第四章

狙撃(1)

 「ご覧ください! 昨日までの嵐が嘘のように、青い空が澄み渡っています! 会場へ向かう方々の表情も非常に晴れやかです。皆さん、本当に、今日を楽しみにしていらっしゃたのですね」

 テレビ画面に映っているレポーターが、大袈裟な表情と、大袈裟な身振りで叫んでいる。

 警視庁内の一室でテレビ画面を見つめている柳外明広の目は充血し、眼の下の隈も濃い。国王生誕祭である今日は祝日で、さらに早朝ということもあり、警視庁内にいる人は疎らである。

 町田恵が襲われた事件から一週間が経った。事件の発生状況から、これまでに起きた連続刺殺事件と同一犯の可能性が高いとして捜査されているが、進展は無い。しかし、柳外は違った。町田の部屋で拾ったスマートフォンの画面に表示されていた『バックアップ完了』の文字をタップしてから一週間、柳外は殆ど寝ずに捜査を進めている。柳外は、ある糸口を握っていた。この糸を丁寧に手繰り寄せていけば、事件の核心に近付ける、そんな予感を強烈に抱かせる糸口だった。

 一週間前、柳外が『バックアップ完了』の文字をタップすると、動画データとテキストデータが一つずつ表示された。動画データをタップすると、全裸の子供二人の映像が再生された。二人の子供のうち、一人は犯人の面影がある。映像がフィクションの類ではないことは明らかであり、また、この動画の所持が違法であることも一目瞭然だった。動画の再生時間の表示が四十分を超えていたため、柳外はシークバーを操作しながら、大まかに動画内容を把握した。

 動画を見終えたあと、続けてテキストデータをタップした柳外の目に飛び込んできた文字は『国王直轄特別部隊』だった。文字の意味を認識した瞬間、柳外の鼓動は早まり、一気に文章を読み終える。テキストデータの内容を把握した柳外の脳は麻痺した。考えなければならないことが多すぎるからだ。テキストデータの内容は、動画データの検証に関する報告書のようだ――報告書は国直から外務大臣に送られている――国直の報告書なんて見たことがない、存在すら知らない――何故こんなところに国直の報告書があるのか――町田恵は何者か――。柳外の思考は発散するばかりで、まったく収束しなかった。

 柳外は、この報告書は本物であると判断した。なぜなら、動画に映っている子供二人が少子対策法の養子であること、この子供二人は十年前の十二月二十四日から消息不明であること、養父が殺害されていることが、報告書に記載されていたからだ。この一連の情報を知っているのは、柳外と犯人を除けば、政府関係者だけだと柳外は考えている。柳外は、この報告書を読むまで、犯人の言葉の真偽を計り兼ねていたが、今は、犯人の言葉が真実であると判断していた。

 犯人の言葉と報告書の内容が真実ならば、政府は意図的に情報を隠蔽していることになる。隠蔽した理由は不明だが、全裸の子供の映像や、十年前の事件を考慮すると、生易しい理由ではないだろう。犯人に殴られたあと、病院で、涙を流した横浦に犯人の言葉を伝えていたら、今の自分はどうなっていただろうか、と想像して、柳外は恐ろしくなった。

 国王生誕祭の会場の様子を映しているテレビ画面からは、相変わらず、レポーターの叫び声が聞こえている。テレビ画面から目を離す柳外。充血した目を閉じ、両手の平で顔全体を擦る。柳外は、誰を信用して良いか分からず、この一週間、単独で捜査を進めてきた。連続刺殺事件に加えて、政府の情報隠蔽についても調べ、且つ、横浦に気付かれないように最大限の注意が必要だった。体力、気力、共に柳外の限界は近かった。

 ズボンのポケットから、町田のスマートフォンを取り出す柳外。

 一週間前にバックアップデータを確認した直後、柳外は、町田のスマートフォンのICチップを抜き、現場でのスマートフォンの取得を秘密にした。柳外と月本志朗の電話がインターネットを介した通話であったため、秘密にすることが可能だった。また、柳外は、町田のスマートフォンを調べて、町田の素性についても調べた。しかし、スマートフォンからの情報は乏しく、警視庁の正規の担当者から齎される情報のほうが、量も質も上回っていた。ただし、一点だけ、柳外は町田のスマートフォンから、気になるメールを見つけていた。そのメールは、高宮から送られたメールで、調査を今すぐ中止しろ、という内容だった。高宮からのメールは一通のみで、着信履歴なども一切無い。そもそも、町田のスマートフォンに保存されているメールや着信履歴には、月本の名前しか見当たらない。月本の名前を除けば、一般企業からの通知メールが定期的にあるだけだった。

