第三章

組立(1)

 頭を覆う鈍い痛みと共に、犯人の顔を思い出す。あの事件以降、寝起きはずっとこんな調子だ。

 この家を離れてから、久しぶりに自分の部屋で寝た。

 父との確執以来、実家に戻るのは苦痛でしかない。もしかしたら、自分の部屋でさえ落ち着かないのではと心配していたが、むしろ昔の感覚を思い出して、懐かしい気持ちになった。郷愁感というやつだろう。昨晩はぐっすり眠ることができた。

 頭の傷を療養するために帰ってきた、と父には言ったが、療養するだけなら警察寮のほうが断然良い。それくらい実家には居たくない。だが、ここで調べたいことがある。

 犯人に頭を殴られ気絶した日、目を覚ますと、見知らぬ男が横にいた。声をかけると、その男はこちらを一度見て、無言で部屋を出て行く。一分ほどで看護師が現れ、自分が病院にいるのだと気付いた。それから一時間ほど経過したあとだろうか、ヨコウラが部屋へ入ってきた。

 「お加減はいかがですか?」

 そう言ったヨコウラの顔が微笑む。

 「頭が少しボーッとしますが、大丈夫だと思います」

 「そうですか……しばらくゆっくり休まれるのが良いと思います」

 「……家主は、亡くなられたでしょうか」

 「……大変残念な結果となってしまいました。全ての責任は、指揮していた私にあります。申し訳ありません。責任をとるため指揮から外れることも考えましたが、犯人を逮捕することでしか責任はとれない、というお言葉を王から賜りました。一刻も早く犯人を検挙しなければなりません。そのために、リュウガイさんの協力が必要不可欠です。どうか、ご協力をよろしくお願いします」

 ヨコウラが深々と頭を下げる。

 「そんな、協力だなんて……それは私の、警察官としての義務です」

 「ありがとうございます」

 そう言いながら頭を上げたヨコウラの顔は、とても申し訳なさそうだった。

 「犯人は……」

 「……依然として、足取りは掴めていません。リュウガイさんの話だけが頼りです。どうか話をお聞かせください」

 「そういえば、張り込んでた奴らのケガは?」

 「三名とも軽傷です。リュウガイさんの傷が一番酷い状態でした」

 「そうですか、良かった、いや良くない……被害者は……」

 「……あの日の状況、すべて教えてもらえますか? どんな些細なことでも。なんとしても犯人を検挙しなければなりません。犯人を検挙することでしか、被害者に謝罪することはできないと考えています」

 ヨコウラの目から、水分が一滴。

 水分。

 この病室にヨコウラが入ってきたときから、ずっと脳が震えている。

 今ならはっきりと脳の言葉が分かる。

 嘘だ。


 嘘だ。


 脳の言葉を聞きながら、ヨコウラに全てを話した。

 犯人との会話を除いて、全て話した。


 それから二日間休んだあと、仕事へ復帰した。復帰してから五日間は、怪我を理由にデスクワーク中心にしてもらった。その真意は、犯人が口にした言葉を検証しなければならないという焦燥感。デスクワークをしながら、警視庁のデータベースを使って検証していった。

 少子対策法。

 養子。

 十年前。

 クリスマス。

 『少子対策法』という検索ワードでヒットする事件はゼロだったが、十年前の十二月二十五日でヒットした事件の中に、気になる事件が一件見つかった。資産家の家と児童養護施設で起きた殺人事件だ。既に終結している事件だったが、報告書を入念に読む。

 報告書によると、犯人は児童養護施設の経営者。殺されたのは資産家の家の家主一人と、施設で暮らしていた子供十二人。経営者は、家主を殺したあと、施設に火をつけ、施設で暮らしていた子供全員を焼殺。その直後、経営者は近くのマンションから飛び降り、自殺。

 報告書を読んでいるうちに思い出した。大学生のころ、大きく報道されていた事件だ。被害者の人数の多さ、そして、事件現場が実家に近かったので、なんとなく覚えている。

犯行の動機は、家主からの資金援助を打ち切られた経営者が施設を運営できなくなったため、と報道されていた。報告書にも同様の記述があった。子供を焼殺したのは、無理心中のためだ、という記述も報道と同様だった。

 報告書を読み終えたあと、この事件を調べ直したほうがいいなと考えた。

 頭の傷の療養を理由に有給休暇をとり、実家から事件現場へ向かえば、周囲を気にせずに事件現場を調べられる。同僚などに会っても、実家が近いから、と言えば良い。まずは殺された家主の家へ行ってみよう。そのあとに、放火された児童養護施設だが、既に取り壊されているだろう。周囲の住民に、当時のことを聞くしかない。

