第25話 変わっていくもの

 琴乃が実家に帰ることになった。

 彼女が無理矢理呼び戻されたとか、そういうわけではない。

 これは琴乃自身の意思だった。


 俺と琴乃は、冬白川家に向かうために高級住宅街の中を歩いていた。

 テレビとか映画でしか見たことないような大きな家が建ち並んでいる。

 俺みたいな人間には場違いもいいところ。


 今日の琴乃は、白いワンピースを着て、上から薄い色のデニムジャケットを羽織っている。

 以前、俺の母親から買ってもらったものだ。


 彼女は俺と腕を組み、緊張している様子で歩いている。


「大丈夫か、琴乃」

「うん……いつかは解決しないといけない問題だから……ちゃんと家族と向き合わないと。勇児くんの家で過ごして、家族って心がバラバラじゃダメだって分かったから」


 そう。

 琴乃は自分の家族と分かりあうために帰省しようとしていた。

 家族というか、主に母親とだろうけど。

 父親は理解ありそうな人だし、姉は最初から敵でもなんでもないしな。


「……無理そうならまた家に行ってもいい?」

「ダメだ」

「え……」

「そんな言い方じゃダメだ。帰ってもいい。だろ?」

「……うん」


 俺の母親に感化されたのだろう。

 戦う姿勢を、強さを知った。

 逃げない道を選べる勇気をもらった。

 だけど怖いなら逃げてもいいという、逃げ道も作ってもらった。


 ――少しずつ変わっていく。


 ふと俺は、気になっていた事を思い出し、琴乃に訊いた。


「そういや琴乃。出逢った時から俺の名前知ってたけど、どうしてなんだ? そもそもどこで俺のこと、その、好きになってくれたんだよ?」

「……勇児くん。運命って信じる?」


 運命。

 今の俺には信じざるを得ない言葉だ。


「当然、信じるよ」

「去年のね……勇児くんたちの学校で学園祭があったでしょ?」

「ああ……俺は焼きそば焼いてたな」


 また学園祭の話かよ。


「実は私、こっそり行ってたの」

「ふーん」

「それでね……お姉ちゃんが男の人に囲まれて、私、その中の一人にぶつかっちゃって……」

「んん?」

「その場に倒れちゃって……それで勇児くん、助けてくれたの覚えてない?」

「……あれ、お前だったの!?」


 この間も冬白川と会話した、学園祭の話。

 帽子をかぶっていた女の子……

 あれ、琴乃だったんだ……


「帽子、かぶってたよな」

「うん。お姉ちゃんに見つかったら恥ずかしいから、バレないように深くかぶってた。でね、勇児くんが私に手を差し伸べてくれて……直感って言うのかな? 勇児くんの指が触れた瞬間にね、あ、私この人と結婚する。って思ったんだ」

「……はぁ」

「一目惚れだった……ずっと真っ黒だった私の心の中が輝いたんだ。心に何色もの絵具を零したみたいに……世界がカラフルに見えたの」

「……一目惚れ……ですか」

「うん。あの日から勇児くんのこと、毎日想ってたんだよ?」


 そうだ……

 あの時、俺は琴乃から名前を訊かれたんだ。



『あの……名前、教えてくれません……か?』

『? 秋山だけど……』


 