 月本であれば高宮のことを知っているかもしれない、と柳外は考えていたが、月本が犯人である可能性が捨て切れなかったため、高宮のことを訊けずにいた。もちろん、これは柳外の杞憂であるが、この杞憂が無ければ、この事件の結末は大きく変わっていただろう。実は、この時の柳外は、事件の核心に迫れるものを既に保有していた。

 柳外は、手に持っている町田のスマートフォンを数秒眺めた。柳外の目に生気は無い。しばらくしてから、取り出したかったのは自分のスマートフォンだったことを思い出す。疲れを自覚しつつ、柳外は自分のスマートフォンを取り出した。

 柳外のスマートフォンにメールが一件届いていた。メールの発信者は柳外サアラ。受信時間は三十分ほど前、朝六時である。相変わらず朝早くから夜遅くまで一日中勉強しているのだろう、と考えながら、柳外は自分の小さい頃を思い出していた。思い出すのは、使い込まれたシャープペンシルと、真新しいノート。シャープペンシルは、小学校に入学する際、父親に買ってもらったあと、高校を卒業するまで使い続け、グリップ部分が白から黄色へ変色していた。ノートは、最後のページを使ってしまうと、新しいものを買わなければならない。ノートは絶えず新しくなるのに、シャープペンシルはどんどん古くなっていく。まるで自分を見ているようだった。大人になる体と、子供のままの心。父親に買ってもらったシャープペンシルを使い続けたのは、父親の期待に応えたい子供の心が化石のように固まっていたからだった。

 柳外の父親は、柳外の母親が癌で亡くなったあと、柳外の教育に多額の資金を投入した。その資金の投入額に比例して、病院の理事長である父親の仕事量は極端に増加した。再婚することもなく、一日中働く父親の姿は、柳外に異常な畏怖を植え付け、父親の期待に応えるための行動を常に柳外に取らせた。柳外を縛り付けていた畏怖の鎖は、柳外が医学生の頃に徐々に解けた。柳外が一人暮らしを始めて、様々な価値観を吸収した結果だった。医師免許を取得した柳外が選んだ就職先は、警視庁の刑事だった。このことに激昂した父親は、以降、柳外を拒絶するようになる。程なくして、父親は少子対策法を利用し、サアラを養子にした。

 取り留めなく昔を思い出しながら、柳外がサアラからのメールを開くと、わん太郎の写真を送るのを忘れていたので送ります、という文章のあとに、月本のメール文と画像データが転送されていた。


 柳外サアラさま

 きのうのよるは、たいへんだったね。あんまり、むりをしないようにね。

 それでは、わんたろうのしゃしんをおくります。

 いちまいめのしゃしんには、いま、わんたろうといっしょにくらしている人たちも、うつっています。

 ふたりのなまえは、いずみ きよみ さん、いずみ きよな さん、です。ふたりは姉妹です。とてもやさしい人たちです。わんたろうも、とてもよろこんでいました。

 にまいめのしゃしんには、ぼくと、きのうのおねえさんがうつっています。

 きのうのおねえさんのなまえは、たかみや さんです。たかみやさんと、いずみさんは、ともだちです。

 わんたろうが くらしているのは、やまなしけんです。やまなしけんは、とてもとおいですが、いつか、わんたろうのところへ、あそびにいきましょう。ぼくも、とてもたのしみです。

 それまで、サアラちゃんも、べんきょうをがんばってください。

 またメールします。

 つくもと しろう


 サアラからのメールを読んだあとの柳外の感情は、とても複雑だった。サアラを助けてくれた月本への感謝、町田を失った月本への同情、高宮の情報を見つけた喜び、犯人が月本と高宮かもしれないという疑い、疑っている自分への嫌悪。様々な感情を遠くで眺めながら、柳外は、新しい情報を処理し、自分がしなければならないことに優先順位を付ける。

