狙撃(2)

 柳外と別れ、自宅の玄関ドアを閉めた月本が真っ先に考えたことは、町田の生存を高宮に伝えたい、ということだった。町田の事件を知った高宮も月本と同じように絶望しているはずであり、何よりも優先して高宮に町田の生存を伝えなければならない、と月本は考えていた。もちろん、月本は、町田の生存を口外することの危険性を理解しているが、高宮に対する月本の信頼の前では、その危険性は霧散してしまった。月本にとって、高宮の存在は、それほど大きかった。

 月本は躊躇なく自分のスマートフォンで高宮に連絡をとろうとする。まず、高宮の携帯電話に電話をかけるが、留守番電話になった。今日は国王生誕祭当日であり、王都放送の全職員が慌ただしく動いているため、高宮が電話にでないことを月本は予想していた。

 本来であれば、月本も休みなく働くはずだった。月本が休んでしまった分の仕事を別の誰か、おそらく高宮がしていることを想像し、月本の罪悪感が膨張する。月本は留守番電話のメッセージは吹き込まずに電話を切る。代わりに、高宮にメッセージを送信する。町田の情報は一切書かずに、緊急で話がしたい旨だけ書いた。町田の情報が形で残ってしまう状態を避けようとした月本なりの配慮だった。高宮にメッセージを送信すると、月本は強烈な睡魔に襲われ、ソファに座ったまま眠りに落ちた。

 気が付くと十一時を過ぎていた。月本にとっては、ほんの数分間寝ただけの感覚だったが、実際は二時間近く寝ていたことになる。月本は慌ててスマートフォンを確認するが、高宮からの着信はなく、メッセージの既読マークも付いていなかった。スマートフォンの確認もできないくらい忙しい高宮の状況を推し量った月本は、高宮に直接話しに行くことを決めた。町田の生存を伝え、一週間休んでしまったことを謝罪し、上司や他の職員にも謝罪し、仕事で贖罪しようと考えた。

 月本は一週間振りに風呂に入り、身支度を整えて自宅を出る。近くのコンビニでおにぎり三個と飲み物と栄養ドリンクを買いながら、電話でタクシーを呼び、二日振りの食事を喉に通しながらタクシーを待った。数分間で到着したタクシーに乗り込み、車内で食事を続けながら、王都放送へ向かう。一週間分の疲労の蓄積により、月本の意識は機械的な動作のみに働き、自分の行動がどのような結果を齎すかを推察する機能は働いていない。月本の脳内では、高宮に伝えたい、謝罪したい、贖罪したいという感情だけが走り回っていた。

 三十分ほどで王都放送に到着した月本は、まず、自身の配属先である社会報道部に向かった。しかし、月本の所属する班の班員は誰もいない。高宮たちの居る場所を訊くため、近くにいた職員に話しかけると、月本の顔を見た職員は驚きながら、来て大丈夫か、まだ休んでいたほうがいい、と月本を心配する。自身の長期休暇を謝罪し、すぐにでも仕事に合流したい旨を伝えた月本は、「たぶん、編集でラスパだよ」と教えられ、そのまま編集室へ向かう。

 月本は編集室を全室回るが、高宮たちの姿は見えない。編集作業が終わったのであれば、次に行く場所はセンターだろうと月本は考える。十二時から十三時まで国王生誕祭の儀典が執り行われたのち、高宮たちが編集した難民救済法に関する資料映像がセンターから流される予定である。もうじき十二時になる。月本はセンターへ急ぐ。

 センターの扉を開けた瞬間、月本は異様な雰囲気を感じる。薄暗い部屋の中、多くの職員がいるにもかかわらず、誰も喋っていない。喋っていないどころか、体を動かしている職員すらいない。すべての職員がマネキンのように動かない。

 「志朗君、とりあえずそのドアを閉めて、鍵をかけて」

 月本がよく知っている人間が、今まで聞いたことのない無感情な声を発している。月本はそこまで考えたが、それ以上、考えることができなくなった。月本の背筋が粟立つ。

 「聞こえなかった? 早く閉めないと、部長死ぬよ」

 マネキン職員たちの隙間で、月本がよく知っている顔が浮かんでいる。今まで見たことのない無表情な顔が、月本に向けられている。

 高宮イリカが月本を見ている。

 高宮は月本を見ながら、編成部長にリモコンを向けている。否、リモコンだと思ったのは一瞬。指を動かして操作しても、早送りや巻き戻しができないリモコン。停止だけが可能なリモコン。

