第五章

薬莢(1)

 地面に落ちている薬莢を一つずつ指で摘みながら拾い集めていく。人差し指と親指に挟まれている薬莢が、煌々と光る太陽に照らされて鈍く輝く。太陽に加熱された薬莢は、とても熱くて、長くは持っていられない。

 地面に散らばっている薬莢を拾い集めることが少女の仕事だった。薬莢だけではない。持ち運べる大きさの金属が落ちていれば、それも回収する。集めた薬莢や金属を両親に渡すと、両親が喜んでくれる。笑顔の両親が食料を持ってきてくれる。その光景を見ることは、少女にとって至福だった。

 「本当に、危ない場所には行っていないの?」

 少女が頻繁に薬莢や金属を持ち帰ってくるので、両親は心配して質問するが、少女は「砂に埋まっていたので、他の人は気付かなかった」と返答する。本当のことを言えば、両親は少女を外に出してくれなくなる。そうなると、食料が満足に得られなくなり、両親の機嫌が悪くなり、両親の間で喧嘩が絶えなくなる。その光景を見ることは、少女にとって苦痛だった。

 少女は、摘んでいる薬莢を、襷掛けしているショルダーバッグの中に入れた。ショルダーバッグは少女の母親の手作りで、少女のお気に入りであるが、長く使い続けているため、あちこに綻びや小さい穴がある。少女が着ている服にも綻びや穴が目立つ。

 少女が立っている場所は、煉瓦造りの建物が並んでいる住宅街であるが、昼間であるにも関わらず、道を歩いている人間は一人もいない。

 周囲を見ると、地面のそこかしこに薬莢が落ちている。建物の壁には無数の穴が開いている。大人たちは「無闇に近付くと撃ち殺されてしまう」と言っているが、今の時間であれば、この場所に銃火器を持った人間がいないことを少女は知っていた。否、近所の人の話や、ラジオの情報を処理した少女の脳内では、この場所に銃火器を持った人間がいないという結論になっていた。そして、実際、少女の脳が出した結論どおりの状態になっていた。

 少女の脳内で自動的に予想される事象は、高確率で現実になる。しかし、予想した本人は、なぜ自分がそのように予想したのか説明できず、周囲の大人たちから不気味がられる。そんな経験を何度かした少女は、自分の予想を他人に言わずに行動するようになった。すると、周囲の大人からは、あたかも少女が突然起きたことに対していつも冷静かつ的確に対応しているように見える。周囲の大人たちは、少女のことを、頭の良い子と評価するようになった。

 少女が、付近の地面に落ちていた薬莢を拾い終わった。少女は、落ちていた薬莢の数が少ないな、と感じる。その瞬間、少女が住んでいる村が武装した人間に襲われている光景が鮮烈に思い浮かんだ。

 たくさんの人が死ぬ。

 私の村も、この街と同じようになってしまう。

 少女は悲しくて涙を流す。

 一頻り泣いたあと、自分の家族だけであれば救える、と感じた。少女は、自分の家族を救うための具体的な方法を必死で考えた。

 見知らぬ男が村に来て山羊を買っていく。その夜、川沿いから、武装した多くの人間がやってくる。川に近い家から順番に襲撃していく。最初は集団で行動しながら一軒一軒ナイフだけで襲っていく。六軒め以降は一人ずつ分かれて銃で襲う。銃声に気付いて山側へ逃げる人たちを待ち伏せしている人間がいる。山側へ逃げた人は、その人間に銃で殺される。生き延びるためには、一軒めの家が襲われてから、五軒めの家が襲われるまでの間に、川を渡って逃げなければならない。両親だけが少女の話を信じ、少女と一緒に逃げてくれる。三人だけ助かる。


 少女が予想したことは、すべて現実になった。


 普段は水筒に使用している山羊の皮袋を浮き輪にして川を渡った三人が、川の向こう側から聞こえてくる銃声と悲鳴を聞き、悲痛な表情をしている。月明かりで照らされている村のシルエットの中に、たくさんの閃光が見えた。

 少女たち三人は、これから隣の村まで歩かなければならない。隣村まで行くためには、一日歩き続けなければならない。事前に少女が川岸に隠しておいた食料やランプなどの荷物を背負い、三人は歩き始めた。星の位置を頼りにして隣村を目指す。