 ……それで俺の名前知ってたんだ。

 というか、今の今まであれが琴乃とは気が付かなかった。


「家から出ることなんて、ほとんど無かったんだけど……あの日はなんとなく出かけてみたの。それで勇児くんと出逢ったから……だから、運命だったのかなって」


 眩しい笑顔を向ける琴乃。


 奇しくも、同じ日に、同じ場所で、同じタイミングで、俺は冬白川姉妹に好意を抱いてもらったようだ。


 しかし、奇妙というか、不思議と言うか……


 夏野と後二日ほど早く出逢ってたら夏野と付き合ってただろうし。

 琴乃のことを冬白川琴菜だと勘違いしてなかったら、琴乃を嫁に招き入れるなんて考えに至らなかっただろうし。

 冬白川が琴乃に制服を着せなかったら、こんなことにはなっていなかっただろうし。

 琴乃が学園祭に来てなかったら俺たちは出逢わなかっただろうし。


 何か一つでも欠けていたら、何か一つでも違ったら、俺たちの縁は途切れていたと思う。


 もうこれ、運命としかいいようがないよな。


 まるで宇宙の意思が働いているように感じる。

 全てが完璧に配置されていて、全てが完璧のタイミングで動いて、出逢うべくして出逢った。


 俺たちの出逢いは必然だったのであろう。


「出逢えて……良かったよ」

「うん。私も」


 たわいもない話をしながら歩いていると、周囲の大きな家々より、ひときわ大きな豪邸が遠くに見えてくる。

 琴乃はその家を指差して言う。


「あれが私の家だよ」

「……嘘でしょ?」


 敷地内で車が運転できるんじゃないかというぐらいだだっ広い庭があり、遥か向こうの方に白色をベースにした綺麗な3階建ての家が見える。


 冬白川一家は上品だとは思っていたが……本物のお嬢様だったのかよっ。

 俺は驚愕し琴乃の顔を見る。

 琴乃は俺の思考に感づき、大慌てで否定した。


「お、お父さんが会社の社長をしているだけで、私はその……普通だよ?」


 格差だ。

 圧倒的格差だ。

 絶望的格差だ。


 本当に俺でいいのか……

 ちょっと不安になってきた。


「……俺のこと、捨てないでね……」

「す、捨てるわけないじゃない! 私ずっと勇児くんのこと好きだよ!」

「そう?」

「学歴なんて幸せと関係ないって言ってくれたでしょ? それと一緒でお金だって、私たちの幸せに関係ないよ」

「そう言ってくれると嬉しいよ」


 なんか最近、琴乃が強くなったような気がする。

 このままどんどん強くなって、冬白川母のようになったりして。

 ……それはないか。


「あ」


 家の巨大な門扉の前に、冬白川琴菜が立っている。

 琴乃のことを待っていたのだろうか。


「お姉ちゃん」


 琴乃は冬白川の姿を見て、急に駆け出した。

 そして彼女の胸に勢いよく飛び込む。


「ごめんね、お姉ちゃん……お姉ちゃんが勇児くんのこと好きだなんて知らなくて……」

「私も、琴乃から秋山くん奪うつもりだった……ごめん」


 涙を流す琴乃の頭を優しく撫でている冬白川。


「…………」

 

 同じ顔のありえない美少女同士が抱き合っている。

 可憐だ。

 天使同士の戯れが見れるだなんて、ここは楽園?

 もしかして気づかないうちに死んで天国に来ちゃったとか?


「秋山くん……」


 なんて考えていたが、冬白川の一言に現実に戻される。

 そう言えば、冬白川と会話するのはあの日以来だな……

 ちょっと気まずい。


「……琴乃のこと、これからもよろしくね」

「あ、ああ」


 気まずそうにしている俺に気を使ってか、とびっきりの笑顔を向けてくれている。

 振られた相手に、そんなの中々できるもんじゃないだろ。

 やはり冬白川は凄いな。


「一つだけ、聞かせてもらってもいい?」

「何?」

「もし、琴乃より私が先に話しかけてたら、私と付き合ってくれてた?」

「どうだろ……」

「…………」

「付き合う前に、親衛隊に殺されてたような気がするよ」

「何? 親衛隊って?」

「知らないのかよっ!?」


 いつもお前の周りにいる奴らのことだよ。


「まぁ親衛隊のことが無かったとしたら……間違いなく付き合ってた。それは断言する。それぐらい冬白川のこと、ずっと好きだった」

「……あーあ。もっと早く勇気出してたら良かったなぁ」

「冬白川……」

「でも、これが運命なんだね」


 冬白川は琴乃の頭を撫でながら、寂し気に笑っている。


「あ、琴乃」

「え?」

「ミサンガ、一本切れたんだ」


 そう言えば、初めて出逢った時に無くしたって言ってたっけ。


「願い……叶ったんだ」

「うん……」


 琴乃は愛しそうに自分の左手を指でさすっている。


「私は……もう当分切れることはないかなぁ」


 少し切なそうに冬白川は自分の右手のミサンガに視線を落とす。


 琴乃は冬白川から離れ、涙を拭いて自分のミサンガを握り締める。

 そして決意を秘めた瞳で、自分の家を見つめていた。


「勇児くん」

「琴乃……」


 琴乃は俺の手を握り、力強く頷いた。


「行ってきます」

「ああ」


 そして彼女は、姉と共に家の中へと入って行った。

 

