狙撃(3)

 「緊急事態……ですね……」インターネットにアップされている情報を確認した柳外が呟いた。柳外の表情は険しく、笑顔を作る余裕は無い。「この犯人、イズミさんのご家族ではないですか?」柳外が、目の前のイズミに質問した。

 「キヨナに似てますね」イズミが無表情で答える。

 「キヨナさん、今ここにはいらっしゃいませんよね?」

 「いません」

 「キヨナさんが犯人かもしれないのに、心配ではないのですか?」

 「昔から変わった子でした。迷惑なことをしてくれたな、と思います。もう関わりたくありません」

 柳外は、イズミの抑揚の無い声と冷酷な視線を受け止める。

 イズミに質問しても何も得られないと柳外は判断する。連続殺人事件や国王生誕祭テロにイズミが関わっている証拠は、現時点では皆無である。逮捕どころか、任意同行すら求めることができない。

 柳外は、イズミにお礼を言いながら軽く頭を下げ、別れを告げた。イズミも、別れの挨拶をして、柳外を見送る。柳外が車に乗り込むと、イズミは深くお辞儀する。柳外の車が見えなくなるまで、イズミの頭が上がることはなかった。


 柳外の車が高速道路の追い越し車線を走行し続ける。柳外は、同業者に捕まらないように祈りながら、前に見える車を追い越し続ける。上り方面の交通量は少なく、渋滞は発生していない。行きよりも三十分以上早く東京に戻ることができた。

 運転中の柳外は、キヨナのことを考え続けていた。インターネットで見たキヨナの身のこなしと、火かき棒で自分を殴った犯人の身のこなしを重ねて、キヨナと犯人が同一人物であると柳外は確信していた。比類ない反応速度に疑う余地は無かった。

 東京に戻るまでのあいだ、車内のラジオでは、犯人に関する情報は一切無いこと、犯行声明などは出ていないこと、王都放送内部でもテロが起きていること、国王生誕祭会場付近は立入禁止区域に指定されたことを繰り返すばかりだった。

 王都放送内部でもテロが起きていると聞いた柳外は、月本と高宮が並んで立っている写真を思い出す。月本がサアラに送信したメールには、イズミ姉妹と高宮が友達であると書かれていた。柳外は、今朝の月本の笑顔を思い出す。高宮が王都放送のテロの犯人だった場合、月本はどれくらいのダメージを受けるのだろうか、と不安になるが、今は考察する意味が無いと判断し、不安を押さえ付けた。

 柳外が運転する車は、国王生誕祭の会場へ向かっている。都内の交通量は平日よりも少ないが、生誕祭会場に近付くにつれて、反対車線の交通量が多くなっていく。渋滞が発生している場所もあった。生誕祭会場から避難している車だろう。会場付近で警察が規制線を張っていることを見越して、柳外は赤色灯とサイレンを作動させた。暫くすると、数名の警察官が道路に立って交通規制をしている地点が見えたので、減速し、交通規制をしている警察官に向けて片手を挙げると、交通規制をしていた警察官は、車内の柳外に対して頭を下げながらバリケードを退けて、手持ちの赤色誘導灯で柳外の車を誘導する。規制線を越えると、反対車線を走行している車を除いて、交通量がゼロになったため、程なくして、柳外は生誕祭会場用の駐車場に到着する。国王生誕祭に参加する一般客の駐車場は無いが、来賓のための駐車場があることを、過去の仕事経験から、柳外は知っていた。

 柳外が駐車場に到着すると、駐車場には多数の車があったが、全て警察車両である。柳外は、駐車場内の空いているスペースに車を滑り込ませる。車から降りて周りを見渡すと、よく知っているナンバーを見つけた。車内を覗くと、柳外の同僚がスマートフォンを眺めている。同僚も柳外に気付き、車内から柳外に話しかける。

 「いや、一大事だね」同僚が笑いながら言った。

 「呼び出し?」

 「参ったよ、寝てたし」同僚が無精髭を触りながら言う。「お前も? 酷いよ、顔」

 「いや、逆」

 「徹夜?」

 「そんな感じ」

 緊急事態であるが、同僚の表情は柔らかい。駐車場内には多くの警察官がいて、どの警察官も武装しているが、緊迫した様子はなく、あちらこちらで立ち話をしながらスマートフォンを見ている。作戦行動や指示が何も無く、定常的な状況が続いているのだろう。

