第10話 復讐 01
その日、大学から帰ると家に見知らぬ女性がいた。歳はオレと同じかちょっと上ぐらいに見える。
「
母さんは、梓と呼んだその人の両肩に手を置くと、笑顔でそう言った。
「梓です! よろしくおねがいします!」
梓がオレに向かって頭を下げた。
いきなりすぎて、事態がうまく飲み込めていないオレは、「お、おぅ……」と、返すのでいっぱいだった。
先程から何も言わずにいる父さんの方を見ると、「うむ」と頷くだけでそれ以上何も言わなかった。
再び母さんと梓の方に顔を向ける。
すると母さんは、「実はね――」と今日の出来事を語り始めた。
――――
今朝買い物に出かけると、道端で倒れている女の人……つまり梓を発見した。声をかけると意識が朦朧としていたので、慌てて救急車を呼んだ。
最初は、救急車を呼んで終わりだと思っていたらしいのだが、梓に付き添って病院へ行くことになった。
病院についた後、梓の家族に連絡を入れようとしたのだが、梓は家族の連絡先を覚えていなかった。さらに、財布や携帯をはじめ、家族の連絡先がわかるようなものは何も持っていなかった。そこで、付き添って病院にに来た母さんがいろいろな検査に立ち会うことになった。
検査の結果、体に異常は見られなかった。だが、記憶の方に問題があった。いわゆる記憶障害というやつだ。
梓は自分がどこに住んでいるのか、どのような生活を送っていたのかなどを忘れてしまっていた。
特に、母さんが梓を見つけた今日までの3日間の記憶は完全に抜け落ちていて、本人に時間経過の感覚がないというものだった。
医者が言うには「まるで全身麻酔で3日間眠らされていたかのような症状だ」とのことらしい。もちろん実際に眠らされていた可能性もないわけではないが……
ちなみに、梓が自分について覚えていたことは、どこかの施設にいたことと、祖母の名前が『ゆず』ということだけだった。
どうして、両親ではなく祖母の名前だけを覚えていたのかは謎だったが、記憶障害というものは、たぶんそういうものなんだろう。あるいは、早くに両親を亡くしていて祖母に育てられたとか……
病院で検査を終えた後、2人は警察へ行き、捜索願が出されていないかを調べてもらった。簡易調査の結果……捜索願は出されていなかった。そもそも、梓という名前だけでは調べるのに時間が掛かるということらしく、進展があり次第再度連絡するとのことだった。
その後、梓をどうするか検討した結果、母さんが梓を一時的に引き取ることにしたのだそうだ。
そして今に至る――
――――
「でね、もう一つ報告しなくちゃいけないことがって……」
母さんが申し訳なさそうに言うと、机の上にカップ麺を広げてみせる。1日中梓に付き添っていたせいで買い物ができなかったとのことだった。
梓を迎えての初めての晩餐はカップ麺となった……
…………
梓が家に住むようになってから数日後、オレと母さんと父さんは3人で金を出し合って、梓に何かプレゼントしようということになった。
プレゼントすることになったのはリングチャームの付いたペンダント。チャームの内側には、日付と名前を彫った。名前はローマ字で『Azusa』。日付はこのペンダントをプレゼントした日だ。
梓はそれを遠慮することなく素直に受け取った。
それが切っ掛けになったのかどうかはわからないが、それまで遠慮がちだった梓はオレたち3人に対して、本当の家族のように接し始めた。
…………
梓との生活の中で非常に扱いに困ったのは見た目と中身のギャプだった。
見た目がおよそ20代前半なのに対して、言動に子どもっぽい一面が見られた。
これが、記憶障害からくる弊害なのか、あるいは元々こういう人間だったのかはわからないが、オレたち3人は戸惑うことが多々あった。それでも、母さんは娘ができたみたいだと言って終始笑顔だった。正直3人で暮らしていたときよりも笑顔が増えたのは明確だった。
父さんも、母さんに笑顔が増えたことを喜んでいた。
それから数日経っても警察から梓に関する連絡はなかった。
だから、これからもずっと4人の生活が続くものだと思っていた――
…………
梓が家族の一員になってから約半年、彼女は突然姿を消した。
突然の出来事に母さんはひどく動揺していた。
父さんが、「年頃の娘なんだからそういうこともあるだろう」と落ち着かせようとするも、母さんはたしかに年頃の女性であることは間違いないけれど、梓は記憶障害を抱えているから心配なのだと反論した。