 サアラのメールに添付されていた写真データの二枚目をタップすると、月本と高宮、わん太郎が現れた。柳外は、二人の顔を初めて見る。初めて見るはずだが、高宮の顔を見た柳外は、どこかで会ったような感覚に襲われる。仕事で会ったことがあるだろうか、と暫く考えたが、結論は出なかった。

 高宮と町田が何を調べようとしていたのか知るためには、月本に訊くのが最善であると柳外は確信していた。町田のスマートフォンに高宮からのメールが残っていることを月本に伝えれば、たとえ月本が犯人であったとしても、高宮に関する最低限の情報を得ることができるだろう。月本と柳外は、町田のスマートフォンを通して話しているので、警察から月本に連絡が入らない方が不自然になってしまう。

 柳外は、月本に連絡することを決めた。現在の時刻は午前7時前。数時間後に月本へ電話することにした。柳外のスマートフォンの画面で、月本が笑っている。また同じように笑ってほしい、と、柳外は願った。

 柳外の親指がスマートフォンの画面の中から月本と高宮を消し、もう一枚の写真データをタップする。表示された写真の中で、わん太郎の両脇に二人の人間が立っている。わん太郎の右側に立って微笑んでいる人間の顔を、柳外は知っていた。眼鏡をかけていても、髪が長くても、見間違えることはない、柳外の脳に焼き付いている顔だった。その顔の人間に柳外は殴られ、血を流し、賞賛を受けた。

 犯人の顔がスマートフォンの画面の中で笑っている。

 あまりにも突然の情報に、柳外の思考は完全に停止した。

 しばらくすると、スマートフォンの画面がスリープして、柳外は我に返る。柳外は、自分の直感が既に画面の女性を犯人にしていることに驚き、慌ててその直感を否定しなければならなくなった。この女性が犯人である確率は極めて低い。犯人に似ている人間は何人でもいる。柳外は当たり前の言葉を反芻して飲み込もうとするが、言葉は全く消化されずに脳の中をゴロゴロ転がり続ける。気が付くと、八時になっていた。一時間何もせずに、女性の笑顔を見ていた。

 柳外の人差し指が、その女性の笑顔を消す。

 柳外は、デスクの上に積まれた書類の山をそのままにして、部屋を出る。脳は震えていない。

 正解かも、と柳外は呟いた。


 柳外は警察車両の鍵を無断で拝借し、車に乗り込む。エンジンを始動させながら、月本の勤務先に電話をかけて、月本が在席しているか尋ねると、在席していないと返答される。出勤の予定はあるか、と、さらに尋ねると、いつ出勤するか分からないと返答される。月本が一週間前から仕事を休んでいる状況を予想していた柳外は、丁寧に礼を言って通話を終了した。

 柳外はポケットから町田のスマートフォンを取り出し、アドレス帳を表示させて、月本の名前を検索した。月本志朗の電話番号、メールアドレス、誕生日、住所が登録されている。住所は二箇所登録されていて、一箇所は宮城県の住所、もう一箇所は都内のアパートの住所である。宮城県の住所は月本の実家だろうか、そういえば、町田の本籍地が宮城県だったな、と柳外は思い出し、月本と町田の関係性を推し量った。

 柳外は自分のスマートフォンのナビに、月本が現在住んでいるであろう都内のアパートの住所を入力して、車を発進させた。国王生誕祭の今日は、サービス業を除いた殆どの業種が休日であるため、平日と比べて、都内の交通量が激減する。柳外は渋滞が発生していない都内の道路を進み、三十分ほどで月本のアパート前に到着した。路上駐車して車を降り、月本の部屋の前に立ち、インターフォンを押す。応答が無いので、十秒ほどのインターバルで、インターフォンをさらに三回押すが、やはり応答は無い。柳外はポケットからスマートフォンを取り出し、月本の携帯電話を呼び出す。しばらくコール音が鳴ったあと、留守番電話になった。スマートフォンの通話を切り、柳外は目の前のドアを叩く。

