4. 壺

 しっとりとした質感の真っ黒な壺。暗闇、というよりは墨のような、黒とグレーの間の、優しさや温かみすら感じるようないろにずっしりとした存在感が心地いい。

 これはほんとに高価で上等なものなんじゃないだろうか。骨董というのはよくわからないのだけど。

 よくよく考えてみると、買い集めている家具もアンティークとか呼ばれていて骨董のはずなのに大した知識もなかった。

 なんだか可笑しくなってくる。

 

 私は一緒に暮らしているものを大して知りもしないで、大好きとか愛してるとか言ってたんだな。


 今、預かり物の壺の一つや二つ、増えていたって構わない気がしてきた。

だってどうせ大して知らないものに囲まれて、そのものの過去も現在も知りもしないし、知ろうと努力したりすることもなかったんじゃない?


『真衣子さんは警戒心が薄いからさ。』

あの人の言葉がまた思い出される。

ああ、そうね。だからすぐ、ドアを開けてしまう。

だからすぐ、浮気されてしまう。


 あの人、今日いつ帰ってくるんだっけ?

なにを話せばいいんだろう。

よくも浮気したな!とか言えたらいいのに。

言える自信が私にはなかった。


 アンティークもあの人も、とても大事にしていたのにね。 


 ああ、晩ご飯…どうしよう。


 立ち上がりついでに、壺に触れてみる。芝家里江がやっていたように撫でてみる。釉薬のツルッとした手触りと、それ以外のザラッとした手触りと楽しんでみる。


 島本結衣。

あの女さえいなければ。

あの人は私の旦那様で居続けてくれるのかな。

何もなかったみたいに、毎日帰ってきてくれるのかしら。

あの人は私の一番大切なもの。

二番は…なんだろ。

このテーブルかしら?

ああでも、どうでもいい。あの人とのこの生活が守れるなら。


 もしかして、よくわからないけど、あの煙草屋の芝家里江は、私が島本結衣と会っているところでも見かけて、気落ちしないように慰めのつもりで訪れたのだろうか。

少しでも気が晴れるように、よくわからない嘘をついて、よくわからない勢いで壺を置いて行って。


 もしかすると。

とふと思いついて、壺の中を覗いてみる。

何もない。ただ、普通に壺の底がある。

盗聴器でも仕掛けてあって、私が不平不満や相手の名前やいろんな事を言ったのを盗み聞きして、あの人を脅したりするのかしらと思ったけれど。


 おまじない。

彼女は言った。

『あなたの敵を飲み込んでくれます。』

どっちが本当なんだろう。

まあ、どっちでもいいか。


「島本結衣を消して。」

壺口に向かって囁いた。

なんだか胸がスッとした。少し、そんな気がした。

その次の瞬間、胸から下腹部にかけて、稲妻のような激痛が走った。

「いった…痛い。」

あまりの痛みにお腹を抱えて座り込む。

痛い。痛すぎる。こんな痛みは知らない。

じわぁ、と脂汗が出る感触がする。


「ピーンポーーーン」

「コンコンコンコン!」

玄関のチャイムの後にすぐ四連打のノック、あの人だ。

晩ご飯、できてない。

謝って、それで、それから。

痛みを堪えて、玄関の鍵を開ける。

「真衣子さん!ただいま!」

「おかえりなさい。」

あの人は上機嫌でニコニコしている。

「ごめんなさい。晩ご飯できてないの。」

「いいよ。いいよ!それより具合悪いの?顔色がすっごく…。」


そこまで聞いて、私の意識は途絶えた。

あの人が信博さんが、私の名前を珍しく呼び捨てで繰り返し呼んでいたような気がする。

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