第13話。時雨と教室
月曜日。
いつもと変わらずボクは登校をする。ただ、今日はいつもと違って、下駄箱で靴を履き替えている時に
「
そう言って、椿綺が手に乗るくらいの包みを渡してきた。中身は食べ物だったりするのだろうか。
「なにこれ?」
「映画のお礼だそうだ」
「ふーん」
別に受け取らないわけじゃない。だけど、包みが二つあることが疑問だった。わざわざ分ける理由があるとすれば、受け取るべき相手が二人いるということだ。
「もう一つは
「そうだ。私はこれから仕事で学校を離れる必要があるからな」
「今、渡せばよくない?」
椿綺が周りに顔を向けた。何かを警戒しているのだろうか。そんな時、椿綺がポケットから取り出した物をボクの手に握らせてきた。
「これって……」
錠剤が入った瓶が手の中にある。
「時雨の呪いを抑える薬だ」
「……っ」
ボクは驚いた。椿綺は違う方法でボクのことを治そうとしていたはずなのに、こんな分かりやすい方法を選ぶなんて考えもしなかった。
「それほど周期が長いわけではないのだろ。今の治療法では間に合いそうにないからな」
「……これさえあればよくない?」
「それは一時しのぎにしかならない。服用を続ければ体にも悪い影響が出るはずだ。だが、その呪いに心を痛め自殺をするくらいなら、これを飲んで耐えてくれ」
これは椿綺の優しだとわかった。以前と比べてもボクの呪いはハッキリとして、衝動に駆られる間隔も短くなっていた。
「この薬を受け取る代償は?」
「その包みを姫織に持っていくだけでいい」
椿綺がボクから離れた。
「ボクに期待しないでよ」
廊下を歩いて行く椿綺の背中に吐いた言葉が伝わったのかわからない。それでも手の中に残った瓶がボクに対する椿綺の想いだと証明している気がした。
下駄箱から移動して姫織の居る教室に着いた。
椿綺が保健室に居なければ、姫織が逃げ込むことも出来ない。もしも、姫織が登校してないなら、諦めて自分の教室に戻るだけだけど。
「……っ」
教室の中に姫織はいた。
もし、そこに異様な光景の一つでもあれば、ボクは東雲という名前が特別な意味を持つと改めて実感した。
だけど、教室の真ん中にある姫織の机。席に座っている姫織を囲んでいる複数人の女子生徒。その女子生徒のほとんどが笑顔で、同じくらいの笑顔をしている姫織の姿があった。
ボクは顔を引っ込めて、教室の外にある壁に背を任せる。想像していた光景はもっと陰湿で孤立している姫織の姿。でも、ボクの勝手な想像は何一つ当たっていなかった。
「はぁ……」
誰かに期待していたわけじゃない。
姫織がボクと同類と少しでも考えたのが間違いだった。姫織は保健室を逃げ場所と使っていたわけじゃなくて、本当に休んでいただけ。姫愛だって友達がいると言っていたし、嘘はついていない。
ボクが勝手に勘違いしただけ。
「まあ、どうでもいいけど」
柑菜には悪いけど、これは渡したことにしておこう。あの空間に割り込むような気力はボクにはなかった。
ボクは姫織の居る教室から離れることにした。
「時雨、私クレーンゲームで遊んでくる!」
放課後。ボクは
「お姉。ムキになって無駄遣いはやめなよ」
「わかってる!」
いつものボクなら、放課後に柚子と関わるようなことは避けていた。なのに、今のボクは胸がモヤモヤしていて、吐き出せない感情が気持ち悪かったから。柚子と一緒に居て、落ち着かせたかった。
「時雨」
そんな人の気持ちも知らずにボクの前に姫織が現れた。胸の気持ち悪さが大きくなっても、ボクは平気な顔を続ける。
「何か用?」
「ずっと探してた」
授業中に姫織から送られてきたメールを無視してゲームセンターで遊んでいるのは、ボクの方から姫織と少しでも距離を置く為だった。
「
「聞かれた?」
「私のケータイに鳳仙先生から連絡が来たから。ずっと待ってたのに時雨が来なかった」
