第2話 再開

 今日も朝から王宮に来て、アンネと一緒に座学にいそしんだ。


「ディタ、なんか……顔色悪くない? 」

「えっ? 普通よ」


 アンネに言われて、私は何でもないふりをした。実は朝からお腹が重苦しい感じで痛かった。でも熱もないし、お腹が痛いくらいで……と頑張ってでてきたのだが、どんどん痛みは増してきていた。


 もし悪い病気だったら……?


 この世界の医療の水準を考えると、お腹の痛みに関係なく冷や汗が出てくる。薬は漢方のような自然の草木を乾燥して粉にした物だけで、しかも値段がべらぼうに高い。切れたら縫うくらいのことはするみたいだけど、あくまでも皮膚レベルの話しで、内臓まで達する切り傷は致命傷になる。つまり、手術になるような病気はアウトだ。盲腸でも死ぬ。

 女性は妊娠も命懸けで、帝王切開などないから、出産時の死亡率も低くはない。

 虫歯一つで、歯医者もいないからのたうち回るような痛みに耐えねばならなく、歯磨きは必須だ。


 こんな世界だから、身体が弱いってのは大問題で、姉のカシスなどはよく私が生き残れたと、今でも自分のおかげなんたと言う。私にその時の記憶はないけど、確かにその通りなのだろう。