 「あれ、チョッキは?」同僚が柳外の胴回りを見ながら言った。

 「ああ……着てない」

 「まあ、あとはもう軍だしなぁ」

 「え、軍来るの?」同僚の言葉に柳外が反応した。軍の情報は、ラジオでは一切触れられていない。

 「来るというか、もう来てるよ」同僚が生誕祭会場の方向に顔を向けながら話す。会場を囲んでいる茶色い壁の上部が、駐車場から見える。「狙撃してください、って言ってるようなもんだからね、あの場所。ずっと動かないし。死んでもいいんだろうね、きっと」同僚は低いトーンで言いながら、持っているスマートフォンに目を落とした。

 柳外も釣られて同僚のスマートフォンを覗く。

 全裸の子供が二人。

 町田恵のスマートフォンに保存されていた動画と同じものが、同僚のスマートフォンで再生されていた。否、同僚のスマートフォンだけでなく、この駐車場にいる警察官が見ている全てのスマートフォンで同じ動画が再生されているだろう。警察官だけではない。国王生誕祭の儀典中継を見た世界中の人間が、同じ動画を見ているはずである。なぜなら、現在、王都放送が放送している画像に映っているURLのリンク先に、この動画がアップロードされているからだ。この動画以外にも、複数の動画がアップロードされていて、いずれの動画の内容も、子供を痛め付けるものである。サイトのトップページには、これら動画の被害者全員が、少子対策法を不正に利用して海外から連れてこられた子供であること、その不正に国が関与していること、不正に関与している者の名前、動画撮影者の名前、動画購入者の名前、動画の取引金額等が詳細に記載されている。不正に関与している者の多くは、先ほどの爆発で死亡していた。

 柳外は下唇を噛み締める。子供二人の顔は、イズミキヨナと高宮イリカに似ている。二人がテロを起こした原因の一つは、間違いなく、この動画だろう。テロを起こしたあと、二人は何も要求していない。自分たちの主義や主張を表明することもなく、淡々と、情報を発信しているだけである。そんな彼女たちが、生き長らえることを考えているだろうか。同僚が言っているとおり、死ぬのを待っているだけなのではないか。

 「軍が来たのって、何分前?」柳外が訊いた。

 「ついさっき。ぞろぞろ歩いてったよ。五分くらい前かな」

 同僚の話を聞いた柳外は「そっか」と呟いて、生誕祭会場に向かって歩き始めた。

 駐車場から生誕祭会場の入口に移動すると、警察官はいなくなり、代わりに、迷彩服を着た軍人が十人ほど集まって、各々慌ただしく装備を整えている。その軍人たちの中に、柳外が見知っている顔が二つあった。二人の軍人は真っ黒なギターケースのような物を肩に掛けている。そのギターケースのような物がライフルを収納するケースであることを柳外は知っていた。なぜなら、柳外は過去に同じ物を見ているからである。一ヶ月前、連続殺人犯を狙撃するため、柳外とチームを組んだ狙撃手メンバーの二人が、ライフルケースを肩に掛けていた。ライフルケースには分解されたパーツが入っているはずだ。これから狙撃ポイントへ向かい、狙撃ポイントに到着したのち、パーツを組み立てて、ライフルを設置するのだろう。二人が肩に掛けているライフルケースの中身を合わせて、漸く一丁のライフルが完成する。

 柳外が二人の狙撃手に近付いていくと、二人も柳外に気付いた。

 「ああ、柳外さん」

 二人のうち、階級が高い方の狙撃手が笑顔で柳外に話しかける。もう一人は緊張した顔付きで柳外を見ている。

 「狙撃ですか」柳外も笑顔を返す。

 「はい。恐らく今度は大丈夫でしょう。条件が良さそうです」笑顔だった狙撃手の表情が一瞬不自然になる。目の前にいる柳外が、前回の狙撃を外したことに気付いたのだろう。「いや、しかし、見させてもらいましたよ、柳外さんのスナイプ。このライフル初めてで、あそこまで完璧な弾道、流石です」狙撃手がライフルケースを持ち上げながら言った。

