第9話 楠木彩の記憶


 私は久しぶりに高熱を出した。


 ヒリヒリする喉の痛みに、グラングラン揺れる視界。身体が重くて、なんとか重石を取りたくて腕を持ち上げると、ヒヤリとした手に握られ布団に戻された。同じ手が私の額に触れ、覗き混む紅い瞳を見た気がした。

 目を開けているのもしんどくて、目を閉じると深い闇に落ちていくような恐怖を感じる。


 怖い、怖い、怖い。


 私は、この先を知っている。この闇の先に行きたくない。


 ★★★


「お疲れ様でーす」

「お疲れ。彩ちゃん、今日は彼氏とデート? ずいぶん可愛らしい格好して」


 いつもはパンツスーツが多いのが、今日はワンピースにジャケットと、デート仕様なだけだ。さすがに三十になったから、落ち着いた色合い(濃いグレーのAラインのワンピースに薄いグレーのジャケット)にしたし、スカート丈だって膝丈だ。


「ちょっとお友達に会うだけですよー。お先に失礼しまーす」


 上司の芹沢の言うようにこれからデートなのだが、デートだと言うと、相手のことを根掘り葉掘り聞かれた挙げ句、結婚式はまだかとか、早く子供を作れとか煩く言われる。


 結婚なんかとんでもない!


 私は、恋人とイチャイチャするのは大好きだけど、Sexは大嫌い。子供なんか論外だ。だから結婚なんかするつもりはない。第一、結婚してマンネリになって、でも性関係だけ要求されるとか、まじで地獄だ。

 Sexレスの夫婦になれるなら考えてもいいけど……、さすがに最初からそれを目指しても難しいだろう。


 私は電車に乗って、彼氏と待ち合わせた新宿を目指した。


 毎週末私と彼氏は新宿でデートする。彼氏はいい年して実家住まいで、私は独り暮らしなんだけど、彼氏を家に呼ぶと猿みたいに一日中したがるから、できる限り外で会うことにしている。

 まあ、なんだかんだ最後はラブホに連れ込まれてしまうのだが。


 今回の彼氏は、クールな見た目で淡白そうに見えたからお付き合い開始したんだけど、予想外にしつこくてねちっこかった。しかも、今までで二番目に自分勝手なSexをする。言うまでもなく、一番は私の初体験の相手だ。名前すらもう覚えてないけど。


「彩、遅いじゃん」

「嵩、お待たせ」


 待ち合わせの場所に先に来ていた嵩は、私を見つけるなり肩を組んできた。

 こういうベタベタなところは好きなんだけど、然り気無く胸を触っているところはうざい。


「彩のスカート姿、そそられるなぁ。今日は弁当買って、ラブホご飯にしちゃう? 」

「やぁだ。デートしようよ」

「だから、ラブホデート」


 嵩も私とタメの三十の筈が、下半身は十代のように元気だ。頭の中身も……。


 つくづく男を見る目ないなって思う。

 まだ付き合って二ヶ月だけど、やっぱり無理かなぁ。


 私は笑顔でいなしながら、背中がゾワゾワする感じを無理やり無視しようとした。


 くっつくのは好き。

 頭を撫でられたり、頬っぺたツンツンしたり、何にもしないでゴロゴロするのも好き。

 手をつなぐのも好き。指をコショコショしたり、恋人つなぎも好き。

 ギュッてされると心がほっこりする。

 触れるだけのキスが好き。ついばむようなキスも好き。顔中に降るキスが好き。


 こんなこと、恋人が相手じゃないとできないもんね。だから、私はいつだって恋人がいる。


 でも……。


 Sexは嫌い、大嫌い!

 今まで、何人と何回もしてきたけど、一度も気持ちいいと思ったことがない。気持ちいいどころか苦痛でしかない。気持ち悪い。

 どんなに好きだなって思った相手でも同じ。


 私に問題があるんだ。


 誰としても感じない。不感症だからしょうがないのかもしれないけど、なら彼氏作るなよって話しで……。


「なぁ、ヤろうぜ」


 耳の中にゾワリとした感触がし、グチュッとした音がダイレクトに耳の中に響く。


 マジ無理〰️ッ!!!


 私は嵩を突飛ばすようにし、無意識に嵩から身体を捻った。その拍子に、空き缶を踏んでしまう。


「……アッ」


 嵩の方へ手を伸ばすがその手は空を切り、嵩のボヤッとした表情だけイヤに視界に残る。身体が投げ出されるように車道に向かって倒れ、ヘッドライトの眩しさに私は目をつぶった。


 凄まじい衝撃……。


 ★★★


 ああ……、私は死んだのか。


 気がついたら異世界にいて、私じゃない身体で目覚めた。

 生まれ変わり……?

