最終話 永遠
「何? あんた緊張してんの?」
母親が俺の顔を見て、からかうように笑っている。
「緊張してるよ! 悪いか」
俺は今、白のタキシードを着てガチガチになりながら椅子に座っている。
ここは天井も床も壁紙も全面白で統一された、清潔感溢れる四角い部屋。
床どころか壁も隅々まで綺麗に保たれていて、近くで見てもシミの一つもない。
広さは10畳ぐらいだろうか。
目の前には大きな鏡が一枚置いてあり、部屋の端には、膝上ぐらいまでの背の低い木のテーブルとコの字の少し硬そうなソファーがあり、ソファーの上には白いクッションが二つ置いてある。
桜はそこに腰かけ本を読んでいた。
室内には心を落ち着かせるような静かなクラシックが流れていて、大きな窓から展望できる自然の緑もまた、人の心を穏やかにさせるいいロケーションである。
アロマも焚いているらしく、柑橘類の香りが鼻孔をくすぐっていた。
圧迫感もなく、ゆったりと過ごせる空間となっている。
が、俺は緊張のあまり、ゆったりなんて過ごせていなかった。
心臓がずっとバクバクいっている。
汗が止まらない。
震えも止まらない。
頭に流れている血の音さえも、ドクンドクンと聞こえてくる。
これ、今日死ぬんじゃないか?
「勇児くん」
「はひっ!」
俺は琴乃の母親の声に飛び上がった。
いつの間にか部屋に入ってきていたようだ。
今日は桜はピンクのドレスを着ていて、母親と琴乃の母親は、
「どんな感じかしら?」
「そうですね……今すぐ逃げ出したい気分です」
「すいません。こいつ、ビビりのヘタレなんで」
「か、かあちゃん。頼むから黙っててくれ……」
琴乃の母親は、微笑を浮かべながらため息をついた。
「……まさかこんなに早く、琴乃をお嫁に出すなんて思ってもみなかったわ」
そう。
今日は、高校を卒業した次の日曜日――
俺と琴乃の結婚式だ。
来月からイタリアに行く俺に、琴乃もついて来ることになった。
両家族での話し合いの結果、どうせなら結婚してから行けばいいという結論に達し、本日式を挙げる運びとなったのだ。
式のお金は、冬白川家が出してくれることになった。
さらにイタリアに行くための飛行機代や、向こうで生活するアパートまで用意してくれるようで……
さらにさらに仕事先までも紹介してもらって……これ、琴乃のお父さんに一生頭上がらないかも。
まぁ、情けないことに自分の力では何もやっていない。
だけど、琴乃のお父さんは笑顔で言ってくれた。
『琴乃の幸せのためなら何でもする。それにあの子が決めた男だ。力ぐらい、いくらでも貸すよ』と。
カッコいい人だ、あの人は。
さすがは冬白川姉妹の父。
決まり過ぎなんだよな。
「琴乃のこと、お願いね」
「はい。泣かせるような真似は絶対しません」
「……私みたいに?」
「あ、いや……」
琴乃の母親は、なんだか柔らかくなったように思える。
今も苦笑いをしながら、そんな冗談を言っていた。
以前のこの人からでは考えらない変化だ。
「ごめんなさい。あの時のことは……今までのことは、私も反省しているのよ。薫さんに怒鳴られたしね」
「あはは。その節はどうも……」
二人の母親は、互いに笑い合っている。
いつの間にか仲良くなってんだもんな。
この二人。
「主人と話をして……それに、琴乃とも話し合って。それで自分の過ちに気づいて。でも、人っていつでもやり直せるものなのね。それを教えてくれたのが、琴乃だなんて……」
琴乃の母親は、ハンカチで自身の目を拭いている。
「あの子も、いつの間にか強くなっていたのね」
「子供は放っておいても、強くなりますよ」
「ふふ。そうみたいね」
琴乃が強くなったのは、母親の影響が強いと思うけど。
だけど……頑張ったんだな。琴乃。
自分の母親と話し合って、理解し合って。
長い道のりだったのだろう。
でも今はこうして、理解ある母親になっている。
琴乃を分かってくれている。
だって、俺たちの結婚を許してくれたんだ。
まだ18歳の、子供みたいな俺たちの結婚を。
「もうすぐ始まるようだし、私は琴乃の方へ戻るわ」
「あ、はい」
琴乃の母親が部屋を出て数分すると、スタッフの人が式の始まりが近いことを伝えてくれる。
「じゃあ勇児。気合入れていきなよ!」
「う、うん」
母親は気合を込めた言葉を言い、桜はただ黙って親指を立てながら部屋を出て行った。
◇◇◇◇◇◇◇
俺は大きな焦げ茶色い扉の前で、神父の後ろに立っている。
右手には白いグローブを持ち、式の始まりを待った。