 「ありがとうございます、外しちゃいましたが」柳外が笑いながら言う。「どうですか、リベンジさせてもらえませんか?」

 「いやあ、させてあげたいんですがね」狙撃手が横を振り向き、もう一人の狙撃手を見た。もう一人の狙撃手の表情は相変わらず緊張している。「こいつに現場経験させないといけないもんでしてね、申し訳ない」

 「そうですか、残念です」

 柳外は努めて笑顔を装うが、心の中では、キヨナの射殺をどうにかして防ぎたいと焦る。狙撃だけではない。目的を達成したキヨナが自殺してしまう可能性もある。時間が経過するほど、状況は悪くなる。

 軍人たちの準備が完了したため、狙撃手たちは柳外に挨拶して、他の軍人たちと一緒に会場へ入っていった。会場の入口には、見張り役の軍人二人が小銃を抱えて立っている。見張り役の軍人二人が柳外を睨みつけてきたため、柳外は駐車場に戻り始めた。

 轟音。

 柳外は反射的に身をかがめ、辺りを見回した。見張り役の軍人二人が会場の中を見ながら小銃を構えている。口元も動いているため、無線連絡しているようだ。柳外の位置からでは会場の中は見えない。暫くすると、見張り役の軍人二人も会場の中へ入っていった。

 柳外は辺りを窺いながら、会場の入口へ近付く。入口からは、会場の広場が見渡せるが、見える範囲では何も起きていない。見張り役だった二人の軍人の姿は既に見えないので、彼らは広場へ向かわずに、会場を囲んでいる壁の中に入っていったようだ。見張りよりも先に会場に入った軍人たちの姿も見えない。軍人は全員、壁の中に入ったのだろう。柳外も、入口近くにあった通用口から壁の中に入っていく。

 会場を囲んでいる壁は、数百年前から建っている城塞の一部、つまり、砦である。数百年前に建設されたため、当然、改修が何度も行われているが、砦の中の構造は数百年前とほとんど変わらない。柳外が歩く通路は、大人二人がすれ違うのがやっとの狭さである。通路の天井には、等間隔で電灯が設置されているが、電灯が設置されている場所以外は薄暗く、足元の様子さえ確認しづらい。柳外が通路の奥の様子を窺っていると、聞き慣れた炸裂音が聞こえてきた。始めは立て続けに二回。そのあとは、断続的に、一回ずつ聞こえている。柳外は嫌な予感に支配されて、通路を急いで進んでいく。

 砦の中を進むと、通路が二方向に分かれている。一方は直進、もう一方は階段である。階段の上の方から断続的な炸裂音が聞こえてきたため、柳外は階段を上がっていく。

 炸裂音が徐々に大きくなる。

 階段を上がりきると、再び通路に出た。通路は左右に分かれている。炸裂音は聞こえなくなり、静かで薄暗い空間が佇んでいる。

 柳外が通路の右側を覗くと、通路の奥の方に光が見える。その光に照らされて、地面に迷彩服が置かれているのが分かった。目を凝らすと、地面にある物は服ではなく、迷彩服を着た人間だった。倒れているのは一人ではない。人間が折り重なっているようだが、まったく動かない。通路の匂いもおかしい。

 柳外は、足音と息を殺して、慎重に歩みを進める。倒れている人間を照らしている光は、通路脇にある部屋から漏れている明かりだった。部屋の中から再び炸裂音が聞こえた。柳外は、床に倒れている人間よりも、部屋の入口に注意を向け、壁際に体を寄せながら、部屋の中を一瞬覗き込む。見覚えのある後ろ姿が、拳銃を右手に持って立っていた。横浦のように見えたが、部屋の中をまじまじと見ることはできなそうだ。部屋の中の物が散乱し、床に複数の軍人が倒れ、刺激臭が辺りに漂っているにも関わらず、横浦だけが平然と立っていた。部屋の中で爆発が起こり、その爆発を起こした張本人が横浦であることは容易に想像できた。

