第14話。時雨と共感

東雲しののめ 姫織ひおりから話を聞いた」


 またボクは保健室で椿綺つばきと話をしていた。


「ボクのことを叱るの?」


「そんなつもりはない」


 柚子ゆずの脅しに効果があったのか、学校に来ても姫織から声をかけられることはなかった。代わりにこうして椿綺に呼び出されてしまったけど。


「柚子とはあまり関係が良好ではないと聞いたが」


「別に喧嘩してるわけじゃない」


「仲がいいわけでないのだろ?」


 血の繋がり。それがボクと柚子の関係を示すもっともな言葉だと思っていたけど、実際はボクと柚子が背中合わせで生きているからだ。


 誰かに寄りかかろうとするほど、ボク達はお互いに押し付けてしまう。離れようとすれば、その重みを味わってしまう。そんな依存している関係だった。


「ボクは柚子のことを誰よりも信頼してる。自分の前に壁があるなら、ボクは迷わず柚子を踏み台して先に進む。もちろん、柚子のことは引き上げるけど」


「つまり、お互いに利用関係にあると」


「家族って、そういうものじゃないの?」


 家族なんて、他人よりも少しだけ都合のいいだけの人間だと思っている。


「やはり、時雨の考え方は歪んでいるな」


 椿綺がボクから目を逸らした。


「ボクは椿綺が何をしたいか理解出来ない」


 ずっと前から椿綺の行動に疑問があった。


「東雲姫織について、どう思う?」


「偽善者」


「何故、そのような評価になっている……」


 ボクは姫織が恵まれていると思った。そんな人間がボクに関わろうとするのは、心に余裕があるから。そんな姫織を見て、哀れみを向けていると感じてしまった。


「姫織とボクはまったく違う生き方をしてる」


 よく保健室に足を運ぶ、サボり気味の二人。そんな共通点から勘違い起こせば、姫織に親近感を抱くことも出来たんだと思う。


「東雲姫織の教室で何かあったか?」


「椿綺。知ってたんでしょ」


「言葉にしてくれ」


「姫織は孤独なんかじゃない」


 ボクが見たのは現実だった。


「……時雨は東雲姫織が何故、頻繁に保健室で休んでいるか知っているか?」


「サボり」


「本人はそう答えるだろうな。だが、私は本当の理由を本人の口から聞いたことがある」


 椿綺が自らの手で顔を隠した。


「東雲姫織は人の顔がろくに見えないそうだ」


「見えないって……」


「ノイズがかかったように人の顔が認識出来なくなる。それでも顔を見続ければ、気分が悪くなるそうだ」


 例えそんな理由があっても、関係ないと思った。


「でも、ボクや椿綺のこと認識してたよね?」


「声はわかるらしいからな。後は体格で判別も出来るらしいが、初対面の人間は難しいそうだ」


「だからって、保健室に逃げてるのは同じだよね」


 ただ、ボクは姫織が一切理由を話さなかったことが気になった。それを話せば同情くらいは誘えると思うけど、ボクが受け入れられるかは別の話だ。


「東雲姫織のソレは過去が現在を蝕んでいる」


「どういうこと?」


「前に名前について話しをしただろ。東雲の名前は血の証明であると同時に分かりやすい目印でもある」


 目印。椿綺の言い方は随分と優しいと思った。


「いじめられてたの?」


「トラウマになるほどにはな」


 人の顔が見れなくなる。そうじゃなくて、人の顔が見たくないから、姫織は人の顔が認識出来なくなった。


「ただ、高校生にもなれば東雲という名前にこだわる人間も減ったようだ。当然といえば当然だが、東雲姫織はただの小娘だ。他人を害する意思もなく、弱く、簡単に折れる。そんな東雲姫織を見て私は……」