 それとも……。


 熱で朦朧とする思考で、私は初めて自分が……楠木彩の人生が終わっていたことを思い出した。


 涙が溢れる。


「……ディタ? 」


 ひんやりとした手で涙を拭われ、瞼にしっかりとした感触が触れる。


 私は口を開こうとし、あまりに喉が渇き過ぎて声が出てこない。口をパクパクさせていると、生暖かい水が一口口に含まされる。喉がコクリと音をさせ、身体に水が染み渡る。


「怖い夢でも見た? 」


 目の前には、心配気に私を覗き込む紅い瞳が。そういえば、さっきも見たような気がする。

 王子というのは何気に忙しい。公務とやらがあるからだ。公務の合間に勉強し、剣術体術を習い、自分の統治する土地も管理する。まあ、しょっちゅうさぼってどこかへ行ってしまうと、侍従長のセバスはいつも頭を抱えていたが。


 今も、さぼってここにいるのだろう。


「何で……ここにいるの? 」

「カシスにいれてもらった」

「あ……会いたくないのだけど」


 ジークとライラのキスシーンを見てから、ジークに会わないようにしていた。


「あれは誤解なんだよ」

「聞きたくない」


 私は寝返りをうち、ジークに背を向ける。


「ねぇ、ディタ……? 」


 甘い声を出しても知らない。


「私、ジークの愛妾になる気はないから。そういうのは別に探して」

「別……って、ディタはそれでいいの? 」


 いい訳がない!


 私は勢いよく起き上がると、手当たり次第ジークに向かって投げつけた。枕、掛け布団、毛布……。


「……ライラとキスした! 」

「……ごめん。香りが……ディタの香りがしたから」

「ライラを私の身代わりにしたんでしょ?! 同じ匂いがすれば、誰だっていいの?! 」

「代わりとかじゃなくて、ディタだと思ったんだって」


 ジークはベッドの上に膝をつき、私の手をそっと握る。


「嘘! 」

「本当だよ。でも、ごめん。間違えたとかでもなしだよね。もし逆だったら……絶対に相手のことボコボコにしてると思う。うん、手加減なんかできない。何十回切り刻んでも足りないかも」


 笑顔で怖いこと言っている気がするんですけど……。


 引き気味でジークを見ると、ジークは真顔になった。


「本当に、ディタだと勘違いしたんだ。ディタの香りがして目隠しされたから、ディタが悪戯したんだと思って抱き寄せてキスした。まさか王宮の人間が、ディタの石鹸を使ってるとは思わなかったんだ」

「抱き寄せた時点で気がつきなさいよ」

「そうだよね……」


 ジークはシュンとしたように項垂れる。


 自分で言うのもなんだけど、ライラのグラマラスな体型と私とじゃ、抱き寄せた感触が違い過ぎるでしょうに。

 でも、私の代わりじゃなくて、私本人と間違えたのか……。

 ライラに石鹸をあげたことを伝えておけば、こんなことにはならなかったかもしれない。そこは私にも落ち度はある訳で……。


「もしこれがアンネだったらどうするのよ。彼女だって石鹸使ってるんだから、間違えてキスしちゃったら偉いことになるわよ」

「うーん、する前にひっぱたかれる気もするけど」


 確かにそうだ。

 それにあの状況、避けようと思えばいくらだってジークの唇は避けれた筈。顔を押さえ込まれていた訳でもないのだから。ただ、腕を引かれ抱き寄せられただけ。


 私は試しにグイッとジークの腕を引っ張ってみた。

 ベッドの柔らかさもあってか、ジークは体勢を崩して私の方へ倒れ込んできた。


 ゴツン!


「痛っー! ディタ、何するのさ」


 おでことおでこがぶつかり、ジークは頭を押さえて私の膝の上に崩れ落ちる。


 ごめんね、石頭で。


「大袈裟にわめかない。今回だけは許してあげる。でも、次に浮気したら、絶対に許さないんだから! 」

「しないよ! 絶対にする訳ない!! 」


 ジークは私に抱きついてきた。

 押し倒されるようにベッドに倒れ込み、ギュッと抱き締められる。

 甘く潤んだ瞳が近づいてきて……。


 私はジークの顔面を手のひらでブロックした。


「風邪うつる……。それより……寒い」


 ガタガタ震えだした私に、ジークは慌てて床に散乱した布団類を拾いかけてくれた。


 甘い雰囲気はまた今度……。





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