 翌日の夕方、無事に隣村に到着した三人が目にしたのは、見慣れない服を着て、見慣れない車に乗り、聞き取れない言葉を話す得体の知れない人間の集団だった。その人間たちは全員銃を持っているが、村人たちはまったく警戒せずに、普段どおりの生活をしている。

 「あの人間たちは何者だ?」少女の父が、近くの村人に尋ねた。

 「東の異国から来た人たちで、私たちを助けてくれている」村人は笑顔で答えたあと、少女たち三人を見て心配そうな表情をする。「それよりも、お前たち、どうした? 酷く疲れているようだ」

 少女の父が村人に事情を説明する。事情を聞いた村人は、顔面を掌で覆いながら首を振り「なんてことだ」と呟く。「急いで村長に伝えてこよう。お前たち、すまないが、同じことをあの人たちにも話してくれないか。彼らは心強い味方だ」村人が指差した方向には、見慣れない服を着た人間の集団がいる。

 「撃たれないのか?」少女の父が不安そうに尋ねた。

 「撃たれない」村人が笑顔で答える。

 少女たち三人は、見慣れない服を着た人間の集団に近付く。その集団の中に一人だけ、少女たちと同じような服を着ている男がいたので、少女の父は、まずその男に話しかけた。男は、少女たちと同じ言葉を話し、いろんなことを説明してくれた。男が通訳の仕事をしていること。見慣れない服を着ている人間たちは、ニホンという国から来たこと。ニホン人はみんな優しいこと。ニホン人が、この村をテロリストから守ってくれていること。

 「私たちの村が襲われた。おそらくテロリストだと思う。私たち以外の村人は全員殺されてしまった」

 少女の父が悲痛な表情で訴えると、通訳の男は顔を顰める。

 「可哀想に。テロリストたちは本当に悪魔のような存在だ。君たちだけでも逃げることができたのは非常に幸運なことだ。神の導きがあったのだろう」

 通訳の男が神へ祈りを捧げる。少女たちも倣って祈りを捧げる。

 「実は、娘が神の御加護を受けているんだ」少女の父は、少女の頭を撫でながら、誇らし気に言った。

 「どういうことだ?」通訳の男が質問した。

 少女の父は、これまでに少女が見せてきた聡明さを話す。今回、テロリストから逃げることができたのも、まるで少女が未来を予知していたかのように行動したからだった、と語気を強めて話しながら、少女の父は何度も神への感謝を口にした。

 話を聞いていた通訳の男の目付きは徐々に鋭くなり、少女の父の話が終わると、真剣な表情で口を開く。

 「その子が神の御加護を受けているのは間違いない」通訳の男は、そう言いながら人差し指を立てて、辺りを見回した。「今から私が話すことは、極めて重要なことだ。誰にも話してはいけない。約束できるか?」通訳の男は、少女たちが頷くのを確認してから話を続ける。「私は、通訳の仕事をしながら、もう一つ仕事を任されている。その仕事とは、この国の優秀な子供たちを保護して、ニホンの最先端の教育を受けさせるという仕事だ。ニホンの最先端の教育を受けられれば、その子供の未来は太陽のように明るくなり、私たち人間を導くような貴重な存在になれる。ただし、優秀な子供というだけでは、ニホンの最先端の教育を受けることはできない。ニホンの最先端の教育を受けることができるのは、神の御加護を受けている子供だけだ。今、私は、神に感謝している。私の目の前にいるその子は、まさしく、神の御加護を受けている。神の使いとして、私たち人間を導く存在だ」通訳の男は囁くように一気に話すと、口を閉じて、真剣な表情のまま少女たちを見つめ続ける。

 「ど、どうすればいいのか……」少女の父は、額の汗を拭いながら困惑する。

 「その子はニホンへ行くべき存在だ。迷う必要はない。今、君たち家族と私が、こうして会えていることが、すでに神の導きなのだから」通訳の男が畳み掛ける。「先ほど言ったとおり、どんな子供でもニホンへ行けるわけではない。ニホンへ行くためには、神の御加護を受けていることを証明するため、試練を乗り越える必要がある」

 「試練とは、危険なことか?」

 「危険ではない。神の御加護を受けていることを簡単に証明できる試練を、ニホン人が用意してくれている。本当に、ニホン人は素晴らしい」

 通訳の男はそう言って微笑むと、近くにいるニホン人に声をかけて、聞き取れない言葉を話した。ニホン人は頷くと、遠くにいる別のニホン人に大声で呼びかける。呼びかけられたニホン人は車に乗り込み、暫くすると、車から降りて、少女たちが立っている場所まで走り、通訳の男にアタッシュケースを手渡した。通訳の男は地面の上でアタッシュケースを開き、中に入っていた紙束を一つ取り出す。