 「月本さん、柳外です」大声で呼びかけたあと、柳外は耳を澄ませるが、部屋の中から物音は聞こえない。もう一度ドアを叩いて呼びかける。「月本さん、とても大事な話です、出て来てください」しばらく待ったが、月本は出て来なかった。

 月本の会社の社員は、月本が『いつ出勤するか分からない』と返答していた。つまり、少なくとも今日までは、月本か月本の身内が、月本の休暇の連絡を会社に入れているので、月本が自殺している可能性は低いと柳外は判断している。このアパートに月本が居ないのであれば、町田のスマートフォンに登録されている情報が誤っているか、もしくは、月本の実家があると推測される宮城県に月本は帰っているかもしれない。月本と電話連絡がつかなければ、宮城県へ行くしかないな、と柳外は溜息をつく。後ろ髪を引かれた柳外の左手が月本の携帯電話をコールし、右手が目の前のインターフォンを押す。

 「はい」

 突然の声が、スマートフォンから聞こえたのか、インターフォンから聞こえたのか分からなかった柳外は、スマートフォンを耳に当てたまま、インターフォンに話しかける。

 「朝早く申し訳ありません、月本さんでしょうか?」左耳ではコール音が続いていたため、柳外はスマートフォンの通話を終了する。

 「はい」風が吹くような微かな音がインターフォンから聞こえた。柳外はインターフォンに耳を近づける。

 「ご迷惑であることは重々承知の上、このような非常識な行動をとっています。誠に申し訳ありません。町田さんの事件について、早急に伺わなければならないことがあります」

 「高宮のことですか?」

 「はい」

 「高宮は王都放送に勤めている僕の先輩です。高宮と僕と町田の三人で、連続刺殺事件について調べていました。だけど職場にそれがバレてしまい、調査を終了しようと町田にメールを送ったのが高宮です。そこで調査を終了させておけば良かったのに、僕は、僕の我儘で、調査を続行したいと町田に相談しました。あのとき僕が調査を終わらせておけばメグは死なずにす……」

 抑揚の無い一定のリズムで吐き出されていた月本の声が途切れる。柳外は黙って月本の言葉の続きを待ったが、月本の声が聞こえてくることはなかった。インターフォンの向こう側の状況を想像しながら、柳外はゆっくりと話し始める。

 「大変な状況の中、お話を聞かせていただいて、本当に有難うございます。実は、もうひとつだけ、訊かせてもらいたいことがあります」月本の反応が無いため、話を続ける。「私の妹、サアラに送ってもらった写真、わん太郎が写っている写真です、その写真に写っていたイズミさんについて、お訊きしたいと思っています」やはり、月本の反応は無い。「イズミさんたちが居る場所を、教えて欲しいのです」

 月本の返答は一切無い。インターフォンから、嗚咽の音が響いている。

 柳外は、インターフォンに顔を近づけて、ゆっくりと、明瞭な発音で、言葉を発する。

 「月本さん、町田さんは、生きています」

 この事実を伝えることが、柳外にとって非常に危険であることは、当然、柳外は分かっていた。柳外だけでなく、町田の生存を隠してくれている人たちも危険である。もちろん、町田自身も危険である。それら多くの危険性を考慮しても、今の月本からイズミ姉妹の情報を得る手段が他に無い柳外は、町田の生存を月本に伝えるしかなかった。

 「町田さんは、生きています」柳外は、大きな声で、もう一度言った。

 「何を、言って……」月本の言葉は途中で途切れた。

 「町田さんが、これ以上危険な目に遭わないために、警察が情報操作をしました。町田さんは生きています」柳外は、一部嘘を混ぜながら、月本に伝えた。

 インターフォンから、月本の言葉にならない声が聞こえてくる。泣きながら、良かった、本当に良かった、と繰り返し言っているようだ。やがて、月本の声が聞こえなくなると、数秒後にドアの鍵が開く音が聞こえ、柳外の目の前のドアが開いた。玄関に立っている月本の目は涙で濡れて充血し、顔は窶れ、隈が濃く、毛髪は整えられていない上に、多くの皮脂が表面に付着しているようだった。もしかしたら今の自分も同じような状態になっているかもしれないな、と柳外は思う。