 柳外は壁際に体を寄せながら考える。一旦退き、仲間に状況を報告すべきだろう。このままでは、床に倒れている軍人同様、殺されてしまうかもしれない。柳外が踵を返そうとすると、部屋の中から靴音が聞こえ始めた。入口に近付いてきているようだ。柳外が歩いてきた通路は一直線であり、階段まで五十メートルほど距離がある。今から走って引き返しても、横浦に背中を見られてしまう。おそらく撃たれてしまうだろう。柳外は、横浦に飛び掛かることが最善であると判断した。呼吸を整える。靴音が。入口に。来た。

 柳外は躊躇なく飛び出す。目の前の人間と目が合う。やはり横浦。表情は変わらない。本当にロボットか。横浦の右手首を掴む。喉輪攻め。そのまま地面に押し倒そうとするが、横浦からボディーブローを受け、柳外の勢いが弱まる。柳外は横浦の首を掴み続けるが、ボディーブローの連発に耐えかね、首を離し、横浦の左腕を抑えようとした。柳外の右手が首から離れた瞬間、横浦の頭突きが柳外の顔面にヒットした。目を閉じそうになるのを必死に堪え、横浦を浮腰で投げる。仰向けに床に落ちた横浦の右手から拳銃が離れ、柳外はすぐさま拳銃を蹴り飛ばした。地面に倒れている横浦に寝技を掛けようとして、柳外が横浦に覆い被さる刹那、横浦の左手が懐に入っていく。柳外は体を捻って、横浦を避けながら床に倒れ込んだ。

 横浦の左手にナイフが握られている。ナイフの先端は、先ほどまで柳外が居た空間に向けて突き出されている。

 ナイフの刃が柳外に向かってくる。柳外は床の上を寝転がり、横浦と距離を取ろうとするが、ナイフの先端が柳外に迫る。

 柳外は部屋に散乱していた物を掴みながら起き上がり、向かってくる横浦に対して腕を素早く振る。横浦は急停止して、後退した。

 柳外の手には一メートルほどの木材が一本握られている。爆発で破壊されたテーブルの脚のようだ。横浦は左手のナイフを右手に持ち替えて、柳外に対峙する。

 なんだろう、デジャビュだ。

 柳外の脳内は極めてクリアで、命を落とすかもしれない状況の中、目の前の横浦以外のことを考える余裕があった。

 ああ、そうだ、あいつを確保しようとしたときも、こんな状況だったっけ。

 横浦のナイフが水平方向に一閃。柳外は軽く後ろに避ける。後退した柳外にナイフの先端が向かってくる。


 突きは、やめたほうがいいよ。


 柳外の脳内で誰かが言った。誰かの言葉を聞きながら、柳外は体を横に向けて横浦のナイフを躱し、横浦の左足を木材で殴る。横浦の膝が崩れた。虚空に留まっている横浦の右手に木材を振り下ろす。横浦の右手の骨が折れて、ナイフが床に落ちた。蹲った横浦の左手を背面に捻り上げて取り押さえる。俯せに倒された横浦は、全く抵抗しない。瞬きさえしない。息も上がっていない。バッテリーが切れたロボットかもしれない。

 横浦を取り押さえながら、柳外は応援を待った。砦に入る直前に、見張り役の軍人が無線連絡していたはずなので、待っていれば誰かが来るはずだ。

 応援を待っている間に、部屋の中を見回す。物が散乱している部屋の中に、多くの軍人が倒れている。誰も動かない。顔をこちらに向けて倒れている軍人を見ると、額から血が流れている。銃創のように見える。柳外がこの部屋に来るまでの間に、断続的に一回ずつ聞こえていた炸裂音は、横浦が軍人に止めを刺していた音だろうか。そうであれば、倒れている軍人は全員死んでいるだろう。

 「横浦さんが殺したんですか?」柳外が口を開いた。

 「ああ」無表情の横浦が答える。

 「どうして?」

 「死ぬなら彼女じゃなく、まず国王だ」

 「あいつの仲間ですか?」

 「違う。彼女たちは僕を知らない。僕が勝手に協力した。彼女たちの気持ちが分かったから。僕も少子対策法の養子だ。彼女たちの苦しみに比べればどうってことないが、それでも人生のいろんなものをあいつらに歪められてきた。国王が憎い。政治家が憎い。何も知らず安穏と生きてる奴らが憎い」