ボクの行動は椿綺の予想通りだったのか。わざわざ椿綺が姫織に連絡するとは思わなかったけど。
「それは……めんどくさかったから」
「メールを返さないのも同じ理由?」
「そうだよ」
ボクと姫織は友達じゃない。
だから、メールの返信なんて適当でいい。
「時雨。勘違いだったら、謝るけど……もしかして、怒ってる?」
少し前に柚子から同じことを言われた。
「ボクの顔ならいつも通りだよ」
目の前にあるディスプレイが一瞬だけ暗くなった。そこに映る自分の顔はいつもと変わらない。なのに柚子と姫織は何を言っているのか。
「ああ、そうだ」
ボクは椿綺から預かっていた包みを鞄から取り出して姫織に差し出した。もしかして、こういうこともあるかと考えて残していた。
「これ、柑菜から。この前のお礼って」
渡したら、これで全部終わり。
「なに?」
なのに姫織がボクの腕を掴んできた。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってほしい。私に対する文句でも聞くつもりだけど」
「離して」
「それじゃあ、何も伝わらない」
ボクはちゃんと割り切っているのに姫織が余計なことをする。それがめんどくさくて、鬱陶しい。全部、投げ出したいとすら思えてしまう。
「お姉。助けて」
その言葉でボクの姫織の間に割り込んでくる人物がいた。
「じゃじゃーん。お姉ちゃんだよ」
ボクは柚子の後ろに隠れる。
情けないとわかっているけど、ボクが世界で一番信頼しているのは柚子だ。こんな時の対応も柚子に任せてしまうほどに。
「お姉さんですか?初めまして、私は……」
「泥棒猫」
柚子の言葉に悪意は含まれていない。
後ろからだと柚子の顔は見えないけど、きっと母親と同じ。無垢な笑顔を姫織に向けていることくらいわかった。
「えーと……」
「私から時雨を奪う人は嫌い。時雨を困らせる人は嫌い。だから、アナタは大嫌い」
初対面でこれだけ柚子が相手のことを嫌っているのは珍しいと思った。でも、姫織のことを知っているなら、柚子の対応にも納得がいく。
もしも、ボクと姫織を引き合せることが椿綺の計画なのだとしたら。ボクが柚子を頼ることは椿綺の予想外だったと思う。
「私は時雨と話がしたいだけです」
「時雨はアナタと話したくないって」
「どうして、そこでお姉さんが間に入ってくるんですか?」
「うーん。時雨が嫌がってるから」
ボクは柚子の背中に寄りかかり顔を背けた。
「私は時雨に嫌われた理由が知りたいだけです」
「だってさ。時雨。どうしてほしい?」
椿綺に言われた通り、姫織との約束は守った。もうボクが姫織と関わる理由が無いのなら、このまま突き放したいと考えてしまう。
「もう、関わりたくない」
それが本心だったかわからない。
「わかった」
ボクの答えを聞いて柚子がケータイを取り出した。
「今すぐ私達の前から消えて。じゃないと通報する」
「私は何もしてないですよ……?」
「時雨が嫌がってるって理由で十分だよ。私はお姉ちゃんとして、時雨を守るだけだから」
ここで柚子が暴力的な行動を選ばなかったのは冷静に物事を判断しているから。もし、殴り合いの喧嘩になれば、ボクも巻き込まれてしまう。
「納得出来ない……」
そんな言葉を姫織が立ち去る時に言っていた。
すぐに姫織が引き下がってくれたのは、問題を起こしたくないからで。柚子の対応は正しかったようだ。
「お姉。あんなやり方、どこで覚えたの?」
「
「そう……まあ、ありがとう」
柚子がボクに抱きついてくる。それをボクは抱きしめ返したのは、少しだけボクの心が揺らいでしまったから。
きっと、明日の自分は大丈夫。だから、今のボクは柚子に甘えることしか考えなかった。心配事が減ったのは椿綺に薬をもらったからで、たったそれだせでボクの心は変わってしまった気がした。
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