 「この紙に、様々な図形や記号が書いてある」通訳の男が最初の数ページを少女たちに見せる。「この紙を見ながら、私の質問に答える。それだけだ。それだけで、この子が神の御加護を受けているか証明できる。簡単だが、質問の数が多いのが欠点だ。終わるまでに数時間かかることもある」

 通訳の男は、少女たちの顔を一人ずつ確認する。どの顔にも笑顔は無く、疲れだけが表れていた。通訳の男は、赤くなり始めた西の空を見る。

 「じきに日が暮れる。ニホン人たちのおかげで、この村の安全と食料は保証されている。私が、君たちの休む場所を用意しよう。今の君たちに一番必要なものは、充分な休息だ。試練を受けるためにも、体調を万全にしておきなさい」

 通訳の男との話が終わってから三十分ほど経った頃、少女たちはテントに案内された。少女たちが今までに見たことのない素材で張られたテントだった。テントの中には、冷たい空気が充満していた。テントの隅にある機械から、冷たい空気が吹き出している。テントの中には夕食が既に用意されており、美味しそうな匂いが少女たちの食欲を刺激した。

 少女は、ニホンという国の豊かさを予想する。自分たちの村と全然違う。これほどの差が、なぜ生じているのだろう。ニホンは、なぜこんなに豊かになれたのだろう。自分たちの村は、なぜ豊かになれなかったのだろう。通訳の男に質問すれば答えてくれるだろうか。ニホン人に質問すれば答えてくれるだろうか。ニホンに行けば答えが分かるだろうか。食事を終えた少女は、柔らかい毛布に身を包みながら考えていた。

 翌日、朝食を済ませた少女たちの所に、通訳の男がやってきた。

 「良い顔をしている。よく眠れたようだ」通訳の男が笑顔で言った。「早速で申し訳ないが、昨日の続きだ」手に持っていた紙束を少女たちに見せながら、通訳の男が話を続ける。「この子に、一刻も早く試練を受けさせたい。私が今までに携わってきた子供たちの中で、この子が受けている神の御加護は群を抜いている。私は、この仕事を始めてから、こんなことを言ったことはないが、どうか言わせてくれ。お願いだ。この試練を受けてほしい」

 通訳の男の笑顔が徐々に消えて、真剣な表情に変わっていき、口調や身振りにも熱が籠る。そんな通訳の男の様子を見ている少女の父に、前日のような困惑した様子は見られない。少女の父は、真剣な眼差しで口を開く。

 「その試練を受けると、何か代償が必要だろうか。生憎、私たちは、貴方たちに差し上げるような物を何も持っていない」

 「必要ない。試練を受ける前も、受けた後も必要ない。試練を乗り越えても、乗り越えなくても、必要ない」

 「娘が試練を乗り越えた場合、必ずニホンに行かなければならないのだろうか」

 「ニホンに来てほしいと私たちは願っているが、強制しない。君たちの意思を尊重する」

 「娘が試練を乗り越えた場合、私たち家族三人一緒にニホンへ行けるだろうか」

 「行けない。ニホンへ行けるのは子供だけだ。親には、この国の都市部で生活するための場所と資金を提供できる。希望があれば、仕事も斡旋する」

 「娘がニホンへ行った場合、娘に会えなくなるのか?」

 「制限は一切無い。子供の居住先が確定次第、親に連絡することになっている。手紙も面会も自由だ。但し、子供が成人するまで、ニホン人が保護者になる。君たちの独断で自国に連れ戻すことはできない」

 「……ニホンへ行けば、娘は幸せになれるだろうか」

 「勿論だ。この子の未来には光が満ちている。試練がそれを証明してくれるだろう」


 少女は試練を受けることになった。否、通訳の男が試練と呼んでいるだけであり、その実態は子供用の知能検査である。空調が効いたテントの中で、少女が通訳の男の質問に次々と答えていく。時には、通訳の男が質問している途中で、少女が答えてしまう場面もあった。全部で五十問あった知能検査が、三十分足らずで終了した。

 「試練は、終了だ」通訳の男が呟くように言った。紙束を持つ手が震えている。「結果を確認するまでもない。完璧だ」通訳の男が祈りを捧げた。「神よ……」

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