第18話 家族2

 話しづらそうな冬白川。

 何度か口を開こうとするが、言葉が出てこないようだ。

 そんなに嫌なことがあったのだろうか。

 無理に話を聞くつもりは無かったけど、こんな状況になってしまったら聞かざるを得ないよな。

 冬白川はしんどいかも知れないけど、ゆっくりでいいから話してもらおう。

 実際彼女も話をしようとはしているみたいだし。


 彼女の泣き声と桜の本をめくる音だけがリビングに響く中、俺たちは黙って彼女の言葉を待った。

 すると冬白川は涙を流したまま、喋り出した。


「昔から私、お姉ちゃんと比較されてきて……それが辛くて」

「…………」

「お姉ちゃんは何をしてもそつなくこなして、何でも人よりできて、いつでも結果を残してきた」


 知ってる。

 勉強だって運動だってなんでも完璧にできる女の子だ。

 顔も性格も良く、おおよそ思い当たる悪い点などない。


「それに対して、私は勉強も得意じゃないし、運動だってできないし……それで周りの人から言われてきたの……何でもできる姉と、何もできない妹。中でも、特に母親が酷くて」


 確かにあんな完璧な人が姉妹だったら、色々大変だろうなぁ。

 なんであの子はできるのにって、否が応でも比較されるんだ。

 その点、桜は運がいい。

 だって俺は目立たないお兄ちゃんだから、比較されることもない。

 もしかしたら『え、お兄ちゃんいたの?』とかまで言われてたりして。

 それはそれで悲しいけど。


「『琴菜は勉強ができるのに、なんであなたはできないの。琴菜はコンクールで賞を取ったのよ。なんであなたは基本もできないの』って、毎日毎日言われ続けてきた」


 辛いなぁ。

 それは辛い。

 俺の家は昔からのびのびしていたから、そんなこと言われること無かったけど、実際言われたら毎日の生活が苦痛になるに決まってる。

 そんなの絶対嫌になる。


 家が。

 家族が。


「毎日母親に小言を言われて、どんどん自分がダメな存在なんだって理解させられて……学校でもみんなに同じ風に思われてるじゃないかって感じられて……気が付いたら、怖くて学校も行けなくなってた……お医者さんには、適応障害だって診断されたの」

「適応障害……って何?」

「あれでしょ? お腹切って子供取り出すやつ」

「それは帝王切開だ! 語呂がちょっと似てるだけじゃん!」


 こんな真剣に話をしているというのに、この母親は……


「適応障害は精神障害。ストレスが原因で鬱っぽくなったり、不安になったりするの」

「ほう」


 桜は本を読みながらそう教えてくれた。

 なんで10歳のくせにそんなこと知ってんだ。

 俺もかあちゃんも知らなかったんだぞ。


「じゃあ琴ちゃん、学校行ってないの?」

「……中退しました」


 冬白川は申し訳なさそうに、より多く涙を流しながら答える。


「ごめんなさい……」

「謝らなくてもいいけどさ……じゃあ、毎朝家出て行ってたけど、どうしてたんだよ?」

「近所で時間潰して、家に戻ってた……ごめん勇児くん。ごめんね」

「だ、だから、謝らなくてもいいよ」


 よくよく考えたら俺の学校の制服着てるんだし、他の学校に行くわけないか。

 

 しかし学校も行けなくなるぐらい思い詰めてたなんて……

 病気になるぐらい辛かったなんて、彼女の生活してきた環境を考えるだけで胸が痛くなる。苦しくなる。

 涙が出そうになる。

 冬白川、辛かったろうな。


「それで、この間母親に反論して……家出して……」


 母親との折り合いが悪く、家出をしたのか。

 なんか……メチャクチャ可哀想な子じゃないか。

 なんでこんないい子にそんな……


 俺の母親も同じ風に感じていたのだろう、冬白川に優しい笑みを向ける。 


「琴ちゃん、おいで」

「え?」


 母親は両手を広げて冬白川を招き入れようとしている。

 キョトンとしたまま、冬白川は招かれるままに母親の両腕に抱かれた。

 そして母性に溢れた顔で、優しい手つきで彼女の頭を撫で始めた。


「辛かったね。しんどかったね。でもね、琴ちゃんはダメじゃないんだよ。琴ちゃんには琴ちゃんのいいとこがあるんだから。お姉ちゃんと比べる必要なんてない。大丈夫。私には分かってる。琴ちゃんはいい子だよ」