女性スタッフ二名が、両開き扉の取っ手に手をかける。
式の始まりだ。
静かに開かれた扉の先――
そこは幻想的で幸せに満ちた空間。
会場は広く、何十人もの人が座れる席が並んでいる。
美術品のように美しいステンドグラスが、会場一面に何枚も張り巡らされおり、外からの淡い光が射していた。
神父が歩き出し、俺も続いて歩いて行く。
会場には、母親と桜。
それに琴乃の母親と――
青いドレスを着た冬白川がいる。
みんな席に着きながら、穏やかな表情で俺を見てくれている。
俺も琴乃も友達がいない。
だから家族だけが見守る中の結婚式だ。
大きな会場で執り行われる、小さな式。
小さいけど、大きな幸せを感じている。
静かな音楽の中、白いバージンロードの上をゆっくり歩き、祭壇へと近づいて行く。
祭壇の手前には5段ほどの階段があり、神父は階段を上がり中央に。
俺は階段手前で歩みを止める。
神父は俺たちに視線を向け、起立し入り口を見るよう指示を出す。
母親たちは席を立ち振り返り、入り口の扉に視線を注ぐ。
俺も、扉の方へ振り向く。
神秘的な音楽が流れ始め、扉がゆっくりと開かれていく。
開かれた扉の隙間から、光が漏れるような錯覚があった。
俺は目を細め、しかし視線はそのままに扉が開いていくのを視認する。
目の前に現れた純白の花嫁。
――全身が喜びに震える。
全ての細胞が、心が、果てしない喜びに包み込まれていた。
世界に祝福されるように、幸せが身体に降り注いでいく。
俺はあまりに美しい花嫁に、心を奪われていた。
涙が出そうなぐらい美しい花嫁。
彼女は真っ白のウェディングドレスに身を包んでいる。
細く健康的で綺麗な肩は露出し、煌めくような美しいシルクが胸元から足元までを包み込んでいた。
絹のような美しい髪をアップにし、頭からベールをかぶっている。
少し俯き加減で表情はハッキリと見えないが、緊張している俺とは違い、落ち着いた柔和な眼差しをしているように見えた。
彼女は父親と腕を組んで、バージンロードの上をゆっくりと一歩一歩進んでくる。
まるで神話に登場する妖精のようだ。
花嫁が歩む度に、俺の心臓が歓喜に跳ねる。
そして俺は父親から花嫁を預かり、神父の下へと移動した。
緊張感と幸福感の中、夫婦の誓いを言葉にし、俺がベールアップをすると琴乃の綺麗な顔が表に露わになる。
琴乃は俺の顔を見て、照れるようにはにかんだ。
息をのむ美しさ。
もう言葉では彼女のことを言い表すことができそうもない。
言葉を失うほどの美。
この世でもっとも美しいもの。
――ある日俺は夢を見た。
それは――
ありえないレベルの美少女が俺の嫁になっている夢だった。
そんじょそこらの美少女じゃない。
2000年ぐらいに一人の美少女。
世界を揺るがすほどの圧倒的美少女。
ただし、勉強は得意じゃないしスポーツも得意ではない。
万能には程遠い平凡な女の子。
考えがネガティブで、どうでもいいような事も深く考えすぎて一人で抱え込む。
それから引きこもりで。根暗で。泣き虫で。
でも甘えん坊で、笑顔が眩しくて……
誰よりも愛おしい人。
俺に幸せを与えてくれる、唯一の存在。
それは――
冬白川琴乃。
そんな彼女の夢を見た。
俺は正夢をよく見る。
そして夢が正夢になる条件というか、法則というものがあった。
それは俺と母親が同じ日に同じ夢を見るということ。
数え始めてからの的中率は100%。
外れたためしは一度もない。
今回もそうだった。
あの日俺と母親は同じ夢を見た。
今回も夢は正夢となるようで、今俺の目の前に可憐な花嫁の姿がある。
俺は震える手で指輪の交換をし、琴乃と見つめ合った。
――色んなものが変わり続ける。
だけど、決して変わらないものもある。
それは、俺たち家族の絆と、母親の歪ながらも大きすぎる愛。
そして……
俺の彼女への想い。
俺は決して変わらない永遠の想いを乗せて――
誓いの口づけを交わした。
これから先何があるかは分からない。
楽しいことも、辛いこともあるだろう。
嬉しいことも、悲しいこともあるだろう。
笑うことも、泣くこともあるだろう。
だけど、たとえどんなことがあろうとこれだけは誓う。
俺はこれから先変わることなく、永遠に彼女を愛し続けることを。
おわり
ぼっちの俺は正夢をよく見るのだが、そんな俺がありえないレベルの美少女が嫁になっている夢を見たら本当に美少女が嫁にきた。 大田 明 @224224ta
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