第13話 盗み聞き

「……そんな訳で、いつの間にかライラがジーク兄様のお手つきになったって噂が広がって、それを聞いたロイ公爵が、兄様とライラの婚約を認めろと王宮に乗り込んできたって話し」

「……はあ、何だってキスくらいで婚約? 」


 この世界の性に対する倫理観は甘い。

 妾を持つことは当たり前だし、娼館は秘められた場所ではなく、娼婦の価値もそこまで悪くない。娼婦あがりの愛妾など、当たり前のようにいる世界だ。


「表向きは、純潔が奪われたからってことらしいけど……、まあ理由はなんだっていいんじゃない?」

「純潔って、キスくらいで……」

「馬鹿らしいけれど、公爵の言葉だから無下にはできないのよ。どんな理由であれ、事実があるから父上も公爵の話しを聞かない訳にいかないし……。兄様も、それは認めてしまったみたいだし」

「認めたからって、それだけで婚約まで話しがいくのか……ですか? 」


 話しづらそうなカシスに、アンネは気にするなと言うようにうなづき、そうだと立ち上がった。


「ちょっと見に行こう」

「見に行くって? 」

「いいから、いいから」


 アンネに引っ張られるように部屋を出ると、またもや迷路のような王宮を歩き出す。カシスも、迷子になったら大変とばかりに早足で後ろをついてきた。


「ここよ」


 重装な扉を静かに開けると、目の前にはカーテンがひいてあった。扉とカーテンの隙間に身体を滑り込ませ、カーテンの間からこっそり中を覗くと、すぐ間近に椅子に座った国王と正妃、その横に立つジークがいた。

 その前には階段が数段あり、段下には膝をついて頭を下げる老人と、淑女の礼をとるライラがいた。

 ライラは侍女の制服ではなく、美しいブルーの唐衣をまとい、まるで十二単のようにグラデーション豊かに唐衣を重ねていた。貴族のご令嬢にしか見えない佇まいに、一瞬ライラだとわからなかったくらいだ。

 隣りにいるのは、白く長い髭を床にこすりつけるように頭を下げている為顔は見えないが、あのモシャモシャの髭には見覚えがあった。まぎれもなくロイ公爵だろう。


『重ね重ねお願い申し上げます。我が娘ライラは、純然たる乙女にございます。このような噂がたってしまいますれば、見合いの話しも立ち消えてしまいましょう。どうぞ皇太子殿下におかれましては、御英断の程をお願い申し上げます』


 ガバッと顔を上げたロイ公爵は、その瞳をギラギラと輝かせ、態度で「責任とりやがれ! この野郎!」と言っているようだった。


『王子においては早くに妃を娶り、跡継ぎをこの手に抱きたいというのは、私の宿願ではあるあるのだが、何分王子が首を縦に振らねば、どうにもしようのない話しで……。ジーク、おまえはあくまでもライラ嬢にした仕打ちについて、責任を負うつもりはないと?』


 国王は、困ったとばかりにジークに顔を向ける。


『責任……ですか。謝罪ならいかようにでも。人間違いとはいえ、唇が触れてしまったのですから。ただ、目を塞がれ、愛しの娘と勘違いしてのこと。責任をとって婚約する程のことではないでしょう』

『まあ、目を塞がれたのですか?ライラ嬢、いかにあなたがロイ公爵の姫であろうと、皇太子に触れていいことはありませんよ』

『申し訳ございません。よくお眠りになられていたのをお起こししてしまったと思い、つい慌ててしまったのです。灯りを防げば、またお眠りになられるかと思いまして』


 ライラの声は震えており、さらに頭を深く下げた。


「この声……、ロイ公爵の娘のライラ嬢ってライラか? 」


 カシスが驚いたようにライラを見つめる。

 そう言えば、ライラに会ったことをカシスに言うのをすっかり忘れていた。


「そう、あのライラなの。公爵の養女になって、アンネの侍女をやっていたのよ。この間再開して、つい嬉しくて石鹸をあげちゃったからこんなことに……」

「嬉しくて? 何故? 」


 カシスは驚いたように私を見る。

 驚いているカシスに驚きだ。

 同じ貧民の村出身、家も隣りだったらしいし、小さい頃から面倒みてくれたと言っていた。私にその記憶はないけど、この世界で楠木彩として私(ディタ)の記憶の最初、あの恐ろしい人買いの馬車の中、唯一私に優しい言葉をかけてくれたのがライラだった。