 なぜこんなことをしているのだろう。

 こんなこと、したいわけではない。しなければならない、という言葉が近いかもしれない。

 ヨコウラは何かを隠している気がする。見過ごしてはいけない何かを隠している気がする。脳は、それを見つけようと必死になっている気がする。気がするだけで、こんな懲戒処分ものの行動をしている。頭がおかしくなったのだろうか。

 犯人の目が、じっとこちらを見る。

 まばたきを一回。


 背後のドアが開く音で、朝食を食べていることを思い出した。一分間くらい、箸の先が味噌汁に浸かっている様子を眺めていたようだ。

 向かいの席に食事が用意され始める。サアラの昼食だ。英語にはブランチという言葉があるが、それに対応した日本語が存在しないのは、昼まで寝ているような怠惰な人間を排除するためだろうかと想像したが、三秒後にはどうでもよくなった。

 しばらくするとドアが開き、サアラが部屋に入ってくる。十二時ちょうどだ。

 「おはようございます」サアラがにっこり笑う。

 「おはよう」

 「遅いお目覚めですね」

 「うん。ぐっすり眠れた」

 「いつまでこちらでお過ごしになるのですか?」

 「休みは一週間だけど、どうかな、早めに帰るかも」

 「そうですか……とても淋しいです」

 席に着いたサアラが、テーブルの上にあるティーカップをじっと見つめている。昨日のこともある。こんな小さな子が、淋しさをうまく処理できるはずもない。

 「食事が終わったら、昨日の、えっと、なんだっけ、わんたろう? を連れてってくれた人に連絡してみようと思うんだけど――」

 「本当ですか! 私もしたいです!」

 「うん、でも、このあと勉強だろう?」

 「今します!」

 サアラが急いで料理を食べ始めた。予定よりも早く食事を終わらせて、勉強を再開する前に、わん太郎のことを訊くつもりだろう。ヒラタさんがいたら、行儀が悪い、と間違いなく怒られる。

 「もっとゆっくり食べな。わん太郎のことは、あとでちゃんと教えるから」

 サアラはパンを食べながら、首を横に振る。どうしても自分でわん太郎のことを聞きたいらしい。

 結局、十五分ほどで食事を食べ終えてしまった。サアラの昼食の時間は三十分なので、連絡するのに充分な時間が残っている。ポケットから携帯電話を取り出す。

 「じゃあ、まず僕が電話して、そのあと代わるから」

 「ありがとうございます」

 昨日と同じように、とても嬉しそうに応えるサアラ。こちらも嬉しくなる。

 携帯電話に登録しておいた連絡先を呼び出す。王都放送社会報道部、月本志朗。名刺には、社内電話、携帯電話、メールアドレスが書かれていたので、全部登録しておいた。まずは携帯電話に連絡する。もし携帯電話に出なければ、会社に電話することになるが、それにも出なければ、サアラのお昼休憩中に連絡を取ることはできなくなる。できれば、サアラに直接連絡を取らせてあげたい、そう思いながら携帯電話のボタンを押す。

 コール音が五回。

 「はい」

 「突然のお電話、申し訳ありません。ツクモト様でいらっしゃいますか?」

 「はい、そうです」

 「私、昨日の夜、公園でお世話になりました子供の兄で、リュウガイと申します。初めまして」

 「あ、初めまして、サアラちゃんのお兄様ですね。リュウ、ガイ、さんですか?」

 「はい、リュウガイ、アキヒロ、と申します。よろしくお願いします」

 「よろしくお願いします」

 「今お時間よろしいでしょうか?」

 「はい、大丈夫です」

 「昨日はサアラが大変お世話になりまして、本当にありがとうございます」

 「いえ、お世話だなんて、そんな……」

 「いえ、本当に感謝しております。サアラの友人を救ってくださり、お礼の仕様がございません」

 「その件ですが、実は私ではなく、私の同僚の知人が引き取ってくださいまして……」

 「そうでしたか。それでは是非その方にもお礼を申し上げたいと思うのですが」

 「では、同僚にその旨申し伝えます。今は……ちょっと席を外しておりまして、申し訳ありません」

 「いえいえ、お手数お掛けします。すいません、実は今、サアラもおりまして、友人の様子を直接お訊きしたいと申しております。お話頂いてもよろしいでしょうか?」

 「はい、もちろんです」

 もう待ちきれない、という様子でずっとソワソワしていたサアラに、携帯電話を手渡す。

 「お電話代わりました。リュウガイサアラです」

 サアラが元気良く話し始めた。

 こんなに楽しそうに話しているサアラを見ると、普段の生活の制約の大きさがよく分かる。やはり、あんな生活を続けていては駄目だ。そう思っているのに、やめさせることができない。情けないとしか言いようがない。

