第8話 衝撃の現場

 重い足取りで部屋を出た私は、かなりゆっくりと裏庭へ向かい、温室が見えたところで足を止めた。


 まさか、あそこでいきなり事に及ぶことはないだろうけど、ジークの期待ぶりを知ってるから、気が重い。激しく重い。足がめり込んでるんじゃないかってくらい先に進まない。


 何年も、若い男子には苦行だったと思うよ。そりゃさ、十代男子なんて猿みたいなもんだし、あれやこれやしたいよね。キスだけとか、どんな拷問だよって感じだよね。「私のこと好きなら我慢して」って、本当に待ったジークって、さすが時期国王! 忍耐力半端ない。回りからもやいのやいの言われていただろうし、立場的にもまずいだろうに、たかだか娼婦見習いの小娘の為に、結婚もせずに私の成長を待つとか、大物なのかただのバカなのか……。


 いやいや、バカは失礼だった。

 残念エロ王子だけど、バカではないよね。


 私の頭の中で、ジークを誉めているのか貶しているのかわからない状況になる。

 私は大きく息を吸うと、とりあえず話してみようと決心する。その内容を整理してみた。


 楠木彩の記憶があることは言えないから、初体験が無茶苦茶怖い。色んな話しを聞いていて、あまりの怖さに、自分にできるとは思えない。無理にされたら絶対嫌いになりそうだ。できればもう少し……もっと言えば一生、待ってもらえないだろうか?


 交渉には、ある程度の妥協が必要なのはわかっている。


 だから、いたすことはできないが、できる限りのお手伝いはしよう。王妃教育で培った夜の奉仕の仕方、試してみるのはやぶさかでない。


 とても処女の提案とも思えないが、自分が痛い目に合わないのなら、それくらいはなんてことはない。実際に、楠木彩の時は、手と口を駆使して、行為にいたらないように阻止したこともあった。

 結構満足してくれ、やらなくてすんだことも数多くあった。


 その知識は健在だから、満足させられる自信はある!


 拳を握り、力強い一歩を踏み出す。


 普通に考えて、可愛い彼女にこんな提案(Sexしたくないから手と口で頑張ります! )をされるジークって、かなり可哀想過ぎる。過ぎるけど、背に腹はかえられない。


 温室に入ると、いつもジークがいるベンチに向かう。花々の間にジークが見えて……。


 えっ?

 ええっ?!


 ジークが侍女の腕を引っ張り、その唇を重ねてた場面をバッチリ目撃してしまう。

 確かに、ジークから侍女を引き寄せた。侍女は甘えたようにジークにもたれかかり……。


 濃厚なラブシーンにしか見えませんが?


 ジークが侍女から慌てて離れ、そして二三言話したように見え、私と目が合った。

 しっかりと、視線が交わるのを感じる。


 私はジーク達に背を向けて、脱兎のごとく駆け出した。


 相手は……相手はライラだった!


 ★★★


「ディタ! 誤解……だ」


 叫ぶよりも早く、可愛いディタの後ろ姿は温室あら消えていた。彼女があんなに早く走れるなんて知らなかった……じゃないッ! 追いかけて誤解を解かないと!


 慌てて立ち上がったジークを、ライラが引き留めた。


「お待ち下さい。ディタ様はアンネローズ様のところへ戻られたのでしょう。ならば、男性が入ることはできません」

「いや、そんなこと言ってる場合じゃ……」

「落ち着いてくださいませ。私が参ります。どうぞジーク王子様はこちらでお茶を召し上がってお待ち下さい」

「いや、でも……」

「勘違いなさったことはちゃんと話して参りますから」


 ジークが違う、間違えたんだと訴えても、ディタが信じるとも思えなかったし、当事者から言ってもらうのが一番かと思われた。


「……頼む」

「かしこまりまして」


 ライラは、ジークの袖に手をかけ、ニコリと微笑んだ。普通なら、侍女が王族の身体に触れるなど有り得ないことなのだが、さっき抱き寄せてキスしてしまったからか、ジークはそれについて特に意識すらしなかった。