 高宮が編成部長に向けている物がリモコンではなく拳銃だと分かった瞬間、月本は無言でドアを閉める。そのまま鍵をかけようとするが、手が震えて鍵をかけられない。

 衝撃音。鼓膜が。痺れる。

 月本は、誰かが机の上に物を叩きつけたのかと思い、後ろを振り向くと、全員が月本を見ていた。高宮の拳銃が月本に向けられている。

 「早くして」

 ようやく月本は、高宮が発砲したことに気付く。拳銃の弾がどこに着弾したのか考える余裕は既に無く、月本は一心不乱にドアの鍵を閉めた。

 「全員手を挙げて。奥へ移動して。部長はそのまま座ってて」

 高宮に言われたとおり、部屋の中にいる職員十七人が部屋の奥に移動し、ドアや仕切りがない壁際に追いやられる。月本が部屋の奥に移動しているとき、上司の佐上と目が合ったが、佐上は月本を一瞬見て、すぐに目を逸らした。部屋の中は沢山の靴音で満たされている。

 月本は状況が理解できない。なぜ高宮が拳銃を持っているのか、なぜ編成部長が拳銃を向けられているのか、高宮は何をしようとしているのか。月本だけでなく、高宮を除く職員の誰もが、その疑問を持っているが、口を開く職員は誰もいない。部屋の隅に移動した月本は、先ほどまで自分がいた場所にあるキャビネットに凹みを見つける。その凹みが、高宮が発砲したときにできた穴だと気付き、月本の頬を汗が流れる。

 「佐上さん、そこのロッカーに荷造り用の結束バンドが入ってますから、それで全員の手を後ろ手に縛ってください」拳銃を編成部長に向けながら、高宮が言う。「縛るときは、私に見えるように」

 佐上は、高宮に言われたとおり、ロッカーから結束バンドを取り出し、手際よく職員の手を縛っていく。佐上の落ち着いた動きを見ていた月本は、徐々に落ち着きを取り戻し、周りを観察し始める。

 部屋の壁一面に設置されているモニターの中では、国王生誕祭の儀典が開始されていた。十二時を過ぎたのだ。全国に放送されている映像は、会場全体を映しているカメラから切り替わらない。なぜなら、カメラの切り替え作業を行う職員が拘束されているからだ。視聴者は、儀典中継の画面が一向に変わらずに当惑しているだろう。

 佐上が職員十六名の手を後ろ手に縛った頃、先ほど月本が鍵をかけたドアノブが何度も動き始める。ドアの外で誰かが叫びながらドアを叩いているようだが、ドアは防音設計の分厚い扉であり、外からの音が殆ど遮断される。程なくして、拘束されている職員の携帯電話が鳴り始め、何台もの携帯電話の音が部屋に響く。月本は、部屋の中の内線電話が一度も鳴らないことを疑問に思う。内線電話を見ると、ケーブルが抜けていた。

 「部長、佐上さんから結束バンドを一本受け取って、佐上さんの手を縛ってください。他の人は全員床に座ってください」

 高宮の指示が続く。拳銃を向けられた編成部長が、佐上からプラスチックバンドを受け取り、佐上を後ろ手に縛る。薄暗い部屋の中でも分かるくらい、編成部長は悲愴な顔で、滝のような汗を流している。

 「佐上さんも座ってて」

 編成部長に手を縛られた佐上が部屋の奥に戻り、月本の隣に座る。佐上の表情は、まったく変わっていない。汗も無い。

 「部長、これから副会長に電話して、三つのことを伝えてください。ひとつめは、センターが占拠されていること。ふたつめは、センターのドアを開けたら、十八人が死ぬこと。みっつめは、生放送を中止したら、十八人が死ぬこと。この三つを短い時間で簡潔に伝えてください。この三つ以外のことを伝えたら、あなたは死にます。あと、無駄に話を伸ばさないでください。もし、話を伸ばしていると私が感じたら、あなたは死にます。お気を付けて」

 「ちょっと待て、そんな一気に言われても覚えられない」編成部長が目を見開いて言った。顎から汗が滴る。

 「センターが占拠されていること。センターのドアを開けたら、十八人が死ぬこと。生放送を中止したら、十八人が死ぬこと」高宮が、左手の人差し指、中指、薬指を順番に上げながら、ゆっくりと伝えた。「ズボンの左ポケットからスマホを取り出してください」

