第一章 事実

恩霊祭の翌朝、陽が昇り始める頃にヴォルカスの家の戸が叩かれた。

イグナはフマーニにて数日間宿泊する予定で、帰ってくる時ではない。

「はい。」

ヴォルカスの母が戸を開けると、国家直属の神職官が立っていた。

その様子から、夫イグナの身に何かあったというわけでもないようだった。

「ヴォルカス殿へフマーニへの召集がかかりました。

司祭から直々にお話があるとのことです。

本日中には到着できるようにご準備を、とお伝えください。」

「わかりました…。」

ヴォルカスはこの数日間ろくに睡眠をとっていなかった。

とはいえそのようなことがあるならば昼頃には発たなければならない。

母親としてすぐに起こすのは気が引けたが、言わねばなるまいと部屋の戸を叩いた。

「ヴォル、ヴォル起きて。今朝国直の方がいらしたわ。」

「う…ん、おはよう…。

国直?って、国…

国直!?なんで?!父さんに何か」

「違うわヴォル、違うの。」

混乱するヴォルカスの言葉を遮った。

「司祭からのお話があるらしいの。」

「司祭から?」

「急だとは思うんだけど、今日中には到着しておいて欲しいらしいの。」

「そうだね。起こしてくれてありがとう。支度を始めるよ。」

ヴォルは母を軽く抱擁し、支度を始めた。


昼頃、ヴォルカスは家を出る支度が出来た。

母親の料理を食べながら司祭は何を命じたいのかを考えていた。

「ねぇ、呼ばれたのって俺だけなのかな。」

「いいえ、なにも聞いていないわ。」

「そう…。」

頭のなかには、共に戦った者たちの顔が浮かんでいた。


「最近家にいれなくてごめんね。

またすぐ帰ってくるから。」

母は思わず息子を抱き締めた。

「休めるときに休んでおきなさいね。

いってらっしゃい。」

「ありがとう、母さん。

行ってきます。」


移動手段は大抵は馬車である。

大陸から伝わったもので、四足の中型亜霊(通称:馬)に引かせるのが一般的だ。

町の神職用の馬車は父親や他の交易官が使っており、民間業者の馬車で移動することになった。

「フマーニまで頼む。」

賃金を手渡しながらヴォルカスは目的地を伝えた。

乗るのは初めてではない。

公務以外の外出は基本的に民間の馬車であった。

「ヴォルカス様、父上様に何か?」

リオレンによく出入りしている運搬業者だった。

「いいえ、私用です。私が長になるのはまだ早いですよ。」

「そうでしたか。いやぁ縁起でもないことを言ってしまいましたな。」

「そんな、父を気遣ってくれてありがとうございます。明日の朝までには着きたいのですが、彼の調子はどうですか?」

馬の頭を撫でながらヴォルカスは馭者の男に尋ねた。

「絶好調ですよ。こいつも近いうちにフマーニに寄っておきたいと思っておりましたでしょう。すぐに出せますよ。」

馬は本当に調子が良いようで、道中の休憩がいつもよりも少なかった。

普段であれば太陰が頂点を過ぎる頃には馬車に揺られていただろうが、この日ばかりは太陰がまだ昇りきる前に着いた。

「遅くまで無理をさせてしまったね。

これを取っておいてください。」

馬の頭を撫でると、少しの金を馭者につかませた。

「そんな、運賃はもうもらいましたよ。」

「いえ、良いんです。彼に良いものを食べさせてあげてください。」

ヴォルカスは返そうとする馭者をかわして関所へ入っていった。

馭者はヴォルカスが見えなくなるまで頭を何度も下げた。馬も主人の真似をして、頭を下げていた。


「リオレンのヴォルカス=エン=リオレンです。

司祭の召集により参りました。」

「ヴォルカス様ですね、宿をご用意してあります。

明日朝にはそちらに国直の方が向かいますので、そちらで指示をお受けください。」

「あの、同じ命で他に呼ばれている人はいますか。」

「えぇ…と、守秘義務ですのでお伝えできませんが、宿にいけば分かる、とだけ。」

「わかりました。ありがとうございます。」

関所の手続きを終わらせたヴォルカスは関所で指定された宿へ向かった。

宿につくと話し声が聞こえた。談話室の方だ。

ヴォルカスは気になって部屋に行く前に少し覗いた。

するとそこには家で思い浮かべた顔が連ねていた。

思わず硬直していると、アーサーと目があった。

「お、ついに6人目のお出ましだ。そんなところにいないでこっちに来なよ。」

