第7話 手刀一閃

 佐藤が忌頭樹来きどうじゅらいと出会ったのは数日前であった。

 異世界からの〈帰還者〉たちは、始めは被害者的な扱いで皆ちやほやしてくれたが、地下迷宮での実態が明るみになると大半の人々は彼らを恐れ、忌避するようになっていた。

 佐藤はそんな時期の〈帰還者〉であった。

 地下迷宮では魔王を斃すための勇者として異世界の人々から崇めまつられた自分が魔物と戦って負けて死亡し、元の世界に帰還したら忌み嫌われる。

 この世界では何も無い自分にとって、あの異世界は本当の自分で居られると思った世界だった。

 もうあの地下迷宮に戻りたいと願ってもその手段も無い。そもそも何故、どうやって異世界へ呼ばれたのか、知らないのだ。

 生きるしかない、この世界で。アレは夢だったと割り切るしかい。


 そんな簡単に割り切れるはずがないだろ?


 自宅の近所の公園のベンチで酒を煽っていたそんな時、忌頭樹来が目の前に現れて不思議そうに聞いた。

 夕映えの中から現れた●△※□なその▲は、にこりと笑いながら、自分も〈帰還者〉だと告げた。

 ▼とどんな話しをしたのか、佐藤は実のところよく覚えていない。異世界の出来事や同じ〈帰還者〉としてこの世知辛い社会の不満、他愛の無い話をしていたのかもしれないが、忌頭樹来と遭遇してから所々頭の記憶が霞掛っていて曖昧になっていた。

 それでもはっきり覚えている事はあった。 


 あの頃と同じように生きれば良いさ。


 ソウハイウガ、オレハモウ、ナニモデキナイ。


 


 ヤルッテナニヲ?

 

 


 ナニヲ?


 


 佐藤はその後の事は覚えていない。町中を流離い歩き、そしてあの自称魔王という少年に絡まれてファミレスに逃げ込ん


 ニゲコンダ?


 イヤ、ホントウハチガウ。


 チカラヲ、ホシガッタカラダ。ナニモノニモ負ケナイ、力ニナルえさヲ。



「それでだ、お前はあのファミレスに押し入る前に――」


 佐藤は取調室で松本警部から詰問されていた時に、忌頭樹来のあの言葉を思い出していた。

 圧倒的な力の差に打ち拉がれ、松本警部の言葉など耳に入らないでい佐藤に、その場にいないハズの忌頭樹来のあの時の言葉が響いていた。


 喰ウノサ。


「くうのさ?」


 松本警部が、不意に漏らした佐藤の言葉に傾げて木霊返す。

 それが松本警部の最後の言葉になった。

 松本警部の隣で供述調書を取っていた警官は突然の違和感に気づいて横を見ると、そこには腰から上が消滅していた松本警部だったモノがあった。

 驚いた警官が佐藤の方へ振り向くと、佐藤は丁度、何かを嚥下する仕草をしていた。


 魔法――〈魔導法〉と〈心力法〉は、術者の生命力を対価に魔力に変換して超能力を駆使する。

 だが今の佐藤には魔法を行使してもそれを回復する能力は無く、いたずらに自分の生命力を削っていくだけであった。

 

 目の前に居る人間は、生命では無く、魔力の餌の塊という認識にすれば可能では無いか?

 やってみたら存外呆気なかった。

 思えばあの地下迷宮の魔物に人間が結構いたが、彼らはこの結論に至って勇者たちの前に立ち塞がったのであろう。

 口を開け、人の形をした魔力を噛み千切って摂取する。口を開けて呼吸をするくらい簡単なことであった。

 恐怖の相を浮かべる魔力の塊を飲み込んだのと同時に、取調室の中が一斉に腐った。強烈な魔力の増加に、取調室の壁に施された防壁処置がその負荷に耐えられなかったようであった。

 身体に満ちる二人分の魔力を満喫していたところへ、晶が困惑の顔で現れた。


「アノ人ノ言ウ通リダッタヨ――最初カラコウスレバ良カッタンダ――喰っちまえば良かったんだ」

「手前ぇ――」


 晶は即座にこの所業が佐藤の仕業だと直感する。

 同時に、丸腰の自分を後悔した。


「お前もウマソウダ」


 佐藤がそういった瞬間、晶は取調室の中から後ろへ飛び退いた。

 間一髪であった。取調室の扉は一瞬にして腐食し、崩れ落ちる。地獄のような地下迷宮で生き延びた冠位保有者クラウンの直感が働かねば自分も喰われていだろう。

 しかし紙一重であった。罰ゲームで無理矢理着せられていたメイド服が分解された晶は下着姿になって警察署の廊下に着地していた。そして着地の衝撃で、ブラジャーの紐がちぎれ、たわわな乳房がこぼれ落ちると晶は慌てて両手で隠した。


「ほう、なかなか良い身体してやがる」


 佐藤が舌なめずりしながら取調室から出てくる。


「このまま喰っちまうのはもったいないな、食っちまうか」

「外道に堕ちやがって……」


 舌打ちする晶は、股間を膨らませて相対する佐藤の目がかつて地下迷宮で何度も見てきた人間型の魔物のそれと同じ事に気づいた。

 地下迷宮を攻略する者はみな、あれは人間じゃないかと言う疑念は口にしようとしなかった。

 認めるわけにはいかなかった。

 それがどうやって地下迷宮を攻略する勇者たちを襲ったか。

 人間があんな忌まわしい事をするのだろうか。

 するわけがない。あれはもう魔物だ。

 認めるわけにはいかない。

 割り切れ。この地下迷宮では、降りかかる理不尽を割り切れたモノだけが生き残れる。


 だから、斃せたのだ。


 晶は数回深呼吸をした。不思議とあの地下迷宮の腐臭が鼻を突いた気がした。


「魔力も気力も満タンだ! もう怖い物など――」


 身体の底から湧き上がる力に酔いしれ歓喜する佐藤は、自分が使える最大攻撃魔法でこの警察署を吹き飛ばそうと考えたが、突然背筋を走る冷気に我に返った。

 目の前に居るのは。それ以外に自分を脅かす者など居るはずも無く――?

 佐藤はそこで思い出した。

 自分が地下迷宮で殺されて元の世界に戻されたときのことを。

 自分たちの探索パーティを壊滅させたのは“丸腰のたった一人の人間”だった事を。


「あ」


 佐藤は何か言おうとしたがついぞ言い切ることは無く、無様な顔が宙を舞って警察署の廊下に転がり落ちた。

 晶は少し手刀に付いた血を吹き払い、ふう、とため息をつく。地下迷宮を探索していた頃の勘は未だ身体に染みついていたので安心したようである。


「聞こえちゃ居ないだろうがあたしらみたいな〈昏狩人〉アサシンは武器を使うより丸腰の方が強いのさ」


 手刀一閃クリティカルヒット。それがあらゆるモノを斬り裂く〈昏狩人〉アサシン最大の奥義火力であった。



                  つづく

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