 「お兄様」サアラが耳から携帯電話を離した。「私のパソコンにわん太郎の写真を送ってもらおうと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 大きく頷く。それを見たサアラは、喜んで携帯電話を耳に戻す。

 「はい、それでは私のパソコンに送って頂きたいです……はい……そうですね、分かりました。兄に代わります」

 サアラが携帯電話を返してきた。

 「お電話代わりました」

 「あの、今サアラちゃんに、昨日撮った犬の写真を送りたいという話をしてまして、サアラちゃんのメールアドレスをお兄様に教えて頂きたいと思いまして」

 「分かりました。それでは、このあとメールでお伝え致します。送信先は、ツクモト様の名刺に書かれているアドレスでよろしいでしょうか?」

 「はい、お願いします」

 「では……」サアラを見ると、もう一度携帯電話を渡してくれとジェスチャーする。「最後に、サアラに代わります」

 サアラに携帯電話を渡すと、わん太郎によろしくお伝えください、と言って、元気良く電話を切った。

 「わん太郎は今、山梨県にいるそうです」

 「そうか。なかなか遠いね」

 「いつか会いに行きたいです」

 「うん。いつか会いに行こう」


 十年前に殺人事件があった資産家の家の住所へ行くと、当時の家は既に取り壊され、マンションが建っていた。豪邸だと報道されていたので、取り壊されていないだろうと思っていたが、甘かったようだ。これであとは、周辺の住民に当時の状況を訊くだけになってしまった。

 周辺は閑静な住宅街で、外を歩いている人たちはマダムという言葉がよく似合うご婦人ばかり。皆一人で歩いている。重そうなスーパーの袋を両手に下げていたり、重そうなスーパーの袋を自転車のカゴに押し込んでフラフラと進んでいたり、重そうなスーパーの袋を地面に置いて「まぁ」とか「うそぉ」と何十分も言い続けるご婦人たちは一人も見当たらない。スーパーの袋の代わりに、かわいいミニチュアダックスフンドを何匹も連れていたり、かわいいチワワが電柱や塀の匂いを嗅いでいるときにリードを強烈に引っ張ったり、かわいいパピヨンが向こうから来た別の犬に対して激しく吠えているときに無言でリードを短く持ち直してすれ違うご婦人しか見当たらない。まあ、きっと、どちらのタイプのご婦人も本質的には同じだろう。平和だ。

 できるだけ古い一軒家を探しながら付近を歩いたが、下町にあるようなボロボロの木造一軒家はもちろん、大手メーカーが大量生産した無個性の一軒家さえ見当たらない。そのような建物に住んでいた人たちは、土地を売って、別の場所へ引っ越したのだろう。引っ越し先を贅沢にしなければ、売却益だけで数年間は遊んで暮らせるはずだ。

 新しそうな家や豪邸にも聞き込みをしようかと考えたが、十年前から暮らしている人は少ないだろうし、いたとしても、都会特有のガードの硬さで、聞き込みは難しい。都会、特に高級住宅街などの聞き込みで警察手帳を見せて話を聞こうとすると、その警察官が本物かどうか警視庁に照会する人は比較的多い。もちろん照会するほうが良いのだが、今の自分にとっては、照会されると面倒なことになる。休暇中に十年前の事件、しかも、解決済みの事件を調べていることが上司にバレてしまう。聞き込む相手を見極めて、慎重に動かなければならない。

 資産家の家付近での聞き込みは保留して、児童養護施設があった場所へ向かった。歩いて二時間ほど。付近の様子を見るため、タクシーは使わなかった。

 児童養護施設があった場所は空き地になっていた。売地を知らせる看板が道路との境界上に立ち、看板の奥の敷地内は、一メートル以上の雑草が茂っている。子供十二人が焼死した場所だ。立地が良いわけでもないので、十年間買い手が現れないのも無理はない。

 付近で一番古そうな一軒家を探していると、門もインターフォンも無い木造平屋建ての家を見つけた。迷わず玄関の戸を叩いた。反応がないので、もう一度戸を叩く。先程よりも強く四回叩いた。しばらく待っていると、家の中から、はいはいはい、という声が聞こえ、開錠音なしで玄関が開いた。腰が曲がった小さな老婆が立っている。

 「突然申し訳ありません。私、警察の者で、今このあたりの聞き込みをしております」警察手帳を見せた。「少しお話をお聞きしたいと思うのですが、お時間よろしいでしょうか?」