 「メモを、とらせてくれ」

 「今すぐ死にます?」

 高宮の無表情な顔を見て、編成部長は左ポケットからスマートフォンを取り出す。

 「スマホは机の上に置いて。私に見せながら操作してください。通話はスピーカーで」

 高宮の指示通り、編成部長がスマートフォンを机の上に置いて操作し、副会長に電話をかける。通話設定をスピーカーに変更したため、コール音が部屋に響く。

 「はい」コール音が止み、副会長の声が響いた。

 「加藤です。副会長、すいません、少しだけお時間ください」

 「お前今どこにいる? 儀典中継見てるか?」

 「はい、その話です」

 「どうなってる? お前今センターだろ?」

 「副会長、センターが占拠されました」

 「は?」

 「センターが占拠されいています」

 「何?」

 「センターが、占拠、されました」

 「意味分からん」

 「殺されそうなんです」

 「は?」

 「職員が拳銃を持って――」

 炸裂音。

 編成部長の叫び声と副会長の上擦った声が部屋に響く。

 「副会長、聞こえますか?」高宮が大声で言った。

 「誰だ?」

 「今、加藤部長を拳銃で撃った職員です。ほかにご質問は?」

 「何を……言って……」

 「私が、たった今、加藤部長を拳銃で撃ちました。部長の、左肩を、撃ち抜きました。叫び声、聞こえましたよね?」

 副会長は無言。高宮と副会長の会話が一瞬途切れる。

 編成部長の喘ぎ声が部屋に響き続ける。

 誰かが声を押し殺して泣いている。

 月本の頭の中は真っ黒だった。月本は何も考えていない。ただ見ている。編成部長が涙と涎を流しながら牛蛙のように鳴いている光景を眺めている。何も受け入れていない。編成部長が撃たれたことも。編成部長を撃った高宮のことも。もう体は震えていない。汗も出ない。熱くない。絶望、恐怖、驚き、嘆き、怒り、悲しみ、感情がすべて沈殿したあとの上澄みが、月本の目から零れる。

 「今から三つのことを伝えます。忘れないように、メモでもとってください」高宮が大声で話を再開する。「準備はいいですか?」副会長は何も答えない。「ひとつめに、センターは占拠されています。ふたつめに、センターのドアを開けたら、センター内にいる職員十七人が死にます。みっつめに、センターの生放送を中断したら、職員十七人が死にます。何か言いたいことはありますか?」

 拳銃を持っている高宮の腕は既に降ろされている。高宮は、机上のスマートフォンを無表情で見つめている。副会長の声は聞こえてこない。数秒間の沈黙。

 「それでは、儀典中継をお楽しみください」高宮が机上のスマートフォンに手を伸ばし、通話を終了させて、編成部長を一瞥する。「部長、男なんですから、少しは我慢してください。部屋の一番奥で静かにしてて」

 高宮は振り返り、壁一面に並んでいるモニターを眺めながら、コントロールパネルの上に放置されたヘッドセットを取り、コントロールパネルの操作を始めた。

 編成部長は左肩を押さえながら、部屋の一番奥へ移動していく。偉大な指導者が海を渡るように、人波が二つに割れ、編成部長が部屋の一番奥へ歩いていく。汗と涙と涎と血を垂らしながら歩く編成部長に話しかける者は誰もいなかった。

 「すいません、センターのトラブルでスイッチングできませんが、カメラはそのままで」ヘッドセットを装着した高宮が言った。

 モニターの中では、甲冑姿の近衛兵二十人に囲まれた国王が入場行進している。国王と近衛兵が歩いているバルコニーは、一般客が犇いている広場よりも十メートルほど高い場所にあり、一般客と完全に分離されている。そのため、バルコニーの先端にある演壇に国王が到着するまでの間、一般客は国王を見ることができない。国王の入場行進を誰に披露しているのかといえば、バルコニーよりも高い場所に居る重役たちに披露している。重役たちは、空調が効いた部屋の中、煌びやかなイスに座り、甘く香るコーヒーを喉に通しながら、眼下の国王を眺めていた。

 「さて、どうなりますかね」重役のひとりが言った。

 「まあ、国王がやられる分には、まったく問題ないでしょう。むしろ、国王に全部被ってもらえれば、素晴らしいですね」別の重役が笑いながら言った。

 「不敬ですなぁ」

 部屋の中が重役たちの笑い声で満たされる。

 眼下の国王が演壇に到着し、片手を挙げた。数万人の歓声が地鳴りのように響く。

 轟音。

 数万人の歓声よりも大きな音が会場に轟いた。

 歓声は叫び声に変わり、数万人の視線が一箇所に集中する。先ほどまで重役たちが笑って過ごしていた部屋の窓から白煙が上がっている。その様子を見て興奮する者、笑う者、呆然とする者、避難する者など、様々な一般客がいるが、一人だけ、他の一般客とは異なる者がいた。その一般客は、広場を走り抜けながら、国王がいるバルコニーへ向かっている。広場とバルコニーの高低差は十メートルほどあるため、バルコニーへ向かっているというよりも、聳え立つ壁に向かって走っているように見える。その一般客は、壁に不自然にぶら下がっている一本のロープを掴み、壁を登り始めた。