「お母さん……」


 パタンと本を閉じ、桜は冬白川の手を握った。


「琴ちゃんは優しい。それに可愛い。それから……」


 指折り冬白川のいいところを数えていく桜だが、早くも詰まっていた。

 なんだよその中途半端な援護は。

 やるならちゃんとしてやれ。


「うっ……うえっ……ええええええええん」


 だけど、冬白川は大声で泣いた。

 実家では得られなかった温もりと、そのままの冬白川を愛してくれる二人の優しさ。

 本物の家族の温かさに、冬白川はわき目もふらずただひたすらに泣いていた。

 まるで生まれたての赤ん坊のように、生を告げる産声を上げるように、泣き続けていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇



「琴ちゃ~ん。今日は一緒に寝よっか」

「はい」


 泣き腫らして赤くなった目で、冬白川は嬉しそうに母親に甘えている。

 家では口うるさい母親しかいなかったから、うるさいけど優しいかあちゃんに完全に懐いたな。

 別に仲がいいことは構わない。

 問題は俺だ。


 俺は自室に入り久々のベッドに身を預け、冬白川姉妹のことを考える。


 俺がずっと好きだった冬白川琴菜。

 俺の嫁にくる約束をした冬白川琴乃。


 姉のことは当然好きだけど、妹の方も……好き、だよな?

 でもそれって、妹のことを姉だと勘違いしていたから芽生えた感情なわけで、純粋にあいつのことが好きなのかどうかで言うと、分からない。


 じゃあ冬白川琴菜のことが無かったら、俺は冬白川琴乃のことをどう思ったのだろうか……

 分からない。

 そもそも冬白川琴菜のことを知らなかったら、出会いはすれど嫁にくるなんて展開になりえなかったし。

 

 あれ?

 そう言えば、なんであいつは俺のことを知っていたんだ?

 分からない。


 もう分からないことだらけで頭の中がグチャグチャだ。

 冬白川のことは分かったけど、俺の中では何も進展していない。


「…………」


 枕から冬白川のいい匂いがする。

 とろけてしまうような甘い香り。

 もうあいつが、生活の一部に溶け込んでいる。


 すぐ傍にいて、いつでも手が届く冬白川琴乃。

 いつも遠くにいて、手が届くかも分からない冬白川琴菜。


 結局のところ、俺がどっちの方が好きかってことなんだよな。

 姉の方は付き合えるかどうかも定かではない。

 でも手軽だからって妹の方を選ぶのも違うと思う。


 ちゃんと向き合わないといけないな。

 自分の心に。


 どれだけ迷ってもいい。悩んだっていい。

 自分が納得できる答えを出さないと。


 自分の人生なんだ。

 一番自分が幸せになれる選択をしよう。


 そして俺は気が付くとそのまま眠りについていた。




 ◇◇◇◇◇◇◇




「じゃあ、この方は冬白川先輩じゃないんですか?」

「え、ええ……ごめんなさい」


 朝から俺の家で飯を食らっている夏野は、箸で冬白川を差しながらそう聞いてくる。

 こいつは本当に行儀悪いなぁ。


 夏野の言葉にしゅんと肩を落とす冬白川。


「で、では偽物だったので婚約の話は白紙に戻すというのはどうでしょうか!?」

「え……」


 夏野のいきなりの提案に冬白川は驚愕したような表情をする。

 今ぶっこむんじゃねえよ、夏野!

