分け隔てのない世界

アトリエ

懐疑的平等性の死

 人の死についての平等性を問うたことはあるだろうか。

 誰もが平等に死の危機に瀕し、平等に死から遠ざかろうとしている。

 誰も自分が死に向かって歩みを進めていることに気付かない。

 誰も、死と向き合わない。


 血の赤さに驚いて我に返った。自分の手が真っ赤に染まっている様は、どことなく幻想的で、どこか現実味に溢れている。非現実的な状況を前に、思考がやや混迷しているようだ。こうなることを望んでいたはずなのに、どうにも落ち着かない。

 無機質な事務用品ばかりが並ぶ雑居ビルの二階。つい先月まではそこそこの人気を博していた通販サイトの事務所だった。今ではすっかり空きテナント然とした風貌で、中央にひとつだけある灰色の事務机が強烈な違和感を醸し出す。窓枠に打ち付けられているベニヤ板の隙間に差し込む光にホコリが群がる。

 鉄臭さが頭痛による不快感を悪化させる。腹部に感じる違和感は先から増していくばかり。無意識下ですらこの程度である。気付いてしまった際のことは想像するのも恐ろしい。

 香坂こうさか信樹のぶきは、耐え切れずに目を瞑った。



 夢見の淵に長く留まり続けてしまったツケは非常に高かった。釈然としない頭を抱えて進むには、駅前の商店街は人通りの多さが過ぎている。すれ違う際に肩がぶつかってしまうだけであれば幸い、正面から衝突してしまってもおかしくない危うい足取りで進まざるを得ないのである。

 不意に声がかかる。覚束なさに対する注意喚起の声ではない。

「おーい、双海ふたみー」

 聞き馴染みの深い声である。小学生以来の友人で、彼女にとっては唯一と称せる良き理解者でもある白附しらつき花代はなよその人。今日は栗色の長い髪を編み込んだ髪型をしている。見覚えのない服を着ているのを見るに、新しく拵えたのであろう。会う度に違う服装をしている花代は、そう思慮せずとも自分とは違ってお洒落に気を遣う女性然とした女性であると言えよう。

「忙しの無さは有難くとも、少しの暇も得られぬとなれば話は変わるものだ」

「え、なんかキャラ違う?」

 むんずとした表情の生駒いこま双海の様子に、花代は瞬間的に面喰うも、すぐに緩やかな表情へと落ち着き、微笑む。付き合いの浅い仲ではない。この程度の変貌ぶりには慣れている。

「忙しいのは何よりだね」

「程度を弁えて欲しい」

「それだけ困ってる人がいるって事だもんね」

「私もその一人であることは間違いない」

 双海の生業は探偵である。身辺調査や浮気調査を請け負う探偵ではなく、漫画やドラマや映画等で描かれる名探偵そのものが彼女の仕事である。が、殺人事件等の扱いは少ない。あくまで推理で難題を解決するのが名探偵然としているに過ぎない。

「誰にでも出来ることじゃない事が出来るなんて凄いよね」

「そうでもない。会う度に服が違う花代の方が私はよっぽどすごいと思うし、偉いとも思う」

 前を向いたまま抑揚もなく言い放つ様は、どこか自分への戒めであるかのよう。

 花代の歩幅が少し狭まる。「だってね」語気に変わりはないものの、少しだけ声音が高まる。

「双海がそういうのに興味湧いて来たとき、教えてあげられるでしょ?」

 後頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃が全身を駆け巡る。言い様のないむず痒い感情が身の毛を逆撫でる。嫌な気分とは違う。しかし快い気分にも当たらない。正に表現の難い心境である。

 反応に困り、話題を転換する。歩みに若干の淀みが混ざり出すが、気には留めない。下手に意識をしたが最期、ドツボに嵌るのは目に見えている。自分はそう言うのに滅法弱いことを双海は自覚している。故に純粋な人付き合いは苦手科目である。

「無意識下に自殺を図る男の話と、死の平等性について」

 

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