第9話 誘い

 吉原の遊女は、朝食後に二度寝する。そして、昼間の営業に出る者もいれば、夕方まで稽古事などをして過ごす者もいる。

 白菊は中級の遊女にあたり、昼も仕事がある。

 なので、そろそろ支度をしなければいけないのはわかっているのだが、出て来るのは溜め息ばかりだった。

(こんな所で会うなんて……)

 会えて、言葉を交わせて嬉しかった。

 それと同じくらい、こんな姿を見られて恥ずかしい。

(もうあの頃とは違う。あちらは御殿様の御息女を娶る事が決まった方で、こちらは吉原の遊女。会えるとすれば、私を買いにいらした時だけ)

 初めて、逃げた兄を恨んだ。せめて兄がいれば、吉原に来ずには済んだかもしれない。

 しかしどのみち、家格が違い過ぎた。一緒になれない事には違いはないだろう。そう自分を慰めはしたものの、芯から納得できるものでもなかった。

(佐奈様。お美しくて聡明でお優しい、か。

 妬ましくて羨ましくてたまらないくせに。よくもあんなきれいごとをならべられたわね、私も)

 思わず、虚勢を張った昨夜の自分を嗤ってしまう。

(もう1度会いたい。

 私は遊女。どうせ知られてしまったし、もう構わない。遊女は遊女らしく、誘えばいい)

 白菊はそう開き直ると、手紙を書くために準備を始めた。


 秀克は悪夢にうなされた末に朝を迎え、道場に行った。稽古もどこか上の空で、井戸端で溜め息をつく。

「大丈夫か?」

 同輩が心配気に声をかけた。

「ああ。すまん。ちょっと考え事を、な」

 言う秀克を、別の同輩がやっかんで言う。

「放って置け。おひい様との祝言で頭がいっぱいなのであろう」

「それにしては暗い顔ではないか?」

「ん?そうだな。

 あれか。おひい様が高慢ちきとかで嫌気がさしておるのか。だったらやっぱり妾――はまずいな。念弟だな。どういうのが好みだ?」

 それで、秀克は嫌そうな顔をした。

「別にそういうわけではないし、念弟もいらん」

「遠慮するな。

 お主、おなごはどういうのが好みだ?」

 秀克は面倒臭くなってきた。しかし、ふと、そう言えばと自分でも考えた。

「どうだろう。あまり考えた事はなかったな。

 それでもほんの子供の頃は、近所の子の中でも、優しくて明るくて控えめなおなごがかわいいと思っていたな。人形遊びに嫌々付き合わされはして、それは詰まらんと辟易したが」

 それを聞いた宗二郎は、虚ろな笑いを浮かべて空を見上げた。

「今はどうだ?」

 興味津々という顔で、同輩達が聞いている。

「さあ。いつの頃からか剣術が面白くなったし、もうおなごと話す事もなかったからなあ。

 しかしまあ、丈夫な方がいいし、陰険よりは優しい方がいいし、暗いよりは明るい方がいいな」

「ふむ。まあ、誰でもその辺は当然だろうがなあ。でも、控えめな大人しい妻だと詰まらんだろうなあ」

「部屋住みの身には、へちゃむくれだろうと何だろうと結婚できるだけ羨ましいわい」

「俺も、養子か婿養子の口でもなければ、無理だな」

 各々わいわいと言いながら散っていった。

 いつものように4人で屋敷の方へ歩いていたが、佐之輔はいつものように、因縁をつけられた商人を浪人者から助けてやったり、枝から下りられない子猫を助けに木に登って自分が下りられなくなったりと忙しい。

 それにいつものように宗二郎が付き合い、秀克と光三郎も慣れてしまって付き合う。

(こういうのだと、毎日退屈しないだろうな。

 しかし佐之輔はおなごのような顔でも男だからなあ)

 そんな事を秀克はぼんやりと考え、念弟、念弟と言う同輩の事を思い出した。

「佐之!考えて、言ってから動けって!木から落ちたらどうするの!?」

「唾を付けておけば治る」

「骨が折れるとか、顔に傷が付くとか、首を折るとかしたらそれじゃ済まないよ?」

「ふん。宗二郎はこの頃ばあや並みにうるさくなってきたぞ」

「佐之の為でしょ!?」

 仲良くじゃれている2人に、笑いがこみ上げて来る。

「まあまあ。危ないのは事実だぞ。気を付けろよ、佐之輔。宗二郎も、多少の傷は男の勲章だ。弟分が心配なのはわかるがな」

「弟ぉ!?」

「どうみても、こっちが兄だよね」

「何で!?」

「こら、ケンカするな。

 ああ。何か食いに行くか。奢ってやろう。何がいい?」

「はいはいはい!あんみつ!」

「団子!」

 もう機嫌を直して、仲良くリクエストする様は、子供以外の何者でもない。そう思って、秀克は笑いを堪えた。

 いや、朝から元気がなく、様子がおかしかった秀克を元気づけようとしているであろう事は察しがついた。

「秀克はどっちがいい?あんみつだよな!甘いものは疲れた後にいいんだぞ!」

「ああーっ!佐之輔、秀克を味方につけようとして!」

「嘘じゃないもんね!」

 とうとう秀克も光三郎も声を上げて笑い出し、どちらも置いてある甘味処に行った。


 屋敷に戻った秀克は、若党から使いの者が届けて来たという手紙を受け取った。

 いい香りが焚きしめられている。

「誰だ?」

 部屋で手紙を開いて、秀克は表情を引き締めた。

 それは、白菊からの『会いたい。待っているので来て欲しい』という手紙だった。

「どうする?」

 秀克は、しばし悩んだ。


 

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