 まだ何も決まってないってのに、気まずいだろうがっ。

 どうするんだよ。

 冬白川、メチャクチャ不安そうにこっち見てるじゃないか。


「ど、どっちにしても、お前とは結婚しないぞ」

「うええっ!? 何故ですか! 優勝したら結婚するって言っていたのに……」

「だから、お前の都合のいいように記憶を改変するな」


 その時、冬白川がテーブルの下で俺の左手をキュッと握った。

 どうしよう。

 何て言えばいいんだろう。

 今俺の思っていることを話したら、落ち込むんだろうな。

 あいまいになんて付き合いたくないけど、今はあいまいにしておくしかない……


「琴ちゃん大丈夫。何があっても琴ちゃんは勇児のお嫁さんなんだから」

「お母さん……」

「ねっ、勇児」

「う、うん。そうだな……」


 俺は結局濁すような言い方しかできなかった。

 その代わりではないけれど、冬白川の手を強く握り返す。

 そうすると冬白川は少し安心したのか、やんわりと微笑んだ。


 なんか、すごい胸が痛い。

 まるでチクチクナイフの先端で刺されているようだ。

 裏切っているような罪悪感。

 物事をあいまいにしておくって、時にはこんなに辛いものだったのか。

 他人と深い付き合いなんてしてこなかったから知らなかった。


 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇



「じゃあ学校行って来る。冬白川。昼ご飯冷蔵庫に入れてあるから」

「あ、うん。ありがとう。いってらっしゃい」


 もう学校に行くふりなどしなくていい冬白川は、ジャージ姿のままで見送りしてくれた。


 夏野と二人で学校へ向かい、電車の中でのこと。

 今日も今日とて夏野は、空手の息吹をしていた。

 もう同乗者も慣れてきた人が多いのか、白い目で見てくる人は少なくなったような気がする。


「そうだ夏野」

「なんでしょうか?」


 息吹を中断し、俺の方を見る夏野。


「明日からお前、飯食わせないからな」

「ええええええっ!? どういうことですかっ!?」


 アワワと震えあがっている夏野。

 いや、そんなに怯えるような話じゃないだろ。


「いや、だってもう冬白川の話を内緒にしておく必要ないし。あいつ、学校にいる冬白川じゃなかったんだから」

「い、今さら私を見捨てるというのですか!? そんな……無責任な!」

「俺になんの責任があるんだよ。とにかくもう終わりな」

「じ、じゃあこのお腹はどうすればいいんですか!?」


 お腹を押さえて夏野が叫ぶと、電車の中にざわめきが起こる。


「え、あの子、妊娠させておいて捨てるの?」「高校生なのに何やってるんだ」「最悪な奴だな」


 あ、妊娠した彼女を捨てる彼氏だと思われてる。

 最悪だ。


 違いますよ。

 こいつは飯の催促しているだけですからね。

 なんて伝わるわけもないよな。

 早いところ周囲の誤解を解かねば。


「お、おい夏野――」

「お願いしますせんぱーい! 私のことを捨てないでくださーい!」

「ちょ、夏野。離れろ……」


 夏野は突如俺の脚にしがみつき、滝のように涙を流しながらそう訴えかける。

 俺は彼女を離そうと力いっぱい頭を押すが、そこで周囲の声がさらに大きくなっていることに気が付いた。


「悪魔だ!」「あんな風に女を捨てられる男がいるなんて……」「陰キャのくせに生意気な」


 今誰か、陰キャって言った。

 陰キャは関係ないでしょう。


 というか、さっさとこいつの暴走を止めないと。

 俺の尊厳と精神への被害が拡大していく。


「わ、分かった! 分かったからもう止めろ夏野! 明日からもちゃんと面倒みてやるからっ!」


 ピタッと泣き止んだ夏野は俺を小動物のような目で見る。


「ほ、本当ですか……?」

「本当です。な、だから泣き止め」

「良かったー! 私、先輩に捨てられるのかと思いましたー!」


 今度はペタリと座り込んでえんえん泣き出す夏野。

 周囲の人たちは、良かった良かったと笑顔で夏野に温かい視線を向けている。

 そして俺には、これからも捨てんじゃねえぞというような厳しい視線が向けられていた。

 もうやだ。こいつ。

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