 「すいません、こんな格好で」月本が言った。

 「いえ、謝なければならないのは私の方です。月本さんが辛いお気持ちになると分かっていながら、町田さんが生きていることを黙っていました。申し訳ありません」

 「町田は、どこにいるんですか?」

 「それだけはお伝えできません。今、町田さんのことを守ってくれている人たちを危険に晒すことになりかねませんし、何より、町田さん自身が、再び危険な目に遭ってしまうかもしれません」柳外が一気に話すと、月本は悲しそうな顔をして、口を真一文字に結ぶ。「……町田さんの安全は私たちが全力で守ります。ご心配の必要はありません。どうか、町田さんのことは誰にも言わないでください」

 柳外の言葉を聞き、月本は深く一回頷く。月本の目から涙が零れる。月本は慌てて涙を拭って、柳外に話しかける。

 「すいません、話、途中でしたね。わん太郎、でしたっけ?」

 「あ……と、はい、そうです、わん太郎の世話をしてくれているイズミさんに会いに行きたいと思っておりまして、イズミさんのご住所をご存知でしょうか?」

 柳外の質問の意図を月本が勘違いしていることに気付き、柳外は月本に話を合わせた。イズミ姉妹が町田を襲った可能性があると考えている柳外は、自身の真意を月本に知られるわけにはいかなかった。

 「イズミさんたちの住所、ですか……僕は、分からないですが……」月本が俯きながら答える。

 「高宮さんはご存知ですか?」

 「……はい。ただ、ちょっと今は仕事が忙しいと思うので……」

 「そうですか……。王都放送に行けば会えるでしょうか?」

 「いや……大丈夫です、僕が連絡してみます。明日でも大丈夫ですか?」

 「実は、今日、これから山梨県に行く予定がありまして」柳外は二度目の嘘を吐いた。サアラの恩人に嘘を吐く度に、自分を殴りたくなる。「できればすぐに知りたいと思っています。突然押しかけた上、無理を言って申し訳ありません」

 「いえ……それでは……ちょっと待っててもらえますか、スマホ持ってきます」

 月本が部屋に戻り、玄関ドアが閉まる。再び玄関が開くと、月本はデジタルカメラを持っていた。

 「あの、そういえば僕のデジカメ、GPS機能が付いていて、もしかしたら、こっちのほうが詳しい場所が分かるんじゃないかと思って」月本は言いながら、手元でデジタルカメラを操作する。「……緯度と経度、分かりました。あとは、これを地図アプリに入れれば、大丈夫だと思います」

 月本がデジタルカメラの液晶画面を柳外に見せる。画面には『緯度』『経度』という表示欄に、数字と記号とアルファベットが羅列されている。柳外は、自分のスマートフォンを取り出して地図アプリを起動させると、デジタルカメラに表示されている羅列をそのまま検索窓に入力した。検索結果がポイントとして表示される。ポイントの付近には細い道路が表示されているが、建物の表示は一切無い。柳外が地図表示を航空写真に切り替えてピンチアウトすると、山梨県の山中にポイントされていることが分かった。ポイントの比較的近い場所に、高速道路のインターチェンジがある。

 「この辺りですか?」柳外がスマートフォンの画面を月本に見せながら言った。

 「僕も詳しい場所は分からないのですが……」月本は柳外のスマートフォンの画面を暫く眺めると、失礼しますと言って、柳外のスマートフォンを操作する。「そうですね、この高速を通って行ったのは確実で……降りたインターチェンジの名前も、こんな感じだった気がします。インターチェンジを降りたあとの移動時間もこれくらいだったので、多分、この辺りだと思います」

 月本の言葉を聞いた柳外は安心した。イズミ姉妹の居場所の目処が付いたこともそうだが、イズミ姉妹の友人である高宮に現在の状況を知られずに、イズミ姉妹の情報を取得できたことは幸運だと柳外は感じた。高宮がイズミ姉妹に連絡して、警察官である柳外の情報を伝えてしまう可能性があるからだ。

 「ありがとうございました」柳外が言う。「今日、これから、イズミさんのご自宅へ伺って、お会いしたいと思います。どうでしょうか、イズミさんたちは、日中もご自宅にいらっしゃいますかね?」

