第10話 白菊

 遊女は、自分から相手に会いに行く事はできない。そこで、相手が来てくれるのを待つしかない。ところが、揚げ代というのもがかかるので、人と場合によっては、遊女が自腹を切って男を呼んで会う事がある。

 今夜の白菊がそれだった。

 手紙自体は、馴染みの客などに出す事がある。言うなれば、セールスだ。白菊は書いた手紙を届けてもらい、秀克が来るのを待っていた。

 秀克は入り口で刀を預けて部屋に通され、酒を飲んで待っていた。

(何を言おう。まあ、今更家の事などは言うまい。

 朝顔とやらや、南方親子の事だろうか)

 視線を転じれば、猫の置物があった。

(佐之輔は、無鉄砲で本当に目が離せんな。全く。おなごのようにかわいい顔をしていながら困っている人を見れば躊躇なく手を差し伸べる。

 しかし、猫を助けて自分が下りられないとは……)

 思い出すと、笑えて来る。

 受け止めるから飛び降りろと言って、渋るのをどうにか飛び降りさせたのだ。

(しかし、意外と胸筋は鍛えてあるのか硬かったな。全体的には柔らかい感じだったのだが……)

 受け止めた感触を思い出す。小柄で細くて軽かったが、不思議と胸は鍛えてあった。

(おかしな鍛え方だな)

 首をひねっていると、白菊があらわれる。

「志――白菊」

「ようこそ」

 白菊は指をついて挨拶をし、秀克のそばに座ると、酒器を取った。

「ありがとう存じます」

「いや……」

「……朝顔姉さんが言い出した事がありまして、お呼び立てを……」

「朝顔が。それは一体?」

「……南方琢磨様が、近々身請けをしてやると言ってくれたと」

「身請けだと?」

 遊女が吉原を出て行くには、27歳までという年季を務めあげるか、金を積んで落籍れるか、病などで死んで出て行くかである。

 落籍れる場合、楼主はその遊女が28歳になる日まで勤め上げて稼ぐであろう金額を身請け金として請求するので、売れっ子であればあるほど、若ければ若いほど、それは高額になる。少なくとも数百両はかかるだろう。

「朝顔姉さんなら、かなりの額になる筈です」

「ううむ」

 いくら何でも、そんな金があるとは思えなかった。

(これから、新たにやる気だな)

 どういう手口でやるのかはわからないが、藩金からそれを捻出しようとしている事は、容易に察しがつく。

「知らせてくれてありがとう。助かった」

 言うと、白菊は少し笑い、酒器を置いた。

「お礼なら……一晩でいい。一回でいい。志津を、妻にして下さい」

 むせるかと思った。

「志津……」

 秀克は、困り果てた。

「佐奈様に、遠慮なされていますか?それとも、佐奈様に後ろめたいですか。

 志津は子供の頃、ずっと願っておりました。大きくなったら、秀松様のお嫁様になりたいと」

 志津はそう言って、秀克の手に、白い手を重ねた。

「秀松様が成人されて秀克様となられ、益々、志津は恋い焦がれて参りました。家格の違いに絶望しながらも。

 祝言などという気もありません。一晩だけでいいのです」

 そう言って、ぶつかるように押し倒して来る。

 柔らかい胸に気付いた。

(柔らかいのだな、志津のは)

 何の気なしにそう思った。

「では、これではどうでありんすか。あっちを抱いておくんなんし」

 燃えるような、情念そのものといった志津の目が覗き込んで来る。

 その時、視界のすみに猫の置物が映った。

「すまない」

「佐奈様を」

「お会いした事もない」

「……」

「済まない、志津」

 秀克は、泣く女を、ただ抱きしめた。


 一晩中、琴を聞き、国許での思い出を語らい、星空を眺めていた。

 そして、

「どうかお幸せに」

という言葉に送られて、秀克は大門を出た。

 





 

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