第8話 十六夜晶

 晶は、異世界へ召喚される前は、学校の図書室の片隅で読書に耽る文学少女であった。

 子供の頃から玩具より絵本を選ぶ本の虫で、運動するより想像力を高めてくれる文学を好み、昼休みなど図書室に入り浸っては本棚にある夢想の世界に溺れていたほどである。

 ただ、普通の文学少女とはズレがあるようで、以前、中学の担任から、晶が何度も読み返す愛読書は何かな、と訊いた所、山田風太郎の忍法帖シリーズを挙げて質問者を困惑させていた。

 祖父が古武道を嗜んでいた為もあったが、家の本棚にあった、映画化もされた「魔界転生」を手にしたのが山田風太郎作品に入門するきっかけであった。基本、手にする文学のジャンルは問わない雑食な少女ではあるが、伝奇時代劇には何か惹かれるモノがあったようである。


 そんな文学少女がある日、通学で利用していたバスの事故に巻き込まれて他の乗客たちと一緒に地下迷宮が待つ異世界へ召喚されたのは、謎の失踪事件が起き始めた初期の頃の話だった。

 その異世界にある地下迷宮は何かの試練場を兼ねたもので、その地下迷宮がある領地を管理する豪族は深層部にある財宝を回収する冒険者を募っていた。

 異世界の人々と意思疎通が図れたのは、彼らの話によると太古より晶たちの居る世界から紛れ込んでくる人間たちが居て、彼らが迷宮探索に協力していた流から晶たちの世界の文化をある程度理解していた為であった。晶たちの世界から来る「人間」たちは冒険者として高い素質を備えていて、豪族は探索の協力を煽いだ。

 晶はこの世界に転生する前、おぼろげながら何者かの前で空間に漂っていたボタンを押した記憶があったが、その何者かの顔は覚えていなかった。

 ただ、ほう、という感心した声だけは強く覚えていて、あの行為が何を意味するものかは、豪族が案内した冒険者の基本を教える訓練所ヘ着くまで分からなかった。

 訓練所に詰めていた魔導師たちが晶のポテンシャルを測った時にそれは起きた。

 どよめく中、日本語が話せる訓練所の担当者が晶に囁いたのは、〈昏狩人〉《アサシン》という言葉であった。


 冒険者は適正によって8つのがあり、その内訳は4つの下位職とその発展系である4つの上位職に分かれる。

 下位職は剣技で闘う戦闘士バトラー、 魔導法で闘う魔導師ソーサー、心力法でサポートする心法師モンク、そして迷宮の罠を見破る探索士シーカーで構成されており、転生したばかりの人間は駆け出しの冒険者で基本的にここから就く。

 そして発展系である上位職は、基本、下位職が冒険者としてのスキルを高めてレベルアップしていくことで就くことが可能になる特別な職業であった。

 魔導法が使える戦闘士ともいうべき魔導剣士フェンサー、同じく魔導法も使えるようになった心法師は賢者キャスターと呼ばれ、逆に心力法が使える戦闘士は聖戦士セイバーと呼ばれた。そして絶対的な戦闘力を持った探索士を昏狩人アサシンと呼ばれる。

 しかし、例外はあって、始めから上位職のスキルを就くにふさわしいポテンシャルを持った者も現れる。文字通りの「天才」である。

 晶は転生時のボーナスでこの昏狩人にふさわしいポテンシャルを備えた「天才」であった。


 書物の中にだけあった憧れの「職業」を晶が躊躇いも無く選んだのは無理もない話である。しかし上位職の現実は下位職からのがあって初めてその力を発揮できるものであり、晶には致命的なが足りていなかった。

 それは、覚悟であった。

 上位職故に多くの探索パーティから引く手あまたであったが、高い戦闘ポテンシャルを秘めていても、戦闘時の判断力の遅さは簡単には補えず、所属するパーティを度々窮地に追い込むことがあった。また、戦闘力が特化しただけで探索士としての素質はド素人レベルであり、迷宮の罠やそこで見つかる宝箱の解錠を失敗することも多々あった。