梓はこの家に凄く馴染んでいた。少なくともここ最近は記憶障害であることを微塵も感じさせなかった。母さんの口からその言葉が出るまで梓が記憶障害だということを忘れていたくらいだ。
もしかして、記憶が戻ったから梓は元の生活に戻ったのでは……と思い、そのことを母さんに伝えてみたが、何も言わずにいなくなるなんてあり得ないとややヒステリック気味に返されてしまった。
オレと父さんは、その後もなんとかして母さんを落ち着かせようと試みる。
最終的に、翌朝になっても梓が戻ってこなかったら捜索願を出そうということでどうにか母さんを落ち着かせることができた。
だが、翌朝になっても梓は帰ってこなかった……
…………
梓の捜索願を出してから数日が経ったが、未だに警察からの連絡はなかった。
母さんはすっかりと落ち込んでしまって、オレも父さんはどう声をかけていいかわからないでいた。
なんとかしなきゃと思うも、何もできないことは頭で理解していて……
警察から連絡があったのはそんなときだった。
それは、昼過ぎのことだった。
大学の講義を終えて、さて家に帰ろうかと思っていたところで、父さんから携帯に連絡が入った。内容は、「すぐに警察署に来い」という短いものだった。
警察署というフレーズで、すぐに捜索願いの件に思い至り、急いでそこに向かった。
警察署に着いたオレは受付で事情を説明すると、両親のいる部屋へと案内された。
案内された場所では、両親と警官が、机を挟んで向かい合うように座っていた。
椅子に座る母さんは俯き嗚咽を漏らしていて、その隣りに座る父さんは、涙する母さんを慰めるようにその肩を抱き寄せていた。
その状況で、なんとなく予想がついてしまった。
「ご家族の方ですか?」
警官の質問に「はい。息子です」と答えると、そうですかと言ってこう告げた。
「ご両親の話で、先日発見された女性の遺体が梓さんのものだと断定しました」
オレの予想はあたっていた――
…………
部屋を出ると、父さんが警官に頭を下げた。オレもそれに倣って軽く頭を下げた。母さんは部屋の中にいたときと変わらない状態だった。
父さんは母さんの肩を抱いたままゆっくりと歩く。オレは母さんには聞こえない声で一体何があったのかを父さんに尋ねた。
――――
先日、オレの住んでいる町の近くで爆発事故が起きた。その事故については、テレビや新聞、ネットでも取り上げられていて、当然オレも知っていた。
危険物を運ぶ大型トラックが横転に爆発炎上した事故は、7人の死者を出した。ちなみに負傷者は0。
で、この7人の死者のうちの1人が梓であることが先程判明したということだった。
事故に巻き込まれた7人の遺体は、損壊状況が激しく身元の特定が困難だったらしい。
そこで、警察は現場に残されていた遺留品から被害者の特定を行うことにした。
それらの遺留品の中に、梓にプレゼントしたペンダントがあった。梓に送ったペンダントは、一見して市販のものと変わらないが、リングチャームの内側には、名前とプレゼントした日付が彫られている。
警察が梓という名前で捜索願が出されている人物を調べたところ、梓に行き当たった。そして、父さんのところに連絡が来たのだそうだ。
警察署に着いて、最初に遺留品を見せられた段階で母さんは泣き崩れてしまった。
しかし、偶然現場にペンダントが落ちていただけで、梓は死んでいないのではないかと思った父さんは、念の為遺体を確認させてほしいと申し出て確認を行った。
梓の遺体は首から上がなく、さらに首から胸元にかけて大きく抉れている状態だったらしい。たとえは悪いが、大口を開けて一口だけかじった食パンみたいな感じだろう……
父さんは着ていた服と体格から、梓で間違いないだろうと判断した。
――母さんは見なくて正解だったと……と最後に漏らした。
遺体の状態を聞いて、オレも見なくてよかったと、そう思ってしまった。
駐車場に止めてあった車の前まで来ると、父さんが項垂れる母さんを後部座席に乗せ、一緒に乗っていくかどうかを尋ねてきた。
なんとなく1人になりたくて、父さんの提案を断った。
父さんは「そうか」と短く言って、運転席に乗ると車を発信させた。
…………
車を見送った後、オレは警察署の隣にある公園のベンチに座っていた。