アーサーの言葉で全員が扉の方を見た。

「あ…ど、どーも。」

こっそり覗いていた手前堂々と出るのも気が引けて、ゆっくりと扉を開けた。

「なによそんなおどおどしちゃって。疲れてるの?」「あ、いや…」

「やれやれ、リオレンの後継ぎに覗きの趣味があるとはね…」「違っ」

「部屋まで荷物持っていきましょう。手伝います!」「あぁ、ども」

「俺はいかねぇぞ。」

「あれ、君…今日はお兄さんは?」

「いない。」

なんとなく気まずい雰囲気になり、アトマとアーサーがヴォルカスの荷物を分けて持ち、部屋まで向かった。

「今回は何の召集なんでしょうか?」

ヴォルカスはついてきた二人に聞いた。

別段、正解が返ってくる期待をしていたわけではなかったが。

「それが僕たちにもわからないんだけど君が来たってことはいよいよ先のことと関係がありそうだね。」

「とにかく明日まで待ちましょう。ここで頭を悩ませても埒は空きませんから。」

「そうですね。ありがとうございます。」

ちょうど部屋の前につき、荷物を部屋に入れた。

「一休みしたら談話室に来なよ。あのときは結局バタバタしていたから出来なかったから、身の上話でもしよう。」

「はい。あっでも…」

「ん?」

思わず声を漏らしてしまった。

昼間に母から休めと言われたばかりだったのを思い出したのだ。

「あぁいえ、最近寝ていなくて。

心配していた母の顔を思い出してしまいました。」

「孝行息子だな。無理にこちらに合わせる必要はない。疲れているのなら眠るのは当然さ。」

「そうですよ。討伐隊の規則でも、睡眠を欠かすべからず、とあります。我々は少し寝付けないだけですので。」

「はい。おやすみなさい。」

アーサーとアトマは部屋を出ていった。


ヴォルカスはベッドに腰かけると、すぐに横になった。

旅の疲れもあってすぐに眠りについた。


「あれ、ヴォルカスさん?」

聞き覚えのある声だ。

「お疲れ様です!どうしたんですかこんなところで。」

聞きなれた声では無いが、ここのところこの声を聞きたくて仕方がなかった気がする。

「こんなところにいたら、灰になってしまいますよ。」

声の先に人影が見えた。

「ほら、僕みたいに」

人影だったものは灰と化しヴォルカスの足にまとわりつく。

「ぼくを見捨てた、ヴォルカスさん。」

耳元で囁かれた声は確かに、

「ヒータ!」


そこで飛び起きた。夢であった。

外を見るとまだ日が昇る気配は見えない。

ヒータがそんなことを言う人間ではないことは分かっていたし、吹っ切れたと思っていた。

しかし己の中にある罪悪感と後悔の念が心の中のヒータを酷く醜い存在にしてしまっていた。

それにより、また罪悪感は募る。

ふと鏡に映った自分が目に入る。

以前に見たときより幾分もやつれ、冷や汗をかき、目の下には濃い隈が出来ていた。

母の不安げな顔、馭者の無用な心配、今日集まった仲間の気遣い、すべてが腑に落ちた。

「さすがに元気には見えないな…。」

そんな顔で、心配無用と気を張り胸を張り歩いていたと思うとふと可笑しくなって少し笑った。頬を緩めた程度だが、気が楽になった。

それから、少し期待して部屋を出た。


談話室へ行くと期待に応えるように賑やかな声がした。

「失礼します。」

少しカタい挨拶で部屋に入った。

皆驚いた顔をしていた。

「まだ君が部屋に入ってから陰はいくつも動いてないぞ?」

陰とは太陰、夜に上がる太陽のようなものである。

「いや、寝れなくて…。この顔見れば分かると思いますけど。」

作り笑いを浮かべながら談話室の椅子に座った。

「笑えねぇよ。」

ウェルクはヴォルカスから目を背けながら言い放った。

「どうせ自分を責めてたんだろ。兄貴と一緒だ。」

よく見ると、ウェルクの兄サンダはこの場にいない。

今日は触れてはいけないのかとその場にいたアーサー達は聞けずにいた。その話がウェルクの口から出たことに驚いた。

「だがお前と違ってあいつは一歩も進んじゃいねぇ。

てめぇが一番にバケモノから人々を救い始めたってのに、

親の命まで救ったってのに。

毎日毎日死んだやつのことばっかりだ。」

「ちょっとそんな言い方、」

オーナが落ち着かせようとするのも裏腹に、さらにヒートアップしたウェルクはヴォルカスに掴みかかった。

「俺達は神か?バケモノか?ちげぇだろ!

