第5話 ライラの気持ち

 完全復活した私は、今までよりも身も軽くスキップでもしたい気持ちだった。


 生理じゃないって素晴らしい!


 オムツのような腹帯からも解放され、漏れる心配もしなくていい。しかも、この身体は驚くほど生理痛が酷いらしいから、まさに今は天国のようだ。頭まですっきりとしている。


「アンネ様、お茶をお持ちしました」


 私の忌む月(生理)のすぐ後にアンネもなったらしく、今はアンネが床についていた。

 暇だからと私は王宮に呼ばれて、ひたすらアンネの話し相手をさせられていた。


「ディタ……様、何を? 」

「私の前ではいつも通りでいいわよ。ディタ様って呼びづらいんでしょ」


 事情を知るアンネは、クスクス笑いながら言う。

 私はストレッチをしながら、そうそうとうなづく。


「そういう訳には……。アンネローズ様のご学友になりますし。それで、ディタ様は何をなさっているんです? 」

「ストレッチ。知らない? 身体をほぐす為にするのよ。いきなり走ったりしたら筋肉がつるでしょ。運動する前にやると、スムーズに動けるようになるの」

「今から走るんですか? 」

「違う違う。いや、走ってもいいけどね。身体が軽いから動きたいくらいだし。今は、座ってばかりで身体が痛くなっちゃうからのばしていたの。アンネも、寝てばかりだと身体が鈍るよ。少し動いたほうがいいって」

「そうですわね。では私も……」


 ベッドから起き上がって私の真似をしようとするアンネを、ライラは慌てて制する。


「お止めください! そんな動いたりしたら、お身体に障ります」

「貧血おこした私が言うこっちゃないけど、生理……忌む月は病気じゃないでしょ? 少しは動かないと」

「そうそう。私は忌む月が軽いほうですから、暇で暇で」

「では、女性の先生をお呼びして、講義を再開なさいますか? そう手配いたしましょう」

「待った! 今、急に貧血に……。これは寝てないとだわね」


 アンネは、するりと布団の中に入ってしまう。

 私とライラは顔を見合わせて笑った。


「ディタ、今日はジーク王子様と会ったの? 」


 ライラが声を潜めて聞いてきた。


「いいえ。だって、アンネに会いに来たんで、ジーク王子に会いに来た訳じゃないもの」


 生理がきたことが知られてしまった今、ジークにどう接すればいいのかわからない。いきなり求められたりしたら、断固拒否してしまいそうだ。そんな戸惑いから、ひたすらジークを避けるように行動し、今のところジークに会わずにいられていた。


「さっき、探しておられましたよ」


 忌む月の間は、アンネの部屋の一帯は男子禁制になっており、身内といえど入ってはこれなかった。故に一番の避難場所なのだが……。


「まあ……後でちょこっと顔を出すわよ」


 いつまでも逃げていられないし……。


 私のため息は止まらなかった。


 ★★★


 私がアンネの部屋でグズグズと時間を過ごし、ジークに会うのを遅らせていた時、ライラはお茶の用意をしていた。


 アンネに出すお茶ではない。お湯が冷めないように布をかぶせ、トレーを持って庭に出た。

 裏庭に回り、迷うことなく足を進める。こちら側は庭師も週に一回くらいしか入らないし、侍従達も好んで入ろうとはしない。


 ライラがこの場所を知ったのはたまたまだった。


 まだ王宮に入って間もない頃、ロイ公爵にはジークに気に入られるようにと厳命されていたが、人嫌いの王子にはなかなか会えなかった。会えても、ライラの性格からも、回りの侍女を蹴落として……みたいな侍女同士の争いに足を踏み入れることもできず、王宮に馴染めずにいた。

 そんな時、一人になりたくて訪れた裏庭、先に進むと小さな温室があった。中を覗くと、綺麗な花々が咲き乱れる美しい光景の中、花々を圧倒するくらい美しい男性がたたずんでいた。


 ジーク王子様……。


 ライラは目を奪われた。赤に近い金髪は輝いて見えたし、花々を愛でる紅い瞳はなんて優しく微笑むのか。軽く結ばれた口元は魅惑的で、この口が開いて自分の名前を呼んでくれたら、きっと気絶してしまうに違いない。まるで一枚の絵画のような情景に、ライラは目を奪われ動くことすらできなかった。


 なんて……なんて美しい。この王子様の愛妾になれたら……。


 生まれて初めて湧き上がった、自分の為だけの欲求だった。

 それからたまに温室に足を向けては、こっそりとジークを見つめていた。


 いつもは人が近付くと、眉をわずかに寄せて無表情を貫く王子、そんな氷のような顔も美しかったが、温室の中の王子は別人のように穏やかな表情でくつろいでいた。それを知っているのは自分だけ……。そんな優越感もあった。

 身分はロイ公爵の養女になっているが、出自は貧民の娘。見ているだけで満足だったのだ。


 それが、ある時を境に心がざわついた。


 ディタ、同じ貧民出身の黒髪の娘。身体も弱く、親にも厭われた可哀想な娘で、あまりに可哀想だったから、小さい時から弟妹達同様に面倒を見てあげたものだ。一緒に人買いに買われた、そんな娘が、いつの間にかジーク王子様の横にいた。

 花々に囲まれた時の、私しか知らない筈の笑顔を向けられて。


 自分と同じ立場の、自分よりも可哀想な娘が、ジーク王子様に愛を囁かれている。


 衝撃以外の何物もなかった。そして同時に湧きおこるドロドロとした黒い感情。

 ライラは必死でその感情から目を背けようとした。


 か弱くて可哀想なディタ。


 ライラはディタを下に見ることで、心を落ち着かせようとしたのだった。


 ライラはいつものようにぶつぶつと「可哀想なディタ」とつぶやきながら、温室の中を覗き込んだ。

 いつもは覗くだけで入ったことのない場所だったが、今日はジークにお茶を持ってきていた。

 私の伝言を伝える……という名目で、ジークの元を訪れたのだ。


 中に入ると、鼻をくすぐる花々の匂いに、ライラはホーッと息をつく。なんてかぐわしく、落ち着く香りなんだろうと、ライラの気持ちも穏やかになる。さらに先に足を進めると、ベンチに横たわるジークを見つけた。


 寝て……らっしゃる?


 ライラは足音をさせないように注意して近付くと、お茶をのせたトレーをサイドテーブルに置いた。カチャリと音が鳴ったが、ジークは起きることなく静かな寝息をたてていた。

 間近で見るジークの顔は、信じられないくらい整っていた。まさに完璧なディテール。全てがエクセレントで、こんな人間が存在するのが信じられないくらいだ。

 ライラは、ついついにじり寄り、覗き込んでしまった。指がそっとジークの唇に触れる。息をしているのか不安だったからと……、衝動が押さえきれなかったのだ。


 ジークの瞼がピクリと揺れ、ライラは慌ててその瞼を手で覆ってしまう。後で考えても、何故そんなことをしてしまったのかわからなかった。

 ジークの口元が優しく微笑み、鼻がひくひく動く。

 無礼をしてしまったと慌てたライラが手を引こうとした瞬間、ジークは力強くライラの腕を引いた。近づくジークの顔に、思わずライラは顔を寄せた。


「ディタ……悪戯好きな可愛い人」


 ジークは完璧にライラと私を勘違いしていた。






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