 どんどん痛みが強くなり、私はお腹に手を当てながら、アンネを心配させないように笑顔を作る。はっきり言って、今日の講義の内容は一つも頭に入っていない。


「……もしかして、お腹が痛いの? 」

「たいしたことないのよ。ちょっと冷えたのかな」

「どの辺りが痛いの? 医者を連れてくるわ」

「待って! 大丈夫だから」


 医者なんかにかかったら、どれだけお金がかかることか! やっと私とカシスを身請けできるだけの金額が貯まりそうだというのに、ここで大金を支出する訳にはいかない。


「だって、そんなに青白い顔して……」


 アンネは私の額に手を当て、熱がないことを確認すると、ちょっと温める物を持ってくるわと部屋を出ていった。


 一人で部屋に残された私は、机に突っ伏すようにしてお腹を強く押した。お腹を押して痛みはなく、押した方が痛みが引く気もする。

 ここまで強い痛みではなかったけれど、この痛み……というか痛む場所に記憶がない訳ではない。


 もちろんディタの記憶ではない。


 まさかね……。こんな激痛じゃなかったし、こんなのが毎月とか、死んじゃうよ。まだまだ、私は大人になんかなりたくないし。


 頭の中身が同じでも、身体は楠木彩とディタは別物ということを失念していた。そして、生理現象を意思の力で操れる訳もなく……。


 何かが流れるような感覚を太腿に感じ、嫌だ嫌だと思っていたことが現実になる。


 これはあれだ……。


 ズキズキとする下腹部を押さえつつ、ノロノロと立ち上がる。


「ディタ、温めた石を持ってきたわよ。これでお腹を温めて」

「アンネ……ごめん。今日は帰らせ……て」


 立ち上がったせいでか、軽い貧血を感じて床にしゃがみこむ。


「ディタ! ディタ?! 誰か、誰か来て!! 」


 アンネの金切り声が響き、私の側に走り寄ったアンネは、どうしたらいのかわからずにオロオロしている。


「大丈夫……」

「ああ、医者を! 」

「違うのよ、病気じゃないの。月のものが……生理がきただけだから」

「月の……もの? 」

「そう。だから、お医者様は止めて」


 アンネはマジマジと私を見ると、衣服の汚れを確認して、唐衣を脱いでそっとかけてくれた。


「侍女を呼ぶわ。待ってて」


 アンネが呼ぶまでもなく、さっきのアンネの叫び声を聞き付けて、侍女が数人部屋に雪崩れ込んできた。


「アンネローズ様! いかがなさいました?! 」

「ディタに、ディタに月のものが。当て布と腹帯、腰巻き、衣類の替えを用意してちょうだい。ディタ、すぐに具合よくしてあげますからね。少しの辛抱よ」


 アンネはテキパキと指示を出すとら私のお腹に温めた石を抱かせた。その温かさに、下腹部痛が少しずつ楽になっていく。


 侍女が着替えを手伝ってくれると言ったが、それは辞退してアンネの衣服を借りて着替える。こんなに着心地の良い布地は触ったこともなかった。

 この世界はパンティがないから、当て布をあて、布オムツのようなもの(腹帯)で押さえるらしいのだが、今一やり方がわからない。

 下手に漏れたらアンネはの衣服を汚してしまうしと戸惑っていると、控えめなノックがあり、侍女の一人が顔を出した。


「ディタ……様、やり方はわかりますか? 」

「えっと……なんとなく」


 部屋に入ってきた侍女は、私の前に回り込むと、ちょっと失礼と言って、巻きスカートのようになっている腰巻きを開いた。


「これだとすぐにほどけてしまいます。ここはこうして巻き付けて、中に入れるんです」

「ごめんなさい。こんな……」

「いいのよ。慣れてるわ。……クスッ、あなたのお漏らしの世話だってしたことあるし」

「エッ?? 」


 王宮の侍女は平民がなることはほとんどない。貴族の令嬢が花嫁修業を兼ねて勤めたり、平民でも貴族の紹介がないと王宮にあがることはできない。

 ディタの身分で、王宮に知り合いなんか……?


 彼女のフンワリした笑顔に見覚えがある気がして、私は侍女をじっと見つめた。

 綺麗な金髪に碧眼。美しい少女だが、その美しさよりも、穏やかで優しげなその雰囲気に懐かしさを感じた。


「……ライラ? 」

「当たり。いつ気がつくかしらって思っていたけど、全然なんですもの。ちょっと寂しかったわ」


 ライラ、私と同じ村出身で、家も隣りだったという少女。その記憶はないが、同じ人買いに売られ、同じ馬車に乗っていた。不安でしょうがなかった私に、優しく声をかけてくれたのがライラだった。

 貴族に売られたと聞いていたが……。


 私はライラに抱きついた。


「無事で良かった! 」


 ライラは私の背中に手を回してポンポンと叩いた。

 記憶にないけど、この感じ……身体が覚えている。


「御貴族様のロイ公爵に買われて、淑女教育を受けて王宮にお仕えするようになったの」

「そうなの? いつから? 」

「……二年前? かな」


 二年前というと、ジークと付き合ってたから王宮にはたまに出入りしていたような……。


「なんで声かけてくれなかったの?! 」


 ライラは、気まずそうな表情を浮かべる。


「私ね、ジーク様に気に入られるようにって買われたの」

「えっ? 」


 ロイ公爵……聞いたことがあるような?


 そんな私の表情を読んだのか、ライラはロイ公爵が私の娼婦御披露目の時に、私の半年間の権利を勝ち取ろうと入札に参加し、最後の五人に残った貴族の一人だと語った。


「ディタの御披露目の時に、あなたを落札できなかったって、屋敷に帰ってから荒れてらしたわ。私と同じ時に売られたのを知って、何であなたじゃなく私を買ったんだって、凄く怒られて……。それで、あなたと関わるな。あなたからジーク王子を略奪しろって、厳命されてたの」

「ああ……あの」


 厳しそうな眼光鋭い老人の顔を思い出した。


「よっぽど外戚になりたいのね。私以外にも十人くらい養女にして王宮に送り込んでいるわ」


 それはまた……。


 ジークは特殊な好みの持ち主(恋人として微妙だけれど)であり、顔やスタイルには無頓着だ。自分が完璧な美貌を持っているから、他人の見た目にはこだわらないんじゃないだろうか?

 私に異常にこだわっているのは、インプリンティングいわゆる刷り込み現象ってやつだと思う。この地獄(鼻がとんでもないジークにしたら)のような世界で、初めて良い香りのする人物(私)に会い、その衝撃を恋と結びつけてしまった。雛が初めて見た動く物を母親と認識するように、初めて嗅いだ匂いに執着してしまったんだろう。


 そんな分析をしつつ、私はそんなインプリンティングの上に胡座をかきまくっている訳である。ジークの甘々は凄まじいし、これでもし素知らぬ顔をして他の女にもいい顔をようものなら、私は男性恐怖症になるかもしれない。


 ジークの正妃や愛妾になりたい女性はうじゃうじゃ回りにいるのはわかってたし、そんなに焦りはなかった……けど、ライラが相手となると……。

 見た目の美しさももちろん、その優しさは本物だ。


 ライラはクスリと笑った。


「やだ、何か心配してる? 私はジーク様にアプローチなんかする気はないから安心して」

「心配なんかしてないし。 ジーク王子に誰がアプローチしようと私には関係ないし。今は恋人かもしれないけど、恋愛と結婚は別で、私は結婚なんか全然考えてないし。第一、身体の関係だって無理だって思ってるし! 」

「ディタ……ディタ」


 ライラが私と私の後ろを見て、オロオロしながら口元に手をやる。


 タイミングというのは、悪い時に合うものである。

 私の真後ろにジークが立っていた。

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