人間だよ!たった一人のちっちぇえ人間だよ!

何人か死んだだけ何だってんだ!

死んだ人間じゃなくて助けた人間の数数えたかよ!」

あまりの気迫に誰もが黙った。

ウェルクがヴォルカスを睨み付ける目には涙がたまっていた。

ヴォルカスは何か返さなくては、と頭を巡らした。

「い、いや…。」

ウェルクは雑に手を離したせいでヴォルカスは椅子から落ちそうになった。

「28万3562人…か。」

フォレートが突然呟いた。

全員の顔がフォレートに向いた。

「…そうか…あんたはそうだよな。」

ウェルク独り言のように呟き、勝手に納得していた。

「あぁそうだ。昨日の被害報告書にあったこの国の生存人数だよ。俺達がいなけりゃ、お前や兄貴がいなけりゃ死んでたかもしれない人数だ。リオレンで唯一戦死した男がいなけりゃ死んでたかもしれない人数だ。

命を賭して救った命の数だ。

そして、俺達がこの先向き合わなきゃいけない心の数だ。」

ウェルクは吐き捨てた言葉もそのままに、部屋から出ていこうとした。

ドアの手前でアーサーの声が間に合った。

「サンダ君は明日の事で呼ばれていたのかい?」

「…いや。呼ばれたのは俺一人だ。」

それだけ言い残し、ウェルクは部屋を出た。

誰も追いかけようとはしなかった。

それはその時が夜中だったからなのか、掛ける言葉を誰も見つけられなかったからなのか、そんなことをよりも考える前に夜が明けてしまいそうだったからなのか、答えは見つからなかった。

しばらく、談話室のなかは沈黙が続いた。

呼吸の音すら夜風の音に勝てずにいた。

「僕らも部屋に帰りましょう。明日のことがありますから。」

「そうだな。少し目を瞑るだけでも休みになる。」

彼らが目を瞑っているうちに、太陰は町全体へと光を戻し、太陽が顔を出した。



翌朝使いから集合時間の通達があり、それぞれは支度をして宿を出た。

簡単な挨拶以外の会話はほぼ無かった。

宿を出る時間もそれぞれだった。


中央会議場へ向かう途中、ヴォルカスは町を見渡した。

修復作業を行っている所も見受けられたが、一見して大方は通常通りに生活しているようだった。

人並みを見て、昨夜のウェルクの言葉を思い出した。

「救った命…か。」

また少し進み会議場の手前に行くと、ウェルクがいた。

「おい。」

ぶっきらぼうにヴォルカスに声をかけた。

「昨日は、その…悪かった。

俺は感情を抑えるのが苦手だ。お前と兄貴を重ねて、お前が兄貴じゃないのを良いことに色々ぶちまけた。」

「いや…今町を眺めて分かったよ。

君の言うことは正しい。

この間のことはこの国を確かに傷つけた。

でも人々は確かにいま日常を生きている。僕らよりもずっとね。

ウェルクが言ってくれなければ私は宿からここまで、下を向いて歩いていただろう。

ありがとう。」

ヴォルカスはウェルクに深々と頭を下げた。

ウェルクは予測していなかったヴォルカスの行動にたじろいだ。

「そういうことじゃねぇ!

俺は昨日お前に乱暴なことしたからごめんって謝ってんだよ!

なんでお前が頭下げんだ?」

「あ…あぁ。そうだな。

まぁでも…自分でわかってるなら良いんじゃないか?」

ウェルクはそれでももやもやしていた。

「えっと…じゃあ今度やったら、怒る。」

「お、おう。」

ウェルクは少し照れて先を歩いた。

「待てよ。一緒に行こう。」

「勝手にしろ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る