 やがて晶の冒険者としての素養を疑問視する人々も増え、晶は冒険者として探索する機会を徐々に失っていった。

 こんなハズでは無い、自分はまだやれる、だから爪弾きにしないで――。

 図書室の片隅で物憂げに読書を嗜む少女が、冒険者として必死になる姿は想像がたかった。自分の才能を知って喜び表舞台に上がった人間が絶頂の中で全てを否定される事は聡明な者であっても耐えがたい恐怖であった。

 そのうち、晶は実力も無いのに態度が横柄な、素行不良な冒険者のパーティに雇われる。そして探索の失敗の責任を晶に突きつけた。彼らはそれが目的だった。

 晶には必要とされない恐怖のほうが勝っていた。慰み者にされる中、晶は自分がどうしてここに居るのかゆっくりと考えるうちには覚醒した。

 夥しい血臭の中、全裸で返り血を浴びて、自分を慰み者にしたパーティの男どもの死体の中でぼんやりとたたずんでいるところを、かねてより自分が所属する探索パーティの仲間から相談を受けていて様子を見に来た心法師モンクの玄示らに見つけられたあの時から、晶は自分は本当の勇者ぼうけんしゃになったのだと思っていた。



 手刀一閃クリティカルヒット。それがあらゆるモノを斬り裂く〈昏狩人〉アサシン最大の奥義火力であった。

 だがそれが、必ず相手を仕留められるとは限らない。

 晶は何が起こったのか分からないまま前のめりに突っ伏した。その柔肌の背中から肉の焦げる仁王が立ち上っていた


「――あっぶねぇ。俺がオメェみたいなヤツに首はねられてなかったら躱せなかったぜ」


 顔を蒼白する佐藤は出血が止まりかけた左首筋を左手で押さえつつ、晶の背後からその背中を押すような姿勢で立っていた。


「〈嗅覚の位〉の〈錯乱〉――思考を混乱させる魔法がギリギリ効いてくれなきゃ間違いなく俺の首落ちていたな……おっかねぇ」 


 佐藤は晶の攻撃を幻惑で躱し、背中から〈視覚の位〉の〈大炎〉を食らわせて晶を仕留めたのであった。

 不意の一撃を受けて全身が麻痺している晶にはまだ意識はあった。にじみ出るように来る激痛が気絶を許さなかったが、反撃する力を奪っていた。


「まだ生きていやがる――このまま喰ってやるか」


 佐藤は大きく口を開けた。

 


(……このまま死ぬかな)


 晶は視界いっぱいに広がる床を睨みながら思った。

 死を前に、不思議と安堵感があった。

 地下迷宮の世界で男たちに慰み者にされた時でもまだ抵抗する力はあった。

 無様な自分への怒りに奮い立つ意思はあった。

 だから覚醒することが出来たのだ。

 今はこのまま死ぬのも悪くは無いかと思ってさえいた。

 昏狩人になってから何人その手にかけてきたか。

 晶は強さを得て、失ったモノは大きかった。心の弱さと引き換えに得た覚悟は、人として取り返しのつかない、 の喪失。

 憧れに心を奪われたばかりに、取り戻すことの出来ない道を選び続けてしまった結果が今の自分のていたらくである。不良ぶるのもその一端である。

 地下迷宮で相対したのは魔物だけでは無く、彼方側に堕ちてしまった人間たちもいた。それをひとつひとつ殺めていくことで削っていた自分を晶は心の中で責め続けていた。

 晶の本当の勇者ぼうけんの始まりは血に染まっていた。その所為か厭世的な心境も抱えるようになっていた。故に危険を恐れず、完全な戦闘マシンと化した昏狩人の成長も急速に進み、地下迷宮の深淵に居る魔王を斃した冠位保有者となっても、転生で狂わされた自分が報われることは無いと思っていた。

 元の世界に戻れても生きたいという意思はもう薄れていた。こちらに来てからは命に関わる危機を迎えたことは全く無く、自分を必要とする者が居たから今まで惰性で生きていたようなものである。漸く精算する時を迎えたと

 だから。


「天罰覿面――っっ!!」


 絶叫する玄示の拳一閃が、晶に迫っていた佐藤の顔面を捉えて吹き飛ばした。



(悔しかったら、もう少し生き足掻いてみせろ)


 返り血で呆然としている所へ投げつけてきた赤髪の坊主の一言を思い出し、晶は、あーあ、とくすぐったそうに小さくつぶやいた。



                    続く

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