 頑張れ、琴乃。

 家族がバラバラなんて寂しいよな。

 だから、家族の絆が結べるように祈ってるよ。

 俺にはそれしかできることはないから……



 ◇◇◇◇◇◇◇



 琴乃がいなくても、時間は進んでいく。

 日々静かに、時には激しく過ぎていく。


 琴乃は時間がある時はしょっちゅう来るけど、いない時間も以前より多くなった。

 そりゃ、一緒に暮らしていないから当然だけど。


「お兄ちゃん、みたらし団子」

「分かってるよ」

「勇児ー。バター取って」

「ほいよ」

「先輩! おかわりお願いします!」

「…………」


 俺は無言で夏野にご飯を入れて手渡してやる。


「なんでお前はまた俺の家に来てるんだ?」

「え? だって先輩がこれからも一生面倒を見てくれると言っていたので……」

「言ったことを過大解釈してんじゃねえよ! 面倒見るとは言ったけど、一生なんて言ってないからな!」

「ほんで、葵ちゃんはいつまで勇児に引っ付いてまわるつもりなの? もう振られたんでしょ?」

「はい! 妻としての可能性がないのであれば、愛人枠を勝ち取ろうと思った次第であります! 私は良き愛人として、先輩の世話になっていこうと考えています!」

「愛人枠なんてねえよ! 俺は愛妻家として生涯貫くつもりですから。ってか世話になるって、寄生する気満々だなっ!」

「ですが先輩、英雄色を好むと言うではありませんか! 先輩ほどのお方が、一人の女性だけを愛する必要などありません!」

「英雄じゃねえし。一人でいいし」

「そ、そんな……じゃあ私にはもうチャンスは無いと言うことですか……」

「だからそう言ってるだろ?」

「…………」


 夏野はワナワナしながら、手に持っていたご飯を急いで掻き込み、茶碗をドンとテーブルに置いて駆け出した。


「また明日来ます! ……びえええええええええん」

「もう来んじゃねえよ!」


 本気でいつまで来るつもりなんだよ、あいつは……


 と、ピンポーンと突然家のチャイムが鳴った。

 俺は夏野が何か忘れ物でもしたのかと思い、玄関の扉を開く。


「あ、秋……桜ちゃんいますか?」

「ああ……」


 そこにいたのは美少年に分類されるであろう、バスケットボールを持った男の子だった。

 俺に嫌味のない、人懐こい笑顔を向けている美少年。


「おーい桜」


 俺の声に、気怠そうにゆっくりした足取りで桜は玄関までやって来る。


「あ、春田」

「秋山。今日俺、バスケの試合あるんだ。良かったら見に来てくれよ」

「めんどい」


 秒殺だった。


「そんなこと言わないでさ~。秋山がいたら俺頑張れるんだよ」

「?」


 こりゃ、この春田って子の片思いだな。

 しかし桜、これは中々いい物件ではなかろうか?

 お兄ちゃんはありだと思いますぞ。


「じゃあ5……3分ぐらいなら」


 そのまま靴を履いて春田くんと家を出ていく桜。


 ――少しずつ変わっていく。

 色んなものが。


「勇児。ちょっと来て」

「なんだよ?」


 俺はリビングに呼び戻され、母親の前の席に座らされる。


「あんた、イタリア行きたいんだって?」

「え?」

「琴ちゃんから聞いたよ。本当はイタリア行って料理の修行したいって」

「そうだけどさ、家のことも桜のこともあるし、金のことだって……」

「家族の為を想ってくれるのは嬉しい。でも、家族の為に自分を犠牲にするな」


 真剣な表情で母親は言う。


「あんたの幸せが、私の幸せなんだよ。だから行ってきて、夢叶えておいで」

「かあちゃん……」

「あんたが家のことやり出してくれたのだって、今の桜ちゃんより小さい頃だったじゃん。こっちはこっちで、勇児がいなくてもなんとかなるよ」

「…………」

「お金の事だって、何とかなるようになってるよ。私もお金無かったけど、あんた生んで育ててこれたしね」

「そんなもんかね?」

「うん。人生、そんなもんよ」


 無敵の笑顔を見せる母親。


「最終的には帰ってくるんでしょ?」

「……帰って来なかったら、どうする?」

「その時は……私がイタリアに乗り込む!」


 敵わないな、この人には。

 かあちゃんが、俺のかあちゃんで本当に良かった。

 いつだって背中を押してくれるんだ。

 いつだって笑顔で見守ってくれるんだ。

 嬉しすぎて、目頭が熱くなる。


「絶対に帰って来るよ。だって、琴乃も一緒にいたいって言ってたしな」

「うん。まだ少し先の話だけど、ちょっとの間のお別れだね」

「ありがとう、かあちゃん」


 ――少しずつ、色んなものが変化していく。


「そういや、桜ちゃんは?」

「ああ。なんか美少年に誘われてバスケ見に行ったぞ」

「ふーん」


 母親は自室に入り、数秒後、釘バットを持ってリビングに戻ってきた。


「おいおいおいおい! 何物騒なもん持ち出してんだよ!」

「うるせえ! 桜たんをたぶらかす野郎は許さねえ!」

「相手は小学生だぞ! 子供なんだぞ!」

「知るか! タマ取ったらぁ!」


 俺は母親を羽交い絞めにして必死に止める。


「家族の為に自分を犠牲にするなって言ったろ? 桜には桜の幸せがあるんだから放っておいてやれよ。あんたの我儘の犠牲にするな」

「やだやだやだやだ! 桜たんは別なの! 桜たんは結婚なんかしないでお母さんと一生一緒にいるのっ!」

「てめえ! さっきの俺の感動返せ! 良いこと言った後にすぐこれか!」

「いいから離せー!」


 ――色んなものが変わり続ける。

 だけど、決して変わらないものもある。


 それは、俺たち家族の絆と、母親の歪ながらも大きすぎる愛。

 そして……


 

 そして――

 時は流れ、俺は高校を卒業した。

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