 「え? なんかあったかい?」

 「いえ、実はですね、十年前の事件についてお聞きしたいと思うのですが」

 「十年? そりゃあまた昔だね」

 「はい、覚えていらっしゃいますか? 児童養護施設でお子さんが十二人亡くなられた事件なのですが」

 「あぁー……よーく覚えてるよ。本当に酷い事件で、あんたら警察も素っ頓狂なことしか言わんで、捜査し直す気にでもなったかい」

 「あ、すいません、私、当時のことを詳しく知らずに、御無礼ありましたでしょうか?」

 「無礼も何も、シミズさんがあんなことするわけないじゃろが」

 シミズ。児童養護施設の経営者の名前だ。十年前の被疑者の名前が淀みなく口から出るということは、経営者のことをよく知っているのかもしれない。

 「シミズさんとお知り合いだったのですか?」

 「んー、本当にいい人じゃった。あんないい人がなんで人殺しなんかするもんかね。しかも我が子同然に可愛がってた子たちまで焼き殺しただって? ふざけるんじゃないよ」

 老婆の口調がどんどん厳しくなった。普段の聞き込みなら落ち着かせるところだが、老婆の率直な意見を聞きたかったので、そのまま続ける。

 「施設で亡くなったお子さんは十二人でしたが、おばあちゃんは全員ご存知でしたか?」

 「ああ、もうみんないい子じゃった。チーちゃんとヒロちゃんは下の子の面倒をよーく見るし、ユウタはイタズラばっかりしとったが実は思いやりのある子で、ばあちゃん、何か困ったことがあったらすぐ言ってこいよ、助けに行くから、なんて、一丁前にあたしに言って……あぁ、思い出したら泣けてきたよ」

 老婆の目に涙が溜まる。年齢のせいか、頬を流れ落ちることのない僅かな涙に、想像以上の悲しみが濃縮されているようだ。この老婆は、児童養護施設の子供たちを本当の家族のように想っていたのかもしれない。その家族を一瞬で失った老婆の絶望と悲しみが流れ込んできた気がした。冷静さを保つように努めなければならなくなった。

 「心中お察しします。大変辛いことを思い出させてしまうかもしれませんが、事件の起きた日、施設で暮らしていた子供は全員で十二人だったのは間違いないでしょうか?」

 「十四人じゃろ?」

 「え?」

 「十二人じゃなくて、十四人」

 「十三人ではなくて?」

 「十四人じゃ」

 「亡くなったお子さんは、十二人?」

 「ああ」

 「ということは、二人の子供が助かっているのですか?」

 「あんたらが保護したんじゃろ?」

 そんなこと、報告書のどこにも書かれていない。

 「その二人とは、事件後会いましたか?」

 「会っとらん」

 「その二人は何才ぐらいでしたか? 事件の時」

 「十才とか、そんなもんだったか。あんたらの方が詳しいじゃろ?」

 「二人とも?」

 「ああ」

 「性別は?」

 「女の子だが、さっきからなんだいあんた、バカにしとるんか」

 「すいません、そのようなつもりは全くありません。もし気分を害されたのであれば、お詫びします。申し訳ありません」深く頭を下げる。「誠に恐縮ですが、最後にひとつだけお訊かせください。その二人は少子対策法の養子でしたか?」

「んなこた知らん……まぁ、雰囲気は全然違っとった。酷く怯えとって、可哀想じゃった。ずっと二人でくっ付いて縮こまってたのう。確かに、戦場で生きてきた心の傷と言われれば、そんな感じかもしれんな」

 「施設で暮らしてる間、ずっとですか?」

 「ずっとと言っても、二、三日だがな」

 「二、三日? 事件の数日前から暮らし始めたんですか? 二人とも?」

 「そう。わしはまだ名前も聞いとらんかった」

 それから五分ほど老婆と話したが、警察への不満や怒りの発露が大きくなり、情報を引き出せる状態ではなくなってしまった。有用な情報がまだあるかもしれないと思いながらも、老婆に謝罪とお礼を言って、話を終わらせた。

 まだ一件しか聞き込みをしていないが、充分な成果だった。いや、寧ろ、これ以上不用意に動いてはいけないと感じるようになった。

 十年前の事件で、警察が何かしらの事実を隠蔽した可能性が高い。組織ぐるみなのか、個人の仕業なのかは判然としないが、警察内部での他言はできなくなった。

 病室で会ったヨコウラを思い出す。

 笑顔。

 謝罪。

 水分が一滴。

 ヨコウラだけには絶対に話さない。その決意が一番堅かった。

 老婆の話を整理しながら、様々なことを考えて歩いていると、公園の入口が目についた。昨日、サアラに友達ができた公園だ。実家へ帰ろうと思っていたが、公園のベンチで考えをまとめるのも良いかもしれない。実家へ帰ったところで、居心地の悪さしか感じないだろう。