 センターにいる高宮は、壁一面に設置されたモニターのうち、放送用モニターを見つめている。放送用モニターに映像を送っているカメラは、会場全体を俯瞰で撮影している無人カメラである。放送用モニターの映像に目を凝らすと、蟻のように小さな国王と近衛兵、そして、壁を登っている一人の一般客を見ることができる。そのほかのモニターは、白煙が上がる部屋の様子を映している。どのカメラマンも、壁を登る一般客に気づいていないようだ。

 「バルコニー、バルコニー映して」

 高宮がコントロールパネルを操作しながら言った。放送用モニターの画面が、俯瞰の映像から、バルコニーの映像に切り替わる。国王は上を向き、様子を伺っている。三人の近衛兵が国王の前で待機し、残りの近衛兵は周囲の状況を確認しているが、壁を登る一般客に気付いている近衛兵は一人もいない。その一般客は既にバルコニーの淵に手を掛けており、体を一気に持ち上げると、壁を登り終えた。

 イズミキヨナが、バルコニーの淵に立つ。

 キヨナが這い上がった場所は国王の真後ろであり、演台の陰でもあるため、国王も近衛兵もキヨナの存在に気付かない。キヨナは懐のホルダーから拳銃を引き抜きながら国王の背後に近付く。国王も、国王の前にいる甲冑姿の近衛兵も、背後にいるキヨナに気付いていない。キヨナから国王の背中越しにバルコニーの出入口が見える。バルコニーの出入口付近には、スーツ姿の護衛官が何人も集まっていた。護衛官の一人がキヨナの存在に気付き、叫び声を上げながら、懐のホルダーから拳銃を引き抜く。護衛官の動作は淀みなく、精確だった。精確であるが故に、キヨナは護衛官の動作の終点を容易く予測した。キヨナは、護衛官の拳銃が現れるであろう空間に向けて発砲すると、その結果を確認せずに、振り向きかけた国王の背中に接近し、国王の右手を背後に捻り上げながら、国王の顳顬に銃口を突き付けた。国王は、苦痛で顔を歪めて、呻き声を上げる。

 「バルコニーから出ろ」近衛兵と護衛官に向かって、キヨナが叫んだ。「バルコニーから出る以外の行動したら殺す」

 キヨナの甲高い声が演台上のマイクに拾われて会場に拡散し、一般客の騒めきが密度を増した。

 バルコニーにいる近衛兵と護衛官は、キヨナを見据えたまま動かない。

 国王に一番近い場所にいる三人の近衛兵は、国王から二メートルほど離れて立っている。三人の近衛兵が一斉に飛び掛かれば、キヨナを取り押さえることは充分可能な状況だったが、先程のキヨナの射撃を見ている三人が動く余地は皆無だった。

 「十秒数え終わったときに、一人でも残ってたら、国王を殺す。いーち、にー、さ」

 会場に響いていた子供っぽいキヨナの声が途切れる。会場の音響担当が、マイクの入力を切ったようだが、バルコニーに響いているキヨナのカウントは止まらない。近衛兵が走ってバルコニーから出て行く。

 「はーち、ドアも閉めてー、きゅーう」近衛兵の後ろ姿に向かってキヨナが叫ぶ。

 近衛兵と護衛官が全員いなくなり、バルコニーのドアが閉められた。

 キヨナがカウントをやめる。

 国王の右手を捻り上げ、国王の顳顬に拳銃を突き付けたまま、キヨナがゆっくりと振り向いた。

 真っ青な空から、気持ちの良い風が吹いている。

 キヨナは、贅沢な最期の景色に感謝した。


 キヨナの行動を見届けた高宮は、コントロールパネルを操作して、放送用モニターの設定を変更し始めた。キヨナと国王の姿を捉えているカメラの映像をワイプに切り替えて、画面左下に小さく表示させる。ワイプ後に表示されたメイン映像には、黒一色の背景に、白文字で書かれたURLと読み取りコードが映されている。URLの下には『警告 極めてグロテスクな映像です。閲覧には細心の注意を払ってください。』と書かれている。

 高宮は、自分がすべきことを全て終わらせると、ヘッドセットを外して、机上に腰掛けた。

 高宮は、すべてが終わったことに感謝した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る