第18話 賭け
「気をつけて……気をつけて行くんだよ」
潤んだ瞳で私の手をしっかりと握り、力強く包容するジークは、全身真っ青の軍服のような物を着ていた。私は王家のきらびやかな馬車の前に立ち、さっきからしつこいぐらいの包容と、顔中にキスを浴びていた。
「兄様、そろそろディタを離して。出発の時刻をとうに過ぎたわ」
「わかっているよ。わかっているけど……」
私はアンネの婚約式に付き添う為に、アンネと共に隣国のアステラ国に一週間滞在することになっている。ちなみに、その間にウスラとの半年の契約は切れる。すでにミモザと約束していた大金貨七枚は稼いでおり、二週間後にミモザに渡してくれるようにと、カシスに預けてあった。
隣国と言っても、移動には馬車で片道一週間かかる。
ジークの恋人になってからは、そんなに離れることがなかったから、さすがの私も寂しい。寂しいから、ジークに抱き締められるがまま、なすがままだった訳なんだけど、さすがに三十分もこれでは、回りからの非難の視線が痛すぎる。
王と正妃、愛妾の方々も見送りにきてくれているから、申し訳なさ過ぎて胃が痛くなる。第一、主役であるアンネはすでに馬車の中なのだから。
「ジーク、ジーク王子、離して」
私は腕の筋肉がプルプル震えるくらいの力を発揮して、少しでもジークを引き剥がしにかかる。さすがに、王達の目の前でジークを叱りつける訳にも、ひっぱたく訳にもいかず、さりげなく足を踏みつけた。
「ディタ、愛してるからね。他の男に目移りしたらダメだよ。アステラはいい男が多いから。もし求婚されても断って」
それを、絶世の美貌を誇る王子が言いますか?
どうしたって、ジーク以上の美男子なんかいる訳がない。鏡を見なさいと言いたくなる。
「はいはい……。そんなことは絶対に起こらないから安心しなさいな」
「もしそんなことになったら、僕はそいつに決闘を申し込むから」
「勝てないだろうことは止めときなさい」
ヒョロヒョロということもないのだが、筋骨逞しいタイプでもないし、この甘々な笑顔で決闘とか、負ける姿しか想像できない。
「僕はこれでも強いんだよ」
「わかった、わかった。ほら、マジで離して。護衛のマイゼン伯爵に睨まれてるよ」
アンネの侍女十人に護衛五十人という大所帯による移動になる。それと別に荷物や食料を運ぶ侍従達もいるから、トータル百人越えになりそうだ。その全員を待たせているジークっていったい……。
「ジークフリード、いい加減になさい。皇太子として恥ずかしくない態度をと、常日頃から……」
「母上、承知しております」
それから正妃と皇太子というより、ダメダメな息子とそれを叱りつける母親のようなやりとりを始めたので、私は早々に馬車に乗り込んで扉を閉めてしまった。
「アッ! ディタ?! 」
慌てたように追いすがるジークの声は無視されるように、扉が閉まったことが合図となり、馬車がゆっくり進みだした。
「兄様もしょうがないわね」
アンネがクスクスと笑いながら言う。その瞳はからかい半分、あとの半分は……本心だ。いたたまれない。
ジークの甘々は昔から今に至るまで、変わることがない。変わらないどころか、日々酷くなっていくようだ。
これに慣れてしまうと、いずれくるだろう倦怠期が恐ろしくもある。果たして私は耐えられるだろうか?
「兄様があんなになるなんて、想像できなかったわ。人嫌いでいつも眉間にこ~んなに深い皺作ってさ」
アンネはそのツルンと毛穴すら見当たらない額に手をやり、無理やり眉間の皺を作ってみせる。
今のジークには皺なんか一つもないが、きっと匂いに耐えられなくていつも皺を寄せていたのだろう。
「第一、どうせ三日もしたら後から追いかけてくる癖に」
アンネは婚約式の支度や打ち合わせの為に早く出発したのだが、ジークも国王・正妃の名代で三日後アステラにくることになっている。私達と一緒に行くんだと頑張っていたが、国務があるからと許して貰えなかったらしい。ただ、私達が馬車でゆっくり進むところを、ジークは騎馬で護衛三十人つけてくるらしいので、アステラについて一日か二日の誤差くらいで追い付いてくるのではないだろうか? 全力で追いかけるから……とは言っていたが、まさか常時駆け足で来ることもないだろう。そんなことをしたら馬を乗り潰しかねない。
「ね、兄様が何日で追い付くか賭けましょうよ」
「賭け? 」
アンネはニンマリと笑う。美少女なんだから、その笑顔はダメなんじゃないだろうか?
