04 凪の海と海カバ

 新大陸への海路、その三分の二程の間は、ちょうどいい風が吹いていた。

 魔物にも、嵐にも遭遇することはなく、順調に進むことができた。


「我らのことを神は祝福されているのですね。感謝しましょう」

 司祭でもある治癒術師がそんなことを言う。


 すると、冒険者たちが祈りを捧げ始めた。

 いつも死と隣り合わせの冒険者には信心深い者が多いのだ。

 ヴィクトルまで祈りを捧げている。

 俺も冒険者の仲間として形だけ祈りを捧げておいた。


 そんな俺たちの様子を学者たちは興味深そうに眺めていた。

 調査団の学者たちには信心深いものはいないのだろう。



 だが、次の日。

 まったくの無風になった。船足も完全に止まってしまった。

 気候学者に尋ねてみたら、しばらく無風が続く可能性があるとのことだ。


 さっそくヴィクトルが俺のもとに相談にきた。


「テオさん。真水製造装置みたいなものって、製作スキルで作れませんか?」


 ヴィクトルは長い間ここで足止めされることを覚悟したのだろう。


「俺の製作スキルでは、複雑なものを作るのは難しいんだ」


 真水を作るならば、ろ過装置などを作りたいところだ。

 だが、水に溶けた塩をろ過するのは難しい。

 目に見えないほど非常に細かな穴の開いたろ過膜が必要だ。

 それに海水に圧力をかける機構も必要だろう。


 そんなことを説明すると、

「それはもう魔道具の域ですね」

「ああ。俺にも魔道具を作るのは簡単ではない。特殊な材料もたくさん必要だし」

「そうですね」

「魔道具ではない蒸留装置なら構造が簡単だから作れるが、燃料がいる」

「燃料は魔導師に頼んで炎の魔法を行使してもらいましょう」

「それならいけるか」

「是非お願いします」

「大量の真水を作るのは難しいだろうが、それでも、ないよりはましだよな」


 俺とヴィクトルは単純な構造の蒸留装置を製作するために具体的な相談を始めた。

 どの資材を使うか、大きさはどうするかなどなどだ。

 資材にも、船のスペースにも余裕はないのだ。


 それでも背に腹は代えられない。真水が無くなれば全滅である。


 俺とヴィクトルが設計図を書きながら真剣に相談をしていると、

「ひぃ。海になんかいる!」

 見張りをしていた冒険者の一人が悲鳴を上げた。


 俺とヴィクトルは相談を中断してそちらに向かう。


「ヴィ、ヴィクトルの旦那! あれだよあれ。変なのがいるだろう?」


 右舷から五十メトルほど離れた海面を大きな生物がぐるぐると周回しながら泳いでいた。

 しかも徐々にこちらに近づいてきていた。


「……ケリー! こっちに来てください、魔物です」


 ヴィクトルが魔物学者のケリーを呼んだ。

 走ってきたケリーは真剣な表情で魔物を見る。


「……なにあれ」

 一言そうつぶやくと、観察し始めた。


 十数秒観察した後、ケリーが興奮気味に言う。

「形状は川の周りにいるカバだ。だが、こんなに大きい奴は発見されてないな!」


 カバは熊のように大きくて、川の近くにいる、陸生生物だ。

 だが、今目の前にいる魔物は、熊どころではない。こちらの船ぐらい大きい。

 その上、大きな二本の角が生えている。角に注目すれば牛に似てなくもない。

 カバに比べて尻尾はとても太くて長い。尻尾を動かして推進力を得るのだろう。


「凄い。絶対新種だ」 


 そう言ってケリーはノートを取り出して、スケッチを始めた。

 とても学者らしい態度だ。新発見に興奮しているのだろう。


 ケリーの気持ちはわからなくもない。

 俺たちは基本的に外洋に出ることがほとんどない。

 だから、この辺りは新種の宝庫なのだろう。

 魔物学者にとっては楽園のような場所である。


 だが、冒険者としてはそうはいかない。

 カバのような魔物から、船を守らねばならないのだ。


 続々と冒険者たちが、新種のカバがみえる右舷に集まってくる。

 集まりすぎると、船が傾く。


「みなさん、まだ集まらなくても大丈夫ですよ」


 ヴィクトルが冒険者たちに指示を出す。

 前衛と後衛に分けて、船の重量バランスも考えて配置しなおしていった。


「指示するまで攻撃をしかけることは絶対にやめてくださいね」

「「おう」」


 そして、ヴィクトルは俺の横に来た。


「さて、並走しているカバの性格はどうでしょうか……。テオさんはどう思います?」

「凶暴でなければよいな。俺たちの知っているカバは結構凶暴だが」


 カバが船の近くを泳いでいる理由はいくつかある。

 単なる好奇心、捕食のために隙を伺っている、こちらが縄張りを侵したなどなどだ。


 カバが何をしたいのか、しっかりと見極めなければなるまい。


「きゅうううきゅうううう」

「お、海カバが鳴き始めたな! 仲間を呼んでるのか? 群れで暮らす種族か?」


 どうやらケリーは、魔物を海カバと名付けたようだ。

 新種なので、学者であるケリーが好きに命名すればいいと俺は思う。


「近づくのをやめませんね」


 もう海カバとの距離は、二十メトルほどしかない。

 歴戦の戦士であるヴィクトルですら緊張気味だ。他の冒険者も緊張している。


 船の上で戦うのは避けたい。

 大きな体で船に体当たりされたら、沈没の危機である。


「なるほど耳の形状も普通のカバに似てるな」

 だが、ケリーだけは嬉しそうだ。学者だから仕方がない。


 ケリーはこれでいいとして、冒険者たちが緊張しすぎたらいいことは無い。

 皆一流の冒険者だから大丈夫だとは思うが、怯えて攻撃を開始したら困る。


「ヴィクトル。少し俺に任せてくれないか」

「それは、かまいませんが……。どうするのです?」

「テイムを試みてみる」


 俺は海カバに向けて手をかざし、スキルを発動した。

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