 「彼らが殺される理由にはならない」

 「理由があれば、殺してもいいのか?」

 「……」

 「まあ、個人的な恨みでやったわけじゃない。彼女たちが殺される時間を少しでも伸ばしたかった」

 「彼らを殺さなくても、あいつを助けられる」

 「助けたいわけじゃない。彼女たちも助かりたいなんて思ってない。彼女たちは、自分がしたことが社会にちゃんと伝わるのを見届けたいだけだ。見届けて、死にたいんだよ。僕も死にたい。お前のせいだ。死ねない」

 「俺は助けるよ。あいつを死なせない。お前も死なせない」

 「……僕は、そのうち、死刑だ」

 「死なせない」

 横浦を取り押さえたまま五分ほど経過した頃、部屋の中に軍人が雪崩れ込んできた。数人の軍人が、柳外と横浦に銃口を向ける。

 「彼が全員殺しました。国直の横浦です」銃口を向けている軍人たちに対して、柳外が言った。「私は警視庁の柳外です。会場の入口前にいたのですが、爆発音が聞こえたので、応援に来ました」

 軍人の一人が横浦の顔を覗き込みながら「本当か」と尋ねた。横浦は反応しない。無表情のままだ。別の軍人が横浦と柳外の身体検査を始める。二人とも武器を所持していないことが確認されたのち、横浦は軍人に連行されていった。

 横浦が部屋からいなくなったあと、柳外は死んでいる軍人を見て回った。即死した事が明らかである者を除いて、全員の頭に銃創を見つける。

 部屋の外で折り重なって死んでいた軍人は二人で、会場の外で話した狙撃手二人だった。肩にライフルケースを掛けたまま死んでいる。狙撃手は隊の最後尾に配置されたため、部屋の入口で爆発に巻き込まれたのだろう。

 柳外は、狙撃手が肩に掛けていたライフルケースを確認する。ケースは変形しているが、ケースの中身には緩衝材が詰まっているため、ライフルのパーツは無事だった。

 「てめえ何してんだ、とっとと外に行け」部屋の中から軍人の怒鳴り声が聞こえた。部屋の外でライフルを確認している柳外に向けられている。

 「彼らの代わりは……狙撃手の補充は大丈夫ですか?」柳外が質問した。

 「てめえには関係ねえから早く行けってんだろ」

 部屋の中で状況確認している軍人たちは明らかに焦っていた。軍人たちは追い詰められている。十人の仲間を一瞬で失い、作戦の要である狙撃手を殺され、さらに、狙撃手の補充の目処も立っていないようだ。柳外は、今の状況であれば、自分がキヨナの狙撃を任せられるに違いないと考えた。

 「私も狙撃できます。一ヶ月前に彼らと一緒に仕事しました。このライフルも組み立てられます。早急に対応しなければ国王が殺されます。どうか協力させてください」柳外が大声で訴えた。

 部屋の中にいる軍人たちが数人集まり、小声で話し合ったのち、階級が一番上の軍人が無線連絡した。柳外の言ったことが事実であるかどうか本部に確認している。

 「警察手帳は」無線連絡をしている軍人が柳外に訊いた。

 柳外は内ポケットから警察手帳を取り出して軍人に渡す。警察手帳を受け取った軍人が証票番号を読み上げると、無線機から、柳外を狙撃手として作戦を続行する旨の指示が聞こえた。

 柳外の警察手帳を持っていた軍人が、柳外に警察手帳を返しながら「すまんな」と呟く。その軍人の視線は、床の上で折り重なっている狙撃手に向けられていた。

 死体をそのままにして、柳外と軍人たちは、部屋の奥の壁に設置されている梯子を上った。梯子を上りきって、青い空の下に出る。砦の最上部である。下を覗くと、数時間前まで数万人が犇めいていた生誕祭会場の広場はもぬけの殻で、一般客は全員避難していた。広場から少し目線を上げると、バルコニーに国王とキヨナがいる。キヨナは国王から離れ、バルコニーの淵の壁に凭れて座っている。拳銃を握ってはいるが、構えてはいない。国王は、キヨナから少し離れた場所で座っている。二人ともまったく動かない。

 柳外は急いでライフルを組み立て始める。一ヶ月前の記憶だったが、スムーズにライフルを組み立てることができた。風は、砦からバルコニーに向かって吹いている。微風であるため、狙撃への影響はほとんどない。柳外はライフルの電源を入れ、銃身部分を壁の上に乗せて立ち構えた。スコープを覗くと、キヨナの口が動いている。何か喋っているようだ。