「そう。私はね……五日後」
「五日? だって、ジークが立つのは三日後よ。三日の距離を二日で縮めるっていうの? 」
「それくらいやりそうじゃなくて? だって、ディタ命ですもの」
「私も参加してもよろしいでしょうか? 」
この馬車にはもう一人、侍女が乗っていた。なぜこの人選をしたのか……。多分、面白がってだろう。
私の隣にはライラが上品に座っていた。
★★★
ジークのプロポーズを受けたその夜、私はそのことをミモザに報告し……色々と揉めた。
今ではこの国一番の娼館になったミモザの館だ。斬新な髪型や衣装は国の流行の最先端をいき、香りの良い石鹸や香水により、客を引き付けてやまない。つまりは、私のおかげの大進撃といえる。その私が契約とはいえあと数ヶ月で娼館の所有ではなくなる。ミモザは、その後に私に共同経営者にならないかと打診していたのだ。
ミモザは未婚で跡継ぎもいない。私とカシスを養女にしてもよいとすら言っていた。
つまりは、私を囲い込みたかった訳で、その私がジークと結婚となると、不動の一位が揺らぎかねない。
その打開策として、美容はカシスに一任し、ミモザと専属契約をすることを約束した。
ただし石鹸や香水に関しては、一般に流通させたいという私の考えと、独占したいというミモザの折り合いをつけるのが難しく、すでにある五つの石鹸と三つの香水をミモザの独占とし、それはミモザブランドとして門外不出、それ以外は一年後から一般に売り出すということで折り合いをつけてもらった。
石鹸は、ジークの為にも一般流通させてあげたかったんだよね。風呂にあまり入らないという国民性はいかんともしがたいけど、少しでも回りの匂いを改善できたらって思うし。
公共事業として、共同浴場なんか作れないかな……なんて考えてたりもする。これは、ジークと結婚したらってことになるから、まだなんとなくってレベルの話しだけど。
まあ、そんな話し合いをして、遅い夕飯を食べてから部屋に戻ると、カシスが私を寝ずに待っていた。
「ディタ、ちょっと話しがある」
「それ、今じゃないとダメ? 」
私は欠伸をしながら、ベッドにボスンと倒れ込んだ。
「ダメ……じゃないけど、ライラのことなんだ」
「ライラ? 」
私は眠い頭を振り、身体を起こした。
「あの子……、うちらとあんま仲良くなかったって言うか、性格ひん曲がってたから、あんたが会えて嬉しかったってのがわかんなくて」
「へ? だって、お隣りさんだったよね」
「そうよ」
「私の面倒もよくみてくれて……」
「はあ? あれはいいこちゃんぶって、回りの大人にアピールしてただけだよ。いかに自分は使えるか、売られないようにって。まぁ、同じ時に売られちゃったから、なんの意味もなかったけど。大人が見てないとこでは、あんたが熱で食べれないからって理由つけて、あんたの食べ物盗んで食べたり、わざとあんたが熱だすように、寒い日に水浴びさせたりしてたし。あたしが怒ると、いかにもあんたがしたがったからみたいに言い訳してたけどね。そのせいで、何度あんた死にかけたか覚えてないの? 」
「……(覚えてる訳がない。私が知っているのは、人買いの馬車の中で優しい言葉をかけてくれたライラだけだから)」
「あの子、口調だけは穏やかだし、優しげなこと言うから、回りの大人はみんな騙されるんだよ。あたしがライラにくってかかると、いかにもあたしが悪者みたいに振る舞うし。虚言癖っていうか、自分のいいように物事を曲げて考えて、いかにもそれが真実だって思い込むようなとこもあるし……。生き残る為には仕方ないとこもあるけど、小狡いガキだったよ」
私が思い込んでいた優しく親切なライラと、カシスが覚えていたライラとでは、かなり違う人物のようだ。
カシスが嘘を言うとも思えないし、私が知っているのはほんの数日。不安でどうしようもなかった時に、優しい言葉と温かい手の温もりをくれたライラだったから、てっきりいつも庇ってくれた優しい幼馴染み……みたいな認識だったんだけど。
「あの子は要注意人物だよ」
「そう……なのかな? 」
「少なくとも、村にいた時はそうだったよ。覚えてないの? 」
「実は、村にいた時の記憶って朧気なんだよね。ほら、よく熱だしてたからかな」
適当な言い訳をすると、カシスが肯定するようにうなづく。
「まあね、あんた、一年の半分以上寝込んでたもんね。全く、一生分の病気を仕切ったのかな? 今じゃ、信じられないくらい元気だけど。みんな、五歳まで生きられないだろうって言ってたくらいなのに」
早死にする筈が、倍近く生きてしまって、お荷物過ぎたから売られた……ってところか。
そんな話しをカシスから聞き、ライラに対する印象がリセットされた今、あのジークとのプロポーズの日に会った以来初めて、ライラと顔を合わせていた。
★★★
「いいですわ。ライラは何日後だと思う? 」
「七日後でお願いします。それで、賭けの報酬ですが……」
「そうね。私ができる限りのことで、賭けの勝者の言うことを聞いてあげる。ディタは? 」
アンネは五日、ライラは七日……じゃあ私は……。
「六日で」
アンネはニッコリ笑った。まさに天使の微笑み。
「賭けは成立ね。私が勝ったら、二人には私の言うことを聞いてもらうわ」
まさかと思うけど……、結婚後もついてこいとかじゃないよね?
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