第4話【ノロイトキョウフ】

「恐怖とは、濁った水のようなものだ。その水面下にメダカが居るか、ピラニアが居るかわからなくさせてしまう。そうして、認識を阻害させられた人間は恐怖を前に足踏みする」


 大群をなして躍り狂うマンドレイクを前にして、アルフローズは地面に剣を突き立てる。


「だからといって、恐怖を感じる場にやたらに突撃すれば、ピラニア以上に恐ろしいものに出会す、破滅してしまうことも専らだ」


 両手から青い炎を瞬かせると、炎は剣の周りを舞い始めた。


「ならば、どうするか。状況の認識だ。前方には千のマンドレイク、後方には百のマンドレイク。どちらも驚異であることに変わりはない。しかし、私に対処できるのは後方のみだ。逃げるぞ、ツクヨ君」

「は、はい、アルフローズ学長!」

「……火氷理・変彩金緑石アレキサンドライト!!!」


 彼が剣を振るい、走り出す。ボクもその背を追う。


 青い炎は拡散し、数多のマンドレイクの動きを停止させる。しかし、その時間は約2秒。マンドレイクの【声】から逃れるには、彼とボクの全速力を持ってしても間に合わない。


「学長! こ、このままじゃ、無理ですよ! 後ろの方のマンドレイク、唇を震わせてます!」

「……わかっているさ、だから……君の出番じゃないか……!」


 アルフローズはニマリとボクに笑顔を見せる。学園どころか、第3区の危機になりかねないこの事件の最中であろうと、彼の目は輝いていた。


「私は、君の成長が楽しみで楽しみで仕方ないんだ、さぁツクヨ君、君は強い。私よりもだ。だが、君には足りない部分がある。君は恐れている。恐怖を克服するんだ、それさえできれば、私、いや、この第3区画の誰よりも――――」


 それから、彼が何を言ったのかは思い出せない。


 けれど、あの時学長が居なければ、ボクは、あの場で死んでいたのかもしれない。


 彼には感謝してもし足りないほどの恩があったことを、ボクは、この夢の中で思い出した。




――――――――




 店内のソファの上に、うつぶせのまま寝転がっていたみたいだった。


 胸がむぎゅっとソファにつぶれているせいか、胸も息も苦しい。苦しくて、息をハァと吐き出してみる。


「ハァ!ハァ! おばあちゃん、私やっちまった! 学長なのに、見知らぬ少女に手を出しちまった! 私の権威もプライドもそうだが、あの少女にトラウマを埋めつけてしまったかもしれない……おばあちゃん、どうしよぉ……」


 ボクのため息は、男の泣きじゃくる声でかきけされる。


 息を荒らくしながら、魔法店アルプリエトの店主ことナネさんの胸に埋もっているその男は、ボクの命の恩人のアルフローズだ。


「アルフの一族だってのに、あんたはこれだけは変わらないねぇ……ま、あれは【呪い】のセイでもある。仕方ないと言う気はナイが、やっちまったなら、責任は取るべきだ。さ、彼女も起きたみタイだよ、謝ってきな」


 起き上がり、両胸をかばうように抑えながら涙ぐんだ目で顔を向ける。


 アルフローズが静かな動作でこちらを向く。


「……すまなかった、少女よ。私は、自分の欲望のまま、君を力ずくで襲った。これは、一介の謝罪では許されないことだろう。君の償いになることならば、私はなんでもやってみせると誓う。君の望む処罰を申し出てくれ」


 彼は頭を下げる。今朝のマルトのように、急に態度を変えて襲ってくる気配もない。


「……その、前に、どうしてあんなことを、したのか、聞かせてください……」


 許す許さないを前に、かつてあれほどかっこよかった、ボクにとっての英雄である彼が、どうしてあんな事をしたのか。それが知りたかった。


「……わかった。私はな、普段は決して表に出さないが、定期的に曾祖母の胸を借りに来ているのだ。遠くから来た君には知るよしもないことだろうけれど、私は、学長をやっていてね、人付き合いの疲れを癒すべく、この店に定期的に通っているのだよ」