 そのライラに再開して、何故嬉しいのかと聞かれるとは思わなかった。


「だって、ライラだよ? 」

「ライラでしょ? 」


 カシスの表情から見ても、何か話しが噛み合ってないようだ。


「シッ! 」


 アンネに口を押さえられ、それ以上カシスと会話できなくなる。

 その時、ジークが振り返って視線が合った気がして、慌ててカーテンの奥に引っ込む。


『僕は、愛しい恋人以外と婚約するつもりも、結婚するつもりもありませんから。彼女が、他の愛妾を娶ることを是としないんですよ。僕を独り占めしたいんでしょうね。僕も、彼女に独り占めされたいんです。では、これ以上話すことはないです。もし、良縁を求められるなら、僕が友人に口をききましょう』

『そんな、私……』


 ライラが顔を上げて、ショックを受けたようにジークを見つめた。


『私……、ジーク様をお慕い申しております。他の殿方に嫁ぎたい訳では……』

『娘もこう申しております。皇太子殿下に恋い焦がれる娘に手を出しておいて、他人に責を取らせるなど、そんな酷薄な仕打ちはなさらないでしょう? それに、明日には号外も出るとの噂。殿下とライラのことを聞きに文官が来ましたので、事の次第を正直に話ししましたところ、婚約も間近だろうと文官は意気込んでおりましたから、そのような内容になるのではないでしょうか』

『僕のところには来ていませんがね』


 ジークは不愉快そうにつぶやくと、手を打ちならして侍従を呼んだ。


『ドボル・コネルコ男爵を呼んで』

『コネルコ男爵ですね。かしこまりました』


 しばらくすると、ズングリと太った赤ら顔の男が、汗を拭き拭きやってきた。顔立ちだけは良い分、かなり残念な感じは否めない。


『明日、号外が出るとか? 』

『はい。皇太子殿下におかれましては、御婚約おめでとうございます』

『誰と、誰の、婚約ですか? 』


 深々と頭を下げるコネルコ男爵に、ジークの冷淡な声が降り注ぐ。こんな声も出せたのかと、再度カーテンの隙間から覗くが、ジークの後ろ姿だけで、表情までは見えなかった。


『皇太子殿下と……こちらのロイ公爵令嬢では? 』

『僕の恋人はたった一人、こちらの令嬢は侍女の一人に過ぎないのですが』

『いや、しかし……』

『どうせなら正しい報道を僕は望みます』

『正しいとは? 』


 ジークがクルリと振り向くと、ツカツカと私達が潜むカーテンの方へ足を向け、私が覗いていたカーテンをひいた。


「愛しい恋人との三年越しの恋愛が成就……なんてのはどうでしょう」

「えっ……えっ……えぇっ?! 」


 いきなり目の前が開け、全員の視線が私に集中する。


「僕が彼女を呼んだんです。ここにいるようにとね」

「ふ……不敬ではないか?! 国王ご夫妻の後ろに立つとは」


 ジークがごく自然に私に手を差しだし、私の手を引いて階段を下りた。私の手を握ったまま片膝をつき、微笑みながら私を見上げた。

 紅い瞳が優しく潤み、私だけをロックオンしている。


 あァァァァ……、美青年の膝まずく姿って、すっごいクル!!!


 背中がゾワゾワッとして、ブワッと顔が赤くなるのを感じる。


 だって、何だかんだ美青年は最強過ぎるんだもの。これを拒否できる人間がいたらお目にかかりたい。

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