第10話 心配性の姉

 思った以上に風邪を長引かせた私は、二週間近く寝込んでしまった。久しぶりにの発熱に、カシスが過剰反応して寝込まされたというのが正しいかもしれない。


「もう大丈夫だから」

「あんたは昔から大丈夫大丈夫って、何度も風邪をぶり返してたじゃないか! 」

「今回は宮医様からお薬貰ったし、本当に大丈夫なの」


 かなり前から動きたくてウズウズしていた私は、まだ微熱がある、咳があると私を布団に入れようとしているカシスと、「治った! 」「まだだ! 」を繰り返していた。


「一応さ、半年はウスラに買われてるんだから、こんなに長い間引きこもっちゃったら、契約不履行で訴えられちゃうよ」

「あたしのわからない言葉を使うな!第一、アンネローズ様がゆっくり休養するようにっておっしゃられているんだから、あんたは治るまで寝てなさい」

「だーかーらーっ、治ったってば! 」


 この攻防をはや一時間。

 それだけ元気だということを理解してもらいたい限りだ。


「カシス、ヘアメイクの仕事があるんじゃないの」

「大丈夫よ。アイラや他の娘達もいるんだし。いつうちらがいなくなっても大丈夫なくらいには成長したもの」


 今では美容グループと銘打った二十人ばかりのチームが発足し、娼婦達とは袂を分けて、専門職となりつつあった。なんちゃって美容の私から始まったとは思えないくらい、髪のカットからセット、化粧まで美容師顔負けの成長ぶりだった。

 また、頭の回転の早い娘を集めて、算数を教えていたのが実り、簡単な暗算すら指を折りながらの計算しかできなかったのが、足し算引き算は当たり前のようにスラスラできるようになり、かけ算わり算までできる娘が増えた。

 そのおかげで、簡単な帳簿付けや売上の計算などは任せることができるようになった。

 もちろん、横領の予防として、一人に経理を任せないこと、持ち回りで数人が携わり、最終チェックは館主のミモザが行うようにと言ってあった。


「それでも、カシス指名の姉様方は沢山いるでしょ」


 一番成長したのは姉のカシスかもしれない。カリスマ美容師と言ってもいいくらいで、その腕前もだけど、相手が一番綺麗に見える髪型や化粧を施すのは才能なんだと思う。多分、館を出ても美容師として大成するだろう。今だって、貴族の令嬢に呼び出されてセットをすることもあるくらいだから。


「そんなんより、あんたの体調よ! 」


 過保護だと思わなくもないが、私の記憶にないディタは、カシスによほど心配をかけてきたのだろう。いつ死んでもおかしくないと思うくらい、しょっちゅう熱を出していたそうだから。


 私(楠木彩)の記憶を思い出したから、それ以前の私(ディタ)の記憶を失ってしまったのか?

 それとも、死んだ私(楠木彩)が私(ディタ)の身体を乗っ取ってしまったから、それ以前の記憶がないのか?

 前者なら楠木彩=ディタだけど、後者なら楠木彩≠ディタだ。もしそうなら、こんなに心配してくれているカシスに申し訳ない気持ちになる。


「何だよ? 変な顔して。やっぱり具合悪いんだろ? 」


 考えていたことが顔に出たのか、カシスが私の額に手を当てて顔を覗き込んできた。


「違うってば。熱なんかとっくにないから」

「うん……まあ、熱くはないな」

「でしょ?! だから大丈夫なんだって」


 渋々熱がないことを認めるカシスに、やっとベッドから出れると、布団を跳ね退けた時、ノックもなく少女が一人ドアを開けて飛び込んできた。


「大変、大変! 」

「ミシャ、どうしたの? 」


 すでに部屋付きから娼婦に格上げしていたミシャだった。髪の毛が乱れているのは、一仕事終えた後だからか、唐衣は羽織っているものの、下の衣類は紐もアバウトにしかしめておらず、ほどけて脱げてしまいそうだった。


「あんたね、いくら娼館の中だって言っても、もう少し身だしなみに気をつけないと……」


 カシスは呆れ顔でミシャの衣服の紐を結び直した。


「そんな場合じゃないんだって!ジーク王子様が婚約するって 」

「はあ? ディタ、あんたとうとう」

「違うって、相手は公爵の娘だとか! 」


 私は唖然としてミシャとカシスの会話を聞いていた。

 どうやら、ミシャは今さっきまで客といたらしく、その客からの情報だということだ。


「デマじゃないの? 」

「だって文官のクシャールが言ってたんだもん」

「クシャール? 」

「あたしの上客の一人よ。そんなに高位の文官じゃないけど、瓦版作成の責任者。明日、号外が出るらしいわ」


 いわば、国の作る新聞の責任者ということで、だからこそその情報は正しいと言える。


「大変! ディタ、こんなところで寝てる場合じゃないわよ! さっさと王宮へ行きなさいよ」


 さっきまで寝とけ寝とけとうるさかったカシスが、一転行ってこいとせっつく。


「いや、でも……」


 ジークは今日はまだ来ていないものの、昨日も見舞いにきて、何も変わらずひたすらイチャイチャして帰って行った。婚約のこの字もなかったし、悩んでいるふうもなかった。


「明日号外が出てからじゃ遅いよ。とにかく確かめないと」


 カシスは私の髪の毛をすき、ゆるふわに編み込む。紅をさし、衣類を整えてくれる。至れり尽くせりというか、小さな子供になったような気分になる。


「ミシャ、馬車を呼んどいてよ」

「あんたね。私は姉様になったのよ」


 そう言いながらも、部屋付き歴が長いミシャは馬車を呼びに行ってくれる。

 姉様とは娼婦達の呼び名で、その姉様の面倒を見るのが部屋付き、さらに下に見習いがいる訳だ。ちなみに私とカシスは見習いに位置する。


 髪を結ったり化粧をするという美容の概念がない中、他の娼館の娼婦と格差をつけるべく、綺麗に見える髪の結い方を教えたり、紅を作ったりした。何よりも、あまり風呂に入る習慣がなく、匂いをお香で誤魔化しているような世界だったから、エッセンシャルオイルを混ぜ混んだ石鹸を作り、水浴びの習慣しかなかったのを、お湯に浸かるお風呂を考案したりと、娼婦達の女っぷりを上げることで館の売上アップに貢献してきた為、ただの見習い……という訳でもなかったのだが。


「さあ、行くよ」

「カシスも行くの? 」


 いつもなら、偉い人に会うのはうっとおしいからと、ジークなどが来る時はいつの間にかフェードアウトしているカシスが、今日に限って私についてくると言う。


「行くよ。いくら王子様でも、あたしの妹を弄ぶ奴は、平手打ちくらいはおみまいしないと」

「……打ち首になるんじゃない?」

「そう……かな? じゃあデコピンくらいで……」


 平手だろうが、デコピンだろうが、王族に手を上げたらまずいでしょ……と思ったが、婚約することを内緒にして、私に甘々な態度で接していたのなら、私のグーパンチが飛ぶだろう。


 それでも、ジークの立場がわからないでもないし、私はグズグスとジークを受け入れられないでいるのだから、本当は文句なんか言えないってのはわかってる。


 わかってはいるんだけど……。

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