「そ、それと、ボクを襲ったことと、何の関係があるのですか!!! あのときあなたは、ボクのことを、【名も知らぬ少女】って、言っていました、ナネさんと間違えただなんて、言いませんよね?」

「もちろん、言わない。しかし、君を見ると【誰でもいいから胸に埋もりたい】と衝動的に思考した。それから先は、自分を抑えられなくなった」

「……なんですか、それ……」


 ショックを受けなかったと言えば嘘になる。ナネさんに甘えていたことは、まぁ、あれだけの仕事をしていたのならばと思えば、許容できなくもなかった。ただ、学長はボクがツクヨであることに気付いてない。初対面であったボクの胸をモノのように扱うような人だったということにショックを受けていた所、ナネさんが口を開いた。


「あー、すまナイ。その前にちょっと話させてクレ。……さっき調べたときは言わなかったが、そこの【店近くの路地で行き倒れててあたしが拾ってやった女の子】であるあんたはな、呪いにかかってる」

「おばあちゃん、そういう話しは私が帰ってから……」


 ナネさんは話を続ける。


「呪いの効果は【男性魅了】で、さらに【対象の1つの欲求のみを急激に加速させる】もんだ。それも、かなり強固だナ。なにせ……」


 アルフローズの肩をど突きながら言う。


「こいつの対魔法性にすら効果がなかった程だ。誰が施したかは知らナイがな……」

「まったくはた迷惑な呪いがボクに……」


 嫌な呪い。いったい誰がと思考する前に、アルフローズ学長の意思でボクを襲ったわけではなかったことを知り、救われた気分になった。


「たとえ、たとえ呪いだからといっても、私の責任は私に果たさせて欲しい」

「え!? あ、その、ボクは……大丈夫、です。呪いのせいだったなら、何も、いりません」


 首を横に揺らすと共に両胸が揺れると、また痛みを感じ小さく声をあげる。


「ッッ……本当に、いりませんから、その……お仕事、あると思います。そちらに、専念されてはどうでしょう……か?」

「……そうか。わかった。じゃあ、これを」


 彼は手に紙幣を数枚持つと、ボクに差し出す。


「これで、サイズに合う服を買うといい。もちろん、これは詫びの一端だ。本当に欲しいものができたら、また言って。その時にこそ、君の望みを叶えて見せるよ……それじゃあ、私は行方不明になったツクヨを探さなきゃならないので、またなおばあちゃん、少女」


 くるりと踵を返し、小さく手を振りながら彼は店を出ていく。緩やかに微笑むその顔には、ナネさんの面影を見る。世代が違うけれど、やっぱり似てるのは、血縁だからだろうか。


「……散々だったネ、ツクヨ。ごめんよ、地下室なら見つからないと思っていた矢先にコンナコトになっちまって……。あたしゃ申し訳ないよ」

「い、いえ、いいんです。ナネさんが匿ってくれなければ、本当に居場所がありませんでしたから! さ、それより、これからのことですよ! ボク、勢いで逃げてきましたけど、やっぱり勇者と一緒に、冒険に出たいです。呪いのせいだって事情を話せば、学長も、皆も認めてくれるはずですから」

「……」


 ナネさんは黙ってボクの目を見つめる。言おうか言うまいか迷っている目をしていたが、1度深呼吸して語り始める。


「魔法の腕だけなら第3区の中でもトップクラス。サラに剣術、弓術、医術、サバイバル術、諸々をマスターしたあたしが、どうして【地下のダンジョン】に行かないか、知ってるカイ?」

「あ、それ、知ってますよ! 学校で噂になってましたから。たしか……『あたしほどの逸材がダンジョンに行けば、すぐに攻略できちまうからつまらナイネ。それに、あたしゃダンジョンの中でもがき苦しむ凡才を見ることが楽しみナンだよ、文句あるカイ?』って言ったんでしたっけ?」

「……あんた、ヤケに物真似がうまいじゃないか。今日は飯抜きだヨ。……全く逆さ、逆。むしろ行けるもんなら、今すぐにでも行かなきゃナラない理由があるくらいだよ。あたしにはネ……けど、行ってもあたしでは絶対にダンジョンは攻略できナイ。なぜなら……」