 ★★★


 十代の身体というものは、やっぱり三十代の身体とは体力も持久力も違うもので、私は一度も速度を弛めることなく走り抜け、バクバクする心臓のままアンネの部屋に飛び込んだ。


「何、どうしたの?! 」


 ベッドに半身起こし、優雅に紅茶を飲んでいたアンネが、あまりの形相な私を見て唖然とした。


「……み……水」


 私は水差しの所まで行くと、水が溢れるのも気にせずに水を注ぎ、一気に飲み干した。あまりに勢いよく飲んだので、気管に入り咳き込んでしまう。


「やだ、大丈夫? 」


 アンネはベッドから下り、私の背中を叩いてくれた。王女の部屋にノックもなく入ったというのに、そんなことには無頓着に、私の様子を気づかってくれる。


「……兄様に押し倒された? こんな短時間なら未遂よね。兄様も余裕がなかったのよ。許してあげてね」

「ち……違う、ゲホッ……」

「あら、違うの? 兄様も存外意気地無しね」


 そこへ、扉がノックされて入室のお伺いをたてる声がした。


「どうぞお入りなさい」


 アンネが許可すると、扉が開いてライラが立っていた。


「ディタ様に、ジーク王子様のことでお話しが」

「聞きたくない」

「あなたは聞かなければいけないわ」

「嫌ったら嫌! 」


 私とライラのやり取りを見て、なんとなく嗅ぎとったアンネは、私のことをちょいちょいと呼んだ。


「何があったか知らないけど、落ち着いて」

「私は十分落ち着いているわ」

「何があったの? 」


 押し黙る私に、ライラが平伏した。


「私が悪いんです。ディタ様に触れることができない王子様に、不用意に近づいてしまったんですから」

「えっと、つまり? 」

「ジーク様は私を引き寄せて接吻を……」


 ライラは、事実のみ語った。


「ディタ様……ディタ、どうかジーク様を許してさしあげて。ほんの出来心。ジーク様は私ではなく、あなたを心に思いながらしたのでしょうから」


 アンネはこめかみを押さえ、私はライラの言葉を言葉の通りに受け止めて震えた。

 もちろん、怒りにだ!


 つまり、ジークは私が手を出させないから欲求不満をライラで解消したと?! ライラを私の代わりにしようとしたってことよね?

 私への裏切りもだけど、ライラにもなんて酷い……。


 本当はライラの匂いを私のものも勘違いして、私だと思い込んでキスしてしまったんだけど、この時私はライラの曖昧な言い方を自分なりに解釈してしまっていた。


「あなたには大変申し訳ないことを。兄様に代わって私が謝ります」


 アンネも私と同じように思ったのだろう。頭を下げようとするアンネに、ライラが慌ててより平伏する。


「とんでもございません! たとえ代理にしろ、私には幸せな時間でございました。……ただ、こうなってしまいましたからには、このまま王宮に残るのは……。」

「侍女を辞めるというの? 」

「はい……それがいいかと」

「だって、あなた、ロイ公爵の養女じゃなかった? 」

「さようにございます。ジーク様の愛妾になるようにと、買われた女にございます」


 肩が震えているのは、これからの身のふり様を慮ってか、ジークへの恋慕故か。


 私は、ギュッと唇を噛み締めた。


 この世界で初めて優しい言葉をくれたのがライラだった。このまま公爵の元に帰す訳でもないし、にはいかない。用なしになったライラが、どんな扱いを受けるかわからないからだ。


「ダメよ、侍女を辞めたらダメ」

「でもディタ……」

「い……いいんじゃない?! 王様は沢山奥さんがもてるんでしょ?他のジーク王子狙いの人達より一歩リードじゃない」

「ディタ! あなた、それでいいの?!」


 良い訳がない。


 でも、そんなことが……私以外の女性を身代わりに平気でできてしまう相手に、これっぽっちも妥協するつもりはなかった。


「私……今日は帰る」


 フラフラと部屋を出る私には、平伏しているライラの顔を見ることはなかった。震える肩の真意も、もちろんわかっていなかった。


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