3. 7丁目の美人

「わたくし、7丁目の芝家煙草店の芝家里江と申します。奥様にどうしてもお伝えしたい事が。不躾とは思いましたが、お会いしてお話ししたかったので、こうして参りました。」

 目鼻立ちがハッキリして、瞳が輝いているのがモニター越しでもよくわかる。

 この人が7丁目の美人。

 誰が言い出したかは知らないけれど、7丁目の角の煙草店、その古びた煙草屋には美人がいる。新極町小町だ。ともっぱらの噂だ。

 肩までの栗色の髪も手入れが行き届いていそうで、大事そうに抱えた大きな紫の風呂敷包みもなんだか誇らしげに見える。

 眩しさを覚えながら、言われるままに解錠のボタンを押してしまっていた。


 それにしても『奥様にどうしてもお伝えしたい事が。』を数時間のうちに二回も言われる事になるとは。


もしかして、夫は何人もの浮気相手を隠していて、今日示し合わせて告発する気なんでは?


それか、島本結衣の依頼で私の精神を不安定にさせる気とか?あんな嘘をついたから?


 ティッシュペーパーで顔を押さえて平気な顔を作ろうと鏡を見ながら、どんどん悲観的な気持ちが湧いてくる。

 嫌だな。なんでインターホン出ちゃったんだろう…。

噂の美人がどんな人か、好奇心がなかったと言ったら嘘になるけれども、なにもこんな時に好奇心を優先させなくてもいいのに。


『脊髄反射で生きてるところあるよね!』

 夫は一緒に暮らし始めてから、付き合ってた頃はよくわかっていなかった細々としたことを発見しては、嬉しそうにかわいい顔をして報告してくれる。

私がつい、でやってしまうことを発見したときも嬉しそうに目を輝かせて教えてくれた。

 脊髄反射、そうなのかもしれない。

好奇心に対しての脊髄反射、ほんと、笑える。


ピーンポーーーン


 今度はドアを開けなきゃ。7丁目の美人がドアの前に居るんだ。


「はい。」

 ドアを開けると、やっぱり大事そうに大きな紫の風呂敷包みを抱えた彼女がそこにいた。

「奥様!お会いしとうございました!」

 濡れた黒曜石のように艶々とした輝きの目が眩しい。背は私より少し低くて、首が長い。とても、細い。目が大きい。

 噂より、ずっと良い。インターホン越しより眩しい。キラキラした宝石のような輝き。黒蜜みたいな甘やかな香り。

『そりゃあ煙草やめられませんよ。いや、妻には内緒にお願いしますね。』

マンションの管理組合の寄り合いで、少し話した階下のおじさんが言ってた。

そりゃやめられませんよね。わかる。

彼女をダイニングに案内しながら、おじさんに同意した。

つい会いに行ってしまう。なんとなく、そう思う。

「素敵なお部屋ですね!テーブルも椅子も素敵!」

 大好きなもので埋めた空間を褒めてもらえるのはどんな時でも嬉しい。

彼女みたいな人から褒められるのは更に嬉しい。

「お茶もいれずにお聞きしてすみません。お話ししたいことってなんですか。」

 彼女を知りたいとは思うけれど、疲れているし、もう早く済ませたい。その一心で私はすぐに切り出した。

黒い瞳をキョロキョロと動かして、彼女は言った。

「あのー奥様。消したいものがあるでしょう?消せるって言ったらどうしますか。」

「え?」

とても早口で彼女が言う。目をキラキラと輝かせて。

いや、これはキラキラじゃない。彼女の目はギラギラしている。

「奥様には敵ができましたよね?その敵、消えてくれたら、奥様の大事なもの、守れます?」

「え?なんで?その。」

私はうまく喋れない。

彼女はどんどん、どんどん前のめりで興奮したように話しかけてくる。

「奥様の大事なものを守るために、敵でも、なんでも、邪魔なものは消してくれます。私知ってるんです。そう言う時は、これが教えてくれるんです。だから、急いで奥様のところに来たんですよ。」