 彼女は、おもむろに上半身の服を脱ぎ始めた。ボクは赤くなって目を剃らそうとしたが、頭を捕まれ無理やりナネさんの素肌を目の当たりにさせられた。光沢を反射させながら、服の反動でぷるんと揺れ続ける大きなソレを見せて、彼女は何をさせたいのだろう。


「このデカい胸があるかぎり、あたしはダンジョンを抜けられないんダ」

「……?」


 首を傾けて、疑問を覚える。たしかにナネさんの胸は常軌を逸する大さだが、それとダンジョンと何が関係あると言うのか。


「……わかってナイね。だけど、今のあんたなら少しはわかるはずダよ。胸の重さ、揺れたり擦れたりするごとに感じる痛み、狭い道を通ることや、激しい動きをするごとに身体を引っ張り、全ての動作を著しく邪魔する。男を誘惑する分は大いに構わないケド……戦闘や狭い道、命のやり取りが茶飯事なダンジョンの中で、胸のデカさは弊害でしかナイんだよ。バカバカしく聞こえるかもしれないケドさ」

「それは……」


 考えてみれば、難しいことではない。鎧のように身体を守るために重く作られたわけでもなく、身体の前方に数キロの重りを常に付けた状態。それもただの重りではなく、足元の視界を見せなくさせ、身体の重心は不安定になる。その上、狭い道は物理的に通れなくなる可能性すら出てくるこの状態のまま、魑魅魍魎巣食うダンジョンに行けば、どのような戦術を取ろうと命を落とす可能性は極めて高いだろう。


「……わかったカイ?」

「は、はい。……事情は、わかりました。しかし、その、考えたくもない事ですが……何とかする方法があるのでは? 例えば、胸を、切り落とすとか……」

「……やったヨ。けど、あたしの身は禁忌魔法によって作り替えられた身だってことは知ってるダロ? 禁忌魔法で作られた身体は、どれだけ傷つこうと元の形に戻ってしまう。あたしにゃ無理だった」

「……そう、だったのですね……。すみません、事情も知らないうちから決めつけて、しまって……」


 項垂れていると、ナネさんはボクの頭にどすっと胸を乗せる。ナネさんの胸はボクの頭を包むようにむにむにと変動し、ボクの鼻の辺りで沈みを止めた。


「そのコトはいいんだ。……それよりモ、あんたが勇者に付いていきたいって話だヨ。勇者は、ダンジョンを攻略できるかもしれない最後の希望だ。そのお着きとして同行するってことは、それなりの体力と生き残る力が必要だ。けどサ、今のあんたは、あたしよりも胸のでかくなったあんたはな、無謀にでもダンジョンに挑めば、きっと命を落とすだろうサ……」

「……」

「それだけジャナい。あんたにかけられた呪いのこともある。最後の希望である勇者にイツ襲われるかわからない穴蔵生活の中、身体が変わってから体力の下がったあんたは、きっと勇者に抵抗できナイ。そのまま次の日に謝って全部解決ってワケにゃいかないヨ。少数集団での色恋沙汰の後腐れってモンは、ひど~くめんどくさいノサ。あんたと勇者以外のメンバーは、全員女だったダロ? だったらなおさら……」

「だったら、だったら、手段はもう、選びません。ナネさん、頼み事があります……」

「……ナンだい? 言っておくれ」


 息を深く吸い込む、覚悟を決めろ。この濁った水面下を認識するんだ。恐怖を乗り越えるんだ……。


「胸の大きさが障害になると言うのならば……ボクの胸を、切り落としてください……! ボクは、禁忌魔法で身体が変わったわけではありません。なら、無くしてしまえば、なんとかなるはずです……」


 ナネさんはボクの頭から胸を降ろし、目線の高さを合わせてから、言葉を告げた。


「それだけの覚悟なら、ショーガない。試してミルよ。……どうなっても、なんとかしてヤル。痛いから、我慢しなヨ」


 心配そうにボクを見る彼女の目が、少し震えていることがわかる。


「ありがとうございます。ナネさん……!」


 せめて彼女の不安が収まるようにと、精一杯の笑顔で、ボクは返事をした。

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