 椿綺の口元が僅かに笑っているように見えた。


「椿綺って、やっぱり。お母さんと似てるかも」


「一番言われたくない悪口だな」


「悪口じゃないよ。褒めてるよ」


 椿綺が立ち上がった。


「怒った?」


「いや、私は娘と時雨のことは叱らないと決めている。私の説教を聞いても、時雨は受け入れられないだろう」


 椿綺がボクの肩を掴んでくる。


「時雨。一つ試してみてほしいことがある」


 ボクが言葉を返す前に保健室の扉が開いた。


「あ……」


 すぐにボクは扉を開けたのが姫織だとわかった。


「東雲姫織。扉を閉めるな。入ってこい」


 姫織は逃げ出そうとしたのか、それを椿綺が止めた。椿綺の言葉に従うように姫織は保健室の中に足を踏み入れてから扉を閉めた。


「私は時雨の味方をするつもりだ。しかし、ここで東雲姫織を追い返すことが、正解だとは考えていない」


「何する気?」


 椿綺が姫織の前まで歩いて行く。


「まだ私の顔は見えないか?」


「見えてません」


「なら、時雨の顔は見えてるのか?」


 何故、椿綺はそんな質問を姫織にするのか。


「……答える必要がありますか?」


「ああ。時雨には事情を話したからな」


「……っ、どうして勝手に話したんですか」


「時雨も東雲姫織と同じ。呪われた子供だからだ」


 ボクと姫織が同じモノを背負っているなんて思わない。ボクは自分が不幸だとは思わないし、姫織の不幸自慢をされても同情は出来ないと思うから。


 姫織が椿綺の横を通り過ぎて、ボクの目の前まで歩いて来た。それは顔を確認する為だと思ったけど、ボクの顔は姫織に見えているのだろうか。


「時雨には私の顔が見える?」


 ボクは椿綺の伝え方が悪い思った。だって、姫織の質問はボクが他人の顔を正確に認識出来ているのか確かめるものだったから。


 姫織の顔も椿綺の顔もボクには見えている。


「見えるよ」


「なら、自分の顔は見えてる?」


「自分の……顔……?」


 姫織の瞳。ボクの視線が吸い寄せられていく。姫織の瞳の奥に写っている人間。段々と認識が大きくなり、そこにあった顔を目にした時、ボクは酷い吐き気に襲われた。


 口を手で抑えた指の間から、今朝食べた物と胃液の混じった気持ちの悪いモノが溢れ出した。なのに吐き気はおさまらなくて、涙や鼻水、唾液、全部が飛び出るように吐き続けた。


「時雨……」


 姫織がボクの体に触れてくる。


「違う……ボクは……」


 ポケットから取り出そうとした薬の瓶が地面に転がった。それを姫織が拾ったけど、既に中身は空っぽだった。


「先生。これ、なんですか?」


 椿綺は保健室の出入口にずっといる。


「時雨の呪いを抑える薬だ」


「どうして、こんなモノを……」


「既に時雨は深刻な状態だからだ」


 わからない。ボクの呪いは人から強い匂いを感じるものだったはずだ。なのに姫織と同じ呪いをボクが感じるわけがない。


 姫織の瞳に写った顔。ソコにボクの顔は無かった。代わりにあったのは、ボクが世界一大嫌いで、ボクと同じように匂いの呪いを背負った兄の顔だった。


「東雲姫織。時雨を助けたいか?」


「わかりません」


「最初の質問を繰り返す。東雲姫織に時雨の顔は見えているか?」


 姫織がボクの顔に触れてきた。


「はい。私には時雨の顔が見えてます」


「……っ」


 どうして、姫織にボクの顔が見えているのか。


「時雨の顔が見え始めたのは、いつからだ?」


「……顔が見えていたのは最初からです」


 初めて出逢った時から、姫織がボクに関わってきた理由がわかった気がした。ボクが姫織に対して違和感を覚えなかったのは、ずっと顔が見えていたからなのか。


「不思議な話だ。これまで誰の顔も見えなかったはずだが」


「はい。でも、時雨は……」


 ボクは姫織の言葉を遮るように手を払った。


「そんなこと、どうでもいい……」


 ボクはなんとか立ち上がった。


「椿綺にはボクの呪いが何かわかってるよね?」


「そうだな。これはあくまで私の推測でしかないが、時雨の呪いは匂いに関するものではない」


 椿綺が一呼吸すると。


「時雨の呪いは共感だ」


 共感。ボクは誰かと共感している。


「生まれつき他人の感情と同調しやすい人間がいる。それは自らの意志とは関係なく、心理的思考が似てしまうというものだ」


「ボクは他人の呪いを貰っているってこと……?」


「ああ。その言い方がもっとも相応しいだろう」


 兄の呪いだけではなく、ボクは姫織の呪いも受けたというのだろうか。ボクが空っぽだから。その穴を埋めるように他人の感情が流れ込んでしまった。


「この心は……本当にボクのモノなの……?」


 目の前が真っ暗になる。


 受け入れられない現実にボクは耐えられなかった。少しづつ、ボクの悪夢が現実になり始めているのだから。



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