ドン、と鈍い音がして、紫の風呂敷包みがテーブルの上に出された。

「あっごめんね。」

風呂敷包みに向かって謝りながら、彼女はスルスルと結び目を解いた。

「これは、とても貴重なものです。」

紫の風呂敷包みの中から、大きく、黒く煤けたような桐の箱がでできた。

これもまた紫色の組紐のようなもので結えてある。

組紐の結び目も彼女はスルスルと解いて、中に手を入れるとそっとそれを出してきた。

「これはとても古いもので。来歴なんかはよく知らないのですが、必ずあなたの望みを叶えます。」

それは、真っ黒な大きな壺。としか言いようのないものだった。真ん中あたりに白っぽい釉薬の垂れた線が一周、ツルッと回っているようだ。

「壺、ですか。」

「はい。」

彼女は返事をすると、ニコニコとして椅子に座った。

「あの、心霊がどうのこうのとか、霊能力がどうのとかそう言うことですか?私、あの禅宗の家の出なので、あの。」

「そう言うことではございません。」

真面目そうな顔をして、彼女はキッパリと言い切る。

「わたくしに霊能力などと言うものはありません。ただ、これが教えてくれることだけはわかります。奥様が困ったことになってらっしゃる。奥様の元に行きたい。これが教えてくれたのはこれだけです。このことから、奥様が今現在、大事なものを守るためになにができるか、とても困ってらっしゃることはわかります。」

彼女は私の目をまっすぐ見て離さない。

怖い。

「あの、うちにはそんな貴重なものを買うお金は、ありません。」

必死になってやっと言った。言えたつもりの言葉に、彼女は突然大笑いし始めた。

「え?」

もうなにがなんだかわからない。

今日は一体なんの日なんだろう。4月1日だったら良かったのに。電話に、インターホンに出なければ良かったのに。

物凄い厄日であることは確かだ。

腹を抱え、髪を左右に振って笑う、芝家里江という女をただ眺めることしかできない。

彼女はヒーヒーと呼吸を苦しくしながらもまだ笑っている。

「取り乱しまして、失礼しました。」

ハンカチを取り出して、彼女は涙を拭うと髪と衣服をちょっと整える仕草をして、少し座り直した。

「奥様に誤解させてしまったようですね。これを売りに来たと思われたんでしょう?」

茫然としたまま、頷くと彼女も満足げに頷く。

「ええ。これは素晴らしいものです。いくつか欠点もございますが、それを補って余りある素晴らしい点がたくさんございます。ある意味、これを売り込みに来たのはそうです。ですが、私はこれを手放す気も、奥様にお財布を出させる気もございません。」

ふふふっと笑って、彼女は柔らかい手付きで壺の表面を撫でた。

「奥様にお貸し申し上げたいのです。これが言うには、奥様の敵を飲み込み、奥様のお役に立ちたいと。それがわたくしのここへ参りました理由でございます。」

「いやあの。」

なんとしても断ろう。こんなもの、いくら好奇心が強かったって家に置いておけるわけがない。

「わたくしの言うことなど、信じなくて結構です。ただ、おまじないか何かだと思って、ここへ置いておいてください。2、3日もしたら取りに来ます。それでもどうも嫌だったらうちに届けに来てください。普通に置いてる分にはただの壺です。」

「いやです。持って帰ってください。」

なんとか言った。

「わかりました。わたし、部屋の掃除がしたいんです。でもわたし、掃除の時、前に花瓶ひっくり返して割ってしまったんですよね。そそっかしいんです。だから、奥様、これ預かってくださいません?そうすると、助かるの。人助けだと思って、ね?ついでに奥様のお願いをしてもいいの。」

「なに言ってるんですか。」

また彼女の目がギラギラしてくる。

「これに消したいものの名前を教えてあげて。上から囁いてやってください。消したいものの姿形を思い浮かべながら。そうしたら、きっとすぐに消してくれます。でもね、奥様、これだけは覚えておいて。消す代わりに、もう一つ消えるものがあるの。それは、あなたの二番目に大切なもの。一番大切なものは守られます。だけど、これは消したい敵と一緒にあなたの二番目に大切なものを持って行ってしまう。お気をつけて。」

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