 公園へ入る。小さい頃、一度だけここに来たことがあるが、その時の記憶と一致するものは何も無い。代わりに、たくさんの遊具が並んでいる。

 平日の夕方、夕陽になりきれていない黄色い太陽が、空と地面の間に浮かんでいる時間、学校帰りの子供たちが賑やかに遊んでいる。

 公園の入口から一番近い場所にあるブランコに目がいった。誰も乗っていない。

 そういえば、一度も乗ったことないな、ブランコ。

 乗ってみようかな。恥ずかしいけど。

 子供たちを横目に見ながらブランコまで歩き、ゆっくりとブランコに座った。

 慌てるな、余計に注目される、と自分に言い聞かせながら、一漕ぎ。

 金属が擦れる甲高い音が子供たちの声に混ざる。予想以上に大きな音だが、耳元で鳴っているせいだろう。自意識過剰だ。

 思い切って漕ぎ始める。

 足と地面の接触を避けるため、体操選手のように足を一直線に伸ばす。重心移動を小刻みに繰り返し、振幅を長くする。金属の擦れる音が大きくなるにつれて、速さと高さの極大値が増えていった。そして、つま先が頭の高さを越える頃、子供たちは全員こちらを見ていた。

 これは、自意識過剰ではない。

 足を地面に突き立て、一瞬でブランコを止める。

 砂埃。

 静寂。

 「にげろおぉぉぉ!」

 突然の叫び声で、一瞬視界が白くなった。こんなことでヨコウラに目を付けられてしまうなんて、恥とか不注意とか、そういうレベルではない。穴があったら入りたい。いや、このブランコで成層圏までテイクオフしたい。

 辞世の句に手を出しそうになった時、背後から三人の子供が走ってきて、遊具で遊んでいた子供たちと合流した。走っていた三人の子供たちは興奮した様子で、まじこえー、とか、のろわれるかも、などと話している。どうやら、先ほど聞こえた『逃げろ』という叫び声は、私とは関係ないようだ。子供たちは、再び賑やかに騒ぎ始める。呪いの石像、とか、銃で殺される、などと聞こえてくる。心の底から安心した。

 後ろを振り返ると、林がある。走ってきた子供たちは、あの林から出てきたようだ。

 そういえば昨日、サアラが隠れていた場所は林の中だったとヒラタさんが言っていた。石のオブジェとも言っていたので、サアラが隠れていたのは、あの林だろう。サアラに初めて友達ができた場所だ。呪いの石像というのも少し気になったので、行ってみることにした。本音は、一刻も早くブランコから離れたかっただけかもしれない。

 林の樹木の密度は想像以上に高く、中はとても暗い。きっと昼間でも薄暗いだろう。子供たちの度胸試しに使われるのも頷ける。

 足元に注意しながらしばらく歩くと、先の方に明るい場所が見えた。石のオブジェも見える。サアラが隠れていたのは、あの場所だろう。

 石のオブジェは噴水のような形だが、水は無い。噴水の中心に石像が立っている。髪の長い女性の石像のようだが、あちこち欠けている。経年劣化というよりは、人為的に傷付けられたように見える。もしかしたら、子供が石をぶつけているのかもしれない。子供たちが『呪いの石像』という仮想敵と戦っている状況は容易に想像できた。

 女性の石像は、左手で何かを抱えているように見える。先ほどの子供たちは『銃で殺される』と話していたので、子供たちのあいだでは、ライフルを抱えているという設定になっているのだろう。そう考えていると、ライフルにしか見えなくなってきた。

よく観察してみると、石像の右腕が無い。そういうデザインではなくて、折れて無くなったようだ。

 おそらく、この石像は、小さな竪琴のようなものを両手で持ったデザインだったのだろう。しかし、右腕の脇が開いた状態でデザインされていたため、竪琴の半分と右腕が一緒に折れてしまったのだ。人為的に折られたのかもしれない。

 人間に造られ、人間に壊されていく石像を見つめる。


 不意に、あの犯人を見ている感覚に引き込まれた。


 どうしてそんなに傷付いた?

 そのライフルで誰を撃つ?


 沢山の疑問をぶつけたくなったが、散々石をぶつけられてきた彼女に、これ以上辛い思いをさせたくなかった。

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