25 魔熊の噂

 魔狼の中でも、強力な魔白狼の亜種の群れを狩った魔熊だ。

 その魔熊は、魔熊の中でも特に強力な魔熊ということになる。


 しかも餌があるのにあえて魔狼を狩るほど好戦的な奴だ。

 対策を考えるべきだろう。


「なるべくならば、遭遇しないようにしたいが、そうもいかないだろうしな」

「私からヴィクトルに言っておこう」


 ケリーがそう言うと同時に、後ろから、

「大丈夫。聞いていましたよ」

「うお! ヴィクトル! いつの間に!」


 ケリーがびっくりして尻もちをついた。

 そんなケリーの顔を、シロがべろべろ舐める。

 どうやら、シロはケリーのことが嫌いではないらしい。


 ケリーを起してあげながら、ヴィクトルが言う。


「シロ。聞きたいのですが、その魔熊というのは何頭でしたか?」

「あぅ」

「一頭らしいぞ」

「……一頭で。なるほど、それは恐ろしいですね。群れの全滅はいつ頃ですか?」

「…………ぁぅ」


 シロは結構前と言っている。

 具体的に何日前とかはわからないらしい。

 魔狼には日にちを数えるという習慣はないだろうし仕方がない。


「つきでかかた」


 シロの横にいたフィオが元気に言う。

 だが、何のことかわからずに、ケリーとヴィクトルがきょとんとする。

 だから、俺がフィオが何を言いたいのか考える。


「んーっと、フィオ。魔熊に襲われたとき、月が大きかったということか?」

「そ」

「まん丸だった?」

「そぅ」

「それから何回ぐらい月は大きくなった?」

「なてない」

「ありがとう、助かったよ。フィオ。シロ」

 俺はフィオを褒めてシロと一緒に頭を優しく撫でた。


「わふふ」「わふ」

 フィオもシロも嬉しそうに尻尾を振る。


「ヴィクトル。つまり前の満月の夜に襲われたってことだ」

「昨日は新月でしたし、十五日前、いや十六日前ということですかね?」

「そうだろうな」


 二週間とちょっと。

 狼と人の子供だけで、生き延びるには充分に長い時間だ。


「フィオ。シロ。魔熊のことはおじさんたちに任せておけ」

「わふ」

「フィオさんとシロは、お腹いっぱい食べて、のんびり休んでくださいね」

「そうだな! フィオ、シロ。ダニがいるだろう。川で洗ってやるからこっちにこい」

「わふ!」「ゎぅ」


 ケリーがそんなことを言ったので。フィオとシロは怯えたような表情を見せた。

 水に濡れるのが嫌なのだ。

 特に川の水は冷たい。真夏でも驚くほど冷たいのだ。


 上毛と下毛のダブルコートを持つシロならば、多少濡れても大丈夫だ。

 だが、これまでの生活の中で、フィオが濡れたら一気に体温を奪われ命にかかわる。

 夏でもそうだ。冬なら確実に死ぬだろう。


 フィオは体毛がないだけでなく、服も粗末な木の皮程度の物しかないのだ。


「洗った後、ちゃんとした服をやるから安心しろ」


 ケリーは笑顔で言うが、フィオは怯えた様子で、俺の後ろに隠れた。


「ておあらう」


 手洗いしたいという意味ではない。

 フィオはどうやら俺に洗ってもらいたいらしい。

 どうせ洗ってもらうならば、信用できる俺ということだろう。

 ケリーはシロの信用は手に入れたが、フィオの信用はまだ手に入れていないらしい。


「てお、あらう」


 フィオは、再び同じことを言う。


 もしかしたら、洗われること自体は嫌ではないのかもしれない。

 冷たい川で洗われるのは嫌なのだろう。

 俺も嫌だ。フィオとシロの気持ちはわかる。


「いや、私が洗うべきだろう。魔獣学者だしな」

「たしかにフィオは女の子だし、女性のケリーに洗ってもらうのが一番だと思うが……」

「だろう? さあさあ、フィオもシロも、近くに川があるからな」

「ケリー、少し待ってくれ。川の水は冷たすぎる」

「それはそうだが……。ダニやノミを落とす方が先だろう?」


 ダニやノミが付いたままだと、病気になりかねない。

 そしてダニやノミが一緒に暮らす俺やヒッポリアス、そしてみんなにも移しかねないのだ。


「ヴィクトル。今日の予定は色々あると思うのだが……。まず井戸を掘っていいか?」

「かまいませんよ。井戸は生活の要、整えるのは急務ですからね」

「助かる。ついでに簡単な入浴施設も作ってしまおう」

「人手はどのくらいいりますか?」

「んー。ヒッポリアスに手伝ってもらうから、こっちは大丈夫だ」

「わかりました。では、こちらはこちらで……」


 ヴィクトルが冒険者たちにテキパキと指示を出す。

 どうやら、ヴィクトルと地質学者が中心となって周辺の調査をするらしい。

 畑を作るのに適した場所の調査も大切だ。


「凶暴な魔獣。もしかしたら魔熊がいる可能性がありますから、注意してください」

「わかってるぜ!」

「ただの魔熊ではありませんよ。魔白狼の成狼が八頭いる群れを狩った魔熊です」

「……なんだそれ。本当に魔熊か? ドラゴンじゃないのか?」


 冒険者たちは驚く。それも当然のことだ。

 そんな凶悪な魔熊など、Bランクである冒険者たちの手に余る。

 それどころか、Aランク冒険者であるヴィクトルの手にすら余るほどだ。


『ひっぽりあす。たおす!』

「みんな。いざとなれば、ヒッポリアスが倒してくれるそうだ」

「おお!」「それは心強い!」

「敵に気づかれたら、逃げながら大声をあげてくれ、俺とヒッポリアスが向かう」

「キュッキュ!」


 ヒッポリアスは力強く鳴きながら、尻尾を勢いよくぶんぶんと振った。


 ヒッポリアスの言葉に勇気づけられた冒険者たちは調査へと出発したのだった。

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