215 ヤギとイジェ

 俺はピイだけを連れて、ヤギのそばに立っているヴィクトルに近づいていく。

 俺を見て、ヴィクトルは笑顔のまま無言でうなずく。

 ヴィクトルは、ヤギを刺激しないようにしながら、警戒してくれているようだった。


 ヤギは俺を見ると、座ったまま、息を多く吸って「めぇぇぇぇ」と鳴いた。

 俺を見ても、ヤギには逃げる様子も、怯える様子もない。

 なにせ、両前足を折り曲げて、お腹を地面につける形で座っているのだ。

 いや、座っているというより横たわっていると言ってもいいかもしれない。

 俺が悪意を持った人間で、ヤギに危害を加えようとしたとしても、ヤギは容易く逃げられまい。


「テオさん、話し合いはできそうですか?」

 ヴィクトルは小声で、なるべく優しい声を作っている。

 大きな声を出して、ヤギを怯えさせたり、刺激したり、警戒させたりしないようにだ。 


「話し合いは可能だろう」

 ヤギの態度は人を信用しているかのようだ。

 一度挨拶するようにひと声鳴いた後は、無言で俺とヴィクトルをじっと見つめている。


「ただのヤギではなく、魔獣のヤギ、魔ヤギだな」

「魔ヤギですか。旧大陸にはあまりいませんでしたね」

「俺も会ったことはないが、旧大陸にも存在しないわけではないらしいぞ」


 旧大陸の魔ヤギは温厚で、賢く、ヤギたちの王となる。

 人間を襲うわけでもなく、農作物を食べ散らかしたりもしない。

 だから、冒険者に討伐依頼が出ることも滅多にないのだ。

 冒険者にとって、出会う機会の少ない魔物である。


「このヤギも賢そうな顔をしているな」

「テオさんにはそう見えますか?」

「ああ、ふるまいも落ち着いているし。ヴィクトル、ヤギがやってきてからの話を聞かせてくれ」

「はい。突然、燕麦をかき分けるようにして、畑の向こうからゆっくり歩いてきました」

「ほう。そしてあの場所に座ったのか?」

「そうなります」

「あの場所には何があった?」

「イジェさんがいました」


 つまり、イジェのところに真っすぐ来て座ったということらしい。


「イジェに何かして欲しいことがあるのかもな」

「可能性はありますが……イジェさんには心当たりはないようです」

「イジェもこの畑の収穫を手伝ったことはあるという話だったが……」

「いくらしっかりしていて、利発だと言っても、イジェさんはまだ子供ですから」


 まだ、両親やイジェの村の大人たちから、必要なことを教わっている最中だったのだ。

 村人たちがヤギと何かしていたとしても、イジェが知らなくても不思議はない。


 俺はヤギの前に立って、改めてじっくりと観察する。

 白い毛が美しい、長毛種のヤギである。

 俺の知っている旧大陸のヤギとは雰囲気が違う。

 座っているので体高などはわからないが、体長は馬ぐらいあるようだ。


 それに立派な角が生えている。

 ヤギは雄雌両方とも角が生える種が多い。

 だが雄の方が立派な角を持っていることが多いものだ。

 このヤギは雄である可能性が高いかもしれなかった。

 とはいえ、種族によって、角の大きさはさまざまだ。

 雌雄の判断はまだ早い。


「さて、ヤギ。俺はテオドールという。この子はスライムの王ピイ。そしてヴィクトルだ。危害を加える意思はない」

 俺はテイムスキルを発動させて自己紹介する。


「ヤギ。なにか要望があるのか?」

「めええええぇぇぇぇぇ」


 ヤギから、幼き賢い者とはどういう関係かと尋ねられた。

 ヤギが幼き賢い者と呼んでいるのは、イジェのことだ。



「俺はあそこにいる賢い者イジェの仲間だ」

「めぇ?」

「本当だ、嘘ではないぞ。よし、イジェにもここに来てもらおう」

「めぇ~」


 イジェと俺たちは、多少姿が違う。

 だから、ヤギは気になったようだ。


 俺はイジェに向かって、手招きした。

 すると、イジェは近くにいた冒険者に何かを話した後、走って来る。


「ドシタの?」

「ヤギが、俺が本当にイジェの仲間か知りたいそうだ」

「めえぇ~」

「ウン、テオさんもヴィクトールさんも、ナカマだよ」

「めぇえ」


 ヤギは納得したようだ。

 俺に対する信用度が上がった気がする。


「めえ? めええ? めええ? めえめええ?」


 ヤギはイジェに向かって、矢継ぎ早に尋ねる。

 イジェにはヤギの言葉は通じないが、関係ない。


「ナンテイッテイルの?」

「そうだな。イジェの一族の者たちはどうしたのだ? 元気にしているのか? どこに引っ越したのだ? また遊びに行っていいか? かな」

「ソウ」


 イジェはヤギの頭を撫でる。

「ミンナ、シンジャった。アクマがアラワレて、ヤラレチャった」

「………………めえ?」

「イジェイガイ、ミナシンジャッタ」

「…………めえええええええ」


 イジェの一族を襲った悲劇を知ったヤギはしばらく悲しそうに泣いた。

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