 「準備できました、いつでもいけます」柳外が言った。

 「ヒトゴヒトサンに狙撃。繰り返す。ヒトゴヒトサンに狙撃。各自配置に付け」軍人の一人が無線連絡している。

十五時十三分まで、あと二分四十五秒。柳外の狙撃と同時に、バルコニーの出入口から軍が突入し、一気に制圧することになっている。一ヶ月前の狙撃の失敗を踏まえての対処である。

 スコープを覗いていた柳外は、国王とキヨナが会話していることに気付く。様子がおかしい。先ほどまで落ち着いていた様子のキヨナが、眉間に皺を寄せて、早口で何か喋っている。そんなキヨナと対照的に、国王の表情はリラックスしているといってもいいほど柔らかい。嫌な予感がした柳外は、ライフルの安全装置を早めに解除し、トリガーに指を掛けた。スコープの中では、国王とキヨナの会話が続いている。

 突然キヨナが立ち上がり、早足で国王に近付く。柳外は深く息を吸って、息を止めた。

 キヨナが銃口を国王に向ける。


 狙撃。

 発砲。


 薬莢が空中に放たれる。弾丸が空気を切り裂く。弾丸が体を貫く。血が飛び散る。


 キヨナと国王が、ほぼ同時に地面に倒れる様子が、リアルタイムで放送された。

 王都放送のセンターを占拠し続けている高宮は、放送用モニターを眺めながら悲しそうに笑い、座っていた机の上から降りると、両腕を真上に伸ばす。手には拳銃。銃口を天井に向けている。

 発砲。

 発砲。

 発砲。

 発砲。

 「高宮!」

 炸裂音を遮るように、大きな声が響いた。月本の隣で座っていた佐上が立ち上がっている。どうやら佐上が叫んだようだ。月本は口を半開きにして佐上を見上げた。高宮は無表情で、両腕を真上に伸ばしたまま佐上を見ている。

 「死ぬのか?」静かな部屋の中に、佐上の低い声。

 無表情の高宮が佐上を見つめる。

 「佐上さん、お願いです、じっとしててください」高宮が言い、再び発砲。

 発砲。

 天井の穴が一つずつ増えていく。

 月本は佐上の表情を見ていた。佐上は涙を堪えているようだった。佐上の泣顔どころか、笑顔さえ見たことがない月本の脳は驚き、反射的に思考を再開した。

 なぜ佐上さんは泣きそうなんだろう。佐上さんの言葉はイリカさんに向けられてる。イリカさんが死ぬということだろうか。死ぬことは悲しい。イリカさんに死んでほしくない。メグが死んだときのような悲しさを経験したくない。メグ。メグ?

 発砲。

 そうだ。僕は。メグが。生きてることを。イリカさんに。伝えに来た。

 「メグが生きてます!」

 月本は叫んだ。

 佐上が驚いて月本を見る。

 高宮も月本を見た。

 「メグは死んでません! だから、イリカさんも死なないで!」

 月本の声が、部屋の中の全ての空気を震わせる。

 高宮は、真上に伸ばしていた両腕をゆっくり降ろす。

 高宮の視線が落ち着きを無くし、表情が強張る。やがて、瞬きの回数が多くなり、唇の形が歪み、鼻息が荒くなり、目が潤む。

 「……よかったあ……」高宮の目から大粒の涙が次々と溢れ出し、押し殺せない泣き声が漏れる。「ごめん……ごめんね……志朗くん……もっと早く……私が……言ってれば……ごめんね……」

 月本は呆然とする。メグが生きていることを伝えれば、高宮は笑顔で喜んで、いつもの高宮に戻ると思っていたのに、目の前の高宮は泣いて謝罪しながら取留めのない言葉を話す。拳銃も握ったままだ。

 「メグちゃん、大切にしてあげてね。佐上さん、ありがとう」

 涙と鼻水で濡れた笑顔の高宮が言った。刹那に、高宮の右手が上がる。銃口は顳顬に。

 一瞬だった。

 微塵の躊躇もなく、高宮は引金を引いた。

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