 「おそらく、いらっしゃると思います。お二人は児童養護施設の経営者で、その児童養護施設に暮らしているはずです。実は、写真を撮ったのが児童養護施設の前で、夜遅くに伺ったんですが、お二人ともいらっしゃったので」

 「児童養護施設の、経営者、なんですね」

 柳外の頭の中で、十年前に起きた事件がフラッシュバックする。十年前の事件の犯人は、児童養護施設の経営者であると報告書に載っていた。何の根拠にもならない付合だが、柳外の鼓動は高まり、無意識のうちに、月本に別れを告げていた。月本は笑顔で柳外に応える。月本の笑顔を見た柳外は素直に嬉しくなると同時に、微かな不安を感じる。爪の先に挟まった黒い汚れのような不安は、月本が笑顔で玄関のドアを閉じた瞬間、柳外の意識から消失した。

 柳外は車に戻ると、スマートフォンのナビを設定し、車内のコンセントとスマートフォンを充電ケーブルで繋ぐ。ナビには、三時間二十四分後、十二時十七分到着予定と表示されているが、柳外は躊躇無く車のエンジンを始動させると、車を発進させた。


 都内の交通量の少なさに反比例して、山梨県へ向かう下り方面の高速道路は混雑していた。高速道路を降りるまでの間に何度か渋滞に巻き込まれたが、目的のインターチェンジで高速道路を降りると、交通量は再び減少する。どうやら、観光地として機能している場所ではないようだ。看板の数が少なく、路面の整備状況も悪い。ただ、フロントガラス越しの景色は、森林の緑に青空が映えて、外に出なくても空気の澄み具合が伝わってくる。柳外は車内のエアコンを切り、運転席の窓を開ける。柳外は暫く何も考えずに運転した。気を抜くと眠ってしまいそうだった。このまま眠ってしまうのも悪くないかもしれない。今日の自分の行動で、一体誰が幸せになるのか。自分さえも不幸になるのではないか。柳外は、汚泥のように沈殿した自分の感情を、外から流れ込む柔らかい空気で溶かす。希釈された感情が体の中で対流するのを感じながら、柳外は深呼吸して、運転を続けた。

 目的地が近付くにつれて路面状況はさらに悪くなり、とうとう未舗装になる。最終的に、道幅は車一台分になり、対向車がまったく現れない山道になった頃、ナビが目的地周辺に着いたことを知らせる。柳外が辺りを見渡しながら運転を続けていると、道が二手に分かれる。左の道の先が開けているようだった。建物のようなものも見える。柳外は、その建物に向かって車を進める。分校のような外観の建物の前に、小さな校庭のような広場がある。広場では、数人の子供が遊んでいたが、柳外の車の進入に気付いて、建物の中に逃げるように入っていった。

 柳外は広場に駐車して車を降り、建物へ向かって歩いていると、玄関の扉が開く。女性が一人、建物から出てきた。柳外は、その女性の顔を知っている。写真で見ただけだ。会ったことはない。

 「こんにちは」女性が微笑みながら言った。

 「こんにちは、突然申し訳ありません、柳外と申します。月本さんに伺って参りました」

 「あ、月本さんの……」女性は目を丸くしながら、手を口に当てる。「警察かと思った」

 柳外は一瞬だけ動揺したが、動揺を悟られないように集中する。

 「はい、実は、警察官でもあります」柳外は笑顔で言う。「イズミさんですか?」

 女性は考え込むような表情で柳外を見つめる。

 「……今は、そうです」柳外を見つめながら、女性が言った。「……柳外さん、本当に警察の方ですか?」

 「はい。警察手帳ご覧になりますか?」

 「休日でも、こんな緊急事態なら、やらなければならない仕事があるのでは?」

 「緊急事態……ですか?」

 女性の言葉が具体的に何を指しているのか分からなかった柳外が笑顔のまま女性を見つめ返すと、女性は「ああ」と言って頷きながら再び微笑む。

 「本当に知らないのですね。スマホお持ちですか? ぎりぎり電波が入るので、ちょっと適当にニュースを見てみてください」

 微笑んだ女性に促されたとおり、柳外はスマートフォンを取り出して、インターネットのニュースを表示させる。

 スクロールの必要はなかった。


 【緊急速報】国王人質に テロか

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