時点でもその圧倒的差を痛感していたが、二人喰ってパワーアップした事で自分が強くなっていたと思っていた。
だが現実は違う。
一体あと何人喰らえばこの男の中から感じられる魔力に近づけるのだろうか。
「一線越えたからって勘違いしてるようじゃ三流以下だな」
いつの間にか三人の前に現れた吾嵐は嘲笑うように言いながら佐藤の方へ詰め寄った。
佐藤は圧倒されて退き、取調室の壁に追いやられる。その身体は怯えて震えていた。
「な……なんなん……だ……お前……?」
「魔王さ。元、だが」
「うあ……あああああああああああああああああ!」
佐藤は錯乱し、喚くように詠唱して吾嵐を攻撃しようとする。
しかし吾嵐は無言で右手を開き、暴れる佐藤の口をソレで塞いだ。
「喚くな、元人間」
吾嵐の右掌から閃光が放たれる。一瞬にして佐藤の身体が背にする壁ごと塵となり消滅する様を目の当たりにして、玄示と晶は唖然とするばかりであった。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます