第10話【キイテネムッテ】
「あんたに……ナナシには、あたしの姉が空けてた家と、店をひとつヤルからね。うまく使うんだヨ。場所は、ダンジョン入り口ノ近くだ」
そう言って彼女は鍵を投げて来た。鍵には透明の丸いアクセサリーがぶら下がっていた。
「ナネさん、ありがとうございます、それと、ありがとうございました!」
鍵を胸元で受け取り、手に取ってから踵を返す。
この身体になってから、初めて。それくらい、今のボクにとって軽く、ふわりと浮くような身体だ。揺れ、たゆんと弾ける胸も、痛みはあるが、むしろ誇らしく思う。
今なら、きっと走れる。
「……いってきます!」
「ん、いってらっしゃい。ナナシ……無事に帰って来るんだよ……」
「……はいッッッッ!」
振り返らない。カタコトをやめた時の彼女は、きっと泣いているから。ナネさんは、昔から自分の泣き顔を見られるのが嫌だったことをボクは知っている。
それから、家に着くのはすぐだった。
――――――――
ダンジョンすぐ近くの廃墟は、誰も住んでいない上、所有しているのがナネさんだったことから、あることないこと噂が立つ家だった。
捕まえたモンスターの研究のために解剖している。アルフの一族が殺したモンスターの怨念がさ迷っている。男を連れ込んで淫らなことをしているなど、ナネさんの本当の趣味を知っているボクからすれば、根拠の無いでっちあげだ。
蔦の絡まるその家の前に着いた。ナネさんが定期的に掃除をしているため、清潔さを感じたる。やはり、噂は噂でしかなかった。
ドアノブに手を当て、扉を開ける。
部屋の隅に光る橙のランプに、大きなソファが目立つその部屋。奥に、古ぼけた扉が閉ざされている。おそらく、寝室なのだろう
ガラス玉を瓶の中にぎゅうぎゅう詰めにしたものが棚に敷き詰められているみたいだ。どこか、誰かの気配を感じる。
「ゴゴゴズゴゴゴ」
「誰!?」
警戒して周囲を見渡す。家を震わすほどの大きい音が、奥の扉から響いてきた。
「ゴズゴ……♪」
扉のドアノブに触れるとき、先に胸が扉に当たってしまうのは、まだ少し鬱陶しいかもしれない。
もしかしたら、噂されているような、恐ろしい怨念が暮らしているのだろうかと、やや震えながらおそるおそる扉を開く。
「ゴズッズゴゴゴ……♪」
「え……?」
中には、透明の大きなベッドの上で、勇者パーティの一員である女性、スラートが、よだれを滴ながら眠っていた。
先程の爆音は、彼女の寝息だったようだ。ボクが部屋に入ると、彼女は目を覚ます。
「ふぁ……ひゃ……!? だ、だ、誰かしら!?」
「あ、えっとボクは……な、ナナシって、言います」
寝ぼけと困惑の混じった眼でこちらを見るスラート。少し考える仕草をした後、ボクの姿を見て思い出したようだ。
「あ、あの時勇者様といらっしゃった方でしたか! あら、まぁ……このような情けない姿を見せてしまいまして、申し訳ありませんわ……。化粧も整えておりませんから、きっと見苦しいでしょう……」
上品な動作で透明なベッドから降りる仕草は上品そのものだ。しかし、寝巻きはシックなグレイの色で、どこか年齢の赴きを感じる服装だった。
「そ、それで……ナナシ様……どうしてここに?」
「あ、ボクは……その、ナネさんからここの家と店を借りて、商売を始める予定で……ここの鍵も、預かりました。そういえば、スラートさん、どうやってこの場所に……?」
彼女は寂しそうな表情をした。感情を最大限抑えているけれど、おもちゃを取り上げられた子供の顔に少しだけ似ていた。
「おほほ……いいえ、そうですわね。正式な居住者が入居されるのでしたら、答えねばなりませんわね……」
彼女はどうやら、不眠症になっていたらしい。家でのお嬢様としての振る舞いや、その戦闘面での実力も含め、期待が重なっていたことに対する重圧だけでなく、その寝息の大きさに、自己嫌悪していたことを聞いた。
「……家の方々は、ほとんど気にされていませんでした。ですが、本当は無理をされているはずです。家を壊すほどの寝息を毎晩毎晩、お父様やお母様、使用人の方々に聞かせていると思うと、やがて眠ることが苦痛に感じ始めたのです……」
スラートはボクの目を見つめる。眼光の強さに、こちらも少しこわばってしまう。
「それから、しっかりと眠れない日が続きました。しかし、寝息が響かないよう、仮眠ばかりの日々を過ごしていても、やがて限界が来ます。眠くて眠くて堪らなかったその日、わたくしは偶然にも、この廃墟の近くで研究をしていました」
ダンジョンの方角に手を向ける。おそらく、研究とはモンスターのことだ。解剖の噂は、ここから来ていたのだろうか。
「どうしようもなくなっていたわたくしは、この廃墟で眠ることにしました。……その日は、丸1日眠ってしまい家族に心配をかけてしまいましたが、その時わたくしは思ったのです。この場所ならば、いくら寝息をあげようと、思う存分、睡眠時間を取れると」
それからは、定期的にこの廃墟で眠っているらしい。たまに来るというナネさんは、どうして気付かなかったのだろう。
しかし、その事情を聞いてしまったからには、ボクが住むからといって、彼女の安眠を壊したくない。
「……どうか、気になさらないで下さい。わたくしは、別の場所を見つけますわ。元々、ナネ様の家でしたから。大丈夫ですわ、ナナシ様」
「……うん。わかった……えっと、何か、口をおおうような布を持ってないかな?」
スラートは少し不思議そうにしながら、風邪予防の布をボクに渡してくれた。
「……
「あら……? 魔法、でしょうか……? あれ、ナナシ様……」
「……えっと、たまになら、ここに来て寝ても大丈夫だよ。それと、この布、息苦しいかもしれないけど、着けて寝たら、たぶん、音は響かないと思う。試しに着けてみて」
「……? ……! ……!!」
渡すと同時に彼女は装着し、声をあげる。しかし、こちらには全く聞こえてこない。
「……。……これは……音が、響かなくなっていますわ。このような魔法、聞いたこともありません」
布を外し、スラートは驚愕した様子だ。
「ふふん、ありがとう。けど、このことは秘密ね?」
「は、はい! かしこまりました、ナナシ様。……わたくしを気遣ってくださり、ありがとうございます。これで、毎晩ゆっくり眠りにつけそうですわ……」
ペコリと礼をするスラート。やや気分を高揚させていることが、丁寧な仕草からも感じられる。
「では、これにて失礼しますわ。……これからの店舗営業、どうかご繁栄をお祈り申し上げます。それでは……お元気で!」
いつの間にか、緑のワンピースに着替えていた彼女は、スタスタとこの家から去っていった。彼女の悲しみは、少しは晴れただろうかと心配になる。
ふと、スラートは振り返ってボクに手を振った。ボクも手を振り返すと、彼女は笑っていた。
見えなくなるまで手を振ったまま彼女を見送ってから、ボクは家の中に戻り部屋の真ん中に立つ。
「……これから、よろしく。ボクの新しい家、そして、お店……。スラートさんも、また呼ぶから、安心して」
家は返事をせずとも、どこか鼓動を感じる。まだボクのことは受け入れきれてはいないとわかるけれど、きっとこれから、馴染んでいけるよう頑張ってみせる。
「ボクの名前はナナシ。そうだね、キミの名前も決なきゃね……だから」
かつてナネさんの姉だった人が住んでいた家であり、スラートさんの安眠の場所。そして、ボクがこれから暮らしていく家であり、店の名前。
「今日から、キミは【クイット・ノート】と呼ぶことにするから……どうか、よろしくね」
ボクは家に語りかける。返事はない。けれど、その静寂は、どこかやすらぎを感じられた。
ソファに座り込む。【
家の外から、ボクを見つめる存在に気づかぬままに。
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