不思議なことに、ほとんどショックらしいショックは受けていない。オレは自分で思っている以上に薄情な人間なのかもしれない。
そんな自分がちょっと嫌になる。
そんな事を考えながら、赤く染まる空を眺めていると不意に声をかけられた。
「お隣、座ってもよろしいですか?」
声のした方に顔を向けると、パリッとしたスーツに身を包んで、ハットを被った中年の男が立っていた。口髭を蓄えた柔和な笑みでこちらを見ていた。
「え? あぁ、どうぞ」
そう言うと、男はハットを軽く持ち上げながら「失礼」とことわりを入れて、2人分ほどのスペースを開けてベンチに腰を下ろした。
「昼間はそうでもないですが、この時間は過ごしやすい季節になりましたね」
物腰の柔らかな喋り方は、見た目も相まって紳士を思わせた。
「あ、ああ……」
話しかけられたオレは、会話を楽しむような気分になれず、気のない返事を返た。
「ふむ、会話のつかみは、天気や季節の話題がよいといいますが、存外あてにならないものですね」
言って、男は顎ひげをなでた。
「では、最近起きた爆発事故の話に興味があったりしますか?」
「え――ッ!?」
男が発した『爆発事故』という言葉にオレは思わず反応していた。
そんなオレの反応を見てか、男はニヤリと唇を歪ませた。そして、スーツの内から革製のケースを取り出し、そこから名刺を出してオレに差し出してきた。
中央には
――真部……通信……? ってことはマスコミか!?
そう思ったオレは、「悪いが、取材なら何も答えるつもりはない。ほかをあたってくれ」そう口にしていた。
「ほぅ。そういう答えが返ってくるということは、爆発事件に関してなにかご存知ということですね?」
「え?」
オレは完全に墓穴を掘っていた。いや、この場合は相手のカマかけに乗ってしまったと言うべきか。
すると、真部は、ふっと相好を崩し、
「たしかに私はマスコミ関係の仕事をしていますが、今日は取材ではないんですよ」
「取材じゃ、ない……?」
オレが訝しむと――
「じつは先程、あなたが警察署で話をしているの聞いてしまいまして、それでどうしてもあなたとお話がしたくて声をかけたんですよ」
どうやら、オレが墓穴を掘ったわけでもなく、相手のカマかけに乗ったわけでもなかったようだ。
真部は確信を持ってオレに声をかけてきた。どうやらそういうことらしい。
ただ、オレと父さんはそんなに大きな声で喋っていたつもりはない。おそらく、聞こえたのではなく、聞き耳を立てていたのだろう。
マスコミって話だし、それくらいのことはしていてもおかしくはない。
真部が続ける。
「先程話した爆発事故なんですがね……実は事故ではなく事件だ、と言ったらどうします?」
――事故ではなく事件?
「だったら、何だっていうんだ?」
オレの反応がいまいちだったらしく、真部は逡巡して。
「もしかして事故と事件の違いを知らないんですかね? いいですか、事故というのは基本的には過失なんですよ。そして事件というのは、何者かが故意に起こすものです」
「え!? それってつまり――」
――梓は誰かに殺されたってことか?
「私が何を言いたいのか、わかっていただけましたか?」
オレは言葉を発さずに何度か頷いてみせた。
だが、にわかには信じがたいのも事実だった。
なぜなら、メディアは事故として報道しているからだ。父さんもそんな話はしていなかったことから、警察から何も聞かされてないことは明らかだ。
仮に真部の言うことが事実だとしたら、警察がその事に気がついていないわけがない。
――警察は隠しているのか? でも何のために?
「なあ、それって故意に爆発を起こした奴がいるってことだよな? 誰がやったか知ってるのか?」
真部はゆっくりと立ち上がると、振り返ってオレの後ろに視線を向けた。その視線を追って後ろを見ると、そこには先程までオレがいた警察署がある。
「申し訳ありませんが、この場所で詳しい話をすることはできません。もし、私の話に興味があるようでしたら、そこに書かれている場所に来てください」
そう言って、オレが手にしている名刺を指さした。
「ああ、それと、もし訪ねて来る場合は3日以内でお願いします。それ以降は、尋ねてきたとしても対応しませんので」
最後にそれだけ言うと、ハットを軽く持ち上げる仕草をして、真部はオレのもとを去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます